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王城の光と闇

 震える車輪が石畳を叩きながら、馬車は王城の正門へと進んでいく。

 近づくにつれ、城壁は高くなり、門扉の金属装飾は陽光を反射して眩しささえ覚える。


(同じ王都とは思えない……)


 スラムの灰色の世界とは違い、ここには整った庭園と噴水、色鮮やかな花と磨かれた階段。

 それら全てが「特別な場所」であることを否応なしに告げていた。


 馬車が停止して扉が開かれる。


「降りてください。陛下の命により、聖女候補として丁重に扱うよう指示されています」


 兵士はそう言うものの、その声音に丁寧さは感じられない。

 命令されたから従っている――そんな空気がはっきりとある。


 石段を上ると、白く輝く大理石の柱が並ぶ回廊に導かれ、その奥の部屋へ通された。

 扉を開けた瞬間、花と香油の濃い香りが鼻を擽る。


 部屋には、侍女が数人控えていた。

 年長の侍女長が私を見るなり、驚きに眉を動かした。


「……本当に?」


 言葉の意味は聞かずとも分かる。

 私の服は、擦り切れ、縫い合わせただけの布。

 靴も底がすり減って、皮膚にあたる場所が赤く腫れている。


 侍女長はため息をついた。


「まずは清潔にしなければ話になりません。こちらへ」


 拒否する余地もなく、私は着替えの部屋に押し込まれる。



「髪を梳きます。動かないでください」


 櫛が通されるたびに痛みが走り、思わず肩が揺れた。


「まあ……なんて状態なのかしら。手入れなんて、したことがないの?」


「平民ですもの。髪に油や香粉なんて使えるはずがないわ」


 侍女同士のひそひそ声は、私の耳にははっきり届く。

 それでも反論はしなかった。


(言い返したら……トールたちに迷惑をかける)


 今ここで立場を悪くすれば、スラムに被害が出る可能性は十分ある。

 だから、堪えるしかなかった。


 身体を拭かれ、香りの薄い石鹸で髪も洗われる。

 湯気が立ち込める室内で、肌が温まっていく感覚に――自分がどれだけ体を冷たくした状態で生きていたのか気づく。


(こんな温かいお湯に触れるの、いつ以来だろう)


 思ってしまった自分に、すぐ後悔が押し寄せた。


(贅沢を覚えてはいけない)


 慣れたら戻れない。



 髪を乾かされ、淡い桃色のドレスを着せられ、鏡の前に立たされる。


(……私?)


 本当にそう思った。

 頬の泥も落ち、目元の陰りも消え、年相応の少女の顔がそこに映っている。


「多少、見られるようになりましたね」


 侍女長が淡々と告げる。


「もっとも、広場にいた令嬢方の中に立てば見劣りはしますが」


 皮肉を込めた声だが、その言葉を否定する材料はない。

 鏡に映る姿は整えられただけで、品や育ちがあるわけではない。


 侍女長が手を叩いた。


「聖女候補の顔合わせがあります。遅れないように」


 私はうなずき、兵士に従って歩き出した。



 長い廊下を抜けると、豪奢な大広間へ通される。

 扉が開いた瞬間、ざわっ、と一斉に視線が私に向けられた。


「あら……」


「誰? 見たことない顔」


「どこの家の子かしら」


 視線には好奇心と、露骨な値踏みが混ざる。

 私は息を呑み、背筋を伸ばした。


(ここにいる全員が、貴族……)


 庶民が混じる余地など本来ない場。

 そんな中で、私だけが異質だ。


「ほうびを与えるつもりが、貧民街から拾ってきたのかしら」


 甲高い声が広間を割った。


 振り向くと、炎のように赤い髪の少女が立っていた。

 宝石の散りばめられた深紅のドレス。

 目鼻立ちが整い、気品すら感じるが――その瞳は私を見て露骨に笑っている。


「ロザリア様……」


 周囲の令嬢たちがざわめく。


 王宮と近しい家柄。

 聖女候補の最有力――そう噂されていた名だ。


 ロザリアは腰に手を当て、ゆっくりと私を観察する。


「あなたが“選ばれた”だなんて、冗談もたいがいになさい」


 広間に失笑が走る。


 悔しさはある。

 でも、否定できないほど冷静な部分が私の中にもあった。


(本当に……冗談だったら、どれだけ良かったか)



「聖女候補の皆様」


 静かに響く声に、場の空気が引き締まる。


 白い法衣をまとった大司祭が入ってきた。


「明朝、神殿にて洗礼を行います。

 ここにいる全員が、神より祝福を授かる可能性をお忘れなきよう」


 令嬢たちの表情が引き締まる。


 だが、私は――


(魔力なんて……平民に授かるはずがない)


 そんな常識が、胸の奥で重く沈んでいた。


 それでも。


(スラムを守るために――ここに立った)


 逃げる道は、最初から無かった。

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