王城の光と闇
震える車輪が石畳を叩きながら、馬車は王城の正門へと進んでいく。
近づくにつれ、城壁は高くなり、門扉の金属装飾は陽光を反射して眩しささえ覚える。
(同じ王都とは思えない……)
スラムの灰色の世界とは違い、ここには整った庭園と噴水、色鮮やかな花と磨かれた階段。
それら全てが「特別な場所」であることを否応なしに告げていた。
馬車が停止して扉が開かれる。
「降りてください。陛下の命により、聖女候補として丁重に扱うよう指示されています」
兵士はそう言うものの、その声音に丁寧さは感じられない。
命令されたから従っている――そんな空気がはっきりとある。
石段を上ると、白く輝く大理石の柱が並ぶ回廊に導かれ、その奥の部屋へ通された。
扉を開けた瞬間、花と香油の濃い香りが鼻を擽る。
部屋には、侍女が数人控えていた。
年長の侍女長が私を見るなり、驚きに眉を動かした。
「……本当に?」
言葉の意味は聞かずとも分かる。
私の服は、擦り切れ、縫い合わせただけの布。
靴も底がすり減って、皮膚にあたる場所が赤く腫れている。
侍女長はため息をついた。
「まずは清潔にしなければ話になりません。こちらへ」
拒否する余地もなく、私は着替えの部屋に押し込まれる。
◆
「髪を梳きます。動かないでください」
櫛が通されるたびに痛みが走り、思わず肩が揺れた。
「まあ……なんて状態なのかしら。手入れなんて、したことがないの?」
「平民ですもの。髪に油や香粉なんて使えるはずがないわ」
侍女同士のひそひそ声は、私の耳にははっきり届く。
それでも反論はしなかった。
(言い返したら……トールたちに迷惑をかける)
今ここで立場を悪くすれば、スラムに被害が出る可能性は十分ある。
だから、堪えるしかなかった。
身体を拭かれ、香りの薄い石鹸で髪も洗われる。
湯気が立ち込める室内で、肌が温まっていく感覚に――自分がどれだけ体を冷たくした状態で生きていたのか気づく。
(こんな温かいお湯に触れるの、いつ以来だろう)
思ってしまった自分に、すぐ後悔が押し寄せた。
(贅沢を覚えてはいけない)
慣れたら戻れない。
◆
髪を乾かされ、淡い桃色のドレスを着せられ、鏡の前に立たされる。
(……私?)
本当にそう思った。
頬の泥も落ち、目元の陰りも消え、年相応の少女の顔がそこに映っている。
「多少、見られるようになりましたね」
侍女長が淡々と告げる。
「もっとも、広場にいた令嬢方の中に立てば見劣りはしますが」
皮肉を込めた声だが、その言葉を否定する材料はない。
鏡に映る姿は整えられただけで、品や育ちがあるわけではない。
侍女長が手を叩いた。
「聖女候補の顔合わせがあります。遅れないように」
私はうなずき、兵士に従って歩き出した。
◆
長い廊下を抜けると、豪奢な大広間へ通される。
扉が開いた瞬間、ざわっ、と一斉に視線が私に向けられた。
「あら……」
「誰? 見たことない顔」
「どこの家の子かしら」
視線には好奇心と、露骨な値踏みが混ざる。
私は息を呑み、背筋を伸ばした。
(ここにいる全員が、貴族……)
庶民が混じる余地など本来ない場。
そんな中で、私だけが異質だ。
「ほうびを与えるつもりが、貧民街から拾ってきたのかしら」
甲高い声が広間を割った。
振り向くと、炎のように赤い髪の少女が立っていた。
宝石の散りばめられた深紅のドレス。
目鼻立ちが整い、気品すら感じるが――その瞳は私を見て露骨に笑っている。
「ロザリア様……」
周囲の令嬢たちがざわめく。
王宮と近しい家柄。
聖女候補の最有力――そう噂されていた名だ。
ロザリアは腰に手を当て、ゆっくりと私を観察する。
「あなたが“選ばれた”だなんて、冗談もたいがいになさい」
広間に失笑が走る。
悔しさはある。
でも、否定できないほど冷静な部分が私の中にもあった。
(本当に……冗談だったら、どれだけ良かったか)
◆
「聖女候補の皆様」
静かに響く声に、場の空気が引き締まる。
白い法衣をまとった大司祭が入ってきた。
「明朝、神殿にて洗礼を行います。
ここにいる全員が、神より祝福を授かる可能性をお忘れなきよう」
令嬢たちの表情が引き締まる。
だが、私は――
(魔力なんて……平民に授かるはずがない)
そんな常識が、胸の奥で重く沈んでいた。
それでも。
(スラムを守るために――ここに立った)
逃げる道は、最初から無かった。




