マウント令嬢
ダニエルが倒れてから数日が経った。
容体は安定していると報告を受けていたものの、実際に顔を見るまでは落ち着かない。私は薬草を煎じた温かい茶と、厨房で特別に用意してもらった蜂蜜入りの焼き菓子を籠に詰め、医務室へ向かった。
扉を軽く叩くと、中から返事が聞こえる。
「どうぞ。鍵は開いています」
入室すると、窓から差し込む柔らかな光の中で、ダニエルがベッドに腰掛けていた。表情にまだ疲れは残っているが、前より顔色は良い。
彼がこちらに気付くと、驚いたように目を細める。
「来てくれたんですか。あなたまで心配をかけてしまったようですね」
「心配しますよ。無茶をしたって聞きました」
「無茶ではありません。あなたを守るためです」
その言葉に胸があたたかくなる。
私は籠を差し出した。
「これ、差し入れです。あまり甘すぎないように作ってもらいました。回復しているなら、食べられると思って」
ダニエルは小さく笑い、焼き菓子をひとつ手に取る。口に運ぶと、安心したように息をついた。
「おいしい。……いや、本当においしいです。ありがとうございます」
素直な声音に照れくさくなり、私は視線を逸らした。
「あなたが倒れたって聞いて、ずっと落ち着かなかったんです。だから、本当に……元気そうでよかった」
「そんなふうに心配してもらえるなんて、私は幸せ者ですね」
穏やかに微笑む彼のまなざしが熱を帯びている気がして、胸がひどく鼓動を打った。
その時、鋭いヒールの音が廊下に響き、医務室の扉が勢いよく開かれた。
「まあ、こんなところにいたのね。やはり先に来ていたのね」
真っ赤なドレスを揺らしながら、ロザリアが堂々と現れた。
その瞳には自信と優越の光が宿っている。
「ロザリア様、どうしてこちらに?」
「第一王子殿下より、ダニエルへの見舞いを命じられたのよ。私が殿下の“近く”にいること、あなたも知っているでしょう?」
言外に“あなたより格が違うのよ”と告げるような言い方。
私は胸の奥にざらつく感情を覚えたが、表情には出さないよう努めた。
ロザリアはベッド脇に立つと、優雅に手を組み、わざとらしいほど慈愛に満ちた声を出す。
「ダニエル、顔色が悪いじゃない。やはり私が来て正解だったわ。殿下もあなたの働きを気にかけていらっしゃるのよ?」
「お気遣いありがとうございます。しかし、今はお二人とも大事な任務の最中でしょう。無理をされませんよう」
「まあ、そんな他人行儀な言い方、寂しいわね。あなたのことを心配して来てあげたのに」
ロザリアがこちらを横目で見る。
勝ち誇ったような微笑み。
第一王子ラインハルトが彼女を“囲っている”と公然と言わんばかりだ。
私は静かに息を整えた。
「ロザリア様もお忙しいのに、ダニエルのお見舞いに来られたんですね」
「ええ、殿下のご命令ですもの。あなたとは立場が違うのよ。――あら、差し入れ? あなた、他国の騎士への贈り物なんて、軽率じゃなくて?」
柔らかい声に棘が混じる。
その棘はまっすぐ私を刺してくる。
だが、先に口を開いたのはダニエルだった。
「ロザリア様。そのような言い方は、彼女に失礼です。彼女は私の体調を案じ、真心を込めて来てくれただけですよ」
「まあ……! あなた、私に反論するつもり?」
「意図を曲げて聞かれるのは本意ではありません。どれほど身分が高くとも、礼を欠いてよい理由にはならないはずです」
空気がぴしりと張りつめる。
ロザリアの頬が引きつり、一瞬で怒気を孕んだ声になる。
「あなた……私の立場をわかって言っているの? 殿下のお側近くに仕える私にそんな口を――」
「立場ではありません。正しいかどうかの問題です」
ダニエルの言葉は穏やかだが、揺るぎがない。
その毅然とした態度にロザリアは息を呑んだ。
私は慌てて割って入る。
「ダニエル、あまり無理しないで。体調が悪くなると困るし……ロザリア様も、きっと心配して来てくださったんだと思います」
「心配? それはどうかしらね」
ロザリアはそっぽを向いたが、先ほどの勢いほどの強気は失っている。
「今日はもう戻ります。殿下に報告もしなくてはならないし。……あなた、殿下のお気持ちを無駄にしないことね」
最後に私へと視線を投げつける。
それは“あなたは所詮、殿下に選ばれた私とは違う”と告げる視線だった。
彼女が部屋を出ていくと、空気がようやく落ち着きを取り戻した。
私は小さく息を吐く。
「ごめんなさい。私のせいで、あんな……」
「あなたが謝ることではありません。あれはロザリア様の問題です。あなたを傷つける言葉を聞きたくなかっただけですよ」
言葉の一つ一つが優しくて、胸がまた熱くなる。
ダニエルは焼き菓子をもう一口食べ、穏やかに微笑んだ。
「来てくれて、本当に嬉しかった。……あなたが来ると、体調が良くなる気がします」
「そんなこと……」
「ありますよ。私が保証します」
真っ直ぐ向けられた瞳に、鼓動が跳ねる。
ロザリアの言葉も、王子に囲われているという事実も、いまは遠く感じた。
部屋の窓から差し込む光が、静かに彼の銀髪を照らしていた。
その姿を見ているだけで、胸の奥がぽっとあたたかくなる。
この想いを、彼に気付かれてしまわないように。
私はそっと視線を落とし、籠を片付けながら微笑んだ。




