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紅き令嬢と王子の思惑

 王宮の一角、貴賓室に移された私は、しばらく椅子に腰掛けていた。背もたれに身体を預けても、胸の奥の緊張は解けない。つい先ほどまで、第一王子レオンハルトの纏う冷たい微笑が、首筋にまだ残っているようだった。


 部屋の外に控える護衛と神官たちの気配も重い。今は休息と言われたものの、実質は「監視」だ。


 不安を噛みしめていると——ノックの音。


「イレネス。入ってもいいか?」


 聞き慣れた優しい声。扉が開き、ダニエルが姿を見せた。温かな光を帯びた眼差しが、私の心を一瞬で緩める。彼は近くに来ると膝を折り、目の高さを合わせてくれた。


「……大丈夫か? 兄上の言葉、気にしていないか」


「だ、大丈夫です。ただ……少し緊張が」


「無理もない。あの人は……言葉で人を追い詰めるのが上手い」


 ダニエルの眉がわずかに曇る。その表情に、先ほどの気迫とは違う、弱さすらにじんだ。


(この人も……兄に怯えているんだ)


 その事実に胸が締め付けられ、私は静かに首を振った。


「殿下こそ……お怪我の具合は?」


「君に癒されたおかげで、ほとんど残っていないよ。……本当に、助けられた」


 恥ずかしいほど真っ直ぐな感謝。頬が熱くなる。


 だが、その淡い温かさが満ちる空間を破るように——


「まあ、こんな所にいたの? 第二王子殿下」


 鈴の転がるような声。だが、その奥に含まれた棘は鋭い。


 鮮やかな金の巻き髪、紅玉の瞳、艶やかなドレス。

 ロザリア……


 最有力聖女候補にして、私への敵意を隠そうとしない少女。


 ダニエルが立ち上がるより早く、ロザリアは優雅な笑みを浮かべ、私に向かって歩み寄った。


「平民のあなたが、殿下のご休養を妨げてはなりませんわ。……立場を、ご自覚なさって?」


「ロザリア。彼女を責める必要は――」


「責めてなどいませんわ。ただ、聖女候補として最低限の礼儀を……ね?」


 紅い瞳が私を射抜く。

 その視線の奥にあるのは、単なる嫉妬ではない。

 “自分の立場を脅かす存在は排除する”という、明確な拒絶だ。


(……強い人だ)


 そう思った瞬間、廊下の向こうから複数の足音が響いた。


「ロザリア嬢。お迎えに上がりました」


 宮廷魔導士の青い外套が揺れ、彼らは恭しく頭を下げた。その中心に——


「やあ、ロザリア嬢。待たせてしまったね」


 深紅のマントが広がり、レオンハルトが現れた。


 その顔には、弟の時とは違う種類の“丁寧な笑み”が浮かんでいた。

 まるで高価な宝石を扱うかのような、慎重で過剰なほど温和な態度。


「第一王子殿下……!」


 ロザリアはわずかに頬を染め、完璧な礼を取る。


(……態度が、全然違う)


 私への冷たい視線とは正反対の、しなやかな敬愛。

 そしてレオンハルトの微笑みには、明確な意図があった。


「ロザリア嬢。あなたの身柄について、王家として正式に“保護”することに決めた。今後は王宮の奥、聖女候補専用の居室で過ごしてもらう」


「まあ……! 光栄にございますわ」


 背後で、神官や貴族たちがどよめいた。


 “保護”——その言葉が意味するものはひとつ。


 王太子派による囲い込み。


 “最有力の聖女候補を、先に確保した”という宣言だった。


 レオンハルトはゆっくりと視線を私へ向ける。


「もちろん、イレネス嬢についても、いずれは同じように処遇を考えよう。ただ……君の場合は問題が多くてね。身元、力の制御、そして……弟との関係も」


 わざとらしく視線をダニエルへ。

 空気が冷たくなる。


「兄上。あなたは――」


「誤解しないでほしいよ、ダニエル。私は王国の未来のために動いているだけだ」


 その言葉の裏に潜む、刺すような含み。

 まるで「お前は余計なことをするな」と言われているような圧。


 レオンハルトは微笑みながら続けた。


「ロザリア嬢は素晴らしい才女だ。魔力の質も安定している。王宮に迎える価値がある」


 その言い方そのものが、イレネスを“価値で測る対象”として見ているのを強調していた。


 そして、


「イレネス嬢」


 私の名前を呼ぶ声が、息が詰まるほど冷ややかに響く。


「君の力は……まだ不確定要素が多すぎる。扱いを誤れば王宮は混乱する。だから君は——もう少し様子を見るべきだ」


(つまり……信用されていない)


 それは、あからさまな線引きだった。

 ロザリアを先に囲い込み、私をあえて“不安定要因”として扱う。


 その狡猾さは、むしろ美しいほど計算されていた。


 ロザリアは勝ち誇ったように微笑み、私の肩を軽く叩いた。


「平民のあなたには……まだ早いわ。王宮の生活は、とても厳しいものですもの」


(本音は、“こっちに来ないで”……か)


 胸が痛む。

 けれど、ダニエルが一歩、私の前に出た。


「兄上。イレネスは――王国を救う可能性がある。あなたもそう言ったはずだ」


「可能性、ね」


 レオンハルトはゆっくりと目を細めた。

 そこに映るのは興味でも期待でもない。


 ——“価値の測定対象”。


「私の前で“可能性”を語るのなら……その価値、きちんと証明してもらわなくては困る」


 喉に冷たい刃を当てられたような感覚。

 私の背筋は強張り、呼吸がわずかに乱れる。


 レオンハルトは振り返り、ロザリアに手を差し出した。


「行こう。君には王宮に相応しい舞台を用意している」


「はい、殿下」


 ロザリアは嬉々として彼の隣に立つ。


 深紅と紅玉。

 絵画のように美しい二つの色が歩み去るのを、私はただ見送るしかなかった。


 扉が閉まると同時に、胸の奥の熱がゆっくりと溶けていく。


「……イレネス」


 ダニエルの声が、揺れた心を優しく掬い上げるように響く。


「兄上の言葉は気にしなくていい。君の力は……俺が誰よりも信じている」


 その瞬間、喉の奥がひりつき、私は思わず目を伏せた。


(……救われた)


 レオンハルトの影が深まるほど、ダニエルの光は強く見える。

 不思議なほど、胸が熱くなる。


 けれど——影は、消えていなかった。


 扉の向こう。

 レオンハルトとロザリアの足音が遠ざかる。


(あの人たちは……何を企んでいるんだろう)


 胸の奥で、静かな不安だけが息を潜めていた。

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