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イレネスを拒めない歴史

 王宮の奥深く—。重厚な鉄扉の向こうに、代々の王でさえ一部の者しか立ち入ることを許されぬ「禁書庫」がある。


 湿った空気と古紙の匂いが漂う中、レオンハルト王太子は一本の羊皮紙を前に眉をひそめていた。

 そこには歴史書には決して載らぬ、王家が隠し続けてきた“真の記録”が連なっている。


(……これが、本当にすべてなのか)


 王が「白羽の儀式」を絶対視する理由。

 平民すら候補に選ばれることを容認する理由。

 そして、今回スラムの少女——イレネスが選ばれたにもかかわらず、すぐには否定せず保護した理由。


 すべては、この封印された年代記に記されていた。




 最古の記録は、王国歴四百三年。


 当時は豊穣の聖女ミレッタが矢によって選ばれたはずの時代である。

 しかし、王家の判断は違った。


『白羽の矢は身分を問わぬ。時に身寄りのない孤児や、名もなき下民に授かることもある。

 だが、それを王族が受け入れられなかった時——災厄は必ず訪れる』


 ミレッタは孤児院で育った少女だった。

 だが当時の王妃は「身元不明の子に王国の守護を任せるなどありえぬ」と断じ、矢のお告げを無視して他の貴族の娘を“擬似聖女”として祭り上げた。


 その一年後、大飢饉が発生した。


 夏は雨ひとつ降らず、冬には暴雪が続き、小麦も果実も枯れ果てた。

 民が飢える中、擬似聖女には何の奇跡も起こせなかった。


 年号には「異常気象が続いた」とだけ記される。

 だがここ、封印された年代記にはこう記されていた。


『本来ミレッタが持つ豊穣の加護が失われたため、大地は荒れ果て、王国中に餓死者があふれた。

 王家は責任を隠すため、ミレッタの存在を歴史から抹消した』




 王国歴五百七十年。


 この年、矢が指したのはなんと「病を背負う少年」だった。

 当時の学者たちは怒り狂った。


「病弱な子供に聖女が務まるはずがない!」

「王国史に泥を塗るつもりか!?」


 少年は保護されるどころか、森に追放された。

 王家は病を理由に「お告げの誤り」として処分したのだ。


 そして三ヶ月後、瘴気病が王都に蔓延し始めた。


 少年が本来持っていたのは“浄化の加護”。

 彼が王都にいれば、広がる前に病を浄化していたはずだった。


 だが、その少年は冷たい森の中で孤独のまま命を落とした。

 年代記は静かに締めくくる。


『王都人口の三分の一が命を落とした後、王はようやく己の過ちを悟った。

 二度と白羽のお告げを否定するな、と遺言を残して崩御した』




 王国歴六百二十二年。


 王家はまた過ちを繰り返した。

 矢が指したのは、敵国からの移民として暮らしていた少女だった。


 王国は敵国への憎しみが深く、選ばれた少女を「間者」と決めつけ拘束した。

 少女は拷問に耐えながらも「王国を救いたい」と泣き叫んだという。


 だが、信じる者はいなかった。


 そしてその年――。


 国境沿いの火山が大噴火し、溶岩と黒煙が街を飲み込んだ。


 封印書にはこうある。


『少女は“火と地の加護”を持っていた。

 彼女が儀式に参加していれば、噴火は浄化の炎に変換され、被害は最小で済んだ』


 少女の亡骸は、噴煙が落ち着いた後、王国の祈祷師に発見された。

 皮肉にも、その胸元には白羽の紋が残っていた。


 それを見た王は、生涯悔い続けたという。




 こうした封印史が、時代ごとにいくつも続く。


 共通しているのはただひとつ。


『白羽の矢が選んだ者を拒んだ時、王国は必ず大災厄に見舞われる』


 そして最後の記録には、こう記されていた。


『たとえ身分がどれほど低くとも、たとえ周囲が認めずとも——

 お告げは絶対である。拒めば国が滅ぶ』


 レオンハルト王太子は読み終えると、深く息をついた。


(……だから、イレネスが平民であろうと、いや平民だからこそ。王家は彼女を無視できないのか)


 この記録こそ、王がイレネスを城に迎え入れた理由であり、

 ロザリア派の貴族たちがどれほど反対しようとも、決して排除できない理由であった。


 そして、歴史はゆっくりと再び動き出す。

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