白羽の儀式と、外れの矢
聖女――それは王国フローリアを支える象徴であり、唯一の奇跡を行使する存在。
この国では、魔法を扱える者は限られている。血筋に宿る素質が必要で、代々、貴族の中でも優れた家系にしか受け継がれないとされてきた。
そして、聖女は特別だった。
洗礼を受けた瞬間に、神より祝福の魔法を授かる。
炎、氷、風、そして癒し――。
歴代の聖女は必ず何かに突出した魔力を得て、その力で戦争を終わらせ、疫病を鎮めたり、国を繁栄へ導いてきた。
ゆえに、聖女は国王の妃として迎えられることが慣例となり、王家の権威と国家の平和の象徴となってきた。
二十年に一度、王都では聖女候補を選ぶ儀式が行われる。
王宮の高塔から放たれた白羽の矢が、広場に建てられた簡易テントへ落ち、その中にいた令嬢が聖女候補となる――絶対の伝承。
当然、候補は今回も貴族から選ばれるはずだった。
王都の中央広場は朝から華やいでいた。
色とりどりのテントが立ち並び、貴族たちは優雅に椅子へ腰掛け、空高くそびえる王宮の塔を見上げている。
「今年はデュークス家のご令嬢が有力だとか」
「いえ、ロザリア様でしょう。陛下と近しいと聞いていますし」
そのときだった。
王宮の塔に設けられた射台で、儀式の最終の矢がつがえられた瞬間――
突如として、空を叩くような強風が吹き荒れた。
「きゃっ……!」
「風が……?」
晴天だったはずの空が渦を巻き、放たれた白羽の矢は、貴族たちが待つ広場とはまったく逆方向へと流されていく。
長い尾を引きながら、矢は王都の外れへ――
貴族の土地とは程遠い、荒れた街区へと吸い込まれるように飛んでいった。
その光景に、広場は悲鳴とも驚愕ともつかぬざわめきに包まれた。
そんな外の騒がしさとはまったくの無縁の場所で、私は過ごしている。
王都の裏側、貴族が目を背けるスラム街。
壊れた板と錆びた釘だけで形を保っている小屋に身を寄せ、私は弟のような存在、トールと暮らしていた。
スラム最奥、薄い板と錆びた釘だけで形を保っている小屋。半壊した壁の隙間から、冬の冷たい風が吹き込む。私は拾ってきた干し野菜を鍋に放り込み、弟のトールに笑いかけた。
「もう少し煮えたら食べられるから、待っててね」
「姉ちゃん、ごはんだ……!」
喜ぶ声が胸に痛い。ろくに食べさせてやれない日が続くのだから、当然だ。
その時だった。
風ではない、何かが空気を切り裂く音――。
ドンッ。
天井を貫くようにして、白い何かが勢いよく床へ突き刺さった。
「……え?」
硬い木板を裂いたのは、信じられないほど透き通った白羽の矢。見慣れない装飾と金属の輝き。両手が震えた。
「ね、ねえちゃん……これ、なに?」
「…………」
答えられなかった。
白羽の矢。
聖女選抜の儀式の象徴。
よりにもよって、こんなスラムの小屋に落ちるなんて。
その時、外から荒々しい足音が迫ってきた。
「中に誰がいる!」
扉が叩き開けられ、王国兵が数名踏み込んできた。先頭の兵士が私を見下ろし、威圧感を隠さず言い放つ。
「ここに住む者は誰だ。名を名乗れ」
心臓が跳ねる。だが名乗らなければ、もっと悪い事になる。
「……イレネスです」
兵士は無表情で頷き、部下へ命じた。
「王宮へ報告。返答があるまで誰もここを出すな」
伝令が馬で駆け去り、残った兵士たちは小屋の前に並んで立った。周囲の住人が戸口から覗き、恐怖に顔を引きつらせる。
(逃げ道なんて、どこにもない)
そんな静かな圧がスラム全体に落ちた。
やがて、馬の蹄の音が戻ってくる。
「王宮より返答。聖女候補として王城へ連行せよ」
兵士長が書簡を開き、淡々と言った。
「イレネス。これより出立する。拒否は認められない」
喉の奥から、どうしようもない声が漏れた。
「……もし断ったら?」
兵士長は眉ひとつ動かさない。
「命令に逆らう場合、ここを更地とする。例外は作らない」
小さな悲鳴。しゃくり上げる子どもの声。住人たちは口を押さえ、泣き崩れ、我が家を睨む兵士を見て怯えている。
私が拒めば――このスラムが消える。
トールの手を握る。温かくて、小さくて、守りたいものすべてだった。
「……分かりました。行きます」
兵士は無言で頷き、私を馬車へ促した。
こうして私は、誰にも望まれず、誰も予想しなかった形で――王城へ向かうことになった。




