トライソフィア救出作戦2
最寄り駅に到着すると、駅のプラットフォームは異常を察知した群衆で騒然としていた。
「トライソフィアの中でのテロ発生、現場へ向かう!」
テンの指示に従い、ハルたちは飛躍装置へ急ぐ。
「装置動くよ!」
直後、装置の光が四人を包み、空中列車の中へ転送された。列車の中では視界が淡く歪み、データの渦が発生していることが確認できた。
黒い霧がトライソフィア内を覆い、電子音が断続的に響く。人々の悲鳴はその音にかき消されるようだった。
「ジャミング……?いや、違う。これって……」
視界の隅に浮かぶ異常数値。トライソフィアの乗客たちに浮かぶのは、赤い記号と未知のコード。
見覚えのあるコードにハルは考え込むが、続くテンの声に思考は遮られた。
「おい、これ人間のコードだぞ!」
テンの叫びに三人は息を飲む。その瞬間、床に倒れていた乗客たちが不自然に立ち上がったが、その動きはどこか機械的だった。瞳の中には、生気の代わりに赤い光が宿っている。
どう見ても尋常じゃない気配に、四人はじりじりと追いやられた。
「強制的にジャミング化させられてる……?」
震える声を押し殺すように、ムメイが一歩下がる。テンは歯を食いしばって拳を握りしめた。手の内には、ブレイブエフェクトの柄が固く握られている。
「考えてる暇はない!止めるぞ!」
その瞬間黒い霧が渦巻き、列車内の一般人たちが一斉に立ち上がってハルたちへと襲いかかってきた。
ムメイは反射的にブレイブエフェクトで切りかかるも、その動きは既のところで止まる。
「チッ!」
「ムメイ!ジャミングの除去優先だ!絶対にクラッシュさせるなよ!」
「そんなの分かってる!」
いつになく声を荒げさせたムメイは、悪態をつきながらもブレイブエフェクトで一般人を傷つけないよう慎重に対処していた。
しかし、そんな配慮をしている暇もないほど、ムメイたちの前には続々とジャミングが発生していく。
その度に黒い霧は一層濃さを増し、無数の異常数値が視界に浮かぶ。
「まずジャミングを除去するか……いや」
「数が多すぎる!それに、この調子なら除去してもまたジャミング化するはず!」
テンとミヤビが衝突する声が、随分と遠く聞こえる。耳元で響くジャミングのノイズと、人々の悲鳴がハルの聴覚を麻痺させているのだ。
倒れ伏す乗客と、ジャミング化した乗客。黒い霧と、エラーを起こす赤い記号。
目の前に広がる光景に、ハルは恐怖と苛立ちを覚えた。自分がもっと強ければ、この状況を打開できる突破口を見つけられるのではないかと歯噛みする。
自分が学年最下位でなければ。
しかし、今は迷っている暇はない。ジャミングを除去するよりも、もっと良い方法で乗客を助けなければならない。
考え込んだ末に、ハルの思考は透き通るような錯覚に襲われた。
「テンちゃん、これって人為的に仕組まれてるって言ったよね!?」
「え?あ、ああ!」
唐突に口を開いたハルに驚いたのか、ワンテンポ遅れてテンが反応する。
人為的に仕組まれているのならば、ここで四人も手を裂くのは良くない。状況を俯瞰する立場が必要だ。
であれば、それに最も向いているサイバージは。
「ミヤビは犯人捜し、テンちゃんはコードの解析!」
ツクヨミコードにある新月モードならば、ステルス状態になり敵にも見つからない。アカツキコードならば正確に状況を解析できる。
それぞれの強みが最も活きる立ち回りを要求する。
ハルがずっと三人の後ろで見続けてきたからこそ、見えるものがあった。
「了解!」
「なるほど、そういうことね!分かった!」
やけに透き通ったハルの頭の中は、勝利への道筋を立てようと必死で回る。そこに迷いはなかった。
指示に納得したのか、ミヤビは瞬時にツクヨミコードを起動させ、背中のエフェクトに黒い円を浮かび上がらせた。ステルス状態に入った新月モードだ。
テンは安全を確保できる非常口前の死角に移動し、コードの解析を始める。未だにジャミングの相手をしているムメイは、苛立たしげにハルを睨んでいた。
「僕が前線に立てって?」
「意外と器用なの、知ってるよ!ムメちゃんは皆のチップの電源落として!私も手伝う!」
「……」
ジャミングを除去したところで、何故かまたジャミング化してしまう。リスクはあるが、乗客全員のチップの電源を落とした方が二次被害を出さずに済むのだ。
ムメイは一瞬目を細めたが、ハルの意志に気づいたのか、その指示に頷いてブレイブエフェクトを切り替えた。今は、それ以外の最善策はなさそうだった。
「乗客全員のチップを落とす。分かったよ」
納得したように声をあげたムメイは、その瞬間目にも留まらぬ速さでジャミング化した乗客たちの懐へ一気に踏み込んだ。
乗客の体がデータのようにノイズ化して歪みながら襲いかかってくる。ムメイが一刀でその攻撃を封じれば、電子的な光や影が渦巻き、近づくとノイズ音が聞こえた。
ジャミングたちは顔や身体が一部モザイク状になったり、無機質な電子音を発する。シミュレーターでよく見るジャミングとの違いは、赤く光った瞳くらいだろうか。
首を不自然な角度に曲げながら迫ってくるジャミングに鳥肌を立てながらも、ハルはゆっくりだが確実にチップの電源を落としていった。
ブレイブエフェクトで攻撃を防ぎながら、手首に嵌め込まれているチップへと手を伸ばす。サイバーチップの権限で電源を落とせば、それまでの猛攻が嘘のように沈んでいった。
ジャミングの瞳に宿る赤い光が瞬くたびに、不気味な電子音が鳴る。
「き、気持ち悪い……!」
チップ以外の電子モジュールを傷つけないようにと慎重に行動すれば、チップの電源を切られた乗客たちは動きを停止させて眠っていく。
その作業を繰り返していれば、車両内の乗客たちは静かに動きを止めた。
「これが、人為的に仕組まれたジャミング……」
「胸糞悪い」
そう吐き捨てたムメイは周囲に蔓延るジャミングを見回し、静かに考え込む。
「数が多いな。ハル、一車両分は任せてもいい?」
「え?ああ、一車両だけ、なら」
心許ない返事にも関わらず、その答えを聞くや否やムメイは「任せた」とだけ残し、一つ前の車両へと素早く駆けて行った。
「あ、ちょっと!」
取り残されたハルは虚空に手を伸ばし、次いでブレイブエフェクトを握り直す。目の前には黒い霧の渦が迫っていた。
「で、でもやるって決めたんだし」
黒い霧の中、視界は薄暗く、耳元には断続的なノイズが響き渡る。
目の前には数えきれないほどのジャミング化した乗客たちが、不自然な動作でゆっくりとハルにへ迫ってきていた。
その瞳の赤い光が、空間全体を不気味に照らしている。
「こんなに多いの……!?」
ハルは自分の心臓が高鳴る音を聞きながら、ブレイブエフェクトを構えた。しかし、手のひらには汗が滲み、柄が少し滑るのを感じた。
「とにかく、止めなきゃ!」
震える声を振り払うように、ハルは一歩前に出た。
その瞬間、目の前のジャミングたちが一斉に動き出す。
「くっ!」
最初の一体が腕を振り下ろしてきた。鋭い速度にハルは一瞬たじろぐが、反射的にブレイブエフェクトで受け止める。衝撃が手首に響き、全身が痺れる感覚が走った。
「数が多すぎる!」
次々と押し寄せるジャミングたち。
ハルは攻撃を避けたり、エフェクトで弾き返したりしながらも、周囲の状況を把握するのに必死だった。
突然、ジャミングの一体が後方から飛びかかってくる。振り返る暇もなく、ハルは反射的にエフェクトを広げ、辛うじて防御に成功したが、他のジャミングたちが間髪入れずに間合いを詰めてくる。
「はあっ!」
ハルは力任せに剣を振り払うと、光の刃が渦を描き、周囲のジャミングたちを一瞬だけ後退させた。しかし、それも束の間。数体が地を這うような動きでハルの足元に迫り、掴みかかってくる。
蹴りを放ち、なんとか振り切るも、さらなるジャミングが上から押し寄せる。歪んだ顔、赤く光る瞳、そして機械的な電子音。その全てが、ハルの恐怖心を煽る。
「ムメちゃんが他の車両で頑張ってる。私も頑張らないと!」
身体中の筋肉が悲鳴を上げているのを無視して、ハルは踏み込む。
ジャミングたちの連携が崩れた隙を突き、一体を完全に無効化する。
「よし!この調子!」
たった一体だが、大きな進歩である。
その勢いへ続くように、ハルは他のジャミング化した乗客たちのチップの電源を落としていく。
ジャミングは段々と数を減らしていき、ハルもようやく一息をついた。
「よし!こんなもんかな!別の車両もなんとかしないと……」
そう言って車両間を移動するドアへと急げば、耳元で静かなノイズ音が鳴る。ムメイからの通信が入ってきた。
「第一から第二車両制圧完了」
「オッケー!私も第六車両は終わったよ!」
「上出来」
電子音に混ざってムメイの固い声が響く。続く通信の声は柔らかな雰囲気を纏ったミヤビの声だった。
「ごめん、まだ犯人見つかってない。けどこの霧がただの視覚効果じゃないことは分かったよ」
「どういうこと?」
ミヤビの位置は遠いからか、必要以上にノイズが混じる。耳を澄ませて集中すれば、ミヤビから送信されてきた映像が空中ディスプレイに映った。
「この霧を吸い込んだら、ジャミングになるみたいなんだ」
黒い霧の詳細が映された映像には、それが一目で危険なものだと分かる。霧の中に紛れる微細なナノマシンがチップに干渉し、人間をジャミング化させているのだ。
ハルたちはサイバーチップを搭載しているから抵抗できているものの、一般人のチップでは到底抵抗出来ないジャミングの濃度。
「……どうにかなりそう?」
「ここまでの規模ならどこかに発生装置があるはず。トライソフィア内にないかテンに連絡したから、二人はそれを探してもらえる?」
「分かった!ムメちゃんも聞こえた?私とムメちゃんは引き続き乗客のチップを落としながら発生装置を探すってことで!」
「了解」
ハルの指示に反応したムメイの声を聞き、薄く微笑む。
パスを繋いだ視界に浮かぶのは今回も鮮やかな手腕で車内を駆け抜けるムメイと、冷静な思考で犯人を探すミヤビの姿。そして、チームの要として陰ながら支えるテンの姿。
「私も頑張らないと!」
意識を集中させ、ハルはデータの共鳴を探す。ジャミングを量産するような機械であれば、自身に搭載されているサイバーチップが反応するはずだ。
感覚を研ぎ澄ませば、玉のような汗が頬を伝った。気持ち悪さに汗を拭えば、目の奥がじりじりと焼ける感覚。
「ん?」
サイバーチップが何かを伝えるように振動し始めた。
すぐに空中ディスプレイを展開し、周囲の電子情報をスキャンする。細かいデータの流れが視界を埋め尽くし、その中に怪しげなデータの揺らぎを見つける。
「あった!発生装置らしきもののデータが見える!」
それはトライソフィアの後方車両にあるらしい。
通常では侵入できない領域だったが、特殊な装置の存在がハルのスキャンに反応していた。
「ムメちゃん!ミヤビ!発生装置の位置を見つけたよ!後方車両にあるみたい!」
「了解!そっちに向かうけど、途中でまたジャミングに絡まれるかもしれない。気を付けて」
ミヤビの忠告に頷きながら、ハルは自分の中で覚悟を固める。
ジャミング発生装置を止めることがこの状況を終わらせる唯一の方法だ。
ブレイブエフェクトを再び握り直し、決意を込めて前に進んだ。
その時。
「ネズミか」
地を這うような低い声が、ハルの背後で響いた。
一瞬の静寂が訪れる。霧の隙間から差し込む微かな光が、絶望に沈む車両内を一瞬だけ照らす。
しかし、その光はすぐに黒い影に飲み込まれた。
「え?」
振り返るよりも先に、ハルのサイバーチップが不規則な挙動を起こし視界がブレる。
ブレイブエフェクトを発現させたが、素早い動作で構えた相手の拳がハルのみぞおちを抉った。
「あっ、っがはっ!」
予想外の攻撃にハルの身体は宙へと浮かび、後列の車両へ飛ばされた。乗客たちがいる座席に落下し激突する。視界がチカチカと明滅し、サイバーチップに損傷を起こしたせいで手足が痺れだした。
攻撃を続ける男の動きは異常に滑らかで、どこか人間らしさが欠けていた。
パチパチと瞬きを続ける。呼吸を整えようと大きく息を吸えば、それまでいなかったハルに気が付いたジャミングたちが一斉に襲いかかってくる。
一人一人をブレイブエフェクトで素早く捌き切るも、ハルに襲いかかった大男はジャミングごと巻き込むようにハルに攻撃を仕掛け始めた。
他の三人へ瞬時に信号を送っても、ズドンと響く地鳴りのような重低音と共に男に上書きされ、救援信号は断たれてしまった。
「誰っ?」
「……」
怒りを滲ませたハルの言葉に男は何も返さず、ただ激しい打ち合いが始まる。
「くっ!」
男の攻撃に必死に食らいつくも、ハル自身の力不足がまざまざと見せつけられているような気になった。
一つ一つが重い男の攻撃に、身体中の痛みに顔を歪めながらも応戦する。しかし全てを純粋な力で対抗する男に苦戦し、いつの間にかどんどんと押されていってしまい、ハルは大きく後退した。
男が列車の壁を叩きつけ、電子パネルは崩壊し火花が散る。
「強い……!」
ハルが一際大きく息を吐いた時、男の目が赤黒く光った。体の周りには複雑な幾何学模様が走り、男の力をより増幅させていくように見える。
その光に既視感を覚え、一瞬だけハルの動きが止まるが、続く攻撃にその思考は消し飛んだ。
今のハルでは到底対応しきれない攻撃がくると、直感が告げていた。
男が体勢を低くし、ハルのもとへと駆ける。目に追えない速さで繰り出される怒涛の攻撃。
座席や手すりを使って身軽に避けるが、今のハルにとってはそれだけで精いっぱいである。
戦闘不能にするための確実な体術は、非力なハルにとっては相性不利といっても過言ではない。
為す術もなく攻撃を受け続け満身創痍なハルに一歩引いた男は、ただ一言静かに告げた。
「……そんなものではないだろう、サクラコード」
「え……」
その言葉に、痺れたままの手足が大きく震える。埋め込まれたサイバーチップが、まるで生きているかのように脈動した。
「あっ、がっ!」
瞬間、身体中に走る激痛にハルは倒れ込む。神経に針を突き刺されているような痛みに生理的な涙が溢れ出た。
それを冷めた目で見下ろすだけの男は、トドメを刺すことも助けることもしない。ただ、ハルの行く末を見届けようとしているようだった。
眼球の裏側が焼き切れるほど熱くなり、心臓が大きく鳴り響く。
「あ……」
消え入りそうな声を漏らした瞬間、それに呼応するかのようにハルのブレイブエフェクトが淡く輝き始めた。
その光はだんだんと明るさを増していき、目も眩むような輝きへと強くなっていく。
ハルの周りにいたジャミングたちはその光の前に倒れ伏していき、黒い霧は徐々に薄まっていった。
「……ク」
その様子に男はどこか満足そうに笑ったかと思えば、次いで飛んできた攻撃を片手で弾いた。
男とハルの間を横切った閃光は、男の前で爆発する。
その衝撃に男の動きが止まり、ハルは閃光に目を覆った。
「……邪魔が入ったか」
憎々しげに呟いた男は黒い霧に溶け込むように存在が薄くなり、ハルが意識を取り戻す頃には跡形もなく消えていく。
赤い幾何学模様が男の身体を覆い隠し、まるでここではないどこかへと転移するようだった。
「また会おう、サクラコード」
最後に静かな言葉を残し、男は黒い霧と共に霧散していった。
「御札……?」
男が消えた後に残った御札を見つめ、ハルは痛みに呻く。
男の前の前で爆発したものだと気づくよりも先に、ジャミング特有のノイズが耳元で鳴り響いた。
「大丈夫ですか!」
背後から聞こえた声に、ハルは振り返ろうとするが上手く身体が動かない。
無事だと意思表示をするために片手を上げれば、声の持ち主は安心したように息をついた。
「今助けますから」
そう言った女性の声と同時に、ハルの身体にあった痺れが取れていく。サイバーチップの損傷による体への異常も、女性の力により絡んだ糸が解けるように癒されていった。
呼吸が段々と落ち着き、思考がクリアになっていく。
「あ、あの、ありがとうございます!」
「いや、いいんですよ。私の仕事はこれくらいしかないんで」
力の大部分を取り戻したハルは、すぐに立ち上がり女性にお礼を言う。
わたわたと両手を振った女性は、頭を下げたハルに慌てて声を出した。
顔を上げれば、一つ結びの黒髪にオレンジのインナーカラー、太陽のような明るいオレンジの瞳。まるでサイバージのような袴は、よく観察すればどこか巫女装束を彷彿とさせた。
「えっと……」
「ああ!名乗るのが遅れてしまってすみません!私、トンっていいます。アンバーの」
「アンバー……ああ!治安維持組織の!」
「はい!」
にっこりと笑ったトンは、ハルの様子を見ながら治療をしていく。
その慣れた手つきに感心して目を輝かせれば、どこか気まずそうに視線を逸らされる。
「えっと、目立った外傷は治せたんですけど、サイバーチップの損傷が見られますね」
「治すの、難しい?」
「いえ!アンバーの本部である琥珀神社であればサイバーチップの治療も可能です!ですが……」
一瞬考え込むように眉を下げたトンは、どこか申し訳なさそうにハルの方を見た。
「この損傷でしたら、一日はかかるかもしれません。見たところ、任務前のサイバージですよね?」
「あー、それは……」
少し困るが、サイバーチップを損傷しているのならこの先の任務にも必ず支障が出る。どうしようかと苦笑を浮かべれば、「いいじゃん!」と明るい声が響いた。
「琥珀神社なら瞬間移動ゲートあったよね?使わせてもらえば?」
「え?」
後ろを振り返れば、ニッコリと笑ったテンがハルの目の前に座り込んでいた。
「ハル」
その横には、どこか圧をかけるようなムメイがいる。
「あ、えっと……じゃあ、お願いします……!」
「問題ないですよ」
そう言ってハルに微笑んだトンは、どこかへ連絡をし始めている。
寄り道になってしまうが、仕方なかった。
まさに、棚から牡丹餅である。