陰謀
「それで?暴走したハヤテコードはなんて?」
あの戦いから数日後。シンクロイドジャミング除去任務に向けての作戦会議を開いていた四人は、テンの言葉を皮切りに目の色を変えた。
室内は薄暗く、唯一の光源であるスクリーンが四人の顔を青白く照らしている。テンはくるくるとペンを回し、ミヤビは眉をひそめて画面を睨んでいた。
「確か、『シンクロイドに隠された秘密のコードを知った。その秘密が、サイバージに力を与える』だったよね?」
「……病人のうわ言にしては、やけに必死だった」
続くミヤビとムメイの返答に、テンは静かに考え込み、ハルは頭を抱えた。
「あまりにも抽象的すぎるよ……秘密のコードって何?」
「分からない。そもそもコード自体は、許された血統に伝わる力だ。レイメイコードのように力の大部分が明示してあるものもあれば、表舞台から消え去ったアカボシコードみたいに世間一般には伝わっていないコードもある」
「そもそも、その秘密のコードが一体なんのコードを示しているのかって話」
「……」
頭を悩ませる三人を無言で眺めたムメイは、額を押さえ、重いため息を吐いた。瞳の奥に微かな苛立ちを滲ませながら、人差し指の爪でカツカツと机を叩く。
「それもだけど、問題はシンクロイドから帰ってきてそいつがジャミング化したこと」
「そこなんだよなあ!シンクロイドって、一応デジタルトーキョーの管轄内でしょ?除去任務があるとはいえ、そこまで汚染されてるもの?」
スクリーンに大きく投影されたシンクロイドの館内マップを訝しげに見たテンは、ペンで頭を掻きながら唇を尖らせる。
「秘密のコード、サイバージのジャミング化……厄介なことになったな」
ミヤビの一言に、テンは無言でうなずいた。重苦しい空気が四人の間に広がる。
ここにきて「ただのジャミング討伐」ではなくなったことに気を引き締めながら、読み込んだ資料ごとに各々の意見を共有していくことにした。
館内マップの構造、ジャミングの出現が確認された位置、データリンクに必要なノードの配置まで、徹底的に洗い出す。
シンクロイドの館内マップは無機質で複雑な構造を示し、まるで出口のない迷路の様な不気味な静けさを感じさせている。
そうして、シンクロイドの構造が粗方洗い出せたところで、ハルはふと疑問を口にした。
「これまでにシンクロイドとコードが絡んだケースは他にないのかな」
ハルの言葉に、他三人の視線が集中する。過去のレポートを確認した限りでは、シンクロイドにコード保持者が接触した形跡はなかった。
「調べるまでもなく、ほとんど情報は出てない。シンクロイドみたいなデータ管理施設は基本的に管理が厳重で、サイバージはもちろん、その中でもコード保持者の接触なんてものは極めて稀なんだよ」
少ないレポートを纏めながら、これまでの状況を整理するようにテンはハルに説明する。その話を横で聞いていたミヤビが、弾かれた様に顔を上げて続くテンの言葉を遮った。
「そんなに厳重な管理がされている場所で、サイバージが、しかもコード保持者のジャミング化が発生するほどの汚染なんてある?それならもっと早くに異常が発覚しててもおかしくない」
「確かに、おかしい」
ミヤビの言葉に息を呑んだハルは、不安げに俯く。そんな時、端の方で考えていたムメイが重々しく口を開いた。
「その異常が隠蔽されてる可能性は?」
ムメイの低く冷静な声が、四人の間に深い沈黙を落とした。もしその言葉が本当なら、この施設の汚染は、単なる偶然や失態では済まされない――意図的な操作があったということだ。
「ありえない……と言いたいところだけど、その方向性も視野に入れる必要があるね」
テンは意見を求めるように三人を見渡したが、ハルはもちろんミヤビも返答に躊躇った。
「どっちにしても、結論を出すのは時期尚早だ。なんにせよ、私たちには情報が足りなさすぎる。一度神社で情報を集めよう」
重々しい空気を取り払うように手を叩いたテンは、投影していたスクリーンの電源を落としてハルたちに向き直った。
「それもそうだね。もしかしたらシンクロイドについてもっと知れるかもしれないし」
テンの言葉に賛同したミヤビも、ジャミング除去任務に向けて一歩を踏み出すように立ち上がる。それに続くようにハルやムメイも立ち上がり、情報収集に赴こうと教室を出た。
天晶学館の校内には電子の神社があり、生徒たちが任務前に参拝する伝統がある。
ジャミングに対抗するための精神集中や祈りを捧げる施設だが、実際はデータネットワークと繋がっており、生徒たちが意識せず情報交換を行える場でもあった。
「シンクロイドについて知ってる人っているのかな」
「逆に、ハヤテコードの方を調べるのもアリじゃない?なんでシンクロイドに行ってたのか、とか」
「上級生だったし、個人行動も増えていくものなのかも」
「なんか、グミ先輩みたいだね」
そんな会話を広げながら電子ホログラムが浮遊する廊下を歩き続ける。
中庭のすぐそばにある電子の神社は、その規模間から生徒たちの憩いの場でもあった。
境内はAIの巫女がブレイブエフェクトに装着するお守りカスタマイズを販売していたり、今日の運勢を生徒別、統計学的に計算したものを張ってあったりとだいぶ賑わっている。
「わあ!今日は中吉だって!」
「くだらない」
「ムメちゃんは吉!」
「だってさ、ムメイ」
「……」
古代の神社は電子光で装飾され、電子空間ならではの華やかな雰囲気を纏っている。
神社の中にあるものを一通り見て回れば、開けた場所にデータネットワークの中枢である神の岩が現れた。
神の岩の領域に足を踏み入れると、周囲の喧騒が遠のくような感覚に包まれる。
電子の光が漂う中で、神の岩はまるで生き物のように脈動していた。近づくにつれ、四人の心拍がその光に同調するように感じられた。
空気が一変するような神聖さに包まれ、神の岩は青白い光を柔らかに放っている。
その瞬間、ハルたちのサイバーチップが微かに振動し始めた。神の岩から放たれる波動が、サイバーチップと同期を始めているのだ。
神の岩へと近づくたびに、膨大な文字列と映像が浮かぶ。誰かの記憶……いや、データの断片だ。ハルがふと足を止めると、岩から淡い光が放たれ、何かが頭の中ではじける感覚がした。
無意識に、他の誰かの知識が流れ込んでくる。神社が持つ、独特のネットワークの仕組みだ。
「シンクロイド……」
データの奔流から掬い上げるように小さく念じれば、ハルの言葉に応えるように神の岩が輝いた。
青白く輝くデータの流れに、突然血のように赤い光が混ざる。その光は瞬間的に消えたが、次の瞬間にハルの頭の中に一つの映像が流れ込んだ。
迷路のように入り組んだ薄暗いシンクロイドの館内と、謎の影。
途切れ途切れの映像の中で、人の形をした影に目を凝らすように集中する。耳元で微かなノイズが響き、心拍と共鳴していた光が突如、激しい脈動を始めた。
ハルは拳を握りしめ、頭を抱えた。こちらを認識できるはずのない者と、目が、合った。
視線が合った瞬間、全身の毛穴が凍るような感覚に襲われる。血のように赤黒い瞳は、ハルを認識したかと思えば三日月のように目を細めた。
「ハル!」
耳元を貫くようなテンの声にハッと我を取り戻せば、自分の呼吸が異常なほど乱れていることに気が付く。駆け寄ってきたミヤビに感情抑制剤を投与され、次第に呼吸は落ち着いていった。
「テンちゃん……さっきの」
「ああ、私も見た」
神妙に頷いたテンは、自らを落ち着かせるよう静かに深呼吸をして立ち上がる。
「ハヤテコードのジャミング化は、データの暴走じゃないのかもしれない。人為的に仕組まれた可能性がある」
「カイに報告だね」
「ああ。私はこのことを報告しに行く。ミヤビは引き続きシンクロイドの情報収集。ムメイは……」
「ハルの子守り?」
「ああ、分かってるじゃん」
渋い顔をして黙り込んだムメイへ満足げに頷いたテンは、指示をするなり走り去っていった。
「じゃあ俺も行ってくる。ムメイ、ちゃんとおぶっていきなよ」
「うるさい、分かってる」
「ハル、何かあったらすぐ呼んでね」
「う、うん」
落ち着いた様子のハルを心配そうに見つめながらも、ミヤビは引き続き情報収集へと向かっていった。
取り残されたムメイは静かにハルへと視線を下ろし、雑な動作で身体を持ち上げる。
「ムメちゃん……ほんとごめん」
申し訳なさで俯けば、ムメイは珍しく言葉を選ぶように考え込んだ後、端的に話題を振った。
「ハル、見ちゃいけないものまで見たでしょ」
「え?」
「シンクロイドのデータ、今見返そうとしたら鍵かかってて見れない」
「嘘……!」
もう一度データを振り返ろうとすれば、鍵のかかったデジタルログが表示される。アクセス不可という警告とともに、ログの中央に赤い記号が浮かび上がった。それは、誰も見たことがないようなコードだった。
「こ、これ……私」
「まあ、これで人為的なのが確定したわけだし。お手柄だね、ハル」
「え……」
ムメイの背中越しから響いた静かな声に、ハルは一瞬泣きそうになる。それがムメイからの精一杯の慰めなのだと気づき、唇をかみしめた。
思い出すのは、ハルを見つめる赤黒い瞳。
情報を得たはずなのに、心の奥底に渦巻くのは奇妙な不安感。
これを知ってしまったのが間違いだったのだろうか、という漠然とした後悔が胸を締め付けた。