暗躍
世界が完全に電子化され、人々の中にもチップを埋め込みデジタル化を実現させた電子倭国。
中にはそのチップが汚染されバグ化することもあった。そういう人々をジャミングと呼んだが、昨今のジャミング被害はもはや社会問題と言える事態にまで問題視されている。
ジャミング化した者は暴力的になるが、それだけでなく周囲の電子機器を侵食し、他人のチップにもバグを伝染させる能力を持つ。
電脳化の弊害であり、ジャミングとは電子の病気であった。
原因はデータの暴走、ウイルス感染、負の感情の具現化など多岐にわたるが、未だジャミングの完全消滅には程遠い。電子倭国政府はジャミングへの対抗策を練ることで手一杯なのである。
その中の一つがサイバーチップであり、サイバージだ。
サイバーチップの適性が認められ、サイバーチップを埋め込まれた人間をサイバージと言い、ジャミングを除去することを政府から認められている。
サイバーチップが実用化された今では、サイバージとは上級職業のうちの一つであり、サイバージを育成するための教育機関も発足していった。
デジタルトーキョーにある天晶学館は、学校全体が巨大なデータセンターを兼ねていて、表向きは次世代サイバージを育成するための教育機関だが、実際のところは電子倭国の安全を保つための即戦力を量産する施設だ。
校内は和風建築とサイバー技術の融合が見られ、国内外で大きな反響を得ていた。デジタルトーキョーにある中央学校が最高位であり、他の地域にも支部校が点在している。
しかしどの学校も一貫して全寮制で、生徒たちは二十四時間データネットワークに接続された生活を送っているのだ。
「でも、ここが電子倭国の『安全装置』って呼ばれてる以上、私も頑張らないとだよね!」
そう楽観的に捉えるハルとは反対に、テンは遠い目をしながら自虐気味に笑った。
「それ、ジャミング対策の人材工場ってやつね。全寮制にして私らをガチガチに監視しまくるための便利な言い訳だよホント」
「そうかなあ」
久々にハルとテンの休日が重なった日。外出届を出そうとわざわざ学校までエフェクトボードを走らせているのである。
エフェクトボードは、薄い金属板にカスタムエフェクトが浮かび上がり、反重力で浮きながらスムーズに移動できるデバイスだ。ハルのボードには桜模様が浮かび、ひらひらとボードの中で舞っている。
テンのエフェクトボードは赤のラインに、時折幾何学模様が浮かび上がっては消えていくスタイリッシュなデザインだ。
ハルとテンは寮から学校までの道を並走しながら、話に花を咲かせる。二つのボードが浮きながら金属的な音を立てて進んでいた。
「何、ハルは政府側に立つの?」
テンは軽口を叩く一方で、遠くに霞むデジタルタワーが反射する光を眺めていた。その瞳には、どこか諦めに似た色が滲んでいる。
そんなテンとは裏腹に、ハルの桜模様が舞うエフェクトボードが軽やかに浮き上がり、テンの横を滑るように追い越した。
「まあ、でも、私たちみたいなのがいなかったら、ジャミングの被害がもっとひどくなるかもだし」
「それって、ヒーローみたいで素敵じゃん、って言いたいの?」
「うん!ああいや、私じゃなくて!テンちゃんがね!」
「なんだそりゃ」
テンのボードが一瞬加速し、ハルの横に追い付く。赤いラインが光り、幾何学模様が一瞬だけきらめいた。
スピード違反を取り締まる信号が、青緑のエフェクトを空間に走らせながらゴーサインを出す。カーブを曲がり、電子信号を発信している学校の桜ホログラムの並木を通り抜ければ、すぐに到着した。
「おはよーアイちゃん!今日は休日だよー!」
「個人コード、fef4f4、ハル。認証、オールクリア――外出届の認証へ移行します」
「おはようアイ、ついでに私もよろしく」
「個人コード、ff0000、テン。認――」
「……ん?」
テンを認証しないまま、不自然に監理システムの動きが止まり、一切の音声を発さなくなる。
「っかしーな。サイバーチップは何も異常ないんだけど」
右手首をぐるりと動かしながら、テンは自身のサイバーチップにアクセスし学校のネットワークに繋ぐ。面倒そうに状況把握をし続けていれば、遠くでバタバタと慌ただしい足音がした。
「おい!急げ!」
「嘘でしょ!?誰か先生呼んできて!」
ハルの視界の先、学年は違えど生徒たちが焦ったような様子でブレイブエフェクトの柄を握りしめて走っていった。
「ねえ、テンちゃん……」
「あ、ちょっと待って、ハル。もう少しで動くと思うから……あーこれ、サイバーチップの問題じゃないのか?アイ動かないし」
「いや、そうじゃなくて……」
「んー?」
調整に手こずっているのか、眉を寄せながらハルの言葉に曖昧な返事をするテン。
すると、唐突にテンのサイバーチップから軽快な電子音とともに、ミヤビの顔が空中ディスプレイに投影された。
「テン!今どこ!?」
「うわっ、びっくりした。ミヤビ?」
「ミヤビ!」
「あ、ハルも一緒だったんだ。ってことは外出届出しに来てる?」
「ああ、今ちょうど学校に……」
「今すぐ電子掲示板横のデータベースに来て!」
いつも冷静なミヤビの珍しく焦ったような顔色に、テンの顔つきが変わる。電脳空間へと溶け込ませていたエフェクトボードをすぐに取り出し、反重力装置の電源を入れてテンは走り出していった。
そんなテンに急いでついていくようにエフェクトボードを急発進させたハルは、自分のサイバーチップを起動しミヤビとの回線を繋ぐ。
「で、何があったの」
「実技訓練から帰ってきた上級生がジャミング汚染されたんだ」
「ムメイは?」
「俺のモーニングコールに出たことないの知ってるでしょ!ていうか、ムメイ来たところで多分あいつ使えないし」
吐き捨てるように言ったミヤビの声の遠くで、ジャミングの歪んだ声が響く。
使えない、というミヤビの言葉にハルが首を傾げれば、テンはすぐに理解したのか顔色を変えて早口に捲し立てた。
「……どこのコード?グミ先輩呼んだ?あの人ならそういうの得意でしょ」
矢継ぎ早に紡がれるテンの言葉に、ハルはハッと気づく。どうやらハルのような一般サイバージではなく、テンやミヤビのようなコード保持者の話らしい。
「『豪風』ハヤテコード。グミ先輩、実技遠征に行ってていないみたい」
「まずいな」
「抑え切れるかもしれないとはいえ、さすがにこの場にいるコード持ち俺だけだし、サポート欲しいかも。ごめんね」
「大丈夫、すぐ行く」
音声が途切れた瞬間、テンの腰元にブレイブエフェクトが現れ、鞘の内側から淡い電子の輝きを放ち始める。おそらく、アカツキコードを起動し始めたのだろう。
「悪い、ハル。遊びに行くのはまた今度ね」
「ううん!大丈夫だよ!」
神妙な面持ちでエフェクトボードを走らせるテンの後ろで、ハルは気を引き締める。コードを持つ人間のジャミング化は、テンやミヤビのように同じくコードを持つ一族でしか相手が出来ない。
自身がお荷物だと分かっていても、ハルはテンやミヤビと同じチームとして見届けようと心に決めた。