劣等生、ハル
ネオン輝く電子都市、デジタルトーキョー。
古き良き木造建築に電子スクリーンが融合した建物が立ち並び、桜ホログラムが咲き誇る街並みをエフェクトボードで走る。
風を切りながら浮遊する感覚は、電脳少年少女にとっては慣れ親しんだもの。黒髪を靡かせながら、先日染めたばかりのシアンのインナーカラーに指を通した。
時折、桜ホログラムはほんのりと甘い香りを漂わせ、風に乗ってはらはらと薄桃色が散っていく。その合間をすり抜ける電子音のさざめき。
道端にはAI案内人が立ち、流れるBGMも個々のチップに合わせて変化している。
「うおっと!」
余裕も束の間、音楽に夢中で道を曲がりそこないそうになったハルは、体勢を崩しかけながら急カーブをした。
エフェクトボードのセンサーが赤色に点滅し始めたのを見て、苦笑いを浮かべる。学校はもう目の前だ。
ハルは右足を二回リズミカルに叩き反重力装置の電源を切った。電源の切れてしまったエフェクトボードは、ただの板と化す。
それを軽く蹴り上げれば、ボードは宙で一回転して電脳空間へと溶け込むように消えていった。
自動ドアの前にある空中ディスプレイを起動し、ハルは自身に埋め込まれたサイバーチップを同期した。
薄い緑のラインがハルの瞳をスキャンし始め、次いで、手首から肩までラインが走る。手首の下に埋め込まれたサイバーチップが光を帯び、システムが認証を開始した。
「個人コード、fef4f4、ハル。認証、オールクリア――おはようございます」
「おはよーアイちゃん!今日も桜満開だねー!春爛漫!」
生徒の出入りを監理するAIに「アイ」という安直な愛称を付けたのはいったい誰なのか。誰だとしても、ハルは気に入っている。
学校の中に一歩足を踏み入れれば、デジタルホログラムの中庭や巨大スクリーンに投影される情報の数々。
床には動くデジタル模様が走り、生徒たちの足音に反応して波紋のように広がっていく。
校内の電子掲示板は自由に空中ディスプレイを操作できるインターフェースで、表示された情報の中には生徒一人一人の成績や活動実績がデータグラフとして映し出されていた。
そして、その情報の中にはハルが興味のあるものから、出来れば目にしたくないものまで、数多く掲載されている。
「……うげ」
どんどんとスライドされていく空中ディスプレイの情報は、ハルの視界に入った瞬間最も目にしたくない情報を映した。
学年順位表と書かれたそれは、個人、グループともに上位五名からワースト五名までを掲示する。
個人順位の上位三名までの顔触れは、上から順番にテン、ムメイ、ミヤビの三人。ハルがこの学校に入った時から全く変わっていない。不動の立ち位置である。
そして、堂々のワースト一位も不動であり、今日も変わらずハルの二文字が刻まれていた。
「おお、さすがのド安定、ハル!よっ、伸びしろの塊!」
忌々し気にその文字を睨みながら、軽口を叩く。そうでもしないとやってられないのである。
ため息一つ、グループ順位を見ようと視線を上げれば、唐突に横から声をかけられた。
「はよー、ハル」
耳当たりの良い穏やかな女性の低音は、ハルの涙腺を最も刺激する者の声。
ぐるりと振り返れば、サイバー調に仕立て上げられた深紅の袴に黒いベルト。目が覚めるような長い銀の髪は高い位置で纏められ、『アカツキコード』の継承者の証であるガーネットを嵌め込んだような瞳を持つ我らが学年首席、テンがいた。
テンはハルの迫真の表情を見てギョッとするが、いつも通り穏やかな表情でハルの頬をもちもちと弄る。
「で、どしたの?」
「伸びしろの権化~!」
「うわっ、待って、ハル!」
威嚇するように両手を上げてテンに襲いかかれば、焦ったような声が耳元で響く。気持ちを落ち着かせて向き直れば、苦笑を浮かべた彼女がハルを見ていた。
「何、本当にどしたの」
「テンはすごいねって話」
「それ、個人順位だけ見たらの話じゃん」
親指を立ててクイクイ、とディスプレイを差したテンの視線誘導に乗っかれば、ちょうどグループ順位の発表がされているところだった。
上位五組の中にテンはもちろん、個人順位では不動のメンツであるムメイとミヤビもいない。
だが、ハルはその理由をよく知っていた。
「あーあ」
「ありゃ、今回も厳しかったか」
ハルの口からは落胆の声、言葉の割には楽観的なテン。その軽さに、ハルは少しだけ救われる。どれだけ順位が悪くても、テンはいつだって次を見据えているのだから。
グループ順位、ワースト一位はテン、ムメイ、ミヤビ……そして、ハルのグループだった。
「どうしてこう、上手くいかないんだろう」
学年トップの揃い踏み、何故グループだと最下位になってしまうのか。頭を抱えても順位が上がるわけでもないが、ハルにとっては逆立ちしてでも現状を打破したいくらいの由々しき事態なのである。
「順位なんて、サイバージになったらただの飾りみたいなもんだよ」
「それはそうかもしれないけどさぁ。やっぱ、上手くやらないとだよね」
「お。珍しく真面目チャンモードだ」
決意を新たに拳を握ったハルに、テンは薄く微笑んだ。
電子掲示板の前には学年関係なく多くの生徒で賑わっていて、順位を見て歓喜する者や落胆する者それぞれの反応で埋め尽くされている。
そんな中でテンやハルが落ち着いていられるのは、やはり結果が分かりきってしまっているからだろう。
「それにしても、次の実技訓練の説明っていつなんだろ」
サイバーチップに内蔵されている空間ディスプレイを個人で起動したテンは、そこに登録されているスケジュールやメールアプリを開いて首を傾げている。
天晶学館のカリキュラムはグループのレベルによって与えられる課題も異なるが、グループごとに授業内容も違うせいで割り振りもかなりルーズな組まれ方だ。それに、テンのグループは個人間の能力に振れ幅がありすぎる。
「うーん、実技訓練の説明まだっぽいな」
「学年順位で一番下ってことは……実技訓練の取り消しとかありえたり……」
「しないから」
「だよねー」
即座に突っ込まれ、ハルはガックリと肩を落とす。教育機関とはいえ、実戦重視な天晶学館のやり方は万年最下位であるハルにはどうにも合わなかった。
それに加え、ハルとグループを組んでいるのは学年のスリートップ。足を引っ張っているのが誰なのか、実に明白なのである。
「まー次基礎授業だし、ミヨに聞けばいっか」
「ミヨちゃんならわかるはず!先生だし!」
「うん。先生だし」
念押しするように言ったテンは、まるでこの後のことを予測するかのように遠い目をしている。
学年担任であるミヨに一縷の望みをかけ、ハルとテンは足並みを揃えて歩き出した。
「そうだ、ムメイとミヤビにも声かけてく?どうせあの二人は実技訓練の説明すら頭から抜けてるだろうし」
「確かに!ミヤビちゃんはともかく、ムメちゃんは記憶飛ばしがちだもんね」
残りの仲間にも声をかけようと、二人は足早に移動した。