表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
55/56

第55話 終演の、その先へ

 ライブの翌日、目覚めたとき、部屋の中は妙に静かだった。


 昨夜の興奮がまだ体の奥に残っている。けれど、それと同時に、どこかすっきりとした感覚もあった。


 昨夜のライブは、俺にとって何かを一区切りさせるものであり、同時に何かの始まりだった。


 陽葵に、音が届いた。


 それだけで、俺の中の何かが報われたような気がした。


 キッチンで湯を沸かしながら、スマホの通知を見ると、昨夜の配信アーカイブには信じられないほどのコメントがついていた。


「……すげぇな、これ」


 俺の歌が誰かの心に届いていたのなら、それはやっぱり――悪くない。


 でも、それ以上に。


 陽葵の「聴こえた」という一言が、何よりも重かった。







 昼過ぎ。軽音サークルのメンバーと、ライブの打ち上げを兼ねた昼食会を開いた。


 みんな笑ってた。バカみたいな話で盛り上がって、互いの演奏を褒め合って、先輩たちは「卒業までにもう一回やろう」って言っていた。


 それが、何だかやけに切なかった。


 終わっていくものと、続いていくもの。


 その狭間で、俺はふと、誰かの視線を感じた。


「奏」


 振り返ると、そこには佐倉あすかがいた。赤茶のポニーテールに、春めいたワンピース。


 彼女は、すっと真顔で俺の前に来て、言った。


「昨日のライブ……やっぱり、陽葵のことを歌ってたんだよね?」


「……うん」


 俺は隠さなかった。


 彼女はほんの数秒、何かを飲み込むように黙って――それから、柔らかく笑った。


「そっか。そっかあ。うん……よかった。じゃあ、私の気持ちは、ここでおしまい」


「え……」


「だって、もう振り向いてくれないってわかったもん。バカじゃないし。……でも、ちゃんと伝えてよかったよ。ちゃんと、向き合えたから」


 あすかはそう言って、俺の胸を軽く叩いた。


「……これからも、歌い続けなよ。私はあんたのファンやめないから」


 そう言い残して、彼女は笑顔で、仲間の輪へ戻っていった。


 打ち上げの喧騒から少し離れた帰り道。


 俺は陽葵の家へ向かっていた。電車を乗り継ぎ、彼女が住む町へ。たった一人で。


 あの日、彼女を迎えに行った道を、今度は自分の足で辿っていく。


 手には、例のライブの録音が入ったICレコーダーを持っていた。


 届けたかったのは、言葉よりも音だった。


 彼女の耳に、俺の音が、もう一度届くように。







 呼び鈴を鳴らすと、ドアを開けたのは陽葵の妹――美桜だった。


「……あ、奏くん……」


 美桜は驚いたように目を見開いたが、すぐに柔らかく微笑んで言った。


「お姉ちゃん、二階の部屋にいる。もう、だいぶ元気になってきたよ」


 俺は黙って頷き、階段を上がった。


 ドアをノックする。


「……入っていいか?」


「……どうぞ」


 その声は小さく、でも確かに返ってきた。


 中に入ると、陽葵はベッドの上に座っていた。イヤホンを耳に差して、何かを聴いていた。


 いや、聴こうとしていたのかもしれない。


 「昨日のライブの……」


「うん。ネットに上がってたアーカイブ。コメント欄がすごかった」


「……そうか」


 俺は彼女の隣に腰を下ろし、ポケットからICレコーダーを取り出して見せた。


「高音質で録ったやつ。もしよかったら、こっちも聴いてくれ」


「……ありがとう」


 彼女はイヤホンを取り外し、俺の差し出したイヤホンをそっと耳にあてた。


 再生ボタンを押す。


 俺の歌声が、空気を震わせる。


 彼女は目を閉じ、じっと聴いていた。最初は無表情だった。


 でも、サビに入ったとき。


 彼女の目から、ぽろぽろと涙がこぼれた。


「……やっと……やっと、聴こえた」


「……うん」


「奏の音……ずっと、心の奥にあった。忘れたくても忘れられなくて……でも、今のは……ちゃんと届いた」


「俺も、やっと……伝えられた気がする」


 俺は彼女の手をそっと握った。


 彼女は驚いたように俺を見たけれど、すぐにその手を握り返してきた。


 沈黙のなかで、俺は言葉を選んだ。


「……これから先、ずっと音楽が続けられるかどうかはわからない。でも、陽葵の隣で――お前と一緒に歩いていくことだけは、はっきり言える」


 彼女は俺の顔を見つめたまま、ゆっくりと頷いた。


「……わたし、難聴が治るかどうか、わからない。でも、奏の音があるなら……たぶん、どんな未来でも、怖くない」


「だったら、俺と一緒にいよう。全部、背負うよ。お前の苦しみも、未来も」


「……ありがとう」


 彼女は、泣きながら笑った。


 それは、俺が初めて見る――心からの、笑顔だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ