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第22話 彼女の静かな変化

ライブから数日が経った。


いつも通りの大学生活が戻ってきたようで、どこか違ってもいた。


 


「……八坂くん、最近なんか、顔つき変わったね」


講義の後、同じ学部の同級生・遠藤にそう言われた。


「そうか?」


「うん。なんていうか、“一段落ち着いた大人”みたいな顔してる。

 まあ、前から落ち着いてたけど、なんか柔らかくなった感じ」


「……ライブが終わったからじゃないか?」


俺はそう言って流す。

でも、正直に言えば——違う。


陽葵が「届いた」と言ってくれたあの一言が、

俺の中の何かを確かに変えていた。


 



 


昼休み。中庭のベンチに向かうと、陽葵がすでに座っていた。


あの日以来、何も約束をしていないのに、なぜかタイミングが合う。


 


「来ると思った」


「お前こそ」


 


俺たちはほとんど同時にそう言って、少しだけ笑った。


 


陽葵の服装はモノトーンのニットに細身のパンツという、以前より少しだけラフな格好。


こうしてみると、雰囲気が柔らかくなった気がする。


 


「……ライブ、よかったよ。本当に」


「お前、何回目だそれ」


「うるさい。言いたくなるくらい、ちゃんと聴こえたってこと」


 


彼女は、ふっと笑ったあと、少しだけ視線を逸らして言った。


 


「ねえ。八坂」


「ん?」


「私、また——ホルン、吹いてみようかなって、思ってる」


 


その言葉に、俺は一瞬だけ息を呑んだ。


 


「難聴が完全に治ったわけじゃない。けど……音を聴くのが、怖くなくなった」


 


「……あのライブで?」


 


「うん。ていうか——あんたが“音で言葉をくれた”から。

 そっちが先だったんだと思う」


 


彼女の目は、まっすぐ俺を見ていた。もう怯えてはいなかった。


そして、ほんの少しだけ——俺のことを、信じようとしてくれている目だった。


 


「……いいと思うよ。吹けばいい。

 きっとまた、好きになれるから」


 


そう言うと、陽葵はふっと目を細めて、俺の方へ小さく頭を傾けた。


 


「じゃあさ。——吹奏楽部、辞めるわ」


「……え?」


「うん。もうあそこじゃ無理。でも、個人でやってみる。

 自分のために、音楽やってみたいの」


 


その決断は、陽葵にとって簡単なものではなかったはずだ。


でも彼女は、今、少しずつ——“前に進もう”としている。


 


俺は、ただ小さく頷いた。


「……そのときは、何か伴奏が要るなら、言えよ」


「ふふ……じゃあ、“あなたのギター”でお願いしよっかな」


 


彼女の冗談めいた言葉に、俺は返さなかった。


けれどそれは、静かで確かな——“新しい約束”だった。







陽葵と別れたあと、俺はひとりで図書館へ向かった。


軽音の楽譜をいくつか整理したくて、コピー機を借りるついでに、少し静かな場所に身を置きたかった。


窓際の席に座り、譜面を広げていると、斜め向かいに人影が座る気配がした。


 


「……こんにちは、八坂くん」


 


視線を上げると、そこには間宮志帆の姿があった。


文学部の同期であり、軽音サークルのライブを見に来てくれたひとりでもある。



「……よう。図書館、珍しいな」


「テスト前だけね。普段は静かすぎて落ち着かないけど」


 


志帆は、どこかぼんやりとした口調で笑った。


ライブのあとから少し元気がないように見えていたけれど、その理由を俺はまだ知らなかった。


 


「ライブ、よかったよ」


「ありがとな」


「……八坂くんの歌声、たまにすごく冷たいのに、やさしくてずるいよね」


 


志帆の声には、いつも感情が入りきらない。


それは彼女の性格でもあるし、何か——過去にあったことの影響でもある。


 


「志帆」


「なに?」


「……なんかあったか?」


 


彼女は少しだけ目を見開き、それからゆっくりと微笑んだ。


 


「うん。気づいてたんだね」


「無理に言わなくてもいい」


「ううん、話そうと思ってたから」


 


彼女はそう言って、視線を窓の外に向けた。


 


「……最近、家がちょっとごたごたしてて。

 私、今の家にもうすぐ住めなくなるかもしれないの」


「……そうか」


「それだけなら、まあ大人としてなんとかしようと思ってたんだけど——

 実はね、持病がまた悪化してて。通院も増えそう」


 


さらりと、でも静かに重たい話をするその姿に、俺は胸が詰まる。


志帆の抱えているのは“機能性疾患”だと聞いていた。ストレスが増えると、身体に強く出る。


表に出さないだけで、きっとこの数日、彼女の中では嵐が吹き荒れていたんだろう。


 


「無理すんなよ」


「うん。でも……ありがとう、八坂くん」


 


彼女はふと、カバンから何かを取り出した。


一冊の小さな詩集だった。


 


「これ……高校のときから書きためてたやつ。

 今度、朗読ライブ出るんだ。はじめて、人前で声出してみようって思った」


 


「……詩、か」


「音楽と違って、声だけ。だから怖いんだけど……君のライブ見て、少しだけ勇気もらった」


 


その言葉に、俺は軽くうなずいた。


 


「じゃあ、行くよ」


「え?」


「お前の朗読ライブ。観に行くって言ってんだよ」


 


志帆は驚いた顔をしたあと、少しだけ涙ぐんだように見えた。


けれど、それ以上何も言わず、ただ静かにうなずいた。


 


彼女の声が、届きますように。

彼女の心が、少しでもほどけますように。


そんなことを、俺は心の中で願っていた。

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