第21話 リハーサルと、向き合う理由
ライブ当日まで、あと一週間。
軽音サークルのスタジオは、いつになく熱気に包まれていた。
年に数回しかない、学外ライブイベント——「サウンドリンク」への出演が近づいているからだ。
俺たちのバンド「セロトニン」は、今回が初の外部ライブ。
俺(Gt.Vo)、藤瀬(Dr)、真央(Ba)の三人で構成されている。
「んじゃー、もう一回『光の境界』いきますか」
俺の声に、真央が大きく頷いた。
「今のテンポ、めっちゃよかった! このまま固めてこ!」
「藤瀬、バスドラ少しだけ抑えてくれ。Aメロ、陽葵が一番聴きやすいの、そこだと思う」
「ほいよ、了解ー」
実は——今回のライブ、陽葵を一人だけ特別に客席に呼んでいる。
一番前の中央席、そこに彼女が座ることを、俺たち三人だけが知っていた。
彼女の耳に、この曲がどう届くか。それだけを考えて、俺は音を組み立てていた。
*
帰り道、藤瀬がコンビニに寄るというので、先にスタジオを出た。
駐輪場の近くまで来たとき、不意に視界に現れたのは——陽葵だった。
「……練習、してた?」
「ん、まぁ。うるさかった?」
「……ちょっとだけ。音漏れが甘いんじゃない?」
「お前がこの場所にいる確率と、そのセリフが一致しなすぎるな」
陽葵は少しだけ唇を尖らせ、でも目は笑っていた。
「……聴いてたよ。全部じゃないけど」
「……そう」
「思ったより、よかった。ていうか、あんたって……高校の頃よりずっと音に深みがある。
……“誰かのために”って音、してた」
俺は一瞬だけ、言葉を失った。
彼女はそれを見透かすように、少しだけ首を傾げた。
「なに、図星だった?」
「いや……なんで分かるんだろうって、思っただけ」
「分かるよ。音に嘘があるかどうかくらい、私にも聴こえる」
言葉が重いわけじゃなかった。ただ、真っ直ぐだった。
その“まっすぐ”が、今の俺には少しだけ、こそばゆい。
「……なぁ陽葵」
「なに?」
「……ライブ、来てくれてありがとうって、先に言っとく。
その、なんか……お前がそこにいてくれるだけで、演る意味あるから」
言った瞬間、やっぱり少しだけ恥ずかしくなって、
陽葵の反応を見ずに、俺は自転車を起こす。
でも、その背中に届いた声は、あたたかかった。
「うん。ちゃんと、聴くよ。
“あなたの音が、私に届くかどうか”——この耳で、試すから」
その言葉に、俺の心は静かに震えていた。
*
ステージ袖で、俺はギターを抱えて立っていた。
客席のざわめき。照明の熱。アンプから響く、リハの残響。
どれも現実感があるのに、まるで夢の中にいるような感覚だった。
「大丈夫か、奏」
藤瀬がドラムスティックを指で回しながら、こちらを見て言った。
「ああ」
俺は短く返した。
真央はベースのチューニングを終えて、いつものように軽く笑っている。
「観客の中に“あの子”いるの、分かってんでしょ?」
「……うん」
「じゃあ、届けてきなよ」
「……わかってる」
スタッフの合図が入り、俺たちはステージへと歩き出した。
目の前の観客席。
ライトでほとんど見えない中でも、中央前列にいる彼女の存在は、はっきりわかった。
彼女——陽葵は、少し緊張したような顔で、俺たちを見つめていた。
マイクの前に立つ。
心臓の音が、少し早くなる。
ギターを構え、右手を置く。
目を閉じて、ひと呼吸。
「……こんばんは、『セロトニン』です」
静かなMCのあと、イントロが始まる。
一音目から、俺は自分の中の“何か”が変わっていくのを感じた。
——この音を、陽葵に届けたい。
ただそれだけで、音が生きていく。
『光の境界』
俺が作ったこの曲は、陽葵の耳に何かを届けるために、生まれた曲だった。
Aメロはやわらかく、でも芯のあるアルペジオ。
Bメロでは少しずつ音が広がっていき、サビで一気に開ける。
そして、サビのラスト。
「君の耳に、僕の音が届くなら——
どうか、今だけは、逃げないでいて」
視界の先で、陽葵の表情が変わった気がした。
手が、震えていた。目は大きく見開かれ、何かに驚いたような顔。
その顔が、何よりの答えだった。
ライブが終わったあと、楽屋の裏口で荷物をまとめていたとき、
陽葵が静かにやってきた。
「……よかった」
彼女はそれだけ言って、俺をまっすぐに見つめた。
「全部、ちゃんと届いたよ。——全部、聴こえた」
その言葉に、俺はようやく息をついた。
今日、初めて。
やっと、少しだけ報われた気がした。
「ありがとう」
俺は、彼女にそう返した。
それだけで、世界が少しだけやさしくなった気がした。




