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第14話 届いてしまった音

「最近さ、陽葵見ないよな」


 


陽翔がふと漏らした一言に、俺は一瞬、ピックを落としかけた。

それは、俺がここ数日、ずっと気にしていたことだった。


 


彼女のことを“気にしている”と明言したくなかった。

……でも、否応なしに意識してしまう。


 


(たしかに……あれ以来、練習にも来てない)


 


最後に見たのは、あの雨の日の翌朝だった。

傘もささず、ずぶ濡れのまま校舎へ入っていく後ろ姿。

声をかけようとして、何も言えなかった。


 


「陽葵先輩、最近部室にも顔出してないみたいで……」


と、小春がぽつりと呟く。

彼女は吹奏楽部の後輩で、陽葵とパートも近かった。


 


「部活、辞めるんじゃないかって噂もあって。

 この前なんか、先輩のロッカーが勝手に空けられてて……」


 


「勝手に、って……それ、誰が?」


 


「たぶん、あの人たちです。3年の——」


 


言葉が濁されたが、俺はすぐに察した。

かつて陽葵が言っていた、“居場所がない”という言葉の意味を。


 


陽翔と由香は顔を見合わせたが、誰も何も言えなかった。


 



 


その日の夜、俺は何気なくアーカイブを見返していた。

過去に自分が配信した、弾き語りの動画。

コメント欄をぼんやり眺めていた時だった。


 


——見つけてしまった。


 


「また聴きにきちゃった。あなたの声は、すごく優しいから」


「今日も誰にも言えなかった。でも、あなたの歌を聴くと、ちょっとだけ泣ける」


「次の配信、楽しみにしてます。私、ここでしか安心できないから」


 


アカウント名は“r_hk”。

そのアイコンに見覚えはなかった。


 


けれど、文体も、語尾の癖も、言葉の選び方も——


 


……“彼女”だった。間違いない。

俺の知らないところで、ずっと俺の声を聴いていた。


 


(俺は……何も気づいてなかった)


 


吹奏楽も、音楽も、もうやらないって決めていた。

でも、結局こうして、音楽でしか繋がれない人間関係に、自分は支えられていた。


 


それを知ってしまった今、見て見ぬふりなんてできなかった。


 


翌日。

俺は授業を終えたあと、ふらりと図書館の裏にある小さなベンチへ向かった。


 


そこに、陽葵がいた。


 


イヤフォンをしたまま、目を閉じていた。

だけど俺の足音に気づいたのか、片耳のイヤフォンを外して、こちらを見上げた。


 


「……来ると思った」


 


その言葉は、不思議と刺々しくはなかった。

彼女の目は、何かを諦めた人間の、それだった。


 


「俺、ずっと気づいてなかったんだなって思ってさ。

 ……“r_hk”って、君だったんだろ?」


 


陽葵の肩がわずかに震えた。

それが、肯定のサインだと理解するのに、時間はいらなかった。


 


「……届いて、たんだね」


 


彼女の声は、驚くほどかすれていた。


 


「君の耳に、僕の音が届くなら——って、ずっと思ってたんだ。

 でも、届いてしまった今、どうすればいいのか分からないよ」


 


俺の言葉に、陽葵は俯いたまま、微笑んだ。

 


「……ごめんね」


 


その言葉を、陽葵が最初に口にした。

まるで、謝ることがすべての始まりだと決めているかのように。


 


「本当は、ずっと辛かった。

 音楽も、人間関係も、家も……全部、怖くなってた」


 


彼女は目を伏せたまま、手元のイヤフォンを指先で絡めていた。


 


「演奏がうまくいかないと、怒られる。

 うまくいっても、妬まれる。

 家に帰っても、『またそんな無駄なことして』って、母も妹も……誰も、味方がいなかった」


 


彼女の口からあふれる言葉は、ひとつひとつが重たくて、静かな怒りに満ちていた。

でも、それ以上に、深い悲しみがあった。


 


「それでも、私は“音”を手放せなかった。

 手放したら、本当に何もなくなる気がして……」


 


俺は、何も言えなかった。

言葉は、ただの慰めになってしまいそうで。

それよりも、この場所に“いる”という事実だけが、いま彼女に必要だと思った。


 


「あなたの配信、最初は偶然だったんだ。

 でも、聴いてると……気持ちが少しずつ溶けていった」


 


陽葵の声がかすかに震える。

彼女の瞳には、にじむものがあった。


 


「——ねえ、どうしてあなただったのかな」


 


「それは……」


 


答えは、たぶん俺にもわかっていない。

でも、口から出たのは、たったひとつの言葉だった。


 


「君の音が、俺に届いてたから」


 


陽葵は目を見開いた。

その一瞬の表情に、彼女の心が大きく揺れたのがわかった。


 


「俺、もう音楽やらないって決めてたけど……

 たぶん、君の音がずっと俺の中に残ってたから、ギターを手放せなかったんだと思う」


 


風が吹いた。

春の終わりを告げるような、柔らかい風だった。


 


「もう無理だと思ってた。

 もう一度“吹きたい”って思うなんて、自分でも信じられなかった」


 


陽葵はそう言って、小さく笑った。


 


「でも、今は……ちょっとだけ、思う。

 ——また、音楽やってみたいかも、って」


 


その言葉を聞いた瞬間、俺は自然と微笑んでいた。


 


彼女の中で、ひとつの終わりが静かにほどけて、

同時に、何かが静かに始まりかけている。


 


「じゃあ、また今度、配信聴いてくれる?」


 


「うん。……でも、次は、私も“音”で返すから」


 


そう言って彼女は、初めてまっすぐ俺を見た。


 


その瞳には、もう“さよなら”は映っていなかった。

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