外伝2 「橋を渡るミント 1/2」
このエピソードは本編のストーリーに影響しないため、外伝としました。また、2話を一気に投稿しますのでお楽しみ下さい。
外伝2 「橋を渡るミント 1/2」
6:30、冬の朝の冷たい空気の中、ミントは『チョコ』の散歩を終わらせて飼い主の加賀家の玄関のチャイムを押した。ドアが開いて好子夫人が姿を現した。
「ミントちゃん、毎日ありがとうね、助かるわ。チョコもミントちゃんが来るのを尻尾を振って楽しみにしてるのよ」
ミントは、腰が悪く体力も落ちてきている70代の加賀好子夫人に変わって元気で若い雄のゴールデンレドリバーのチョコを散歩させることを日課にしている。日課はもう1年半になる。
「私もチョコちゃんと散歩するの楽しいです。チョコちゃんは私の家族みたいなもんです」
ミントが笑顔で言った。
「そういえばミントちゃん一人暮らしよね? ご両親は何処にいらっしゃるの?」
ミントは焦った。自分が捨て子であることは好子夫人には話していない。ミントは天涯孤独だった。
「両親は東北に住んでます」
ミントは咄嗟に嘘をついた。
「あら、そうなの。東北の何処?」
「宮城県の気仙沼です」
「いいところね。一度主人と旅行で行ったことがあるの」
「はい、景色が綺麗で、フカヒレとカツオが美味しいんです」
気仙沼は最近の任務でたまたま立ち寄った場所で、印象に残っていたのだ。外務省の工作員を秋田から東京まで護送する任務の途中で襲撃を受けるアクシデントがあり、岩手県の前沢サービスエリアから宮城県の気仙沼まで歩く事になったのだ。
「そう。たまには帰ってあげないと、きっとご両親は寂しがってるわよ」
「年末年始は帰ろうと思ってます」
「それはいいわね。きっとご両親喜ぶわよ」
ミントは東京タワーの第1展望室から、薄紫色のベールに包まれた初冬の夕暮れの東京の街を見下ろしていた。週末の展望台はカップルや家族連れで賑わっていた。ミントにとって東京タワーは故郷だった。生後3カ月のミントは年末の寒い日の夕暮れに、ベビーカーに乗せられて東京タワーの下に捨てられていたのだ。ミントはその事を小学校4年生の時に養護施設の職員に聞かされ、以来、気分が落ち込んだ時は東京タワーに来るようになった。今日も朝に近所の好子夫人に家族の事を尋ねられ、気分が落ち込んだのだ。好子夫人に悪気が無い事は分かっているが、自分ではどうする事もできない自身の身の上について考えると、時に寂しくなるのだ。見下ろす街の中には沢山の生活がある。そこには血の繋がった家族が当たり前のように暮らしているのだと思った。生まれてこの方、家族を知らないミントにはその事が遠い別世界の事のように思えた。捨て子である事でいじめられた事もあった。それでも周りに好かれようと明るく振舞って生きて来た。生まれて来た事に感謝もしていた。自分の人生はこれからなのだ。いつか明るい家庭を作りたい。そう願っていた。
ミントは西新宿の事務所に顔を出し、米子やパトリック、樹里亜、瑠美緯達とたわいのない話をしていた。
「ミント、話がある。ちょっと応接室に来てくれ」
木崎が自席からミントに声を掛けた。ミントは応接室に入り、椅子に座った。続いて入って来た木崎がテーブルを挟んだ正面の席に座る。
「話って何? お給料上げてくれるのかな? それとも恋愛の相談? もしかして木崎さん、いい人できたの?」
ミントはいつものように軽口を叩いた。
「ミントにとって大事な話だ。短刀直入に言う。お前の両親が見つかったんだ」
木崎が渋い顔をして言った。
「えっ?」
ミントは虚を突かれた。
「お前の母親が興信所に頼んでお前の事を探しているらしい。興信所の調査員から組織にアポイントがあった。だが組織としてはお前の事を教える訳にいかない。お前が内閣情報統括室の工作員だとういう事は国家機密だ。お前は9年前に交通事故で死亡している事にした。興信所にはお前の母親にそう伝えるように説得したんだ。興信所も内閣情報統括室の名を聞いて焦ったようだ。逆にその母親の事を調べるように依頼して情報を引き出した。まあ脅したんだがな」
「私を探してるってどういう事なの? 私の両親っていっても、私を捨てたんだよ! いまさらもう関係ないよ!」
ミントの声は大きくなっていた。
「お前の両親に関する資料だ。読むなり捨てるなり勝手にすればいい」
木崎はA4用紙の薄い2冊の冊子を机の上に置いた。ミントはその冊子を見つめていた。
「いまさら親なんて知りたくよ! 私は一人で生きてきたんだよ! ここの仲間が私の家族なんだよ! いまさら親なんて・・・」
「その資料を読むか読まないかはお前の勝手だ。片方は役所の資料を基にしたお前の両親の概要報告書だ。もう一つは複数の人間からの聞き取りを基にした報告書だ。俺は知っておいた方がいいと思う。人は血の繋がりはには抗えない。それに、お前の父親はもうこの世にいない」
「どういく事? 死んだの?」
「そのようだ。お前の母親はお前を断腸の思いで捨てたようだ。お前を育てられる状況じゃなかったみたいだな。誰かにお前の幸せを託したのだろう」
木崎が落ち着いた声で言った。
「木崎さん、私はどうしたらいいの? どうしていいかわからないよ・・・・・・」
「ミント、自分で決めるんだ」
「いまさら親なんていらないよ! 冗談じゃないよ! 私は1人で生きてきたんだよ」
ミントは悲しそうに言った。
「お前はもう大人だ。自分の気持ちに正直になるんだ」
木崎が諭すように言うと立ち上がって応接室を出て行った。ミントはしばらく応接室の椅子に座り、呆然としていた。テーブルに置かれた『調査概要』と書かれた1つの冊子を手に取ると応接室出て、自分の机の横に置いた肩掛けカバンを持つと、挨拶もしないで事務所を出て帰路についた。
ミントは自宅に着いてお気に入りの銘柄のコーヒーを淹れると、意を決して冊子を読み始めた。今さら過去を知りたいわけじゃない。ただ自分に関する客観的な歴史的事実を知るだけだと自分に言い聞かせた。
父親の名前は『樫村義弘』。1979年に新潟県に生まれた。卒業した小学生の名前が記載されていたが細かい事は記載されて無かった。中学生の頃の成績は中の下。運動は得意だったようで、サッカー部に所属していた。高校は新潟の県立高校に入学したが、3年生の時に仲間うちで障害事件を起こし、不起訴となったが学校を退学になっていた。その後義弘は運送会社に就職し、トラックの運転の仕事に就いた。性格については、お調子者で明るい性格だが短絡的な所があると書かれていた。
母親の名前は旧姓が『山際美空』だった。1983年に長野県のワサビ農家の家に生まれた。穏やかで優しく、比較的控え目の性格だった。中学時代の成績は中の上くらいで、吹奏楽部に所属していた。カワイイ容姿で男子生徒に人気だったようだ。高校は県立の女子校に入学し、そこでも吹奏楽部に所属した。高校卒業後は大手家電メーカーに就職し、地元の電子機器工場に勤務した。義弘は仕事の関係で美空の働く工場によく出入りしており、検品係だった美空と出会い、交際が始まったのだ。交際して2年後、義弘25歳、美空が21歳の時に2人は結婚した。結婚してしばらくすると義弘が東京の支社に転勤する事になり、美空は仕事を辞めて2人は東京の墨田区に引っ越すことになった。東京に移って1年後に義弘は会社を辞め、その後は職を転々とした。結婚して2年がたち、2007年に美空が23歳でミントを産んだ。その頃は夫婦仲が上手く行かず、生活も困窮していたようだった。ミントはこの時に捨て子になった。義弘と美空はミントを捨てた半年後に離婚した。実家の新潟に帰った義弘は2010年には病死していた。詳細は記載されていなかった。ミントはここまで読むと冊子を一旦テーブルに置いて冷めかけたコーヒーを飲んだ。何とも形容のし難い気分だった。会った事も無い両親。自分を捨てた親。間違いなく自分の両親の事について書かれているのだろうが、まったく実感が湧かなかった。
ミントは再び冊子を読み始めた。美空は義弘と離婚後も東京に残り、パートや派遣社員をして生活をしていた。そして2012に『笠原俊』という35歳の男性と再婚していた。美空は28歳だった。そして4年後の2016年に『笠原ひかり』という女の子を生んでいた。ミントの目がその一文に釘付けになった。自分を捨てた母は再婚をしていた。そして自分と父親違いの妹を生んでいたのだ。2016年生まれなら今は9歳のはずだ。名前は【ひかり】。ミントは心臓がドクドクと激しく脈打つのを感じた。調査資料はそこで終わっていた。
ミントは学校の授業もどこか上の空で聞いていた。夕方に西新宿の事務所に顔を出した。ミントは木崎の座る机に近づいた。
「木崎さん、もう一つの報告資料下さい」
「概要の方は読んだのか?」
「はい」
「そうか。だがお前は死んだ事になっている。くれぐれも会おうなんて思うなよ」
「わかってるよ。今更、会ったところで18年は埋められないよ。それに、こんな仕事して
るなんて言えないよ」
ミントは悲しそうに言った。
「こんな仕事か・・・」
木崎が静かに言いながら、詳細な報告の記された冊子を引き出しから取り出すとミントに渡した。
「ミントちゃん、帰るの? 焼肉食べに行かない? 食べ放題」
米子がミントに声を掛けた。
「米子、悪いけど今日は帰るよ。また今度ね」
ミントは部屋に帰ると肩掛けカバンから資料の冊子を取り出すと座って読み始めた。資料は、母親の美空や義弘についての聞き込みの結果を纏めたものだった。聞き込み対象は当時の近所の人や、親戚が主だった。
父親の義弘は転勤で運送会社の東京支社でドライバーをしながら営業的な活動もしていた。高校中退ではあったが、よく働き、明るい性格で人当たりの良かった義弘は上からも期待され、幹部候補になっていた。義弘自体も上の期待に応えるべく精力的に働いた。出世すれば給料も上がり、美空との生活も豊かなものになると考えていた。美空は近所のスーパーでパートとして働いていた。やがて美空が妊娠が明らかになった。義弘は生まれて来る子供の事を考えると嬉しくなり、一層働くようになった。新しい運送ルートを獲得するべく、ドライバーをしながらも取引先に営業をかけ、取引先の関連会社や取引相手を紹介してもらったりした。その為に接待も積極的に行った。美空もパートをしながら義弘を支えた。しかし義弘はある事をきっかけに生活が荒れ始め、毎晩外で遅くまで酒を飲むようになった。帰宅後も酔いつぶれるまで深酒をした。休日は昼から飲む事も珍しくなくなり、酔って美空に当たり散らした。
きっかけは取引先であるパアナルニック電子工業の課長に騙された事だった。義弘はパアナルニック電子工業の仕入れや物流を管理する沢尻課長に頼まれ保証人になったのだ。沢尻課長は義弘の営業に協力し、関連会社を紹介するなど好意的に接してくれた。接待意外にも個人的に飲みに行く事も多くなった。保証人になったのはコピー機、プリンター、FAXの複合機の購入だった。沢尻課長は、事務効率化を図るために複合機を各部署に購入する事を社内に提案していたのだ。稟議書は役員の最終決済待ちとうい事だった。購入する複合機は20台で、価格は800万円。義弘に保証人になる事を頼んで来た。義弘は何の疑問の抱かずに購入取引の保証人の欄に実印を押印した。1ヶ月後にパアナルニックは不渡り手形を出し、業務が停止して倒産が確実となった。もともと業績が悪かった上に多額の借入金が返せず、仕入れで振り出していた手形が不渡りとなったのだ。それから2週間後にOA機器の販売代理店から電話があり、義弘に支払いの催促があった。義弘は沢尻課長に連絡を取ろうとしたが、電話は繋がらなかった。会社の倒産が間違いない事を確信した沢尻は、複合機を買い入れ、転売して500万円の利益を懐にしていた。気が良く、世間に疎かった義弘を騙したのだった。
義弘は親戚から借金をし、足りない分は消費者金融から借りてなんとか支払いをしたが、その事がきっかけで人間不信になった。酒が手放せなくなり、毎晩飲み歩く生活が続いた。二日酔いの日も多くなり、勤務前のアルコールチェックにも引っかかり、トラックに乗車できない日が増えていった。会社からの再三の注意にも生活態度が改まる事はなく、やがて会社を解雇となった。義弘は飲み屋だけでなく、キャバクラやスナックにも通うようなり、消費者金融からの借金は増えて行った。解雇された義弘は飛び込み営業などの会社に就職したが、1ヵ月と続かず、職を転々とした。妻の美空はそんな夫を暗澹たる気持ちで見守るしかなかった。美空は身重の身でパートを増やし、家計を支えようとしたが、借金取りに頭を下げ、酔いつぶれた夫をスナックに引き取りに行く生活が続いた。美空は体と精神を病みかけていた。
そんな中、2007年9月23日にミントは生まれた。しかし夫の義弘は病院に姿を見せる事はなかった。退院した美空は出産によりさらに体力を落とし、出生届を出すことも出来なかった。美里はワサビ農家の実家からの支援でなんとか生まれたばかりのミントを育て始めた。子供を産んだ事は実家には報告していなかった。この頃、近所ではまだ首の座らないミントを抱いて散歩する美空の姿が目撃されている。家では義弘が酔って暴れるため、生まれたばかりの娘を抱いて散歩するのが日課だった。近所の人には娘の名前を『あかり』と言っていたらしい。生活に疲れ、娘の行く末を心配した美空は12月の30日に東京タワーの下に、裕福な人に拾われる事を願ってベビーカーに乗せた生後3か月のあかりを捨てた。美空は何度もベビーカーを振り返り、電車の中では人目もはばからずに涙を流した。ベビーカーの中にはミルク代と書かれた5万円が入った封筒が置かれていた。美空が工面できる最大の全額だった。この時、美空も死ぬ覚悟だったようだが、偶然訪ねて来た両親に普通の精神状態ではない事を悟られ、精神科に入院させられたのだ。ミントはここまで読んで冊子から目を離した。もし捨てられる事がなければ自分の名前は『樫村あかり』だったのだと考えた。ミントは呟くような小さな声で『樫村あかり』と口に出してみた。