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#2 タウン・ウィズ・ノーネーム 4

 石住に礼を言って屋敷を出ると、天空は空を見上げた。太陽の位置的に、おそらくさっきの橋を渡った先が北の方角だろう、きっと。

 携帯のロック画面を確認すると、時刻はもう十四時を過ぎていた。今度こそどこかで昼食を済ませようと思ったが、そこで気づいてしまった。


(あ……財布、置いて来ちゃったんだった……)


 レストランでのドタバタで、鞄ごと財布を置いて来てしまっていた。取りに戻ろうにも、ずっとあちこち歩き回ったせいでもう道を覚えていない。石住に食事をせびるのもさすがに申し訳ない気がする。

 仕方がないので、天空は我慢して北を目指すことにした。

 古民家や町屋、軒のない平坦な商店が並ぶ街路にはそれなりに人が居るが、夏の終わりの湿った空気が籠っているせいか、活気づいていると言えるほどの賑わいはない。和洋折衷の服を着た彼らは、時たまこちらを一瞥して遠巻きに過ぎる。天空の着ているワンピースが珍しいのだろうか。


「どいてどいて!」


 遠くから軽快な足音と軋むような音が近づいてきて、天空は後ろを振り返った。するとなんと、荷馬車が丁字路を右折して路地に入ってくるではないか。


「おっと!」


 面喰らいつつ脇に避けた天空の横を、茶色い馬がむしろに包まれた荷を引いて通っていく。荷車に座る御者は、車体が大きく揺れても涼しい顔だ。


(馬車なんて初めて見るかも……)


 そういえば、雷破はこの町を「百年前に閉ざされた」と言っていた。町並みや人々の服装に懐かしさを感じるのは、外の文化がほとんど入らず、昔ながらの様式が継がれ続けているからなのだろう。携帯電話がずっと繋がらないのも同じ理由か。別世界染みた通りを歩く気分は、まるでタイムスリップしたかのようだ。

 こんな状況で感じることではないかもしれないけれど、自分の地元よりかは面白味がある。


 天空の地元は、どこにでもあるような田舎だ。都市部からは数十キロ離れ、魅力ある産業や資源はこれといって無い。住むのに不便はしないが娯楽は少なく、緩やかな過疎の坂を滑り落ちている、空っぽの町。叔母に引き取られてから越してきたから、特に愛着はない。事件もドラマもなく、ただ廃れていくだけの土地での暮らしはひどく退屈だった。そう思うと、こうして家を飛び出し、謎めいた町で色々なトラブルに巻き込まれている今の状況は、当初の目的を達成していると言えなくもない。

 それが今は、出口を求めて動いている。半分は自分が呼ばれた理由を知るために、もう半分は帰るために。

 元々、現実逃避するために少女の招待を受けたのだ。家に帰れたところで、また懊悩としながら応募と面接を繰り返すだけの日々に戻るだけだろう。だったらもう少し、この町に留まってもいいようにも思うが、かといってずっと居続けるのも違う気がする。


「――っと」


 俯きながら歩いていると、気づかない間に丁字路に差し掛かっていて、危うく塀に正面からぶつかるところだった。少し気恥ずかしくなった天空は左右を見回し、右に行くことにした。

 残るにしても帰るにしても、少女に会わないことには始まらない。彼女の話次第で決めればいい。切実な理由だったら残るし、下らない理由だったら帰る。それでいい、はずだ。


 歩を進める天空は、北に針路をとるために表通りから裏路地に入った。まったく土地勘のない場所だ。あれこれ曲がっているうちに方角を見失わないよう、なるべくまっすぐ北へ行きたかった。

 表通りと打って変わって、裏路地は背の低い粗末なバラックがひしめいている。道の両脇には木箱や何かの瓦礫が散乱し、みすぼらしい格好をした男が煙草をふかしたり、つなぎ姿の若者同士で駄弁っていたりして、見るからに退廃的な空気が巣食っている。


「うわっ!」


 道端に座る男がいきなり道路へ脚を伸ばしてきて、天空は転びかけた。思わず男の方を見れば、長い髭を蓄えた彼はけらけらと不気味に笑っていた。

 彼だけではない。路地に佇む者は皆、天空に視線を向けていた。それは表通りの人々とは違い、こちらを敵視するような、あるいは侮蔑するようなニュアンスを含んでいた。

 天空は奥歯を噛み、黙って立ち去ろうとするが、


「おっと待ちな」


 その腕を、誰かに引き留められた。

 後ろを振り返ると、タンクトップを着た坊主頭の若い男が居た。


「嬢ちゃん、ここの住人じゃないよな? 何しに来たの」


 坊主頭の男は薄ら笑いを浮かべて言った。


「いや、ただ通りたいだけですけど……」


 答えながら、天空は若干後ずさりした。


「ふーん。わざわざこんなとこ通ってどこ行きたいのさ」

「……あなたに関係あります?」


 すると示し合わせていたかのように、周囲に居た作業着姿の男と甚平を着た男が近づいてきて、天空は三方から取り囲まれた。


「関係あるも何もねぇ、ここはハシボソだよ? 嬢ちゃんみたいなのが気軽に入ってきていい場所じゃないの。知ってるだろ?」

「ちょっと通っていくだけですよ。ここに用はないし、すぐ出て行きますから」


 無視して立ち去ろうとするが、それを灰色の作業着を着た細身の男が阻んだ。


「そういうわけにはいかねぇな。ここを通りたきゃ、俺らに通行料出しな」

「はぁ? なんであなた達にお金なんて払わなきゃいけないんですか」


 絵に描いたようなチンピラの台詞に、天空は反射的に返した。


「だーかーらー、ここは俺らの居住空間なんだよ。そんな所を、どこの馬の骨かわからねぇ奴がタダで通れると思ってんのか? ハシボソに入りたきゃ、それなりの代償を払いな」


 そう言って、作業着の男は天空を見下ろした。筋が通っているとは言い難い主張だった。


(どうしよ……)


 あいにく持ち合わせはないが、正直に言ったところで見逃してくれるとは思えない。


「わかりました。じゃあ引き返します」

「そいつは駄目だな。嬢ちゃんはもうハシボソに踏み入ってる。出たけりゃちゃんと払わなきゃ」


 回れ右した天空の肩を、坊主頭は軽く突き飛ばした。どうあっても金を巻き上げる気らしい。


「だったら、そこの入り口に通行料いくらって看板立てといたらいいでしょ。くだらない真似に付き合ってる暇はないの」

「おいおい、口の利き方に気をつけな。こっちは男が三人居るんだぜ」


 頭を回す坊主頭。周りの人間は助けてくれる素振りを見せない。また一人で切り抜けなければ。


「ま、どうしても金出さねぇって言うなら、違うもんで払ってくれてもいい」


 甚平の男がそう言い、天空は「は?」と返す。


「わかるだろ? 体で払えってことだよ」


 その言葉を聞いた瞬間、天空の体を悪寒が走った。


「なあ、めんどくせぇしよぉ、もうさっさとやっちまわないか?」

「ああ、構わねぇよ」


 坊主頭の許しが降りると、作業着の男はいきなり天空の左腕を掴んだ。


「痛っ! 何すんの!」


 じたばた脚を動かすが、抵抗しても無駄だった。そのまま腕を引かれた天空は、手近な小屋の中に押し込まれた。他の二人もそれに続き、甚平の男が入り口の戸を閉めた。


「へへっ。生意気そうだが、やっぱ見てくれは悪くねぇな。こいつぁ高く売れるぞ」


 男達から向けられる浅ましい目。最初からそれが目的なんだろう、こいつらは。


「人を物扱いしないで。あんたたちの売り物になるつもりなんかない!」


 空っぽの胃からせり上がるような感覚に耐え、天空は最大限の軽蔑を込めて睨み返した。


「俺、すっかりご無沙汰なんだよな。おい、先に味見しちまってもいいだろ?」


 甚平の男が下劣な牙を露わにして、いよいよ事態は切迫してきた。


「――ッ!」

「いって!!!」


 意を決した天空は、作業着の男の爪先を左の踵で踏みつけた。はずみで拘束が解かれ、天空は一目散に引き戸へ駆け寄る。


 が。


「嘘っ、鍵掛かってる!?」


 両手を使って必死に開けようとするも、戸は激しく揺れるばかりでびくともしない。


「このアマ!」


 もたついている内に坊主頭が彼女の首根っこを掴み、後ろに引き倒した。


「きゃあっ!!」


 硬い床に後頭部が激突し、悶えて動けなくなる天空。その苦痛に歪んだ顔を見下ろす三人の男の表情は、あの狂った化け物と同じくらい醜悪だった。

 冗談じゃない。なんでこんな連中におもちゃにされなきゃならないんだ。




 一つ、こんな最悪な状況を突破できるものがあるとすれば。




 またあのときのように、奇跡が起きたら。

 天空はワンピースのポケットを探り、鍵を握り締める。


 けれど、あの熱も輝きも、感じることはなかった。




「おい、うるせぇぞお前ら」


 聞こえたのは、引き戸ががらりと開かれる音と、野太い男の声だった。


「げっ。い、居たんですか、櫻井(さくらい)の兄貴」


 上体を起こして見ると、戸口ではなく、反対側の方の戸の前に四人目の男が立っていた。ぼさぼさの短い髪に手入れされていない口髭を生やした彼は、この場に居る誰よりも大柄で屈強だった。


「おう小治郎(こじろう)、昼間っから何やってんだ」

「い、いやぁ、別に。いい女見つけたから、引っ掛けてただけっすよ」


 訊かれた坊主頭は縮こまった。他の二人もきまりが悪そうにしているが、こいつらの親玉だろうか。


「ほぉ、こいつが」


 櫻井と呼ばれた大男はこちらに近づき、しゃがんでまじまじと顔を覗き込んだ。その目はこちらを見透かそうとするかのようで、天空はとっさにそっぽを向いた。


「ね、結構上玉でしょ? 女郎屋に売りゃ金になるって、兄貴にも今から言いに行くとこだったんです。な、お前ら!」


 言い訳のように言葉を並べる坊主頭。しかし櫻井は返答せず、天空の手を取って立ち上がらせ、そのまま戸口の方まで手を引いた。


「わっ! ちょ、離して!」


 腕を引っ張る天空だが、男の力には勝てない。


「兄貴? どっか行くんすか?」

「ちょっと散歩にな。こいつ借りてくぞ」


 ちょうどいい。この櫻井という男が味方だとは思えないが、外へ出れば逃げられる。


「そんな。俺らが先に見つけたのに、一人でお楽しみっすか?」

「うるせぇ。人が気持ち良く寝てんのにやかましくしたのはおめぇらだろうが。舐めた口利いてると、もう仕事回してやらねぇぞ」


 甚平の男の文句をあしらい、櫻井は天空を外へ連れ出した。


 あとはここからどうやって逃げるかだ。天空は櫻井の様子を窺い、慎重に機を計る。しかし、それに気づいた櫻井は鼻を鳴らし、


「安心しろ、別にとって食おうってんじゃない」


 そう、あっさり腕を離した。


「え?」


 思いもかけない行動に戸惑う天空。そんな彼女に、櫻井は髭の目立つ顔に微笑を浮かべた。


「それよりお前、腹減ってないか」


 笑うと案外可愛い顔だな、と天空は思った。

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