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オルファン・ソース  作者: 肩口鰯


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#3 ストレート・アローズ 9

 翌日の朝、天空は石住の家に出向いた。

 彼と会うのは町に迷い込んだ日以来だった。不意打ちされた記憶もあって、どんな顔で訪ねるべきかわからなかったが、もう躊躇(ためら)っている場合ではなかった。事は人の命に関わるのだ。


「なるほど。で、僕に何をしろと」


 天空が経緯を説明し終えたところで、石住は言った。澄んだ秋空の下、彼は習字教室の入り口前を箒で掃いていた。


「林さんは今日の午後に現場へ行きます。だからその前に、石住さんがフレンジーを倒してくれませんか? でないと人が一人死ぬかもしれないんです」


 天空は訴えた。


「林さんの名前は僕も知っています。会ったことは無いですが、数年前から商店街に居る廻元者だとは聞いていました。なかなか強烈な方のようですね」

「そうなんですよ。何を言っても聞く耳を持ってくれなくて。あの人は間違いなく、逢坂さんを手に掛けてでもフレンジーを倒すつもりです。林さんを止めるには、誰かが先に逢坂さんを元に戻さないと」


 話を聞きながらも、石住は手を動かし続ける。


「三船さんはそれでも良しと判断しているんですか?」

「わかりません。林さんが協力してくれて助かるとは言ってましたけど、どうやって仕留めるかは知らないのかも」

「そうですか――では、お断りします」

「ああ良かった! ありがとうござ…………今なんて?」


 天空は呆けたように口を開けた。


「物狂いが出た現場、たしか金留(かなどめ)の外れの方と言いましたか」

「……言いましたね」


 金留。この北秋沙の北東にある山間の地区だ。車で十数分ほどの距離だが、徒歩で行くには結構な時間がかかる。


「金留の問題なら、僕の出る幕じゃありません。教室をお休みにするわけにもいきませんから」

「そんな! 人が死ぬかもしれないんですよ!?」


 顔を見てさえくれない石住に、天空は食ってかかる。諸々の打ち合わせや実戦も含めれば拘束時間は長くなるだろうが、この緊急事態では些末な問題だ。天空にとっては。


「そこまで必死になるなら、あなたが自分でやればいいじゃないですか。超能力、あるでしょう?」

「いや……多分、私じゃあのフレンジーは倒せないと思います」


 悔しいが、天空は彼女にまともなダメージを加えられなかった。あの防壁を掻いくぐる術は未だに思いつかず、できることはせいぜい、倒せそうな人に頼んでみることだけだった。


「でも林さんになら倒せる。少なくともあなたはそう思ったから、僕に止めてほしくてここへ来た――ですがそもそも、その逢坂という人と東濃さんは、赤の他人も同然なんですよね。その程度の間柄なら、生き死ににこだわる理由は無いのでは? もっとも、多少夢見は悪くなるかもしれませんが」


 しかし、彼はなおも冷たかった。


「なんですか、それ。知らない人なら、死んでも構わないって意味ですか……?」 

「元々僕には関係の無いことですから」

「っ……!!」


 箒を持って室内に戻ろうとする石住。ふっと顔が熱くなり、引き留めようとしたところ、


「あら、先生! おはようございます!」


 そこへ通りかかった少女が、朗らかな声を発した。


「おや、おはようございます。今日は休校日のはずですが、朝早くからどうしたんですか?」


 気づいた石住が挨拶を返した。小袖と袴を着た少女は、大きな赤いリボンで長い黒髪を纏め、両手で手提げを持っていた。


「毛糸を切らしてしまいまして、甲斐(かい)さんのお店へお遣いですの。その後にカワマルにも寄って、お菓子を買って帰ろうかと」

花吹(はなぶ)き屋ですか。少々高いですが、あそこの白玉は格別ですからね」

「はい! わたくし、もっちもちのお団子に香りの良いごまだれを掛けた、あのお味が大好きなんですの! あっ、もちろん、午後のお稽古には間に合わせますわ」


 天空などそっちのけで談笑に耽る二人は。彼女は石住の教え子だろうか。子供の前で声を荒げることもできず、天空は沈黙する。


「焦らずのんびりとで構いませんよ。あまり固くなってしまうと、字まで固くなってしまいますから」

「ふむふむ……では、まったりと参ります。お会いするのを楽しみにしておりますわ!」


 彼女はぺこりとお辞儀をすると、天空にも眩しい笑顔で会釈してから、鼻歌交じりに去っていった。苛立ちが少し鎮まるのを感じた。


「――ひとつ、言っておきましょうか。東濃さんがその一件で責任を感じているのなら、その必要はありません。あなたのせいで物狂いが出たわけではないし、あなたが倒さなければならないのでもない。なんでもかんでも出しゃばろうとすれば、心の平穏が保てなくなってしまいますよ」


 言い残して、彼は反論の隙も与えずに屋内へ戻っていった。また扉を叩く気にはなれなかった。




「俺も嫌だ。あと、石住の言ってることは正しい」


 帰宅後、ダメ元で雷破に相談してみると、彼は即答した。


「稲見さんまでそう言うんですか……!?」


 彼の部屋は概ね天空と一緒のレイアウトだったが、ひどい散らかりようだった。机上には中身の入った灰皿と空っぽの煙草のパッケージが二箱あり、洗い立ての下着は畳の上に放置されていて、天空に見られても意に介していなかった。本人もまた、仕事が休みだというのに汚れた作業着を着たままで、相当ずぼらなのが丸わかりだった。


「倒してくれる奴がいるってんなら、素直に任せりゃいいじゃねぇか。なんで無関係の石住が出張らなきゃならねぇ」


 雷破は窓際にあぐらをかき、新聞片手に応じた。


「言いましたよね? 林さんは、逢坂さんを殺して解決しようとしてるんです。つまるところ殺人ですよ!? それを見過ごすなんて間違ってます!」


 天空はちゃぶ台に両手を突いた。空き箱が力なく倒れた。


「だからなんだってんだ。どこの馬の骨ともわからねぇ奴らが殺そうが殺されようが、知ったこっちゃない。それで面倒事を片付けてくれるんなら、いち市民としちゃ万々歳だ」

「はっきり言いますね……」

「大概の奴はこう思うだろうってだけだ。俺だってそう思う。きっと石住もな」


 煙草の先から灰が零れ、紙面に落ちる。


「それにあいつの肩をもつわけじゃねぇが、石住はこの辺の人間からしょっちゅう揉め事を持ち込まれててな。痴情のもつれやらスリの捜索、荒くれ者との取り成し。この間、俺がお前を連れて質問しに行ったのだってそうだ。自分の生活を切り売りして、人の面倒を見てる。俺にはとてもできねぇ」


 たしかに石住には、優しくて柔らかい雰囲気があった。物腰も穏やかかつ丁寧で、さっきの子供にも慕われているようだった。かくいう天空も、その人柄をあてにしたから、微妙な気まずさを抱えつつも彼へ頼み込んだのだ。だから、これほど容易く断られるなんて思ってもみなかった。


「知ってるか? この辺り一帯はな、ヤクザがまったく入り込んでねぇんだよ。『梁太(はしぶと)大天狗(だいてんぐ)』が、連中に睨み利かせてるからだ」

「天狗?」

「昔、商店街に縄張り広げようとした組が一晩の内に消えたってことがあってな。天狗の仕業だとか噂されたらしいんだが、そいつの正体が石住だって言われてる」

「あの人が? ちょっと想像つかないかも」


 石住には常に穏やかな笑みを浮かべている印象がある。そんな彼に妖怪染みた噂が立つなんて、とても考えられない。


「俺だって信じちゃいねぇよ。だが、あれで石住は相当強ぇ。鉄砲玉けしかけられた程度じゃ話にならないし、他の廻元者でさえ歯が立つかどうかってところだ。嘘かどうかはともかく、その気になりゃ組潰すのだってわけねぇだろう。実際、極道たちは梁太に手ぇ出せないでいる。天狗の噂を怖がってんのかは知らねぇが、少なくとも住民はありがたがってる。だからますます石住を頼る」


 石住の存在そのものが暴力団への抑止力となっている――事実かはわからないが、多くの人々はそう信じているのか。けれど、


「だったらなおさら、なんで拒むんですか。それだけ人を助けてて、危ない人たちともやり合えるんだったら、フレンジーとも戦えるはずじゃ」

「たしかにあいつは、これまでに何回か物狂いを倒してる。だが、それはこの辺に出た奴か、放置するとよっぽど危険な奴だけだ。栄路(えいじ)とか金留とか、よその地区に出たやつには基本動かない。あくまで北秋沙だけってこった」


 すっかり短くなった煙草を、雷破は灰皿に押し付けた。


「……それって、どうなんですかね。力をもつ人として」


 天空は言った。


「あん?」

「だって、よく言うじゃないですか。大いなる力には大いなる責任が伴うって」

「んだそれ、古典か何かか?」


 雷破が首を傾げた。天空自身、どこで聞いたのかさえ思い出せないフレーズだったが、自分の中で解釈はしていた。身勝手な解釈だが。


「正確な意味は忘れちゃったんですけど、偉大な力を手に入れた人は、それを正しいことに使わなきゃいけない、ってことです。悪を懲らしめて、人を助けて。そりゃあ石住さんは色々とすごい人なのかもしれないけど、自分には関係ないからって、人が死ぬかもしれないところを見過ごすなんて、ヒーローのやることじゃないですよ」


 天空は頬杖をつき、言葉を並べた。


「おい」


 すると雷破は、やにわに新聞を投げ捨てて立ち上がった。


「えっ、な、何?」


 筋骨隆々の体躯が急接近し、天空は座ったまま壁際へ退く。


「よくもほざけたな」

「ひっ!」

 頭のすぐ横の壁を、雷破は左足で蹴りつけてきた。棚の引き戸が小さく揺れた。


「お前、自分がどうして今ここに居られてるかわかってんのか。あ?」


 彼はウミネコのような眼光でこちらを睨めつけた。


「あのとき俺が助けてやらなかったら、お前は物狂いに殺されてた。今こうしてここで呑気に喋っていられるのは、俺のおかげだ」


 否定しようがなかった。彼と会っていなければ、天空は確実に死んでいた。それも、全身が茶色く干からびて萎むというおぞましい死に方で。


「そんな分際で、『力がある奴には責任があるから、悪党締めて人助けしろ』だと? ――ふざけたこと抜かしてんじゃねぇぞ。どうして俺らがそんなことしなきゃならねぇ。たまたまこの町に生まれて、たまたま廻元者になっただけで、どうして責任なんて背負わなきゃならねぇんだ。厚かましいにもほどがあんだよてめぇは!」


 雷破は激しい剣幕でまくし立てた。それから、部屋の隅に捨て置かれた短い柄のハンマーを拾い、天空に向き直った。


「俺らはな、好きでこんなもん持ってるわけじゃねぇんだ。別に変なものを食ったわけでも呪われたわけでもねぇ。ある日()()()()()()()()()()、人様には無ぇ力が使えるようになったんだよ。だがな、絵ぇ描ける奴は全員、絵描きにならなきゃならねぇのか? 賢い奴はみんな先生になれって言われるのか? そうじゃねぇだろ。俺らにだって好きに生きる権利がある。力があるからって、世のため人のために役立ちましょうなんて説教される筋合いは無ぇんだよ」


 一言も言い返せなかった。やはり、自分と彼らは違うのだと天空は思った。


 きっと雷破も石住も、三船も林も、否応なしに力を得てしまったのだ。しかし天空には、「鍵」を受け取るか受け取らないか、選択する余地があった。そして、鍵を受け取った。その意味や重大さを理解せず、考えもせず。


「物狂いは小石蹴飛ばすみてぇにあっさり人を殺せる化け物だ。いくら廻元者だからって死ぬときゃ死ぬ。お前が石住に言ったのは、『戦って死ね』ってのと同じことだ」


 直視できず、天空はうつむいた。


「ともかくな、余計な真似なんてしない方が吉だ。最初っからやる気のある奴にやらせときゃいいんだよ」


 雷破はちゃぶ台の脇にハンマーを置き、また新聞を手に取った。

 天空は、後悔した。なんてことをしてしまったのだろう。とんだ時間の無駄だった、と。


「……二人に頼んで損した」


 なにせ取るべき道は、最初から決まっていたのだから。


「もういい。だったら、私が戦います」

「勝手にしろ………………は?」


 立ち上がる天空に、雷破は恐ろしげな目を点のように丸くした。


「ちょ、おい、お前は超能力なんて持ってねぇだろ。どうやって戦う気だ?」


 戸惑う彼に、天空はポケットの鍵を出して見せつけた。


「私、これのおかげで三船さんに勝ちかけてます。今回のフレンジーとも一回戦いました。あんまり手応えはなかったですけど」

「はあ!? おま、まさか、廻元者に……!?」


 雷破は飛び上がった。


「廻元者、って言っていいんですかね。この鍵が私に力をくれるだけだと思うから――でも、関係ない。この力なら、逢坂さんを殺さずに助けられるかもしれない」

「話聞いてたか!? いくら力があっても死にかねないんだぞ!? それに今回は、他の奴が退治するっつってんだろ? わざわざお前が出向かなくても――」

「それじゃ駄目なんです! 相手が怪物だからって、私は林さんに人殺しなんてさせたくない!」


 石住や雷破が我が身可愛さに協力を惜しんでいるなどと、天空は決して思っていない。フレンジーがどれだけ危険な存在かは重々承知しているつもりだ。人一人の命を払うだけで解決できるなら、たしかに安い代償なのかもしれない。


 けれどそれを許せば、自分に良くしてくれた人に手を汚させることになる。林とはまだ短い付き合いでも、それだけの情を覚えるくらいには良くしてもらっていた。


 それに逢坂や、彼女の家族はどうなる? 正気を失ったまま命を奪われる苦しみが、理由もわからず異形と化したまま家族を亡くす悲しみがどれほどのものか。天空にも、他の誰にも計り知れないはずだ。


「目の前の問題をどうにかできそうな力があるのに、無視して指を咥えているだなんて、私にはできない」


 倒せる目途はまだついていない。だが、少しでも可能性があるのならやってみるしかない。もう前までの、何もできない無力な自分とは違うのだ。

 借り物だろうと何だろうと、誰かを助けられるのなら喜んで使ってやる。


「本当に倒せるんだろうな」


 もう一度、雷破は問うた。天空を見定めるように。


「やってみせます。やらなきゃいけないんです」


 鍵を握り締め、天空はドアノブに手を掛けた。

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