#3 ストレート・アローズ 8
あの後、林は数キロ離れた隣家の電話から警察に通報した。警官らが駆けつけたのは十分ほど前、時刻が八時を回った頃だった。ライフルやサーベルを携えた警官らが家の前に押し寄せてきた光景は、まるで行軍のようだった。
「我々が到着するまでの間、動きは無かったんですね?」
逢坂家の玄関先で、青年の警官が訊ねた。
「ええ。あの中や逢坂さんがどうなっているのか、わたしたちにはわかりません」
林が答えた。彼女は天空と同じく、元の作業着に戻っていた。房子は最初こそ打ちひしがれていたが、その内に気が紛れるからと言って炊事をし、今は食事を終えて皿洗いをしていた。かたや天空が何をしているかといえば、大きな大きな植物の壁を軒下からぼうっと眺めていた。
「災難だったな。就職して早々、また物狂いに出くわすなんて」
物々しく右往左往している警官たちの中から、長身の麗人が声をかけてくる。
「三船さん」
天空が警察に居る間、世話と住まい探しをしてくれた三船舞依。今夜はきちんと上着に袖を通している。
「ここまで派手なのは久しぶりだな。スケールだけなら三番目くらいか」
「これより凄いのが二つもあったんですか……」
三船は天空に並び立ち、聳え立つ植物の牢を見上げた。野球場のスタンドくらいの高さはあろうか。黄色く硬い表皮は野菜の茎というより巨木のようで、下の方は異常に成長した草や葉が埋め尽くしていた。
「最初に出た物狂いは、鎮圧されるまでに二十人以上も殺した。三体目のときは危うく北秋沙全体——商店街や、お前の住んでいるまちばり荘まで、丸ごと火の海になりかけた。今回死人が出ていないのは奇跡と言っていい」
天空は言葉にならない息を吐いた。もしも「鍵」を持っていなかったらどうなっていたか、想像したくもなかった。
「奴はどうだった?」
「奴?」
「物狂いとやり合ったんだろう。特徴を教えてくれ」
特別高等警察課という大仰な名前の部署に属する彼女は、近頃はもっぱらフレンジーの事件を担当しているという。石住ともその関係で知り合ったらしい。
「全体的に黒くて、頭にガラスを被ってましたね。それととにかく硬かったです。斬っても叩いても手応えがなくて、おまけにスライムみたいな壁を作ってこっちの攻撃を防いできました」
「スライム?」
怪訝な顔になる三船。
「えぇっと、なんかネバネバしてぶよぶよした、形が変わるおもちゃみたいなやつです」
説明すると、彼女は「ほぉ」と興味ありげに返した。外界で知られているものも、この町では通じないことが多かった。「炊飯器」とか「ラジオ体操」とかは何故か通じたけれど。
「じゃあ、攻撃してもたいした効果は無かったと」
「鎧の隙間を狙えばなんとかって感じですけど、壁が邪魔で近づけなくて」
「そうか。ならやはり、警官隊では太刀打ちできそうにないか……」
三船は肩をすくめた。
「でも、三船さんには超能力があるじゃないですか。だったらフレンジーなんて簡単に倒せるんじゃ」
「いいや、私の能力は荒事に向いていないんだ。武術を心得てはいるが、戦いに関しては生身の人間とほとんど変わらない。人が相手ならともかく、化け物となると正直厳しい」
彼女はベストの胸ポケットから万年筆を取り、指先でくるりと一回転させた。金と黒の二色で彩られた、無駄のない精緻な外観だった。
「物狂いを倒せるのは、戦闘に長けた廻元者だけだ。幸い、今回は林さんが名乗りを上げてくれたが、いつまで一般市民に協力を請わなければならないのか。情けない話だな」
大きな鎌を持った男性警官が、三船の背丈ほどもある草を切断しようと試みていた。けれど繊維が丈夫なのか、一本切り倒すのに三人がかりでも苦労しているようだった。
「あの、私も協力できませんか?」
思い切って、天空は提案した。三船は口に手を当て、しばらく考え込んだが、
「やめておいた方がいい」
そう告げた。
「なんでですか」
「ただでさえややこしい立場のお前が、事件に首を突っ込むのは避けるべきだ。万が一物狂いと戦って死なれでもしたら、余計に厄介なことになる。それに本来、物狂いは警察だけで対処しなければならない事案だ。それを一般人に頼っている現状自体が好ましくないのに、むやみに関わる市民を増やすのべきではない」
「……警察の面子、ってやつですか」
「違う、危険に晒される人数を減らしたいだけだ。気持ちだけでもありがたく受け取っておく」
三船はひとつの嫌味もなく言った。
そこへ一人の男が、警官たちの間をかき分けて来た。ひどく思いつめた表情だった。
「すみません、すみません! あなたがここの責任者だと聞いたんですが! 化け物が出たって本当なんですか!?」
彼は三船に詰め寄った。グレーのスーツに着られている感の強い、背が低くて純朴そうな若い男だった。
「失礼ですが、あなたは?」
「あ、も、申し遅れました! 俺、逢坂志々雄と言いまして、ともちゃ……朋美の夫です。 あのそれで、妻と母は無事なんでしょうか!?」
「房子さんは無事です。ただ朋美さんは、あの中に居ます」
三船が指差した先には、巨大植物に取り囲まれた畑があった。
「な、なんですかあれ!? あそこに妻が居るんですか!?」
いまさら存在を認識したのか、志々雄は仰天した。
「はい。今は奥さんを救出するために、中に入る方法を模索しているところです」
彼女は根本的な部分を伏せ、しかし嘘はつかずに説明する。いずれわかることとはいえ、この場で志々雄を余計に混乱させたくないのだろう。
「まさか、あの中で化け物も一緒なんじゃ……だとしたら早く、早くともちゃんを助けないと!!」
「落ち着いてください。少なくとも、物狂いが奥さんを襲う心配はありません。どうかここは我々に任せて、あなたはお母さんのそばに居てあげてください」
三船に諫められた志々雄は、力なく跪いた。
「ああ、町になんて出るんじゃなかった……せめて一緒に居れば、一人にさせなかったかもしれないのに……」
両手で顔を覆う彼に、天空はどんな言葉を掛けるべきかわからなかった。
大きく車体を揺らしながら、夜の悪路を軽トラックが行く。飛ばし過ぎなスピードも乗り心地の悪さも、今晩は気にも留められない。
もう遅い時間だけれど、天空はあまり空腹を感じなかった。逢坂家に居たとき、房子が夕食を用意すると言ってくれたが、料理が喉を通る気がしなかったので断った。
「旦那さん、可哀想でした。よく考えたら当たり前ですよね、フレンジーになった人にも家族とか大切な人が居るって」
助手席の天空は言った。
「房子さんも平気そうにしていましたが、きっと内心は穏やかでないと思います。お料理をしているとき、指が少し震えていました」
ハンドルを握る林が返した。義理の娘には淡泊な態度だった房子だが、それでも彼女を心配していることは窺えた。
「それにしても驚きました。まさか東濃さんも、わたしと同じだったなんて」
車は山道を下り終え、郊外に差し掛かる。人気こそ無いが、住宅の明かりはまだ点々と光っている。
「あー、すみません」
つい、天空は口にしてしまう。
「どうして謝るのでしょう」
「いやなんか、林さんはきちんと教えてくれたのに、私だけ隠してたのは不公平かなって」
「気にしてなんていませんよ。隠したいと思うのは悪いことでも、不自然なことでもありません。バレてしまうと、ややこしいことになるときもありますから」
「そうなんですか?」
思いもかけない言葉だった。まだこの町に来て日が浅いし、これまで関わってきた人はほとんどが廻元者だったこともあって、まったく意識したことはなかった。
「最近は減りましたよ。けれど、それを恐れて力のことを隠したり、秘密にするように周囲から言われたりする廻元者は珍しくありません。もしかして、東濃さんは後者でしょうか」
車一台分の隙間しかない三叉路を、林はウインカーを点けずに右折した。危なっかしいからやめてくれ。
「ええ、お世話になってる刑事さんに言われて。ただ、力のことがバレたくないっていうよりは……この際だからはっきり言いますけど、私、実は訳ありで。詳しくは話せないんですけど、だから秘密にしてたんです」
「まあ。そうでしたか」
打ち明けても、林は態度を変えなかった。同情してくれているのか、共感してくれているのかはわからなかった。けれど天空は、ほんの少しだけ違和感を覚えた。
天空は例の少女に金色の鍵を渡されて、特別な力を使えるようになった。けれどそれは、あくまで鍵が無ければ使えない「借り物」の力に過ぎないと考えていた。
雷破や三船、林を見るに、彼らも天空と同じくハンマーやステッキといった何らかの物品を使って変身していることはわかる。力が要らないなら、そのアイテムをどこかに捨ててしまえば済むだろう。だが林の説明は、廻元者の力は本人と切っても切れない関係であるような口ぶりだった。誰かに与えられるものではない、本人がもつ「何か」に深く根差したものだと。だからそういう目で見られるのだと。その点において天空は、自分と林たちが微妙に異なる存在のように感じられた。
もっとも天空は、廻元者がどうして力を身につけるのかを知らないから、この問題についてこれ以上考えるのは無駄に思えた。今度、誰かに訊ねてみようか。
「何か考え事ですか。お顔にしわが寄っていますよ」
「なんでもないです。……いや前見て運転してくださいよ!」
そのとき車体がガタンと揺れて、天空は仰天した。ついに人でも轢いたかと思いかけるが、他に異音も何も聞こえないので、ただ路面の窪みを踏んだだけだと気づけた。まったく心臓に悪い。
外界で造られた黄色いヘッドライトは、この町の古めかしい情景には強すぎる光を放っている。車線も設定されていない大通りは無人で、林の軽トラがど真ん中を走るのを受け入れている。
「ところで林さん、フレンジーを倒すのに協力するんですよね。刑事さんから聞きました」
「ええ。明日は会社をお休みにして、午後にあらためて畑に行く予定です。そこで物狂いを仕留めます」
自信ありげに彼女は言う。
「でも、私の攻撃も林さんの矢も効かなかったじゃないですか。なのにどうやって」
天空たちでは、あの守りを破ることは不可能に思えた。雷破のような力押しができる廻元者の方が適任である気がした。
「戦いはしません。仕留めると言っているんです」
「え?」
とぼけた声を出す天空。
「簡単なことです。怪物の姿になっているときは無理でも、ヒトの姿になっているときなら攻撃は防げないはずです。なら、そのときを狙えばいいだけ。わたしなら、一発当たるだけで勝負を決められます」
それを聞いた天空は、に頭が真っ白になった。
「待っ……てください。それって、人を毒矢で射抜くって意味ですか」
「はい」
林は平然と返した。
理屈はわかる。レストランの青年のときもそうだったが、フレンジーになった者はおそらく、怪物の状態でしか力を使うことができない。逢坂がヒト状態であれば、アーマーやバリアに阻まれることはないはずだ。
それに林の矢は、射った獲物をすぐ死に至らしめる猛毒の矢だ。クロスボウもそれなりの射程があり、発射音もさほど大きくはない。息を潜めて狙撃すれば、戦いへ持ち込まれずに倒すのは難しくないだろう――ないのだが。
「もしもヒトになった状態で矢が当たったら、逢坂さんはどうなるんです?」
ブレーキパッドが悲鳴を上げ、車が急停止した。フロントガラスの向こうで、一匹の黒猫が道路を横切ろうとしていた。
「死にます」
黒猫はちょたたと逃げ去る。林はもう一度アクセルを踏む。
「冗談でしょ……」
「わたしはいつだって、お仕事には真剣ですよ。一度ご依頼を受けた以上、最後まで責任を持ってやり遂げないといけません」
今回の依頼。畑に残った足跡の正体を突き止め、可能なら駆除する。
だが正体は人間が化けた怪物で、おまけに依頼者の家族だなんてパターンは、もはや仕事とか依頼とかいう範疇を越えている。それでも林はやると言うのか。
「相手は人ですよ? しかも、これまで何度も依頼してくれてるんですよね? そんな人を…………駆除するって、本気で言ってるんですか……!?」
身を乗り出した天空を、シートベルトが抑えつけた。
「それがなにか」
林は微笑んだまま、横目で一瞥した。黄色いヘッドライトが照らす横顔は陶器に似ていた。
「東濃さん、わたしたちのお仕事はどうしても、生き物の命を奪ってしまいます。その度にわたしは思うんです。仕方がない、と」
絶句する天空に、彼女は語りかける。
「人の暮らしに入り込んで害をなす生き物は、決して悪意をもってそうしているのではありません。ただそこに存在しているだけ。たったそれだけで、誰かの邪魔をしてしまうんです。邪魔なものを、害をなすものを取り除きたい。そう求める人に応えて、代わりに取り除く。そうやってわたしは、世の中の役に立ってきたのです」
それは子供をあやす母親のように優しい口調で、けれど天空は受け入れられなかった。受け入れられるわけがなかった。
「逢坂さんは、害虫とか害獣とかとは訳が違うんですよ。それとも、たとえ人間だろうと一緒だって言うんですか」
「虫も獣も命には変わりません。人も同じ。生きていれば、邪魔だと思われることもある。そうならないように努力しませんと――いつか、狩られてしまう」
「……誰にです」
「憎む人に。その憎しみを、写し取る人に」
車道を見通す彼女の瞳は、あのときと同じ、命を刈り取る者の眼差しだった。




