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オルファン・ソース  作者: 肩口鰯


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17/22

#3 ストレート・アローズ 5

 くすくす、くすくす、と笑い声がする。


 雑巾がけを終えた阿理沙(ありさ)は、個室の外の気配に耳をそばだてた。靴音は三人分。歩き方からして一人は背が高め、二人は低めだ。背が高い方は誰かわかるし、残りもおおよそ検討はついた。予感通りにやって来た。さっさと家に帰ればいいのにと思いつつ、阿理沙は扉にぴたっと背をくっつけた。


高砂(たかさご)さーん、贈り物よー」


 目の前にドシャッと水の塊が降り注ぎ、床と便器に落下した。すぐさまきゃあきゃあ、と耳障りなヒヨドリめいた鳴き声がして、三人が走ってトイレの外へ出ていく音が聞こえた。

 阿理沙は床の惨状に小さくため息を漏らした。掃除し直しだ。


 しかし、彼女たちは何が楽しいのだろう。わざわざ放課後の時間を割いてまで自分に構うより、自習でもした方が遥かに有益ではないか。他人が何を考えているかなど測りようもないが、とりわけあの同級生らは理解し難かった。




 阿理沙は、自分が周囲に嫌われていることを察していた。中学校に入ってすぐの頃から、授業で他人の間違いを指摘したり、ふざける同級生を注意したり、教師に非行の報告をしたりといったことを繰り返す内、阿理沙は同級生たちから爪弾きにされるようになった。挨拶をすれば無視され、絶対に失くすはずのない持ち物は消え、弁当箱はひっくり返された。そんなことが続けば、いくら阿理沙といえど自分の置かれた立場を把握できた。いわゆる除け者というやつだ。


 とはいっても、阿理沙には身の振り方を変える理由も義理もなかった。正しいことをしているのは常に自分で、間違っているのは彼女たちだからだ。間違った行いをする者にどうして譲歩する必要があるだろう。


 ただ、彼女たちへの対応に払う時間をこれ以上増やしたくない気持ちもあった。もちろん根本的な解決ができれば最善だが、そのための労力を使うのが嫌だし、一年半以上続くこの状況にもすっかり慣れてしまった。

 そんなわけで、阿理沙はまた彼女らの尻拭いをする羽目になったのだった。




 帰宅する前、児童館に寄るのが彼女の日課だ。


 外界の建築物を参考に建てられたという児童館は、直方体と半円柱を接続したファサードをもつ二階建ての建造物だ。壁材は『外』から輸入したコンクリートで、局面に沿って丸形の窓が嵌められた近代的なデザインは、古い家屋と田畑ばかりの通学路ではひどく浮いていた。

 ここを訪れる中学生はほとんどいない。ルール上は利用しても問題ないが、基本的にはもっと幼い子供らに向けた場所だ。運動場や図書室はほとんど小学生に占拠されており、中学生の居場所といえば、いつもがら空きの自習室くらいしか無い。阿理沙はその部屋の一席に座り、通学鞄からノートと使い古された科学の教科書を出す。出された課題は大気圧の復習だ。

 自分しか居ない空間に紙を鉛筆が走る音だけが響く。この時間は阿理沙にとって、邪魔するものも理解できないものも無く勉強に集中できる心地良いひとときだ。けれど最近は、それも変わりつつある。

 多分、来る日だ。根拠はないが、阿理沙の直感が告げている。


邂逅相遇(かいこうそうぐう)。今日も会えたね」


 無遠慮に引き戸を開けて入ってきたのは、赤い肩掛け鞄を携えた少年だった。予感通りだ。


「偶然ではないでしょう。待っていましたよね」


 彼は曝け出した両脚でリズムを取るようにゆったり歩くと、阿理沙の前の席に座る。


「君だって、僕に会いたくてここに来ているんじゃないの」

「居心地が良いから来ているだけです。あなたの居る居ないは関係ありません」


 強がりでも照れ隠しでもない、ただの事実を阿理沙は述べる。阿理沙はここに小学生の頃から通っているが、彼との付き合いはまだ三ヶ月程度だ。毎日会うわけではないが、ここ最近は頻度が高くなっている。


「なぁんだ。じゃあ僕の話に興味はないの?」


 少年は背もたれに顎を載せて言った。彼は屋内でも屋外でも常に紫のベレー帽を被り、青のチェックシャツにベージュのベストを着ていた。ベストに付いた三対のポケットには、どこからか拾ってきた木の実やら小石やら雑草やらが入っていて、時にはダンゴムシが入っていることもあった。


「内容によります」


 阿理沙は鉛筆を持つ手を止めずに答えた。少年はにっと笑って、くりくりした目を煌めかせた。少年が話を持ってきて、阿理沙が聞く。それが互いに名を知らない二人のルーティンだった。


「期待しててよ。とっておきのを用意してきたからさ」




「――つまりね、アフリカとアジア、まったく異なる二つの地域で、ナトリウムという元素が死者を葬る場面に登場するんだよ。喫驚仰天(きっきょうぎょうてん)! 偶然にしては興味深いと思わない?」


 少年は阿理沙の机に両手を置き、熱弁した。古代エジプトのミイラ作りで乾燥剤に使われた鉱物、葬儀で身を清めるために使う塩。そのどちらにもナトリウムが含まれている――彼の話を要約するとそういう話だった。ナトリウムとミイラの関係は少しだけ聞かされたことがあったが、それを発展させた内容だった。


「なるほど。たしかに奇妙な一致ですね」


 その頃になると、阿理沙はもう教科書を閉じていた。進捗は芳しくなかった。


「そうだろうそうだろう! だから僕は、ナトリウムには『死』や『生命』を司る象徴だと思うんだ。すべての生命は、ナトリウムを多量に含む海から生まれた。死に際してナトリウムが用いられることで、海へ還るという儀式めいた意味合いが生まれるんだよ」


 餌を前にした子犬みたく興奮し、瞳を輝かせる少年。対して阿理沙は冷静だった。


「ですが、それは単なる偶然の域を出ません。古代エジプトと日本の葬儀に直接の関連はありません。死ぬことで生まれた場所へ還るという思想も特定の民族や地域にのみ見られるもので、普遍的ではありません。それに、ミイラが作られ始めた理由は来世思想であって、回帰の意味合いは無いのでは」


 阿理沙が指摘すると、少年は顎に手を当てた。


「うん、たしかにそうだね。僕がエジプトのミイラ作りと神道の葬式を関連付けたのは、ただのこじつけに過ぎないよ。調べていく中でたまたま共通点を見つけただけ。ついついやってしまう僕の癖さ」

「あまり意味のある行為には思えません」

「そうでもないよ。まったく性質の違う二つの物事に関係を見出すことで、初めて見えてくるものがある。ジグソーパズルだって、ピースは全部ばらばらに見えるけど、きちんとすべてが繋がって一つの絵になるだろう。関係性の糸というのは、思いもよらないもの同士を結んでいたり、まったく予想外の方向に伸びていたりしている。そうして全体を形作っているんだよ」


 少年は阿理沙の周りをぐるぐると歩く。


「この場合の『全体』は何を指していますか? 葬儀という概念か、それとももっと大きなものですか?」


 抽象的な言葉に阿理沙は首を傾げた。彼の話はときどきわかりづらく、それが二人の感性の違いを物語っていた。


「『歴史』かな。人類の産業、文化、営みといったあらゆる事物をまとめた歴史。その中で、ナトリウムという糸がエジプトと日本の葬式を結び付けているんだ」


 ただ一つの元素にまつわる事柄が、人類史の一部。たしかにそれも歴史には違いないが、大きく打って出たものだ。

 以前にも彼は、周期表こそ人類史そのものだと主張していた。この世界のすべての物体を構成している元素は、人間社会と切っても切れないもの。だから元素を探っていけば、大昔から現在までの人間の歴史が見えてくる――今の話で初めて、それを少しだけ理解できた気がした。


「よかった。楽しそうで」


 少年がはにかむ。


「楽しそうに見えますか?」

「うん」


 思わず自分の頬を触り、窓に映る自分の顔を確かめた。そこにあるのは、他人によく不機嫌そうと言われる、髪を二つに結んだ一重瞼(ひとえまぶた)の少女だった。






 その日の夜。風呂も夕食も済ませ、自室で本を読んでいたときだった。


「阿理沙、ちょっといいか。大事な話があるんだ」 

「はい」


 阿理沙が返事をすると、漆原(うるしばら)(しょう)(ふすま)をそっと開けて入ってきた。こう改まって切り出されるのは珍しい。


「何を読んでるんだ?」


 年齢の割には多い白髪に銀縁の眼鏡をかけた彼は、本題へ入らずに文机の上の本を見た。朱色のしっかりとした分厚い背表紙で、大きくはないが懐には入らないサイズだ。


「金属の結晶についての本です。図書館で借りました」

「はー、また難しそうなものを」

「そんなことはありません。おじさんなら理解はできるかと」

「いやいや、俺の専門は数学と美術だから。科学なんてちんぷんかんぷんだよ」


 はははと笑う漆原。「それで話は」と阿理沙は先を促す。


「おっとそうだった。実はおじさんな、再就職することになったんだ」

「はあ。教員ですか」

「家庭教師だよ。退職者が出て人が足りないってことで、昔の知り合いに呼ばれてな。世話になった人だから断れなくて」


 彼はどうしてか申し訳なさそうに言った。


「一応稼ぎは増えるわけだし、悪い話じゃないけど、そうなると昼間は誰も店番ができないわけだろ。だから人を雇おうと思うんだ」


 教職を辞めてから、叔父はこの家の一階で雑貨店を切り盛りしている。結構な年月のある店で、儲けが良いとは言えないが、商店街や地域の人々からは便利な店として重宝されている。閉めるなどもっての外だ。


「なら、私がやります」


 阿理沙はこれまでしょっちゅう店番をしていたから、業務には自信があった。在庫管理も会計も、厄介客のあしらい方もお茶の子さいさいだ。


「おいおい、それじゃあ学校はどうするんだ」

「問題ありません。勉強は家でもできますし」

「そういうことじゃなくて、ほら、学校に行かないと友達に会えないだろ?」


 あまりピンと来ない指摘だった。阿理沙にとって学校は、効率良く学習するための場所に過ぎなかった。通うのをやめれば多少効率は下がるが、家計の方が大切だった。


「ですが、高砂商店の売り上げで従業員にまっとうな賃金が払えるでしょうか」


 家計簿や会計帳簿は阿理沙も目を通していた。現状でも二人で食べることはできているとはいえ、店員を雇えるほどの余裕があるかといえば微妙だった。


「そこはほら……貯めてるお金とか、俺の家庭教師としての給料から、な」


 漆原はこめかみを掻いた。目元にはうっすら隈があった。


「ですが」


 阿理沙が口を開き掛けると、彼は優しく肩に手を置いてきて、


「難しく考えるな。学校に通えるのは今だけなんだ。子供の内は子供らしく振る舞って、面倒ごとは大人に任せればいい」


 ワイシャツに包まれた厚い胸板を張ってから、彼は部屋を出て行った。

 阿理沙はさっきまで開いていたページをもう一度開いて、すぐに閉じる。「結晶の世界」と書かれた表題に、霜のように広がる銀の写真が印刷された表紙をじっと見つめる。


(友達……友達……?)


 いくら考えても、やはりしっくりこない。学校には特に関わりのある人間も、関わりたいと思う人間もいない。友情の結び方も阿理沙は知らなかったし、知ろうとも思わない。知り合いと家族。阿理沙の人間関係はそれだけで完結するシンプルな――。




 否、一人いた。知り合いでも家族でもない者が。




 浮かんでくるのは、紫のベレー帽を被ったあの少年だった。人形のように白い肌をもつ、少し年下に見える男子。どこに住んで、どこの学校に通っているのか、どんな名前なのかさえわからない、放課後にしか会えない顔見知り。

 友人とは思わない。一方的に喋り、それを聞くだけの間柄をそうは呼ばないはずだ。いつも賢ぶる彼もまた、そう思っているに違いない。ならば何故、彼は自分に構い続けるのか。何故「友達」という言葉を聞いて、自分は彼を思い浮かべたのか。いくら熟考しても、答えが出てこない。


 阿理沙は押し入れから布団を引っ張り出し、最も効率的な手順で敷くと、電灯を消して床についた。これ以上考えても解決しそうにない。考えても無駄なことは、とりあえず寝て忘れるに限る。

 ものの一分で、阿理沙は眠りに落ちた。いつも通り、夢は見なかった。

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