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#3 ストレート・アローズ 2

 月曜昼過ぎの会議室には、気怠い空気が流れていた。

 窓側の席と廊下側の席には、中年から老年の男女が一人ずつ座している。背格好は違うものの、大半は眠たげで苦労の多そうな顔立ちだ。

 三船は二つの長机に挟まれた短辺の席に座っていた。すぐ右隣に座るザンバラ髪で細い目の男は、警保局の局長――三船が出向している特別高等警察課を含むすべての警察官のトップだ。そして二人の真向かいには、一際大きな空いている椅子があった。


「やあ、おはようみんな」


 ノックも無しに部屋のドアが開き、最後の人物が入場してくる。白んでいるものの、年の割に豊かで長い髪をもち、誰の目も奪い尽くすほど見事な口髭を蓄えたその老爺は、さながら大魔法使いのようでもある。そんな彼は、この小さく閉ざされた町で最も強い権力を握る男だ。


「いやいや、遅れてごめんなさい。それで、昼休みも踏み倒して緊急会議とはいったい何事かね?」


 彼はその外見に似つかわしくない、軽薄なノリで話し始めた。


「わざわざ長官全員が集められたんです。非常に重要なことなのは間違いないと思いますが」

「なんだ、みんな知らされていないのか? そもそも誰が集めたんだったかな」


 農産庁長官の言葉に、老爺は一同の顔を見回した。「私です」と起立したのは、この中では比較的若い白髪の男。警保局のさらに上、内務庁の長だ。


今井(いまい)さん。あなたが招集したということは、なにか重大な事件でも発生したということで?」

「重大事件なら昨日も起きたじゃないですか。例の怪物騒ぎ、これでもう四回目ですよ。いや、五回目だったか——今朝の新聞にも出てましたよ。ブン屋の連中、嗅ぎつけるのが早い」


 長官らが口々に言う。物狂いの事件も最初こそ大騒ぎになっていたが、事態が続くにつれ、町の住民も行政の感覚も麻痺してきている。昨日も何人か死人は出ているわけだが、社会にとって怪物騒ぎは「たまにある大きめの地震」程度の存在になり下がりつつある。慣れとは恐ろしい。


「でも、物狂いの話だったらどうしてうちまで呼んだんです? 水道局ですよ、あたし」

「まあ、いまさらその程度のことで我々は呼ばれないでしょう。つまり、よほどの事案が発生したと言うことですか」


 今井長官は出席者の言葉に頷いた。


「無論、すべての庁局に関わりのあることではありません。ですが事態の重大性を鑑み、皆さん全員に状況を共有してご意見を募るべきだと判断したため、今回緊急でお集まりいただきました。つきましては、うちの秋島(あきしま)と三船からご説明いたします」


 今井はそう前置きし、着席した。


「警保局局長の秋島です。昨夜、特別高等警察課はある少女を保護しました。名前は東濃(ひがしの)天空、年齢は十八。同日に発生した物狂い事件の目撃者でもあります。今朝、中央署から法務庁に問い合わせたところ、同名の人物の戸籍は確認できませんでした」

「ふん。つまり無戸籍児だと。困った話だが、別にたいしたことではないな」


 白髭の老爺は呑気に言う。この町で戸籍の無い人間はさして珍しくはない。表では見かけなくとも、裏社会であれば少なからず居る。


「特別高等警察課の三船です。仰る通りですが、問題はそこではありません。彼女――東濃天空は、自分が外界から来たと主張しています」


 秋島が告げた瞬間、室内に小さなどよめきが起こった。


「所持品と衣服を一通り検めたところ、外界製と見られる物品がいくつも見つかりました。その中には少女が在籍していた高校の生徒証もあり、彼女の顔写真、氏名、生年月日、住所が記載されていました。まだ確認は取れていないため信憑性は定かではないですが、東濃天空の主張は単なる嘘と断じることもできません」


 三船は秋島の言葉を引き継いだ。


「それが事実なら由々しき事態ですな。警備隊は『外』からの侵入を許したということか?」

「そんなはずはありません。警備業務は昨日も滞りなく行われました。密航者はもちろん、侵入者の報告も上がっていません」


 出席者の一人が放った言葉に、今井長官は毅然と答える。しかしなおもどよめきは収まらず、混乱に変わっていく。


「であるならば、いったいどこから入り込んできたと言うのかね!? まさかついに『壁』が破られたとでも!?」

「今すぐ侵入経路について調査すべきだ! 外界に情報が漏れているかもしれんぞ……」

「政府か外国のスパイという可能性も考えられるな」

「感染症の検査は? 町には存在しない病原体を持ち込んでいるかも」


 出席者の反応は様々だった。頭を抱えるもの、黙りこくる者、声を荒げる者。今井長官も秋島も表面上は冷静に見えるが、焦りが顔に浮き出ているのは同じだった。かく言う三船も内心では、この面倒極まりない問題と案の定紛糾した議場から逃げ出したかった。ああ、煙草吸いたい。


「あなたたち、少しは落ち着きたまえ」


 そんな中、一人の出席者が混沌と化した場を収めた。オールバックの髪型が特徴的な、上背のある知的な風貌の男だった。


「少女の正体だとか、侵入の原因だとかも重要です。だが行政の長である我々がここで混乱していては、話はまったく進展しない。こんな事態だからこそ、ひとつひとつ議論を重ねて問題解決に取り組むべきです」


 理路整然とした彼の言葉に、髭の老爺は頷く。


「そうそう、潮見(しおみ)くんの言う通りだ。まだ彼らの話も終わっていないだろう。さ、続けてくれ」


 会議室がひとまず平静を取り戻したところで、秋島が口を開く。


「東濃天空の主張が嘘だった場合は何も問題ありません。警保局で内々に処理します。皆さんと議論したいのは、仮に彼女が本当に外界の人間だった場合、どのような処遇が妥当かということです」


 次いで三船が言う。


「もういくつか、彼女についての情報を付け加えます。先程彼女は物狂い――フレンジーの事件に巻き込まれたと報告しましたが、その過程で廻元者が能力を行使する場面も目撃しています。その上彼女自身も、町を彷徨う中で超能力に覚醒していました」


 その言葉に、また室内がざわついた。


「三船さん、それは確かな事実なのか?」

「はい。私がこの目で確認しました。彼女も『町に来てから力を得た』と言っています」


 潮見の問いに三船は返した。


「なんてこった……外界の人間というだけでなく、超能力者だなんて」

「どっちにしても、ただで帰すわけにはいかんでしょうな。超能力者であるということ以前に、町の秘密も今の情勢も知られてしまっているわけですから」

「ですが、安易に帰さないとしてしまうのもまずいのでは? 外界政府に不当な拘束だと捉えられて問題に発展しかねません。それに本来であれば、超能力者も外界への渡航が認められるはずです」

「まず、外界にこの件を通達するべきかというのも争点ですな。十中八九、伝えれば厄介なことにあるでしょう。だが伏せたら伏せたで、後から漏れ出たときにもっとまずいことになりかねない」


 軌道修正したおかげでなんとか議論は進むが、それでも答えは出そうにない。いち警官に過ぎない三船は普段関わりがないが、外界絡みの問題はなかなか解決しづらいというのはわかる。地位のある人間にもそれなりの苦労があるということか。

 ただ、この中で最も立場が上の人間には、さほど深刻そうな様子はなかった。


「ひとつはっきりさせておきたいのだが、」


 会話が途絶えたタイミングで、彼は切り出した。


「そもそもその少女、本当に東濃天空という名前なのか?」


 奇妙な台詞に、室内の全員が沈黙した。


「どういう意味です?」

「名前は自称なのかね。それとも、確実に身分を証明できる物でもあったのか?」


 秋島の返しに、老爺は逆に問うた。


「ですから先程申し上げた通り、彼女の所持品には生徒証があってですね――」


 三船が代わりに答えようとすると、彼はそれを遮る。


「三船くん、君はさっき『在籍していた』と過去形で言った。ということは、例の生徒証を発行した高校に彼女は在学していないといことか?」

「ええ。本人がそう話しています」


 ふうと息をついてから、老爺は続ける。


「なるほど。今は在学していないということは、その生徒証には身分証明書としての効力が無いことになるな。戸籍もない、身分を裏付けるものも無い。あるのは本人の証言だけで、確たる根拠は不明。そんな人間の言うことを、果たして信用できるのかね?」


 出席者たちの何人かが眉間に皺を寄せる。それを許してしまったら、話の前提がひっくり返ってしまう。


「……要するにあなたは、東濃天空が外界の人間であるということに疑いをもっていると?」


 おずおずと、今井長官が訊ねた。


「いや、別に疑っているわけではない。ただひとつひとつ考えていくと、自然とそうはならんかね。実際、少女が外界から来たことを示すものは何もないのだし」


 老爺はけろりとしている。「お言葉ですが」と三船は口を挟む。


「それは無理筋です。彼女の鞄や衣類といった所持品はすべて、明らかに町の外で製造されています。それに、どう見ても生徒証の写真と実際の顔が一致しているのに、同一人物でないという結論は下せません」

「外界の品だからといって町で手に入らないわけじゃあない。製品は輸入しているわけだからな。それに、彼女は超能力者なんだろう? ひょっとしたら、他人の姿になりすます力をもっているかもしれん。彼らの前では固定観念など捨てるべきだよ」

「いや……しかし、そうは言っても……」


 口ごもる三船の言葉に老爺は、はっはっはっ、と大らかに笑った。


「いかにも刑事らしいものの見方だな。だが、これは捜査ではなく政治の問題なのだよ、三船くん」


 老爺はまるで、子を諭す親のような面持ちで三船に言った。深い毛髪と白髭に隠された顔には侮りが満ちていて、けれど三船には、それに憤るだけの素養も資格も持ち合わせていないのだった。


「素直に送還することはできない。だからといって隠蔽するのもよろしくない。そこでだ――少女を身元不明者として扱う、というのはどうかね」

「はあ?」


 突拍子のない発言に、三船は口を開けた。


「幸か不幸か、少女には自分が誰かを証明する正当な手段が無い。いくらそれらしい手がかりがあったとしても、それは確たる証拠とは認められない。それに我々も、彼女の身元を特定することはできない。よって法的に考えれば、現状は身元不明者として扱うのが相応しい。もし外界政府がうちに『外の人間を不当に拘束した』と喚いてきても、身元がわからないから住まわせていたということにしておけば言い訳も立つだろう。そのときは改めて彼女の処遇を決めればいい」

「なるほど。とりあえず今はなあなあにしておいて、後で問題が露見したら解決策を考えると」

「身も蓋もないことを言えばそうだな」


 潮見の要約に老爺は頷く。


「で、どうかねみんな。反対意見がなければこれで通して良いと思うが」


 異を唱える者はいなかった。三船もまた、反論する気は起きなかった。老爺の提案が適切かどうかは微妙にしろ、誰にとっても都合のいい案なのは違いなかった。少女本人がどう思うかは、また別だが。


「よし。では、東濃天空は身元不明者として町に居住させることとする。彼女の存在について外界政府には伏せる。彼女が町に侵入した背景について、関係者各位は調査するように。では」


 いつ議長になったのか、そうして老爺は勝手に話をまとめ、一足早く席を立った。誰も異議は唱えなかった。皆、この面倒な議論を今すぐに終えたかったのだ。


「あ、そうそう。対象の世話と住居の確保は警保局に一任するよ」

「えっ? そんな勝手な——」


 老爺は「それじゃ」と、見かけによらぬ軽い足取りで部屋を後にしたので、秋島の抗議は届かなかった。困り果てた彼は呆然としている今井長官と目を合わせると、今度はこちらを見た。


「なにか」


 すっとぼけようとしても無駄だった。秋島はすでに丸投げする用意があるようだった。


「三船くん、お願いできるかな?」


 返す言葉も出せない三船は、渋々頷くしかなかった。これは煙草の量が増えそうだ。

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