#3 ストレート・アローズ 1
夜の丁字路で待っていたその人物は、すらりとした高い背の持ち主だ。髪は首元まで伸ばし、右に少し流すように整えている。均整の取れた鼻筋とつり目がちな瞳は、険しさと勤勉さを演出し、まるでテレビの中から出てきたのかと思うほどの美形だ。正直に言って、天空は一瞬ときめいてしまいかけた。
「私は町警察、特別高等警察課の三船と申します。お時間よろしいですか?」
その人は低く色気のある声で自己紹介しながら、街灯の下で黒い手帳を開き、こちらに見えるように掲げた。目を凝らしてみると、顔写真の下に「三船舞依」と記されていて、そこで初めて彼女が男ではなく女だと気づいた。
「刑事さん? 何の用ですか」
気を取り直し、天空は警戒心をオンにする。警官と名乗っているものの、工場では見かけなかったはずだ。こんなイケメン、一度見たら嫌でも忘れない。
「いくつかお聞きしたいことがありまして。東濃天空さん」
「なっ、どうして私の名前を……!?」
すると三船はつかつかとこちらに歩み寄り、ポケットから平たい物体を出して見せた。それは天空の昔の生徒証だった。
「『フラミンゴ』というレストランで見つかった鞄に入っていました。あなたのもので間違いないですね?」
言われた天空はあっ、と声を上げる。旅行に持ってきたボストンバッグは高校時代に使っていたものだ。たしか在学中、生徒証を奥に押し込んだまま放置していたっけ。
つまりこの女は、天空の鞄を開けたことがあるということだ。警察なら押収していてもおかしくはないのだが。
「……」
無言で一歩、後ずさる天空。
「どうかされました?」
「気にしないでください。あの、聞きたいことって」
三船は時計の少女が消えてすぐに姿を現した。ひょっとしたら、少女の仲間かもしれない。たとえそうでなかったとしても、自分自身あてもなく歩いていた天空にどうして接触できたのかが気がかりだ。いずれにしろ、用心しておくに越したことはない。
「今日の昼頃、あなたはフラミンゴで怪物に遭遇された。伺いたいのはその前です。はっきり申し上げますが――東濃さん、あなたはいったいどこから来たんです?」
もったいつけることなく三船は訊ねる。
「それなら、工場でお巡りさんに答えたはずですよ」
「あいにく彼らはメモを取るのを忘れていたようでしてね。申し訳ありませんが、もう一度お答えいただきたい」
探ってみる天空に、三船は返す。もしかして、彼女は本当に警察官なのだろうか。
「『外』からです。この町の外から」
「なるほど。やはりそうでしたか」
彼女は白手袋をはめた左手で顎の下を触った。
「では二つ目。あなた、どうやってこの町に来ました? どうしてここにいるんです?」
「家に招待状が届いたんです。それで山に行ってみたら、小さな女の子が待っていて。多分、その子に何かされたんです」
「ほう。その少女は今どこに?」
「知りません。ついさっきまた出会って、でももうどこかへ居なくなりました。刑事さん、見かけませんでした?」
天空の言葉に、彼女は肩をすくめてみせる。
「こんな夜更けに一人で外に出ている子供が居たら、とっくに声をかけていますよ」
目標の線路は三船の後ろにある。さっさと先に進みたいが、果たして素直に通してくれるだろうか。
「東濃さん。どうやらあなたは、とんでもないことに巻き込まれているようだ。ぜひ、署で詳しい話をお聞かせ願いたい」
「……とんでもないこと?」
「ご存知かどうか。この町は外界と隔絶されているんです。一応手段が無いことも無いが、外の人間が町に入ってくるなんて、システム上ありえません。あなたがお話ししてくれた経緯を聞く限り、前代未聞の事態が起きている可能性が高い。正直、ここまでのこととなると、私の裁量だけでどうこうできる範疇を超えています。だが、解決のためにできる限りのことはするつもりです」
三船は続ける。
「それに、こんな所に迷い込んで頼れる人もいないんじゃありませんか? 警察署なら安全な食事と寝床を提供できます。さすがにずっとは無理ですが、数日間はしのげるはずだ」
彼女の提案には魅力がないわけではなかった。けれど、天空はもう腹を決めていた。
「とてもありがたいお言葉ですけど――お断りします」
天空が言うと、三船は左目を少し吊り上げた。
「私、今日は本当に酷い目にばっかり遭ってるんです。こう言うのもなんですけど、もうこんな意味のわからないものだらけの場所に居たくない。だから家に帰ります。あれに沿って行けば、いずれ外に出られるんですよね?」
天空は奥の線路を指さす。三船はそれに対して「あいにくですが、」と切り出し、
「密航は条例で固く禁じられている重罪です。もし試みるというのであれば、こちらも相応の対応を取らざるを得ない」
腰に差した刀の鞘を撫でる三船。やはり簡単にはいかなそうだ。
「そんなにいけないことですか? 自分の家に帰りたいだけなのに」
「なにも私は『絶対に帰さない』なんて言ってはいない。ただあなたは、もう町の細かい内情を知ってしまっているようだ。もう無条件で通すわけにはいかないんですよ。あなたを外に帰すか否かは、上の人間がいずれ判断するでしょう。それまでは大人しくしていてください」
訴えも空しく、彼女は態度を翻さなかった。どうやら、話し合いの余地はないらしい。
「だったら」
一息ついて、天空はポケットから金色の鍵を出し、胸の前に掲げた。上等だ。使えるものは何でも使ってしまえ。
天空が強く念じてみると、どこからか暖かな風が吹き込み、全身を円環に取り囲まれる。
体を包む金色の輝きが晴れると、彼女の衣装はワンピースからあの白いローブに変化した。
(で、できた……やってみるものね)
実のところ、また変身できる自信も確証もなかったのだが、「なりたい」と強く思えば変わることができた。これならいつでも力を使えるだろう。
「これはこれは……まさか超能力に目覚めていたとは」
その変貌を前にした三船は、両目を大きく見開いて感嘆の言葉を述べた。
「力づくでどうこうするつもりはありません。けど、邪魔するなら無理にでも通させてもらいます」
戦う気は本当になかった。相手は刀で武装しているとはいえ、力が湧き上がっている今の状態なら容易く脇を走り抜けられると思えた。ただ変身して脅せば、彼女も引き下がるだろうと。
だが天空の思惑とは裏腹に、三船は一切動揺しなかった。それどころか「はあ」と嘆息までついた。
「聞き分けのない小娘だな……あまりこういうことはしたくないが、仕方あるまい」
そう言って彼女は、ベストの胸ポケットに留めたペンを右手で撫でた。するとどうだろう、三船の前に「Ru」の文字が浮かび、周囲に数匹の蝶が現れ出でる。それらは赤と銀に煌めく鱗粉を振り撒き、彼女の体を輝きに包む。
蝶が消え去り残ったのは、黒のスーツに装いを変えた三船だった。シャツの上に赤いネクタイを締め、白銀のカフスやエポレットをあしらったその衣装は、紳士的で実に洒落ていた。
「嘘でしょ……!」
超能力をもっている住民はごく僅かという話だったはずだが、これでもう三人目だ。
「この力は仕事でよく使っているものなんだが、はっきり言って荒事に向いていなくてな。大人しくしてくれる方が私としても助かる」
天空は意を決して駆け出し、彼女の隣を走り去ろうとした。
「待て!」
案の定、三船は進路に割り込みそれをブロックする。そして、それが開戦の合図になった。
突き飛ばされた天空は、両手にリングを呼び出し飛びかかる。瞬時に三船は長い左脚を折り曲げ、前方へ伸ばす。
「ぐっ!?」
鋭い前蹴りを腹にもらい、後退する天空。櫻井やその子分とはまったく違う。動きも力の使い方も洗練されている。
「投降しろ。さもなくば、斬る!」
柄に手をかけ鞘から引き抜けば、しなやかに湾曲した刀身が露わになる。年季の入ったサーベルで空を薙ぎ、三船は威嚇する。
本物の刀。魚の鰭を思わせるその鋭さに、天空は身震いし、唾を呑み込んだ。
(怯むな!)
天空は発破を掛ける。ここで狼狽えていては、警備隊とやり合うことだってできない。
両腕を少し広げ、ゆっくり横に歩く天空。右手のサーベルを水平に構える三船は、軸を合わせて敵を待ち兼ねる。睨み合う両者。
どうやって戦うか。天空に剣道その他武術の経験は皆無だ。真剣を相手に直感で、即興でやり合わなければならない。
いや、真っ向から勝負することはない。この場をやり過ごすだけでいい。
意を決して踏み込む天空。左のリングを横に払う。三船は切っ先を下ろし、輪を弾く。もう一歩近づき、右の輪で肩口を斬り下ろそうとする。
即座に剣を返しはたく三船。構わない。左の輪で再度腹を狙う――少し退いて避けたのを、天空は見逃さなかった。
「それっ!」
手首を捻った天空は、フリスビーの要領でリングを投げ飛ばした。狙いは頭。
「なっ!?」
上体を倒して躱す三船。重いリングの狙いは雑で、たいして飛ばず三船の背後に落下する。それでも、彼女の気を一瞬逸らすには事足りた。
「さよなら!」
三船を後目に、天空は丁字路を左折して逃げ出した。今の状態なら、普通よりもいくぶん体力が保つはずだ。どこまで行けるかわからないけれど、振り切れさえすればこっちの勝ちだ。
天空は街路を一つ、二つ、曲がり、さらにもう一度曲がってから、手頃な民家の生垣の中に飛び込んだ。この夜闇の中、街灯もまばらな町だ。そう簡単には見つけられないだろう。
庭土の上で息をひそめる天空。家屋から不明瞭な話し声が聞こえ、どこかで犬が鳴く。自分の呼吸音だけが、耳に伝わり続ける。
そんな中、一羽の蝶が音もなく生垣の上に留まった。
(ん……?)
見たこともない種だ。薄ぼんやりした明かりに照らされ、銀色の翅が煌めいている。それは枝の上で触覚を動かすと、枝から飛び立って天空の手元まで来た。
人差し指の先で滞空し、匂いを嗅ぐような素振りを見せる蝶。ずいぶんと警戒心が薄い。
そこまで思った瞬間、
ズアッ!!
「ひっ!?」
低木の向こうから差し込まれるサーベル。眼前に思い切り刃先が来て、天空はのけ反る。
「居るのはわかっているぞ!」
生垣越しの警告。すぐに立ち上がり、庭を通って玄関先から道に出る。
出待ちしていた三船の一太刀をすんでで避け、天空は再び駆け出した。
「はあっ、はあっ!」
こんな暗闇でどうして見つけられた? あの蝶が関係しているのは間違いないだろうが、どんなからくりか検討もつかない。それともそれが、彼女の「能力」なのか。
「どこへ逃げようと無駄だ。貴様の指紋はすでに記憶している!」
走りながら考える。おそらく彼女は、こちらの居所をピンポイントで掴める。最初にいきなり天空の前に現れたのも、さっきの蝶のような実体に見つけさせたからだろう。だとしたら逃げは悪手だったか。
後方から二匹の蝶が飛来し、天空を追い越す。それらはくるくると上空に舞い上がり、こちらの進路を塞ぐように赤と銀の鱗粉を撒いた。
仕方なく立ち止まり振り向けば、両手で剣を構え一直線にこちらへ迫る三船が見えた。もう一度リングを現出させ、交戦に備える。
「やあッ!!」
キィンッ
額へ下ろされる刃。天空は両の輪で防ぎ、押し返す。
懲りない袈裟斬りを左輪で受け止め、右輪で胸を掠める。後退。三船はまた片手に持ち替え、腹を突く。脇にずれ、目元狙い――は、蹴りを入れられずらされる。
一進一退で続く、環と弧の競り合い。刹那ごとに入れ替わる攻守。
大振りな一文字斬りを繰り出そうとする相手。天空はその軌道に左輪を挟みガードした――はずが。
「うっ!?」
飛び出す鮮血。下腹部を切り上げられ、天空は声を漏らし退いた。
腹辺りの布が裂け、血がにじんでいる。見るからに痛々しいが、傷口が浅いのか、それとも力のおかげか、あまり苦痛は感じなかった。それよりも今、何が起こった?
距離を取り、呼吸を整えながら相手を観察する。三船は確かに右手で刀を持っていた。だが、今の彼女は刀を左手に逆手持ちしていて、天空も腹を下から上へ斬られている。技を出すその瞬間、刀が右手から左手に入れ替わった――そうとしか考えられなかった。
「どうした? 降参する気になったか?」
刀身を振り、付いた血を払う三船。これは慎重にならなくては。
もう一度踏み込み、応戦する。適当にリングを振るいながら、天空は三船の両手をよく見極める。
三船は剣を握り直し、こちらの攻撃をいなしながら刃先を差し込んでいく。
水平斬り。防ぐ。撫で斬り。避ける。逆袈裟斬り――来た。
斬り上げから刺突へと変わった一撃を、天空は横にずれて躱した。
やはり間違いない。斬り上げようとしたとき、黒い手袋をはめた左手から剣が消え、白い手袋の右手に移動した。入れ替わりが起きているのだ。
「ほう。今のを避けるとはなかなかやる」
サーベルを戻しながら、三船は言った。だがかなり危なかった。あと数瞬反応が遅れたら、思い切り肩を穿たれていただろう。
「なら、これはどうだ」
そして彼女は、左手に香水瓶のようなものを現出させると、地面に落とした。
瓶が割れ、白い煙がもくもくと立ち昇る。それに紛れて三船の姿は見えなくなり、やがて完全に消失した。
(今度は何……!)
煙が充満する街路で、天空は全方位を見渡した。どこを向いても煙、煙。足元の地面が辛うじて見える程度だ。
詳しくはわからないけれど、三船は他人の位置を悟る能力をもっている。この靄の中でも、間違いなくこちらの位置はバレていると考えるべきだろう。
絶対にどこからか仕掛けてくる。天空は耳を澄ませ、どうにか周囲を把握しようとする。
――タッ
左方の音を捉え、振り向いた、時。
「ヤアァァァァァッ!」
上方から、三船の踵が落ちてくる。
「ッ!?」
とっさに輪を突き合わせ、斬り結ぶ。先端で生まれた熱の刃が、落下してくる三船を引き裂いた。
「ぐはッ!!!」
態勢を崩し背中から墜落する三船。渾身の飛び蹴りが不発に終わるとともに、煙が晴れていく。
三船はすぐに片膝で立ち、なおも強い視線を投げかける。
「ぐっ……はあっ……やはり、こういったことは慣れんな。少し……甘く見ていたようだ」
しかし、見かけの割に負ったダメージが大きいのか、もう向かって来ようとはしなかった。
「それじゃあ行かせてもらいますよ」
動悸する心臓に手を当てる天空。四肢を張り詰めていた緊張が解けていく。
「後悔するぞ。そっちを向いたら」
捨て台詞に耳を貸さず、天空は先へ進もうと後ろを振り向いた。
――ゴォッ
「え」
目前に迫る火の玉。
「ああああっ!?」
避けることもできず、彼女は吹き飛ばされ、倒れた。
「せっかく楽しく呑み歩いていたというのに。いったいなんですか、この騒ぎは」
闇の中から聞こえる、柔和な声。道の先から、その主はゆっくりと登場する。
黒い法衣の上に、右の肩紐を外した袈裟を着た、四角い眼鏡の男。優しく親しげな印象を醸し出す彼は、見覚えがある人物だ。
「……い、石住、さん?」
天空はよろめきながら起き上がる。
自分に町からの脱出法を教えてくれた、炭素の力をもつ青年。それが変身した姿を現している。間違いなく、攻撃してきたのは彼だ。
「だから言ったろう。そっちを向いたら後悔すると」
土埃を手で払い、三船も立ち上がった。二人に前後から挟み込まれる形だ。
「事情はわかりませんが、警官に歯向かうのは感心しませんね。これ以上騒がれても近所迷惑です」
石住は体の前に右手を持っていき、手のひらを下に開いた。すると天空の足元から、黒い縄状の物体が生え、彼女の両手首と両足首にがっちりと巻きついた。
「なっ――!?」
その場に固定される天空。身じろぎしても、黒い縄はびくともしない。輪で縄を斬ろうとしても、手首が回らない以上不可能だ。
「すまないな石住。物狂いの件といい、お前には世話になりっぱなしだ」
「気にしないでください。いち市民として治安維持に協力しているまでです」
石住は開いた手を今度は上に向けると、黒く蠢く靄のようなものが空間に出現する。うっすらと、しかし不快な羽音を立てるそれは、天空の顔に纏わりつく。
「な、何これ!?」
動けもしないまま靄に包まれ、頭を振る天空。極小のハエの群れが不規則に飛び回り、耳障りな音を立て、おぞましさに冷や汗が噴き出し――群れが発火する。
「うわああぁぁぁぁあああ!!!!」
炎に包まれる頭。目を埋め尽くす火、オレンジの光。文字通り燃えるほどの熱に皮膚を焼かれ、爛れ、剥がれる。その感覚は、いくら超能力があっても耐え難いものだった。
無限にも思えるほどの苦痛の時間が終わり、天空を縛る縄が消えると、彼女は力なく倒れる。衣装が光を放ち、ワンピースに戻っていく。
薄くぼやける景色の中に、石住が入り込む。
「子供は寝る時間ですよ。さ、おやすみなさい」
目を細める彼を見届けながら、天空の意識は途切れた。




