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#2 タウン・ウィズ・ノーネーム 7

 夜の帳が開くように光のオーラが消え、天空は現実に引き戻される。


「……!! そ、その姿、まさか……!!!」


 目を開けた櫻井は、天空を見て吃驚する。


「え――」


 天空はとっさに自分の服を見て、同じように目を丸くした。彼女が身に纏っていたのは、今日ずっと着続けた白いワンピース――ではなかった。

 それは古代ギリシアの服を華美にしたような、はっきり言ってしまえばコスプレ染みたものだった。ちょうど雷破や石住と同じような。


「てめぇ、超能力者だったのか!?」


 激しく狼狽える男たち。着物の女は声を発することもできず、あっけに取られるばかりだ。


「嘘……でしょ……!? 私、なにこの格好……!?」


 意味もわからず自分の服を摘み、キョロキョロ眺める天空。

 肩と腕を晒した上半身と、膝まで覆うスカート部は、シルエットこそ非常によく似ている。しかし、白い亜麻布の質感やゆったりとしたドレープは、お気に入りの普段着とはかけ離れていることを物語っている。身に覚えのない金色のベルトが腰に、ブレスレットが両手に据えられ、大きく空いた胸元は緑の肌着が隠す。そしてそこには、太陽か星系を図案化したような意匠が描かれている。靴も履き慣れたローファーではなく、厚底のサンダルに変化していて、少し心許ない。


「い……いや、いくら超能力者っつっても相手は女だ! やられる前にやっちまえ!」

「そ、そうだ! さっさとぶっ潰しちまえ!」


 そして、真っ先に甚平の男が右手を握り、助走をつけてこちらの顔面に振りかぶってきた。


「いやっ!」


 すかさず両手で顔を庇おうとする天空。だが早いのは拳の方。思わず目をつぶり、鼻面に一撃を食らわされる――はずだった。


「……なっ!?」


 しかし、彼の拳は届かなかった。


 そっと目を開けば、いつの間にか天空の右手に大きな環状の物体が握られていた。輪の内側に付いた弓形の刃が、男の拳を受け止めていた。

 すかさず輪で拳を押しのけ、甚平の男を後退させる。


「このっ!」


 次いで作業着の男がバットを振りかぶりながら詰め寄る。側頭部に迫るスイングに、天空は輪を差し込む。バットの先は外円と内刃の間に引っかかり、勢力を削ぐ。


「うっ!!」


 そのまま輪を下方に持っていき、絡めた得物を掛け流しながら横にずれる。

 引っ張られ前傾する男。左手を丸めた天空は、重心を崩した相手の顔めがけて打ち込もうとする――と、その拳が金色のオーラに包まれ、二つ目の輪が手中に現れ出でた。

 勢いのまま、輪の縁が男の頬をえぐる。


「ぐオッ!!!」


 柄から手に伝わる鈍い感触。ろくに運動もしていない少女から出るはずのない力は、男を数メートル押し退けた末にダウンさせた。


「…………えぇ……?」


 常軌を逸した威力に、天空自身も気の抜けた声を漏らす。

 両手に握る謎のリングを眺める。直径は車のホイールほどで、外縁部と内側のナックルガードは刃のように鋭く、持ち手付近には二対の棘が付属している。どうやって取り出したのかはわからない。ただ「やばい」と思った瞬間、それを手に握っていた。武器にしては珍妙な形で、剣なのか盾なのかも判然とせず、円盤や輪としか形容できない。そういえば、父が遊んでいた大昔のゲームにも、こんな武器を使うボスが居たような。


「び、ビビるな! 行くぞ!」


 坊主頭が呼びかけ、甚平の男とともに攻めてくる。


「くっ」


 慌てて甚平のフックを左のリングでしのぎ、もう片方を力いっぱい胸に叩きつける。がむしゃらに一、二、三と連打し退かせる、と、背後の坊主頭が不意打ちを仕掛ける。瞬時に右足を後ろに突き出し接近を拒むと、勢いを利用して体をひねる。


「ハッ!」


 虚を突かれた坊主頭の両肩を斬りつけるように、二つの円環を振り下ろす。


「ぐあああ!!」


 悶えながら倒れ込む坊主頭。輪の軌跡に沿うように、彼のタンクトップに焦げ跡が刻まれている。見れば輪の刃先がほのかに熱を発していて、静音モーターのように低く小さな唸りを発している。


(すご……)


 今日は一日中歩き通し、ろくな食事も摂らなかった。さっきまでの天空なら、彼らを前に成す術もなく袋叩きにされていただろう。だが、今はどこからか湧き上がる活力が全身に漲るのを感じていた。血は滾り、五感は冴え、呼吸は軽く、体は思うままに動かせる。まるで心臓をリフレッシュしたかのように、力が溢れてくる。


「チッ、図に乗るなよ」


 あっけなく敗れた子分たちに目もくれず、櫻井は両手を組んで骨を鳴らした。彼の瞳には他の連中とは違う確かな凄みがあり、天空は気を引き締めた。

 ゆったりとした歩調で接近する櫻井。天空はその一挙手一投足に注意を払う。

 まず飛んできた右拳。右の輪で防ぐ。続けざまの左手。左の輪で凌ぐ。

 だが押し返せはできず、戦局は膠着する――かに思われたとき、櫻井が左足を上げる。


「ゔっ」


 腹を穿つ爪先。鈍い苦悶を吐く天空。奇妙な力のおかげがさほど苦しくはない、が、本命はそれではなく。


 フッ――――。


 鋭く突き上がるアッパーカットが、天空の顎骨を強打する。


「グハッ!!!」


 白飛びする視界。ノックアップした天空はテーブルの上に倒れる。


「羨ましい限りだ。温室育ちな上に、そんなもんまで持ってるとはな――やっぱ、ただで手放すには惜しいか」


 目に色が戻ってきて、見えてきたのは自分を見下ろす櫻井の顔だった。


「最後の情けだ。今詫びて抵抗をやめるんなら、ギリギリ許してやってもいい」

「…………はぁ?」


 予想外の台詞に、天空は驚きとも呆れともつかぬ声を出した。


「だってそうだろ。金も無けりゃ食い扶持も無い。こっから追い出されるにしろ、出ていくにしろ、お前の行くあてがどこにある? 冷静に考えりゃ、黙って俺についてくる方がマシだと思うけどな」

「どの口が。私を利用しようって魂胆のくせに」


 そう言いつつも、天空は内心焦りを感じていた。雷破だったら、櫻井を打ちのめすことなど簡単だったろう。だが、天空はまだこの力をほとんど使いこなせていないし、場数でいえば相手の方が多分上だ。いくら鍵が力をくれているとはいえ、荒事なんてずぶの素人の自分が彼に勝つ見込みがあるのか?


「言ったはずだぜ。利用価値の無ぇ奴には、そもそも居場所すら与えられねぇもんだ。わかるか? 天空、お前は十分恵まれた立場なんだよ。それを自分からドブに捨てようとしてるのがお前だ。贅沢者の嬢ちゃん」

「……ッ!?」


 自分の人生を良くできるのが自分だけだとしたら、自分で変な方向に曲げているのが天空だった。決断することを避けて、なあなあの現状維持だけを貫いてきた。それに比べれば、生きるために他者を犠牲にする道を受け入れた櫻井は、天空よりもマシなのかもしれない――いや、だとしても。


「……たとえそれが正しくても、私はあんたみたいな生き方はしたくない!」


 たった一つ確かな思いを、天空は叫んだ。躊躇っている場合ではない。後には引けないのだ。


「だったら――悪く思うなよ。用意してやった席を蹴ったのはお前の方だ!」


 天空の顔を踏みつけようと、櫻井は左足を上げる。すぐさま天空は床に転げ落ち、体を起こす。

 組みつこうとする櫻井の手が左腕に迫り、天空は右に持つ円でそれを阻む。空振った手はしかし、その輪の切っ先を掴む。一瞬歪む彼の顔、それでも構わず輪を引っ張り上げる。


「あっ」


 思わぬ引力に輪を握る手がするりと抜け、天空は右手の武器を奪い取られた。櫻井は切っ先を掴んだ手を軽く振ると、左手で輪の柄を握り直した。


「所詮お前は表側の人間ってことだ。俺らと違ってな!」


 輪を頭に叩きつけようとする櫻井。残った輪でガードする天空。重なる二つの円環は、互いに押し合い行き詰まり、それに呼応するかのように刃先が赤熱する。


「そう……住む世界が、違うのッ!!」


 手首を一気に捻る天空。輪を鉛直に向け、相手の輪を突き上げる。


「くっ!」


 弾き飛ぶ輪。宙に舞い上がったそれを取り返したのは、天空だった。


 両腕を閉じ、左右に広げる。




「おりゃあッ!!!」




 水平に斬り結んだ両輪。その軌跡から、光の刃が生まれる。




「ぐおおおおおッ!!!!!」




 刃をもろに受けた櫻井は、慣性を殺せぬまま壁まで吹っ飛ばされる。




「はぁっ、はぁっ……」


 戦闘態勢を解いた天空。崩れ落ち、脚を投げ出して座り込む櫻井に、もう戦う体力は残されていないようだった。人間離れした技を受けたのだから、無理もない――そう思って、天空は自分が何をしたのかを認識し、浅く息を吐くだけの彼に近づこうとした。

 そこへ、着物の女が櫻井に駆け寄った。


「まだやるってのかい!? もういいだろう! 許しておくれよ!」


 ぐったりしている彼の首を抱えながら、着物の女は訴えた。


「ち、ちがっ! 私は、身を守るのに必死で――」


 彼女と目があって、天空は口をつぐんだ。それはさっき逃げた青年がしていたと同じ、自分より大きな力をもった相手に情けを乞う、悲痛な目だった。


 もう、何を言っても言い訳でしかない。


 緊張の糸が途切れると、天空の体が一瞬だけ光り、元のエプロンとワンピースに戻った。虚空から取り出した二つの輪も、消えて無くなった。


「……お前、ゲホッ……どこ行くつもりだ……」


 息を乱しながらも、櫻井が口を開く。


「……帰ります。ここでお別れです」


 天空は静かに出口の方まで行った。誰も彼女を引き留めはしなかった。

 ふと思い立ち、ノブに手をかけ立ち止まる。


「――這ってでも生きたいって思うなら、もう二度とこんなことしないでください。たとえ底辺の世界でも、誰かを犠牲にするなんて生き方、悲しすぎるから」


 天空は振り返らない。ただ最後にこう言って、その場を立ち去った。


「それと、お団子くれてありがとうございました。嬉しかったです――本当に」






 夜の町はことの外明るかった。


 ぽつん、ぽつんと、離れ離れに設置された街灯は、意外にも結構な明るさを放っているし、それでいて星は天空の地元よりもよく見える。どこに何の星座があるかなんて、まったくわからないが。


 昼間は太陽で知ることができた方角も、もう検討もつかない。今が何時なのかも覚えていないせいで、月から自分の向かっている先を把握することもできない。天空にできることは、ただ北を目指して、あてもなく夜道を彷徨うことだけだった。


 年々夏の暑さが長続きしているといっても、腕も肩も出た薄いワンピースに八月末の夜風はさすがに堪えた。櫻井に貰ったエプロンも、途中で脱ぎ捨ててしまった。

 天空は何も考えていなかった。ただ線路を目指して、歩いていた。休まず北へ、北へ。


「そっちの道で合ってると思う?」


 どこからともなく声がして、天空は顔を上げた。閉じた商家が並ぶ狭い道を見渡せば、前方左手の民家の塀に、腰ほどまで伸ばした髪をもつ少女が座っていた。


「あなた……!!」


 他でもない、今朝山の中で会った少女だ。彼女は軽い身のこなしで夜道に飛び降り、こちらに笑いかける。


「それで、どこへ行くつもりなの?」


 少女の出で立ちは朝と同じだった。白いズボンに、謎の数字がプリントされた水色のシャツを着て、腰に上着を結んでいた。不敵な笑みを相変わらず。ただ今回は、あの金色の懐中時計をズボンに留めていた。


「……『外』に帰るの」


 迷わず天空は答えた。それを聞いた少女は、初めて不機嫌そうに唇を曲げ、「ふーん」と言い、


「わたしのお願いは聞いてくれないんだ」


 と、続けた。


「あのねぇ……そもそも私、あなたのお願いが何なのかなんて教えてもらってないし。第一、あなたにここへ連れて来られたせいで、今日は酷い目に遭ってばかりなんだけど」


 怪物に襲われ、無法者に襲われ、犯罪に加担させられかけて。この町に来てから散々なことばかりだ。今なら世界のどこであっても、ここよりはマシかもしれないと思えた。


「だからあれを渡したんじゃない。少しは役に立ったでしょ、お守り」


 言われて天空は、ポケットの鍵を握った。あの『変身』が解かれた後、鍵はポケットの中に戻っていた。これのおかげで、天空は危ない場面を二度も切り抜けられた。

 けれど、大事なのはそれじゃなくて。


「どうして私にこの力をくれたの? あなたの目的は何? 何者なの?」


 問いかける天空。


「だから言ったでしょ。わたしはあなたにやってほしいことがあるの」


 少女はゆっくり天空に歩み寄り、隣に立った。




「それとも、また逃げ出す気?」




 彼女の囁きは、冷え切った夜の空気をさらに冷え込ませた。


「……は?」


「あなたはいつもそう。自分勝手で人の言うことを聞かないくせに、本当は自分が何をしたいのかもわからない。ろくに後先も考えもせず、ただその場の気分で動いて、結局すべてを台無しにしてしまう。夢も将来も、あなたの大切な人も犠牲にして」


 少女は心を見透かすかの如く、言葉を並べ立てる。気持ち悪い言葉を、耳を覆いたくなる言葉を。




「あなたに、」




 いや、違う。断じて、違う。


「あんたに……私の何がわかるの……!? 何を知ってるっていうの!?」


 叫ぶように、天空は言い返した。

 夢とか将来を蔑ろにしたとしても、あの人だけは――あの人を犠牲にしたなんてことだけは断じて違う。


「さあね。けど、あなたのパパと同じくらいは知ってるよ」

「はあ……!?」


 強い否認に少女は取り合わなかった。それどころか、さらに意味のわからないことを告げて神経を逆撫でする。


「悪いけど、あなたにこの町に居てもらうのは決定事項なの。逃げるなんて――許されない」


 横を通り過ぎた少女は、懐中時計を右手に握る。


「もし逃げようとするなら――こっちにも考えがあるわ」


 ボタンを押し、文字盤を開いた、刹那。


「っ! また……!?」


 やはり少女は、姿をくらませた。

 それだけではない。いつの間にか、天空はさっきまでと違う場所に移動していた。

 そこは背の低い家屋が並ぶ寂れた一本道ではなく、数階建てのビルの狭間にある丁字路の前だった。左右に横断する道路に面して金網が設置され、その向こうには線路が敷かれていた。

 ついに一つ目の目的地に辿り着いた。天空は一歩踏み出し、脚を止めた。




 いや、誘い込まれたのだ。




「こんばんは。夜分にどうもすみません」


 待ち構えていたかのように、道の左手から見知らぬ人物が現れる。黒いベストの上に、袖を通さずジャケットを羽織るその人物は見上げるほどの長身で、腰に刀を携えている。


「誰?」


 訊ねる天空に、その麗人は開いた手帳を掲げた。


「失礼しました。私は町警察、特別高等警察課の三船と申します。お時間、よろしいですか?」




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