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5%の善意と95%の悪意の話

作者: 朝日 橋立

とっても平和的なエッセイを書こう、と思って書いた散文です。

可笑しくても許して頂けると幸いです。

読者の皆様は「曇らせ」はお好きでしょうか?

私自身は、良い子が曇るのが好きです。

悪い子が曇るのはそこまで好きじゃないです。


さて、そんな「曇らせ」でありますが、この曇らせ展開というのは幾つかあると思います。

まず初めに大きな曇らせをして、それから上がり調子になるパターン。

これも宜しい。

頑張って成り上がっているところが、非常にけなげで可愛いです。


っで、次に大きな曇らせが度々起こるパターン。

私はこれが好きです。

ただし不幸が、連続するパターンは好ましくない。

それでは主人公が正気を保てる可能性が低いのだから。


私が「曇らせ」の小説に望むのはただ一つです。

正気と狂気の狭間で、右往左往として、頑張る姿。それが可愛い。可哀想は可愛いというヤツです。


しかし、精神を破綻させるのもまた良い。

それはそれで可愛い。

壊れた主人公が何をしでかすか、それともどんな凶行に駆られるのか、考えるだけで面白いと言うヤツです。


けれども、思うのです。

やっぱり、一つ間を開けた方が良い、と。

明りが強いほど影は暗くなる、と言います。

ちょっとした善意と多分に含まれた悪意によって主人公を幸福にさせてから、一気に絶望に叩き込む、そっちの方が可愛らしい反応をするでしょう。


自分の無力を嘆くのも良い。

他者の責任を叫ぶのもまた良い。

そして、自分を傷つける凶行に走るのも良い。


ここまで「曇らせ」は深いほど良いと言っていてどうかと思いますが、やはり曇らせの最後には報われる展開が必要だとも思います。

曇るのは良い、そして絶望するのも良い。

けれど、最後にちょっとした幸福があった方が良い。


重い展開になりすぎない、という話もありますが、加えてそのちょっとした幸福への主人公の対応が興味深いのです。

もしそれを受け入れたならそれで良い。

もしそれを受け入れられないのなら、またそれもそれで良い。



あっ、けれども私が好まない曇らせもあります。

それは無理矢理の曇らせです。

私が思うに、曇らせには美学があります。

もっとも主人公にとって、効果的なダメージを与えられる瞬間、そこで幸福を全て破壊すべきです。

そちらの方が、主人公が苦しむので良いでしょう。


なので、もし曇らせ展開を使う場合には、幾つかのことを気を付けることをお勧めします。

まず、曇らせを連続させないこと。

そして、主人公を絶望に叩き込む、込まないにしても、曇らせのあとは些かであろうと幸福、平和を作り出すこと。

最後に、無理矢理突っ込むことをせず、伏線を張ること。


曇らせは容量と用法を間違うと、非常に物語が暗くなります。

なので、そこを気を付けて用いましょう!

追記

タイトルの5%の善意は、大きな曇らせと曇らせの間の幸福のことです。

そして、95%の悪意は、その後の大きな曇らせです。

全く説明してなかった気がしたので書き足しました。

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