新米賢者の旅立ち
街に冒険者が増えて賑わっている筈の『夕焼け亭』が、なぜか静かだった。
「またお会いしましたね」
「タカヒロ、さっきは熱くなって申し訳なかった」
「僕の方こそ失礼な事を言ったかもしれません、ごめんなさい」
深刻な表情をしている真鍮の守り盾のメンバーに頭を下げた。
『夕焼け亭』が静かなのは、ファブリオさんが無口になっているからだった。
「師匠、こっちです」
別のテーブルでゼリアさんが手を振っている。
「この前も気になっていたのですが、なぜ師匠なのですか?」
真鍮の守り盾と別れた僕達は、悠然の強者が集うテーブルに向かった。
「フカシ村を照らし出した魔法を見た時から、私の師匠はタカヒロ様だと決めているのです」
燃えるような赤い髪をしたゼリアさんは、黒いビキニの豊満な胸を揺らしている。
「まあ、座れよ。ところで王都には行かなかったのか?」
ミリアナさんの顔色を窺っているグランベルさんが、口を挟んできた。
「行ってきましたよ」
「それにしては早すぎませんか? 私達も今日帰ってきたばかりなのですよ」
カインさんが首を傾げている。
「そんな事はどうでもいいじゃないか、久し振りなのだから飲もうぜ」
雑だが気さくなライフさんが、女将さんを呼んでいる。
「あら、ミリアナさん。それに、タカヒロさん。お久し振りね」
ビヤ樽のような女将さんがニコやかな笑みを見せた。
「その節はお世話になりながら、挨拶もなしにいなくなって申し訳ありませんでした」
「マルシカさんから聞いたよ、急な旅立ちだったのだね。今日はゆっくりしていきな」
「ありがとうございます」
軽く会釈をして渡されたジョッキーを受け取った。
「今夜は旅の話しを聞かせて貰うぞ」
ライフさんが陽気にジョッキーを掲げている。
「お話しの途中お邪魔します。タカヒロさん、私にはこの本は読めませんでしたのお返しします」
神妙な表情のゾッタさんは『賢者になるための魔術書』を渡すと、仲間と『夕焼け亭』を出て行った。
「何かあったのか、今夜の真鍮の守り盾はやけに静かだったじゃないか」
「難題な案件でも依頼されたのじゃないか。なんせ、S級冒険者だからな」
「俺達も頑張ってS級に上がるぞ」
グランベルさんもジョッキーを掲げて、一気飲みをしている。
「師匠、その本は何なのですか?」
「王都で手に入れた魔術書なのだけど、見てみますか?」
ゼリアさんに『賢者になるための魔術書』を渡した。
「はい、是非見せて下さい」
ゼリアさんは大きな瞳を輝かせている。
「魔術書なんて高価なもの、よく手に入りましたね。次は私にも見せて下さいよ」
カインさんも興味津々とばかりに覗き込んでいる。
「凄い、魔法ってこんなに種類があるのですね」
ゼリアさんはページを捲っては、目を輝かせている。
「ええっ」
ミリアナさんと顔を見合わせる僕は、言葉に詰まってしまった。
「師匠は、全ての魔法が使えるのですか?」
ゼリアさんは出会った頃とは別人のような話し方する。
「一部しか使えませんよ」
「これを見ると、私が使っている魔法は初級なのですね」
「私にも見せて下さいよ」
待ちきれなくなったカインさんが本を奪い取った。
「うん……」
ページを捲っていたカインさんが低い唸り声を漏らした。
「どうしたのよ?」
「ゼリアにはこの本が読めるのですか?」
「何、訳の分からない事を言っているの? 師匠も読めますよね」
ゼリアさんはカインさんの言葉に首を傾げている。
「……」
ゼリアさんを見詰める僕は返事に困ってしまった。『この本が理解出来る才がなければ、本当の賢者にはなれないのだ』賢者のおばあさんの言葉が頭の中を駆け巡っている。
「師匠、どうかされたのですか?」
「タカヒロ、どうかしたのか?」
「ああっ。すみません、ちょっと考え事をしていました。何だったでしょうか?」
グランベルさんの声で現実に引き戻された僕は、悠然の強者の一員であるゼリアさんに、何と言葉を掛ければいいのか思いつかなかった。
「ゼリアさん、無双のデッサンに入りませんか?」
「ミリアナさん、急に何を言い出すのですか?」
「そうだぞ、ミリアナ。冗談はよせ」
グランベルさんが険しい表情でミリアナさんを睨んでいる。
「冗談じゃないわ。タカヒロがゼリアさんを仲間に欲しいと言っているの。代わりに私が悠然の強者に入るわ。それでどうかしら?」
ミリアナさんは真顔になっている。
「ミリアナ、今日は帰ろう。皆さん、お騒がせして申し訳ありません」
立ち上がった僕は、ミリアナさんを引っ張って促した。テーブルの雰囲気は最悪になっている。
「待てよ、タカヒロ。詳しい話しを聞くまでは、帰す訳にはいかないだろ」
ライフさんが椅子を倒して立ち上がった。
「僕の勘違いですから、許して下さい」
「ミリアナが自分を捨ててもいいと言ったのだ。お前の勘違いで済ませる筈がないだろ」
坊主頭から湯気を上げているライフさんが、胸ぐらを掴んできた。
「待て、皆、座れ。タカヒロ、納得いく話しを聞くまでは、俺もお前を帰す気はない」
いつもは穏やかなグランベルさんも真顔になっている。
「分かりました」
腰を下ろした僕は、ミリアナさんに小さく頷いて見せた。
「この本は『賢者になるための魔術書』と言って、賢者になる素質がないと読めない本なのです。読めますか?」
グランベルさんの前に本をおいた。
「全く読めない」
「俺にもまったく読めないぞ」
回された本を開いたライフさんが唸った。
「私にも読めませんでした。この本が読めるゼリアは、賢者になれると言う事ですか?」
カインさんが本を返してきた。
「僕は王都で賢者のおばあさんに、賢者を継ぐ者を探すように依頼されました。ですから、ゼリアさんが本を読んだ時に皆さんの仲を裂いてでも声を掛けるべきか迷いました。ミリアナは僕のそんな気持ちを察して、あんな事を言ったのだと思います」
「話しは分かった。タカヒロはその本が読めるのだろ、だったらなぜ賢者にならないのだ?」
「僕では賢者になれないそうで、仮賢者としてしか認めて貰えませんでした」
「師匠でもなれないのなら、私では絶対に無理ね」
がっくりと肩を落としたゼリアさんは、苦笑いを浮かべている。
「そう言う事で、この話しは聞かなかった事にして下さい」
僕は皆に頭を下げ、ミリアナさんは黙ってしまっている。
「そうだな、ゼリアは大切な仲間だ。S級の遥か上をいく無双のデッサンのような危険なパーティーに、預ける訳にはいかないからな」
グランベルさんは、話しを打ち切るようにはっきりと言った。
「本当にお騒がせして申し訳ありませんでした」
「気にしていないさ。また旅に出るのだろ、無理をするなよ」
グランベルさんは笑って、『夕焼け亭』を出ていく僕達を見送ってくれた。
「なぜあんな事を言ったのだい?」
後ろを歩くミリアナさんに話しかけた。
「タカヒロは優しいから、ゼリアさんを誘えないだろうと思ったのよ」
「だからと言って、悠然の強者に入るなって嘘はまずいだろ」
「嘘じゃないわ、本気だったわ」
「じゃ、僕を守ると言ったのは嘘なのかい」
「命に代えても守って見せるわ。そのために一日も早く賢者の一件を終わらせたかっただけよ」
ミリアナさんはバツが悪そうに俯いている。
「だったら二度と離れるような発言はしないで欲しいな、心配するだろ」
「分かったわ」
「買い出しも終わっているし、明日にもマダラン国に向かって旅に出ようか。呪われたアイテムもできる限り探し出したいしね」
「そうね、そうしましょう」
明るさを取り戻したミリアナさんは、並んで歩き出した。
翌朝、正門に向かいながら、9ページ目にフォブルの絵を描いていた。
「師匠、お待ちしていました」
「ええっ」
顔を上げると目の前に、燃えるような赤い髪をした女性が立っていた。
「ゼリアさん、こんなに朝早くにどうしたのですか?」
ミリアナさんも驚いている。
「私ごときが賢者になれるとは思っていませんが、私も一緒に連れて行って下さい」
「その事は昨夜、話し合ったでしょ」
「タカヒロ、気が変わったのだよ」
「皆さん達まで、どうしてここに?」
「仲間の旅立ちを見送らない訳にはいかなだろ」
ライフさんが坊主頭を掻きながら笑っている。
「我々は冒険者を引退する年に近いが、最後にS級冒険者を目指して修行に励む事にしたのだ。それでゼリアの指導を君達に頼みたいのだが、駄目だろうか?」
グランベルさんが軽く頭を下げている。
「分かりました。そう言う事でしたらお引き受けします。ゼリアさん、早速修行ですよ」
9ページ目にサインを入れると、黒い波紋の中からフォブルが現れた。
「こ、これと、戦うのですか?」
大きなオオカミ。それも額に角が生えているフォブルを見たゼリアさんは、腰を抜かしそうになっている。
「いきなりそれは無理だろ!」
グランベルさん達も尻込みをしている。
「こいつはフォブルと言って僕の眷属です。これからは馬ではなくて、こいつに乗って旅をする事になります。ゼリアさんも振り落とされないようにして下さいよ」
「わ、分かりました、頑張ります。師匠、ひとついいでしょうか、弟子への敬語は止めて貰えませんか」
直立不動になっているゼリアさんの声が震えている。
「分かった。それでは皆さんお元気で」
心配そうな顔をしている悠然の強者メンバーに頭を下げた。
「ゼリア、賢者になったお前に会うのを楽しみにしているぞ」
「はい。頑張ってきます」
一番後ろに跨ったゼリアさんは、手を振る仲間に手を振り返している。
「行くわよ」
ミリアナさんが声を掛けると、フォブルが走り出した。
「キャー!」
あまりの速さにゼリアさんの悲鳴が、朝靄の中にいつまでも響いていた。