南の祠 その4
覚悟を決めて更なる下層に下りると、トラほどの大きさの白い犬が三頭いた。
「これがケルベロスなのか?」
「勇者の伝記に出てくるケルベロスは、頭が三つある巨大な魔獣だった筈だわ」
ミリアナさんも腑に落ちないようだ。
「そんな姿にもなるが、真に恐ろしいのは三位一体攻撃だ。今の奴は三頭同時に倒さないと復活するぞ」
「三頭同時にって!」
「やつの攻撃は?」
「体当たりに噛みつきの打撃攻撃のほかに、火属性の魔法を使う奴。風属性の魔法を使う奴。雷属性の魔法を使う奴がいる」
握ったオシリスが、ケルベロスの情報を伝えてくる。
「多彩な攻撃をしてくる相手を三頭同時にって、無謀な戦いじゃないか」
「ここまでよ。撤退しましょう」
「そうだね。ワーッ!」
7ページ目にサインを入れようとした時、体当たりで跳ね飛ばされて壁に激突した。
革鎧に『だきゅう(打吸)、まきゅう(魔吸)』の付与魔法を施してあるので骨折にまでは至らなかったが、衝撃のショックで意識が朦朧としている。
「また、くるわ……。キャー!」
縮地で僕の前に回ったミリアナさんだったが、大剣を構える前に体当たりを喰らって跳ね飛ばされてしまった。
「何て早い動きなのだ」
「次が来るぞ、儂を盾にしろ!」
床に突き立てたオシリスに、ケルベロスが激突した。
前足が片方千切れたが、瞬時に回復してしまった。
「奴はその場の一番強い相手を襲うようだ。儂に最大の魔力を流し込め。儂が時間を稼ぐから、ミリアナと撤退するのだ」
「お前はどうするのだ?」
「撤退したら、戻れと言えばいい」
「分かった、いくぞ!」
大量の魔力を流し込むと、オシリスが作り出す痩せ男が姿を現し巨大化した魔剣を手にした。
三頭のケルベロスは、一斉にオシリスに襲い掛かっていった。
オシリスは一頭を真っ二つしたが、他を相手にしている間に復活されてしまっている。
「ミリアナ、撤退するよ」
ミリアナさんのセパレートの革鎧にも防御用の魔法を付与してあるので、ダメージは最小限で抑えられている。
「オシリスは?」
「大丈夫だそうだ」
ミリアナさんがマントの裾を掴んだので、7ページ目にサインを入れた。
「戻れ、オシリス」
火龍城の広間に転移すると、鞘を手にして呟くように言った。まったく勝ち目がない相手を前にして、心が萎えてしまっている。
「あれだけの魔力を貰いながら勝てなかった、申し訳ない」
鞘に収まったオシリスがカタカタと音を立てた。
「いや、お陰で無事に撤退する事ができた、ありがとう」
「どうした、タカヒロ。元気がないではないか?」
「火龍様、完敗でした。魔人どころか魔獣に手も足も出ずに逃げてきました」
「何を言っている、クリスタルを助け出してくれたではないか、ありがとな」
「本当にありがとうございました。これは私からのほんのお礼の気持ちです、お受け取り下さい」
火龍様の隣にいたクリスタルドラゴン様が、フードつきのマントを二枚渡してきた。
「これは?」
「それは私の鱗を出来うる限り薄く精製して作ったマントです。性能はご自分でお確かめ下さい」
クリスタルドラゴン様はニッコリと微笑んでいる。
(あなたもですか)
絶世の美女を見詰める僕は、何も教えて貰えない歯がゆさに泣きたくなった。
「変わりと言っては何だが、儂から一つアドバイスを授けようではないか」
困っている僕を見て、火龍様が咳払いをした。
「どのような……」
なす術のない僕は、藁にも縋りたい思いになっている。
「タカヒロは、古代龍様から赤い珠を授かっておるだろ?」
「はい。これですね」
アイテムボックスから珠を取り出した。
「それは同じような白い珠に似た働きをする神具なのだ、戦いで行き詰っているのなら使ってみるとよい」
「どのような働きをするのでしょうか?」
「それは自分で確かめてみるのだな」
「でしたらマントも一緒に使ってみて下さい」
火龍様とクリスタルドラゴン様は、戦いとは無縁のような穏やかな笑みを浮かべている。
「ミリアナ、頂いたマントを羽織って、この珠を持っていてくれないか」
白い珠の時の現象を思い出してスケッチブックの表紙を開くと、ミリアナさんの手に手を重ねて魔力を流し込み始めた。
重ねた手と手が熱くなり赤い珠の輝きが増していくと、ミリアナさんの凛々しい表情がさらに際立っていく。
羽織った白いマントが形を変えてミリアナさんの体に纏わり着くと、白金の鎧に姿を変えた。
「これは!」
あまりの変わりように驚いていると、天上から降り注いでくるような声が聞こえた。
「私を呼び出したのは貴方ですか?」
ミリアナさんの声だったが、表情と同じようにさらに凛々しさが増している。
「貴女は誰ですか?」
「私は女神、アテーナです」
「ミリアナはどうしたのですか?」
「聞かなくても知っているでしょう、彼女は眠っています。貴方の事は彼女の記憶から理解しました。貴方を守りますから戦いの場に連れて行きなさい」
「失礼ですが、貴女は強いのですか?」
ケルベロスの強さを目の当たりにしている僕は、では行きましょうとは言えなかった。
「私の力をお見せしましょう。眷属をすべて呼び出して全力で掛かってきなさい、イフリートを呼んでも構いませんよ」
アテーナさんは平然としている。
「分かりました。準備をしますので少し待って下さい」
スロウとフォブル、それに三体のミスリルゴーレムを呼び出すと、アイテムボックスからスー〇ーマン型ゴーレムを取り出した。
「イフリート、最初から全力で戦うのだ」
「いいのか?」
「ああ。ケルベロスの力を見ていただろ、ここで僕達に手こずるようでは負け戦になるのは目に見えているからな」
「分かった」
「準備が出来ました」
各属性魔法のページにアテーナの姿と攻撃魔法を描き込むと、オシリスに魔力を流し込んで自力で戦える姿にした。
「まずは、そちらの攻撃を全て受けて見せよう。ミリアナの体にはかすり傷ひとつつけないから、全力でくるがいい」
大剣を構えたアテーナさんから赤いオーラが立ち昇った。
「まずは魔法攻撃だ。イフリート、行くぞ!」
3ページ目にサインを入れると、フレームランスの先にフレームボムをつけた魔法がアテーナさんに命中して火柱が上がった。
「容赦ないね。フレームストーム!」
スー〇ーマン型ゴーレムが追い打ちをかけるように、炎の嵐を吹きつける。
「それだけか?」
アテーナさんが両腕を広げると、炎は一瞬で掻き消えた。
スキをついてウィンドカッターを飛ばしたが、白金の鎧にはキズひとつついていない。
「この鎧は着ている者の力量によって強度が変わるようだな」
アテーナさんは満足そうに鎧を撫でている。
「次は打撃攻撃だ、全員でかかれ!」
スロウの斧にゴーレムのパンチは何のダメージも与えていない。
「スーパーパンチ!」
イフリート君の炎を凝縮したパンチも、アテーナさんの顔を少し顰めさせただけで終わった。
「暗黒剣」
黒い靄を纏ったオシリスが斬りつけると、刃が当たった腕の部分が少し黒くなっただけで弾き返されてしまった。
「次はこちらも攻撃をするから、覚悟してかかってきなさい」
アテーナさんが微かな動きを見せた刹那、十メートル以上離れていたフォブルの首が飛ばされ、スロウの斧が空に舞った。
「何?」
ケルベロスの動きは何とか追えていたが、アテーナさんの動きはまったく見えなかった。
「オシリス、戻れ!」
構えた両手で大剣を握って魔力を流し込んだ。
「遅い、遅い」
アテーナは三体のゴーレムを瞬殺すると、飛び上がったスー〇ーマン型ゴーレムも一刀両断にした。
「ミスリルゴーレムが紙のように斬られるなんて」
ミリアナさんの動きとは到底思えない神業に、唖然となった。
「これではケルベロスには到底勝てないわね」
アテーナさんが笑っている。
「これならどうだ。魔剣スラッシュ!」
十分に魔力を注ぎ込んだオシリスを振り下ろした。膨れ上がった靄が凝縮されて剣撃となってアテーナさんに向かう。
「あぶな!」
危険と判断したのかアテーナさんは、体を僅かに捻って剣撃を躱した。
「おいおい。いくら何でも、こんなものが当たったら城の壁が壊れてしまうだろうが」
一瞬で壁際に移動した火龍様が、魔剣スラッシュを片手で握り潰した。
「すみません。どんな魔法でも大丈夫だと仰っていたので……」
火龍様の動きに驚きながら、ペコペコと頭を下げた。
「アテーナさんて無茶苦茶強いのね。どうしてタカヒロといつも一緒にいないの?」
クレアさんが大剣を鞘に納めたミリアナさんに近づいていった。
「私はタカヒロを想うミリアナの強い思いがないと出現できないの、だから必要な時だけ呼ばれたら出てくるのよ」
「そうなんだ」
クレアさんが大きく頷いている。
「タカヒロ、必要とあればいつでも呼び出してくれて構わないわよ」
アテーナさんがそう言うと、ミリアナさんの表情が元に戻った。
「これって、何があったの?」
広間の散らかりようにミリアナさんが驚いている。
「やはり何も覚えていないのかい?」
「白い珠の時と同じように急に目の前が真っ暗になって、何も分からなくなったの」
「そう。赤い珠には女神アテーナさんの魂が入っていて、ミリアナの身体を使って降臨するとケルベロスを倒せるだけの力を示してくれたのだよ。何か変わったところはないかい?」
「何だか体が凄く軽くなっているような気がするの」
ミリアナさんは白いマントを外すと、準備運動をするように体を動かして反復横跳びを始めた。
「クレア、ミリアナから魔力は放出されているかい?」
「出ていないわ」
「アダマンタイトの大剣を背負って、あの動きをしている訳か」
残像が残るほどの動きに、驚愕するしかなかった。
「まだいけるわよ」
ミリアナさんは大剣を構えると、魔力を僅かに流しながら僕の周りを回り始めた。
「そんな、分身?」
ミリアナさんが三人いるように見えた。
「私の中に眠っていた力が、目覚めたような感じがするの」
ミリアナさんは動きを止めると大剣を収めた。
「それは、本来君がタカヒロを守るために持っていた力が、アテーナに触発されて目覚めたものだろうな」
火龍様がミリアナさんを見詰めて微笑んでいる。
「アテーナが言っていたわ。自分はタカヒロを想うミリアナの強い思いがないと出現できないと」
クリスタルドラゴン様も、ミリアナさんを見詰めて微笑んでいる。
「タカヒロは私が必ず守って見せるわ」
ミリアナさんの堂々とした宣言に僕の方が、顔が熱くなった。
「儂らには何もしてやる事が出来ないが、頑張りたまえ」
「お騒がせしました。もう一度南の祠に行ってきます」
魔力で強化された城の壁を壊すほどの魔剣スラッシュを片手で握り潰した、火龍様の底知れぬ力に畏怖しながら頭を下げた。