ハイブリッド魔物
神殿前に集合した僕達は、コスモ大司教に見送られて湖に転移した。
「ゴセリー王子、国王様によろしくお伝え下さい」
「はい。精鋭部隊を結成してご連絡をお待ちしています」
ゴセリー王子が最敬礼をしているので気まずかった。
「ドオランさん、王子をよろしくお願いします」
ドウベルを呼び出したドオランさん達に頭を下げた。
ハスキーさんは、タイアン将軍に代わって軍を指揮しているので不在だった。
「タカヒロ殿、お任せ下さい。私達も精鋭部隊に志願しますので、その時が来ましたらよろしくお願いいたします」
ドウベルに乗ったドオランさん達は、レッドゴリー王国に向けて走り去っていった。
「僕達も行きますか。魔物の襲撃があるかもしれませんので、注意していて下さい」
7ページ目に山岳地帯の絵を描いてサインを入れると、用意しておいた毛皮のマントを羽織った僕達を眩しい光が包み込んだ。
「この近くに研究所があるのですか?」
「まだ分かりません、それを調べに来たのですから」
周りは見渡す限り岩場で、魔物の姿も建物らしき物もなかった。
「まずは、前回魔物が走り去った南側から調べてみましょう」
スケッチブックを開いて地面に置くと、遠距離レーダーを発動させたが魔物の反応はなかった。
「敵は居ないようですが注意して進んで下さい」
ミリアナさんとタイアン将軍を先頭に、岩場を進んで行った。
「これだけ探して何も見つからないと言う事は、方角が違っているのではないでしょうか?」
洞窟などを探しながら一時間近く歩いたが、成果はなかった。
「そうかもしれませんね。あの山の方角に敵がいますね」
ハング軍師言われて再びレーダーを発動させると、南南西の方角に反応があった。
「どれぐらいの数がいるの?」
ミリアナさんは、つかず離れず僕の身辺に気を配っている。
「レーダーで確認出来るのは十体だよ」
「少し休んで行きませんか?」
ハング軍師の提案に僕とサマンサ司教は頷いた。
険しい岩場の昇り降りに、ミリアナさんとタイアン将軍以外はかなり参っている。
「タカヒロ殿、これだけ険しい岩場だと、精鋭部隊を連れてきても速攻は難しいですね」
差し出した水を一気飲みしたタイアン将軍は、周りを注意深く見渡している。
「そうですね。だから今回は戦うのではなく、研究所の入り口を見つけて写生をするのが目的です」
「入り口に精鋭部隊を転移させて攻め込むのですね」
「それでしたら、迂回してこの敵の後ろに向かわれたどうでしょうか?」
ハング軍師が指でレーダーに線を引いて、攻略を説明した。
「そうしましょう」
少し遠回りになるが、レーダーに映った敵を避けながら山裾に向かった。
「あそこに魔物が見えるわ」
先頭のミリアナさんが遠くを指さした。
開けた岩場にはかなり大きな魔物がうろついていた。
「あれはグリフォンですね」
コスモ大司教から借りてきた古代の書物を開くと、ライオンの胴体に猛禽類の上半身と翼を備えたキメラが載っていた。
「タカヒロ殿はこの文字が読めるのですか?」
「読めますよ。ちなみに、王国と連合国の境界近くの森で遭遇した怪鳥はコカトリスです」
別のページを開いて、タルーと蛇を掛け合わせたような絵を見せた。
「私も同じような資料を見たのですが、殆ど読めませんでした。時間がありました古代文字を教えて貰えませんか?」
「いいですよ。キメラ研究所の攻略が終わりましたら、お教えしましょう」
「ありがとうございます」
研究熱心なハング軍師は目を輝かせている。
「グリフォンの弱点は書いていないの?」
「弱点は書いていないのだよ。グリフォンは飛行能力を持っているだけでなく、力が強くて爪やクチバシを駆使して相手に襲いかかるそうだ」
「上空からの攻撃は厄介ね」
ミリアナさんが珍しく顔をしかめている。
「確かに接近戦になれば、コカトリス以上に苦戦を強いられるでしょうね」
ハング軍師も顔をしかめている。
「あのような化け物が他にもいるのでしょうか?」
合成魔獣を初めて見たサマンサ司教は蒼ざめている。
「敵の研究がどこまで進んでいるのか分からないが、さらに強いキメラがいると考えた方がいいでしょうね」
「精鋭部隊を結成したとして勝てるでしょうか?」
タイアン将軍もかなり怖気づいているよだ。
「コカトリスを倒せたのだから、何とかなるわよ」
ミリアナさんは自分の言葉が皆を不安にさせたと思ったのか、作り笑いを浮かべている。
「ミリアナ殿の仰る通りです。勝利しなければ、アニマルワールドが崩壊してしまうのです」
ハング軍師が皆を纏めるように声を強めた。
「今は研究所への入り口を探すのが先決です。もう少し先に行ってみましょう」
ハング軍師のテンションの高さに、少し引いてしまった。
さらに一時間近く山沿いを進むと、大きな洞窟の入り口があった。
「この奥に研究所があるのでしょうか?」
タイアン将軍が覗き込んだが、物音ひとつ聞こえなかった。
「それにしては静かすぎるな」
「この周辺をスケッチしますから、皆さんは警戒しながら休んで下さい」
レーダーで敵がいないのを確認すると、キャンバスに風景を描き始めた。
(最近、風景画ばかり描いているなァ。本当なら美人画を描いている筈なのになァ)
異世界に来てまだ一年しか経っていないのに、神様に出会ったのが遠い昔のように思えた。
(変革か? 何をもって、この世界が変わったと言えるのだろうかなァ)
単調な風景画を描いているために、色々な事を考えてしまった。
(早くミリアナが平穏に暮らせる世界になればいいのだがなァ)
ふと、ミリアナさんの姿を探すと、真剣な表情で周辺を見渡していた。
洞窟を中心に描いた水彩画をアイテムボックスに収納すると、7ページ目に礼拝堂を描いた。
「終わったの」
道具を片付けていると、ミリアナさんが声を掛けてきた。
「終わったよ。いつでも礼拝堂に戻れるように準備したから、何か問題が起こったら僕に触れるように」
全員に魔道具のランプを渡すと、洞窟の奥へ進んで行った。
「コボルトです」
タイアン将軍がロングソードを抜いている。
「すぐに終わらせるから、待っていて」
ミリアナさんが大剣を手に駆け出した。
「タカヒロ殿、後ろにもコボルトが」
杖を構えたハング軍師が詠唱を始めている。
「どこから現れたのだ? サマンサ、火属性の魔法は使わないように」
アイテムボックスからショートソードを取り出すと、詠唱を始めたサマンサ司教に注意した。
「偉大なる古代龍様のお力をお借りして、我が敵を射ぬけ。アイスアローズ!」
ハング軍師の杖から五本の氷の矢が発射されたが、命中したのは一本だけだった。
「動きが速すぎる!」
「偉大なる古代龍様のお力をお借りして、我が敵の動きを封じよ。アイスブレス!」
サマンサ司教のステッキから吹雪が吹き出したが、コボルトは地面に潜るように消えてしまった。
「タカヒロ、気をつけて。ただのコボルトじゃないわ」
「分かっている」
突然、現れた魔物は知っているコボルトより三倍は早く動き、地面に溶け込んでしまうのだ。
ミリアナさんが二頭、タイアン将軍が一頭を辛うじて倒すと、コボルトは走り去っていった。
「もう襲ってこないようだな」
チンパンジーの姿になっているハング軍師が、魔物の気配が消えた事を察した。
「コボルトに苦戦を強いられるとは思わなかったわ」
「確かに。ここの魔物は進化させられているのじゃないかな」
「どう言う事?」
「キメラの研究は僕達が考えている以上に進んでいるのだよ。キメラは二種類以上の魔物や動物を繋ぎ合わせて作り出されている合成魔獣なのだが、ここでは遺伝子操作が行われているような気がするのだよ」
「遺伝子操作って、それじゃハイブリッド魔物と言う訳!」
昔の知識があるミリアナさんは、驚愕に声を震わせている。
「ハイブリッド魔物って何ですか?」
「そうですね。今まで存在しなかった新しい魔物の事かな?」
「コボルトは私も見た事がありますが、今のと変わりありませんでしたよ」
サマンサ司教は不思議がっている。
「見た目は同じでも、まったく別の魔物なのだ。ミリアナ達が相手をしたコボルトは運動能力が強化されていたし、ハングさん達が戦ったコボルトは姿を消したりする特殊な能力を持っていたのだ」
「そのような事がもっと強い魔物で行われているとしたら、私達に勝ち目はないじゃないですか」
ハング軍師は恐ろしさを理解したようだ。
「そうですね、実験が進んでいない事を願うしかありませんね」
正直僕も強敵の出現に逃げ出したくなっていた。
「一度戻って精鋭部隊と合流しましょう」
タイアン将軍は完全に及び腰になっている。
「ここで精鋭部隊を投入しても全滅するだけです。避難準備は出来ていますから、もう少し調べてからにしましょう」
「タカヒロ殿の仰る通りです。もう少し調べましょう」
ハング軍師が僕の意見を汲んでくれた。
洞窟を抜けると森があり、さらにその奥の高台には大きな建物が建っていた。
「あれがキメラ研究所ではないでしょうか?」
「そのようですね。ここに転移したら一気に攻め込めそうですから、風景を写生していきます」
洞窟から少し離れると、絵を描く準備を始めた。
静かだった。魔物の巣窟が近くにあるとは思えない静寂さが森を包んでいた。
ミリアナさん達に守られている安心感もあり、絵を描く事に集中していた。
「気をつけろ、何かが来た!」
ハング軍師が叫ぶと同時に、森の中から十数本の矢が飛んできた。
「クウッ」
ミリアナさんとタイアン将軍が大半を叩き落としたが、一本が僕の右肩に刺さり筆を落としてしまった。
弓を剣に持ち替えたゴブリンが、木から飛び降りてきた。
「タカヒロ!」
ミリアナさんが蹲った僕に駆け寄ってきた。
「ここは私に任せてください。偉大な古代龍様の力をお借りして、我が敵を破壊せよ。フレームボム!」
ハング軍師の杖から火の玉が次々と飛び出すが、すべてゴブリンに躱されている。
「ゴブリンごときに負けるか!」
ハング軍師に斬りつけてくるゴブリンを、タイアン将軍が迎え討った。
「何だと!」
渾身の太刀を受け止められたタイアン将軍が、驚きの声を発している。
「抜いてはダメ! 傷口が大きくなります」
サマンサ司教が、矢を引き抜こうとしているミリアナさんを止めた。
「タカヒロ、転移出来る?」
「右手が動かない……」
スケッチブックを前にしているが、サインが書けなかった。
「左手ではダメなの?」
「やってみる」
苦痛に堪えながら礼拝堂の絵にサインを入れていった。
「皆、転移するから集まって!」
僕を守っているミリアナさんが叫んだ。
「無理だ! ここは私とタイアンに任せて行ってくれ」
「サマンサ司教、タカヒロ殿をお願いしますよ」
ハング軍師とタイアン将軍は、弱小の筈のゴブリンに囲まれて身動きが取れなくなていた。
「行きましょう!」
「うん」
ミリアナさんに促された僕は小さく頷くと、自分の非力さに唇を噛みしめながら『Aizawa』のサインを書き上げた。