幕間9ライガン皇帝の長い一日と決断 その2
貴賓室に向かうと、ゴセリー王子とハング魔術師長が待っていた。
本来なら謁見の間で応対するのが普通だが、その余裕は国にも儂にもなかった。
「皇帝閣下におかれましては……」
「堅苦しい挨拶は抜きにしましょう」
王子の言葉を遮り、ソファーを勧めた儂は腰を下ろした。気楽に応対するために、タイアンを使徒様のお目付け役にしたのだ。
「顔色が優れないご様子ですが、大丈夫ですか?」
「すまない。大丈夫と言いたいのだが、ハスキーから使徒様についての報告を聞いて少し疲れてしまったようだ」
「お察しいたします。私も初めてタカヒロ殿の魔力を感じた時は腰を抜かしましたから」
「ハング殿もタカヒロ殿と呼んでおられるのですか?」
「お二人は使徒様と呼ばれるのを大変嫌っておられます。皇帝閣下もタカヒロ殿、ミリアナ殿と呼ばれるのがよろしいかと思います」
ハング魔術師長の口ぶりから、レッドゴリー王国でも二人は崇拝されている事が窺われる。
「そうですか、肝に銘じておきます」
「お疲れでしたら、お話しは明日にいたしましょうか?」
「ゴセリー王子、心遣い痛み入るが今日の魔物の軍勢を思うにあまり余裕はなさそうなので、お話しを聞かせて頂こう」
「そうですか、ではまずこちらを。国王からの親書でございます」
王子が渡してきたのは、羊の皮に書かれた書面だった。
内容は連合国とレッドゴリー王国が共闘して魔物に対処しようと言う物だった。
「願ってもない事です」
儂は今までの因縁を忘れて握手を求めた。あの少年がいなければ、今頃は儂もこの国も消えていたのだから。
「ありがとうございます。よろしくお願いいたします」
王子の手から熱い思いが伝わってきた。
「お二人のために宴会をと思うのですが、この状況をお察し願いたい」
「我々はタカヒロ殿のご用が終われば、すぐに国に帰りますので接待は無用に願いたい」
「申し訳ない、部屋を用意させますのそちらを使って下さい」
皇帝として我ながら情けないと思うが、今は何も出来なかった。使徒様の降臨、魔物の進行、全てが国をひっくり返す出来事なのだ。
執事を呼ぶとゴセリー王子とハング魔術師長を客人用の部屋に案内させた。
神殿に向かったタカヒロ殿が戻ってくるのを待っている儂は、気が休まらなかった。
ハング殿に聞いている限りでは温厚な人物のようだが、気性が激しいタイアンが不祥事を起こさない保証はないのだ。
救いはコスモ大司教の前では、タイアンが赤子に等しい事だ。
(もうすぐ夜が更けると言うのに、今日は戻らないつもりなのかなァ)
寝室に行っても眠れそうにないので、職務室で悶々としているとドアがノックされた。
「遅くに失礼します。タイアン、ただいま戻りました」
在室を確認するためだけの控え目な声だった。
「入れ」
このような時間に訪ねてくるのは非常識もはなはだしが、報告を怠らないのがタイアンなのだ。
「まだおいででしたか」
入室したタイアンは片膝をついて頭を下げている。
「タカヒロ殿はどうなさった?」
「今宵は神殿でお休みになられるそうです。それで、閣下に伝言を賜ってまいりました」
タイアンの言葉遣いが昼間とは、すっかり変わっている。
「伝言とは?」
「はい。砦に出現した魔物の軍勢は古代龍様の像を壊そうと進撃してきた事。そして、新しい魔法の修得のために暫く神殿で修業をする事を伝えるように仰っておられました」
拝礼姿勢で報告するタイアンは、明らかに異常だった。
「神殿で何があったか、詳しく報告しろ」
「は、はい。大司教様の前でタカヒロ殿が使徒ではないと告白されたので、私が成敗しようとしたのですがミリアナ殿に阻止され、大司教様にお叱りを受けました」
「タカヒロ殿に刃を向けただと!」
儂にはこの国が焼け野原になる光景しか思い浮かばなかった。
「申し訳ありません。大司教様がお執り成してして下さいましたの、大事には至りませんでした」
「そうか、それで新しい魔法とは何だ?」
タイアンの視線は儂を避けるように床を見詰め、声が震えている。
「大司教様の魔法をご覧になったタカヒロ殿が教えを乞うておられましたので、それではないでしょうか」
「タイアン、儂の目を見て話せ!」
「は、はい。タカヒロ殿は大司教様の重力系の魔法が覚えたいから教えて欲しいと迫っておられました」
面を上げたタイアンは蒼ざめていた。
「大司教は何と答えたのだ」
コスモ大司教の魔法は国の宝で、門外不出になっている筈だ。
「魔法は古代龍様から知恵を授かって行使するものだから、お祈りを捧げるようにアドバイスされていました」
「そうか、タカヒロ殿は何らかの知恵を得られて、その修業をされる訳だな」
「はい。そうだと思います」
「タイアン、お前は国には必要な存在だ。儂もお前には絶対の信頼をおいている。お前の首を刎ねる事はさせないでくれ」
儂への絶対忠義を誓っているタイアンだが、明らかに嘘を言っている。顔面蒼白になり、ブルブルと震えているのだ。
「決して閣下に嘘は申していません。ただ、口に出来ない事があるのは事実です。申し訳ありません」
タイアンは床に伏してしまった。
「神殿で何があったか話すのだ。タカヒロ殿の力はハスキーからも報告を受けているし、ハング魔術師長殿からも聞いているから驚きはしないさ」
「はい。それが……」
「お前が喋った事は儂の胸の内に秘めておこう」
タイアンが何か大きな力で口留めされているのは、その慄きようで察しがつく。
「タカヒロ殿が礼拝堂にある古代龍様の像に近づかれると、像が光り出して古代龍様のお言葉が聞こえたのです」
「古代龍様のお言葉だと!」
これには驚きが隠せなかった。古代龍様のお声など儂どころか、コスモ大司教も聞いた事がない筈だ。
「タカヒロ殿は古代龍様とお話しをなさるだけではなく、古代龍様に貢ぎ物を求められたのです」
「それでは、ただの使徒ではなくて親しい間柄だと言う事になるではないか」
儂は言い知れぬ恐怖に包まれ行くのを感じた。知らなかった事とは言え、儂は神の眷属を斬ってしまったのだ。
「古代龍様はタカヒロ殿の要求にお答えになると、いつも見守っているとも仰っていました」
タイアンの報告に儂は完全に言葉を失った。
神が降臨されたこの地で何が起ころうとしているのか定かではないが、全身全霊を持って従っていこうと心に決めたのだ。
神殿に迎えとして送っておいたタイアンが、二日後、二人を連れて戻ってきた。
「タカヒロ殿とミリアナ殿をお連れしました」
「入りたまえ」
「失礼します」
「タカヒロ殿にミリアナ殿、それにサマンサ司教、よくおいで下さった。まずは先日のお礼と謝罪がしたい」
儂は声が震えるのを必死で堪えながら頭を下げた。
「皇帝閣下が何をされておられるのですか」
「貴殿達がいなければ砦の戦で敗退して、この国は魔物に支配されてしまっていたかもしないのだ。儂が頭を下げる事など何でもない事だ」
「あそこで頑張ったのは、ハスキーさん達ですよ」
「話しは聞いている。貴殿の魔法と眷属、それにミリアナ殿が大半の魔物を倒した事を。儂はその眷属に剣を向けてしまった、本当にすまなかった」
「これ以上頭を下げられたら、僕達は退室させて貰いますよ」
少年の怒りを買ってしまった儂は逃げ出したかった。
「だから、フレンドリーに接しられた方がいいと、言ったではありませんか」
ハング魔術師長に声を掛けられた事で少し落ち着いた儂は、覇気を高めてライオン顔になった。
「タカヒロ殿、この姿で失礼する」
「ここは皇帝閣下のお国です、ご自由になさって下さい」
「そうか。まあ、座りたまえ」
儂は神の前で何とか威厳を保つ事が出来た。
「まず、レッドゴリー王国との話し合いはどうなりましたか?」
「それは、私がお話しします」
ハング魔術師長が会談の内容を説明した。
「そうですか、それは良かったですね。ところで、キメラ研究所の事はどこから?」
ハング魔術師長が口を滑らせてしまったので、少年はタイアンを睨んでいる。
「申し訳ありません、命を持って償わせ頂きます」
真っ青になったタイアンは土下座をしている。
「タカヒロ殿、許せ。儂が神殿の事を問い詰めたのだ」
大切な部下を守るのも儂の仕事なのだ。
「拷問を受けたのでは、喋っても仕方がないですね。将軍に罪はありませんよ」
少年の笑顔が引き攣っているように見えたのは、儂だけだろうか。
「タカヒロ殿は新しい魔法を修得されたと聞いていますが、どのような魔法なのですか?」
話題を変えようと、ハング魔術師長が声を発して下さったので助かった。
「その魔法にも関係するのですが、僕から報告があります」
「なんでしょうか?」
「キメラ研究所の入り口と思われるところを発見したので、調査をするのに人員を貸して欲しいのです」
「誠か? 喜んで協力しよう。何人ぐらい必要かな?」
短期間で魔物の巣窟を発見すと言う、まさに神の御業を発揮される少年に儂は尊敬の眼差しを向けた。
「まずは、五、六人で下見に行きますので、その間に精鋭部隊を編成して貰えませんか?」
「すぐに手配しよう」
早速、タイアンに指示しようとした時、
「皇帝閣下、私を調査に行かせて下さい」
タイアンが真顔で儂を見詰めてきている。
「お前には軍の指揮があるだろ」
「私はタカヒロ殿に、この命を捧げる覚悟をしています」
「皇帝閣下、私も調査隊に加わりたいと思っています」
今まで静かだったサマンサ司教が、急に立ち上がって儂を見詰めてきた。君の上司はコスモ大司教だろうと言いたかったが、言える雰囲気ではなかった。
「分かった、許す」
(タカヒロ殿には儂以上のカリスマ性があるな、まあ、神では当然か……)
「私も同行させて貰いますぞ」
ハング魔術師長が真剣な表情で立ち上がっている。
「勿論、お願いしますよ。我々の軍師ですから」
少年がハング魔術師長に信頼をおいているようで、少し嫉妬心が湧いてくる。
その後も少年は淡々と計画を説明すると、引き留めるのも聞かずに城を出て行ってしまった。
「タイアンよ」
「はい、皇帝閣下」
「お前はタカヒロ殿をどう見ている?」
「はい。先ほども神殿で神の御業を見せて頂きました。空間から突然、現れられた姿は神々しく、まさに神が降臨されたのだと信じています」
「そうか、アニマルワールドのためにしっかり働いてくるのだぞ」
「はい、皇帝閣下。失礼いたします」
部屋を出て行くタイアンの後姿が大きく見えた。