幕間8ライガン皇帝の長い一日と決断 その1
儂の名前はライガン。アニマルワールドにある獣人連合国の皇帝を務めている。
国民にはカリスマ性があり、ずば抜けた強さを誇る皇帝として英雄視されているが、それはライオンの姿をした時の事であり、普段はどこににでもいるオヤジでしかない。
「皇帝閣下、東の砦に一万近い魔物の軍勢が攻めてきました」
職務室に飛び込んで来たのは、部下から報告を受けたタイアン将軍だった。
「一万だと、そんな数の魔物がどこから湧いて出たと言うのだ!」
「分かりませんが、半日もすれば砦に到達するそうです」
「全軍、東の砦に向かえ。国民にも緊急事態宣言を発令して戦いの準備をさせろ。儂も出撃するから馬を用意させろ!」
「はい。かしこまりました」
タイアンは一礼すると飛び出していった。
「一万の軍勢だと、負け戦になるのは目に見えているではないか」
弱音を吐いている場合ではない、闘志を高める儂は馬に飛び乗った。
どんなに急いでも砦までは三時間は掛かる、間に合えばいいのだが。
砦の兵士は狼狽えていたが、ライオン顔の儂を見ると一気に士気が高まる。
少し遅れてタイアン将軍が精鋭部隊を率いて到着した。
「こちらはどれだけの兵が集まった?」
「一時間もすれば三千の兵がやってきます」
タイアンは最敬礼をしている。
「そうか。儂は先陣を切って斬り込むから、部隊の指揮はお前に任せる」
「それは無謀です、閣下は後方で指揮をお願い致します」
「ダメだ。これだけの戦力差があっては、小細工は通用しないからな。一気に攻めて活路を見出すほかに勝ち目はない」
タイアンは黙ってしまった。連合国の歴史が幕を閉じるのは時間の問題なのだ。
「私もご一緒させて下さい」
「ならん。指揮官がいなくなれば、部隊は崩壊する。少しでも魔物を倒して街への進行を減らすのだ」
無駄な足掻きだとは分かっているが、タイアン将軍を失えば部隊は一瞬で崩壊してしまうのだ。
「分かりました。まずは弓兵と魔術師の遠距離攻撃を行い、その後開門して一斉攻撃に出ます」
「いいだろう。タイミングは任せる」
儂は用意された椅子に腰を下ろすと目を閉じた。今まで魔物との戦いで一度も負ける気がした事はないが、今回は確実に死を覚悟しなけばならない状況だ。
突然、爆発が起こり、黒煙が上がった。
「どうした?」
「魔物が魔法を使ってきました」
「何だと、こちらも遠距離攻撃を開始しろ!」
「まだ射程範囲に入っていません」
「構わん始めろ。このままでは、すぐに砦が破壊されて全滅してしまう」
数だけではなく攻撃力も相手が勝っては、手の施しようがなかった。
(偉大なる古代龍様、我々に力を与えたまえ)
後は神に祈るしかなかった。ここで敵を減らせればコスモ大司教が街を守って下さる可能性があったが、それも果敢ない望みで終わりそうだ。
「何が起こっている」
「分かりませんが、敵の魔法ではないかと思われます」
「天候を操る魔法だと、バカな!」
上空に黒雲が広がり、一帯が薄暗くなってきている。
「打って出る、開門しろ!」
考えている猶予はなくなっている。
魔術師の攻撃が始まったのを合図に突撃しようとした時、黒雲の中から巨大なイナズマが魔物の群れに落ちた。
轟音が空気と地面を震わせ、一瞬にして魔物の半数近くが消滅した。
(古代龍様がお力をお貸し下さったに違いない)
大剣を握る手に力を込め、目の前の魔物を倒していった。
タイアン将軍率いる部隊もいい働きをしている。
落雷で統制を失っている雑魚は敵ではなかったが、強力な力を持った見慣れない魔物が数体残っている。
さすがに大剣を振り回していたので、立っているのが辛くなってきている。
(ここまでか。だけど、これぐらいなら大司教が魔法で……。あれは誰なのだ?)
大剣を持った少女が儂以上の速さで動き、魔物を次々と倒しているのだ。
加勢してくれた少女に礼をするために近づくと、ミノタウロスが両刃の斧を振り上げていた。
「まだ残っていたか!」
「皇帝閣下、お待ち……」
止めようとする声が聞こえたが最後の力を振り絞って振り下ろした儂の大剣は、ミノタウロスを一刀両断にして消し去った。
「ハスキー、それにお前達も無事だったか」
戦いが終わって跪いているのは、レッドゴリー王国の内情を探らせるために派遣した兵士達だった。
「遅くなりました、皇帝閣下。帰路の途中でこの戦いに遭遇しました」
「そうだったか。ところでお前達の後ろに居るのは誰だ?」
「ライガン皇帝、お初にお目にかかります。タカヒロと申します」
アニマルワールドには居ない筈の、ひ弱そうな人間の少年が頭を下げた。すると隣にいた三人もそれに倣っている。
「閣下、詳しいご報告の前に少しお時間を頂けないでしょうか?」
「許す!」
儂への報告以上に大事な事があるとは思えなかったが、剣を支えにしていないと立っていられないほど疲れていたので小さく頷いた。
「タカヒロ殿、スロウの件、お許し下さい」
ハスキーが少年に向かって土下座をすると、ドオラン、ラクシャ、キャシーも地面に額をつけている。
「気にする事はありませんよ、突然現れた僕達の方が悪いのですから」
少年は何事もなかったかのように、ニコヤカな表情をしている。
「ご慈悲を頂きありがとうございます」
兵士としての力量を認めているハスキーが、なぜか恐縮しきっている。
「貴様ら、皇帝閣下の御前だぞ、跪かんか」
兵を纏め終えたタイアンがやってきて、権力を振りかざした。
タイアンを睨んでいた少女は、少年を守るような行動を取っている。
「タ、タイアン将軍、お待ち下さい。こちらにおられるタカヒロ殿とミリアナ殿は、古代龍様の使徒様であられます」
ハスキーが泣き出しそうな声になっている。よほどの恐怖に支配されいるようだ。
「古代龍様の使徒だと! ハスキーをたぶらかすとは、貴様らも魔物の類だな」
タイアンが右手を上げると抜刀した兵士が四人を囲んだが、誰一人として動揺している者はいない。
「タイアン、もうよい下がれ! レッドゴリー王国のハング魔術師長殿、これは何の真似ですかな? 密入国を非難されに来られたのかな?」
神官服の男から感じる気配には覚えがあった。
「この姿の私をご存知でしたか? 私共はゴスリー国王の親書を持ってやってきたのですが、魔物の群れに遭遇したので及ばずながら手助けをと思いまして」
「その姿をお見かけするのは初めてだが、戦場で対峙した時の覇気が漂っていますよ。すると先ほどの巨大な落雷は貴殿の魔法でしたか」
ハング魔術師長があれだけの魔法を使えるとは思わなかったが、ここには彼以上の魔術師はいなかった。
「あれはこちらに居られるタカヒロ殿の魔法です。そして、先ほど皇帝が倒されたミノタウロスの主でもあられます」
ハング魔術師長が頭を下げるのを見た儂は気が動転した。ひ弱そうに見える少年は、コスモ大司教に匹敵するハング魔術師長を従え、ミノタウロスを召喚する化け物だったのだ。
「そうでしたか。知らぬとは言え、加勢して頂いたのに剣を向けてしまって申し訳ありません」
土下座をしたかったが部下の前ではそれも出来ずに、軽く頭を下げた。古代龍様のお力だと思ったイナズマがこの少年の魔法なら、使徒様に間違いがないからだ。
「閣下! 得体の知れない者に頭を下げられては示しがつきません」
「もうよい。城に戻るから馬車を用意しろ」
部下を怒鳴りつけるしか、少年の怒りを抑える策が思いつかなかった。
「部下の失礼をお許し願いたい」
「僕はよそ者ですので気にしないで下さい。それよりもこちらは、レッドゴリー王国の王子のゴセリー殿です」
笑みを浮かべる少年は、隣にいた青年を儂の前に押し出してきた。少年は皇帝である儂の言葉など、さほど気に掛けていないようだ。
「王子が直々においでとは痛み入る。詳しい話しは城でいたそう」
(使徒様の次は王国の王子だと)
早く城に戻って一息入れない事には、平常心で居られなくなりそうだ。
ライオンの姿になって威厳を保ちたかったが、戦闘の疲労で覇気がまったく高められないのだ。
城に戻って来られるとは思っていなかったのでホットしていると、馬車から降りた少年が駆け寄ってきた。
「皇帝閣下、こちらには古代龍様を祀った神殿があると聞きました。僕とミリアナは、まず神殿に行きたいのですが構わないでしょうか?」
「閣下に直接声を掛けるとは、礼儀を知らない奴だな」
護衛に当たっていたタイアンが剣に手を掛けるが、少年はまったく動じていない。
「使徒様なら神殿に向かわれるのは当然でしょう、タイアンをお供につけますので御自由にお使い下さい」
儂は少年から逃げるように、急いで城内に駆けこんだ。
暫くはゆっくりとしたかったが王子との対談の前に、ハスキーからの報告を聞かねばならない。
いつもの派手な服に着替えて職務室で無理矢理に志気を高めていると、ハスキー達がやってきた。
「入れ」
ノックに返事を返すと、兵士の服装をした三人が入ってきた。
「だたいま、戻りました」
「ご苦労だった、ドオランがいないようだが?」
「はい、使徒様のご案内をしています」
「そうか、座りたまえ」
「立ったままの方が楽ですので、このままご報告をさせて頂きます」
辛うじて威厳を保っている儂と対峙する三人は、ガチガチになっている。
「そうか、それでレッドゴリー王国はどうだった?」
「はい。戦力を増強しているのは確かでしたが、それは度重なる魔物の出現に対応するためのものであって、わが国への武力行使が目的ではありませんでした」
「そうか、分かった。タカヒロとミリアナと名乗ったあの二人についてはどうなのだ?」
「タカヒロ殿とミリアナ殿は、自分達は古代龍様に呼ばれただけで使徒ではないと仰っていますが、そのお力は尋常ではなく……」
体力や魔力が回復する水を簡単に作り出したり、温かい食事を瞬時に作り出したりと、破壊的な戦闘力だけでなく数々の奇跡をハスキーは口にした。
「そうか、ご苦労だった、下がって休むがよい」
一人になった儂は激しい脱力感に襲われた。目を閉じると、巨大なイナズマが思い出され身体の震えが止まらない。
本人が否定しようが、使徒様であるのは間違いないだろう。なら、なぜお越しになったのか、相次ぐ魔物の出現と関係があるのだろうか。
眠れない日々が続きそうだ。