瞬間移動の魔法
神殿の部屋は白一色で目が痛くなりそうだが、異世界に来て初めて見る柔らかいベッドが設置されていた。
ミリアナさんとは別室なので、気兼ねなくベッドにダイブして転がった。
(今夜はぐっすり眠れそうだなァ)
久し振りの解放感に浸っていると、ドアがノックされた。
「タカヒロ、いる」
ミリアナさんは返事も聞かずに入ってきた。
「どうしたの、何か急用かい?」
「こんな事だろうと思った。どうして城に戻ってハングさん達と会おうとしなかったの? ここの方が、居心地がいいからでしょ」
「11ページ目の魔法を確認するのには、ここの方がいいかと思ったからだよ」
「コスモ大司教様やサマンサ司教さんが居るから、ここに残ったのでしょ。もう少し緊張感を持っていないと、私では守り切れなくなる事態になるわよ」
ミリアナさんは怒った顔をしている。
「本当に魔法を」
「だったらベッドで寝転がっていないで、スケッチブックを広げているでしょう」
「ごめんなさい」
いつも能天気に振舞っているミリアナさんに真顔になられると、死と隣合わせの世界に来ている事を改めて知らされた。
「分かればいいのよ、頑張ってね」
微笑み浮かべるミリアナさんはベッドに腰掛けた。
十一枚目を切り取ってアイテムボックに収納すると、
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
11ページ目の画用紙 スケッチブックの付属品。( 恒星属性魔法の媒体)
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
と、表示が出た。
(恒星属性?)
『賢者になるための魔術書』で調べてみると、重力操作、星を降らせる魔法など、地形を変える様な超高等魔法が使用出来るが、発動には膨大な魔力が必要なようだ。
(木からリンゴが落ちるのが万有引力だから)
木から落ちたリンゴが潰れた絵を描いてサインを入れたが、何も起こらなかった。
(あの圧し潰されそうな力は、何だったのだろう?)
海の中、宇宙空間など、重力に関係しそうな絵を描き続けたが何も起こらなかった。
「目に見えない力を絵にするのは難しいなァ」
三時間近く手を動かしていて腕がだるくなったので、スケッチブックを投げ出してベッドにダイブした。
「ダメなの?」
黙って見守っていたミリアナさんが、優しく声を掛けてきた。
「重力を操るイメージが、絵に出来ないのだよ」
「重力に拘らなくても、何か重しを乗せる事でも重圧は感じるのじゃない」
「重しね……」
テーブルに置いたコップを描いて、その上に十キロ位の石を描いてサインを入れた。
「潰れないかァ」
「そう簡単に新しい魔法が使えるようにはならないわよ。明日、外で試してみましょう」
すっかり落ち込んでしまった僕を見ているミリアナさんは、お休みと言って部屋を出て行った。
(賢者はどんなイメージを描いていたのだろう?)
考えるほどに目が冴えて、柔らかいベッドなのに熟睡出来ずに朝を向かえた。
「タカヒロ様、朝食のご準備が整いました。広間にお越し下さい」
ドアの向こうから司祭と思われる人の声がした。
「すぐに行きます」
着の身着のままで寝ていた僕は、飛び起きるると部屋を出た。
広間には大司教と五人の司教、それに二十人の司祭が食卓の前に立っていた。
「タカヒロ、こっちよ」
上座で椅子に座っているミリアナさんが呼んでいる。
(何で?)
全員に頭を下げられて戸惑った。
「おはようございます。こちらにどうぞ」
コスモ大司教に勧められるまま席に着くと、全員が着席した。
「大司教様、昨日の事は誰にも話されていないでしょうね」
周りからの熱い視線を感じて、隣に座ったコスモ大司教に小声で話しかけた。
「神に誓って、話してなどいません。その呼び方はお止め下さい」
「何とお呼びすれば?」
「コスモとお呼び下さい。昨夜は神を身近に感じる事が出来て眠れませんでした」
コスモ大司教がハイテンションになっている。
「僕の言葉が絶対と仰るのでしたら、初めてお会いした時と同じ態度で接して下さい。でなければ、神殿を出て行きます」
「分かりました」
すっかりしょげてしまったコスモ大司教は正面を向くと、
「神に今日の恵みを感謝いたします」
と、祈りを捧げた。
「神に今日の恵みを感謝いたします」
全員が復唱して、パンとスープだけの朝食が始まった。
司祭は男女半々で神殿を守るために魔法を研鑽して、神に近づくために修業をしている。
司教は三対二で女性が多く、大司教を補佐する仕事をしている。
食事中は誰も声を発せず、冒険者の僕には息が詰まりそうな静けさだった。
「今日も一日、神のために励んで下さい」
コスモ大司教が立ち上がると、全員が広間を出て行った。
味の分からない食事を済ませた僕は、フッと溜息を漏らした。
「タカヒロ様、今日は何をされるのですか?」
「魔法の練習をしたいのですが、手頃な場所はないでしょうか?」
「神殿の裏手に司祭が魔法の鍛錬をする場所があります」
「使わせて貰えますか?」
「ご自由にお使い下さい。私も見学させて頂いて構わないでしょうか?」
「構いませんが、発動するまでには時間が掛かりそうですから退屈しますよ」
コスモ大司教の言葉遣いが変わらない事を諦めた。
神殿の裏には広いグランドがあり、朝の務めを終えた司祭が数人、魔法の精度を上げるために練習に励んでいた。
スケッチブックを開くと、昨夜の検証を再確認するために重力をイメージする絵を描くが、そよ風さえ吹かなかった。
ミリアナさんは、日課になっている大剣を使っての素振りを行っている。
「先ほどから何をなさっているのですか?」
横で見ているコスモ大司教が、描いては消される絵を見て首を傾げている。
「大司教様の魔法をイメージして描いているのですが、違うようなのですよ」
「それが私の魔法ですか?」
「大司教様の魔法と言うより、敵を圧し潰す魔法のイメージと言った方が正しいですね」
「そのような事をして魔法が発動するのですか?」
コスモ大司教に付き添っているサマンサ司教は、全く信じていないようだ。
「サマンサには魔力が見えないから分からいでしょうが、タカヒロ様からは魔力が泉のように溢れ出ているのです」
「そうなのですか。タカヒロ様はやはり古代龍様の分身であられるのですね」
「それを口にしてはいけません」
「申し訳ありません」
二人に睨まれたサマンサ司教は小さくなっている。
「大司教様はどのようなイメージで、あの魔法を使われているのですか?」
「私は古代龍様の像に危害を加えようと者を鎮めているだけです」
「信仰がなせる技と言う訳ですか」
スケッチブックを投げ出して、バンザイがしたくなった。
「そうですよ。大司教様は、戦場で瀕死の重傷を負われた皇帝閣下を救われた事があるのですよ」
「サマンサ! あなたは口が軽すぎます。慎みなさい」
「申し訳ありません」
サマンサ司教はさらに小さくなってしまた。
「転移の魔法はどの様なイメージで行われるのですか?」
「私の記憶にある場所で、私を呼ぶ声が聞こえたら、古代龍様が運んで下さるのです」
「また信仰の力ですか」
完全にお手上げなのでスケッチブックを閉じた。
「美人二人に囲まれて、何をそんなに苛立っているの」
素振りを終えたミリアナさんが低い声を掛けてくる。
「今回は全くヒントがないから、取説をくれない神様に腹を立てているのだよ」
「気晴らしに神殿を描いてみたら」
「そうだな。どうせなら、礼拝堂の古代龍の像を描いてみるよ」
11ページ目の検証を一時棚上げにして、神殿に戻った。
本格的に絵を描く事にした僕は、イーゼルスタンドに画用紙を貼ったキャンバスをセットした。
鉛筆で薄く割り振り程度の下書きをすると、パレットと筆を手にした。異世界に来て初めての本格な絵描きに、ワクワクが止まらない。
気持ちよく筆が走った。明るい色彩から始めて、順に濃く着色していく。
陰影をつけて立体感を表していくと、白一色の礼拝堂に奥行が表現され、古代龍の像が浮かび上がる。
無心に筆を動かす僕を、三人が呆然とした表情で見詰めていた。
「我ながら、なかなかの出来だな」
筆を置いた僕は独り言ちた。イライラがなくなり、不思議と心が落ち着いている。
「見てもいいかしら?」
一時間近く立ち尽くしていたミリアナさんが近づいてきた。後ろにはコスモ大司教とサマンサ司教が着いて来ている。
「本格的な作品を見るのは初めてだけど、絵描き師と言い切るだけの事はあるわね」
三人はキャンバスの中に切り取られた礼拝堂に見入っている。
「タカヒロ様、これは魔法なのですか?」
コスモ大司教が水色の瞳を輝かせている。
「これは僕の趣味です。絵を描いていると嫌な事を忘れられるのです」
「趣味ですか?」
「そうです。特に価値がある訳ではないけれど、自分の好きな事に時間を使う事です」
「価値がないなんて、この絵があればどこに居ても古代龍様に祈りが捧げられます」
サマンサ司教が水彩画に深々と頭を下げている。
「あくまでもこれは……。どこに居てでもですか?」
暫く考え込んでキャンバスをアイテムボックスに収納すると、淡い光を放っている7ページ目に鉛筆で礼拝堂を描いた。
「突然、どうしたの?」
「ちょっと、思い当たる事があるのだ。ここに居てくれるかい」
「分かったわ」
ミリアナさんを礼拝堂に残して部屋に戻ると、7ページ目に『Aizawa』のサインを入れた。
「キャー」
突然目の前に現れた僕を見たサマンサ司教は、甲高い悲鳴を上げて腰を抜かしてしまった。
「やったよミリアナ、転移魔法が使えたよ」
「やったわね」
さすがのミリアナさんも驚愕の表情をしていて、コスモ大司教は言葉もなく目を見開いている。
「どこにでも自由に行けるの?」
「そうではないと思うよ。まだ検証が必要だけど、コスモ大司教様が記憶にある場所に古代龍様が運んで下さると仰っていたように、スケッチした絵をアイテムボックスに入れた場所にだけ転移出来るのだと思うよ」
「そうなの」
ミリアナさんが肩を落とした。
「どうかした?」
「久し振りに、師匠に会いに行けるかと思ったの」
「今は無理だけど、いつか帰れるようにしてみせるよ」
「ありがとう。これからどうするの?」
「森にあった湖に行って、スケッチをしてこようと思うのだ」
「どうして?」
「あの辺りに何かありそうな気がするのだよ」
「私も行くわよ」
「勿論、ミリアナが居ないと危なくてスケッチなどしていられないからね」
「あの~~。お取込み中、申し訳ありません」
コスモ大司教が控え目に声を掛けてきた。
「何でしょうか?」
コスモ大司教とサマンサ司教に真顔で見詰められているのに気づいて、顔が熱くなった。
「サマンサの同行をお許し願えないでしょうか?」
「かなり危険な所ですよ」
「分かっています。タカヒロ様の魔法は私では極める事の出来ない神の領域です。私の後を継ぐサマンサには少しでも神に近づいて欲しいのです」
「大司教様、私にはそのような力はありません」
「だからこそ、タカヒロ様の傍で修業をさせて頂くのです、いいですね」
コスモ大司教の口調がきつくなっている。
「分かりました」
サマンサ司教は片膝をついて頭を下げた。
「タカヒロ様、サマンサをよろしくお願いいたします」
「構いませんが、条件があります。様づけしない事、敬語を使わない事です」
「わ、分かりました、タ、カ、ヒ、ロ殿」
片膝をついてままのサマンサ司教は、言葉を選んでいるのか片言になってしまった。
「まあ、いいでしょう。出立の準備が出来たら神殿前に来て下さい」
僕達はコスモ大司教に挨拶をすませると、礼拝堂を後にした。