タカヒロVS魔王
魔王城の三階にある謁見の間は静まり返っていた。
「勇者様は?」
「彼なら金銀財宝が貰えればそれでいいと言って、元の世界に戻ったぞ」
「嘘だろ!」
「それが証拠に、盾と鎧、それにエクスカリバーがそこに置かれていじゃないか」
玉座に座った魔王が、壁際を示唆した。
「勇者様が負けた」
現実を知らされた僕は、ガックリと肩を落とした。
「君は儂を倒しに来たのではないのか?」
「違います。僕は勇者様が魔王を倒した後に起きる変革を見届けに来ただけです」
僕には静かに話している魔王が、恐ろしい存在には見えなかった。
「変革なら起きるぞ、なんせ次の五百年は魔族が支配する世界になるのだからな」
「たしかに大きな変革ですが、僕の求めている変革とは違います」
「君が求めている世界とは、どのような世界なのだ?」
「よく分かりませんが、ミリアナが普通に暮らせる世界かな」
「そうか。残念だがミリアナが人間だったら叶わない願いだったな」
「僕があんたを倒したら人間の世界は続くのですか?」
「儂を倒す事が出来ればな。だが儂を倒せるのは聖剣エクスカリバーを扱える勇者だけなのだ、諦める事だな」
魔王は表情を変えずに淡々と喋っている。
「ミリアナ、ごめん。今日まで僕を守ってくれたのに、望む変革は起こせなかったよ。だけど、ミリアナとの約束は果たすからね」
「私はタカヒロが、無事に日本に帰ってくれればそれでいいの」
ミリアナさんの透き通ったブルーの目が潤んでいた。
「それじゃ、ゼリア達を拾ってロンデニオに帰ろうか」
「そうしましょうか」
現状が変えられない僕達は、見詰め合って頷き合った。
「待て待て、ここまで来て儂と戦わずに帰るのか?」
落ち着き払っている僕達に、魔王が初めて慌てた様子を見せた。
「はい。僕には魔王を倒す力はありませんから、望んでいた変革は諦めて帰ります」
「それでは話しが違うじゃないか」
「何の事ですか?」
「今回は全力で戦える相手が現れると、邪神様が仰っていたので楽しみにしていたのだぞ」
僕を睨んでいる魔王が表情を歪めている。
「それは、僕の事ではないと思いますよ」
「確かに、勇者以上に覇気が感じられないなぁ」
「僕は戦うためにこの世界に来たのではありませんから」
撤退用に準備しておいた7ページ目に、サインを入れようとした。
「ちょっと待ってくれ。邪神様を呼んでお伺いを立てるから、ちょっとだけ待ってくれ」
僕の素っ気ない態度に、魔王が慌てているように見えた。
「いいですよ。だけど早くして下さいよ」
スケッチブックと一体化するようになってから、不思議なほど自信が僕の中に生まれていた。
「分かっている。何者なんだこいつ……」
玉座から立ち上がった魔王は、ブツブツと呟きながら土下座をした。
空間が歪み巨大な影が現れた。
「何度も呼び出しおって、今度は何用だ」
「申し訳ありません。お伺いしたい事がありまして」
絶対的な力を持っている魔王が、土下座したまま諂っている。
「古代龍様!」
空間の歪みから姿を見せたドラゴンに驚いた。
ミリアナさんも目を見開いている。
「タカヒロか、久し振りだな」
「古代龍様は邪神だったのですか?」
「邪神でもあり神でもあるのだよ」
古代龍は壮年の男性に姿を変えると、魔王が座っていた玉座に腰を下ろした。
「仰っている意味がよく分かりません」
「詳しい話しは後にしよう。魔王よ面を上げよ」
「はい、邪神様」
「それで、何用だ」
「はい。私は誰と戦えばよかったのでしょうか?」
世界を滅ぼすと恐れられている魔王が、借りてきた猫のようにおとなしい。
「お前と戦うのは、その少年に間違いないぞ」
「それでは戦ってもよろしいのでしょうか?」
「ああっ。そのために負のエネルギーを解放させたのだからな。タカヒロ、すまないが魔王と戦ってくれないか、その方が後の話しがしやすいのだ」
古代龍が僕に手を合わせて頼み込んでいる。
「その様な真似は止めて下さい。それに僕には、魔王と戦うような力はありませんよ」
直接会うのは二度目だが、古代龍の気さくな態度にはなじめなかった。
「魔人ダングと戦った時のように、神の力を使えばいいではないか」
古代龍はほくそ笑んでいる。
「ご覧になっておられたのですか? あれは神様の力だったのですか?」
古代龍の言葉に、ミリアナさんが呆気に取られている。
「儂以上に、立派なドラゴンの姿になっておったと思わないか?」
「はい、確かに。いえ、その様な事は……」
「構わないさ」
ミリアナさんの慌てよおに、古代龍は笑っている。
「魔王と戦えば、負けても勝っても全て話して貰えますね」
「約束しよう」
「分かりました。それでは戦いましょう」
全ページに『Aizawa.takahiro』のサインを入れると、スケッチブックと同化した。
魔王城の上空に黒雲が立ち込め、雷鳴と共に巨大な稲光が北の大地を揺るがした。
「一飲みにしてくれる」
魔王は巨大な大蛇に姿を変えると、天空に昇っていった。
「いきなり全力ですか。風になれ」
つむじ風になった僕は、魔王を追って黒雲の上に出た。
大蛇は鱗を飛ばして風を蹴散らすと、大口を開けて襲い掛かってきた。
「ぶつかったら、ぺっしゃんこじゃないですか」
空中を高速移動しながら、大蛇の全ての攻撃を躱した。
「なぜ、人間が空を飛んでいるのだ?」
「風になり、音になり、光にもなって飛んでいるのですよ」
「なにをバカな事を! どんな魔法を使っているか知らないが、儂が放出する霧は全ての魔力を無力化するからな」
空中でとぐろを巻く大蛇が、全身から白い霧を噴き出してきた。
「邪悪の化身が白い霧とは似合いませんね。炎になれ」
僕の周りに集まってきた霧が、全て水蒸気になって消えてしまった。
「魔王さん、そろそろ終わりにしませんか?」
「五百年で溜まった人間の負のエネルギーは、そう簡単には尽きないぞ」
大蛇は三匹に分裂すると、魔法と力技と自然を操って襲ってきた。
「聖剣エクスカリバーは使えませんが、これに負のエネルギーを封印する事は出来るのですよ」
僕はフェアリーワールドの南の祠で、自らが壊した魔石を懐から取り出した。あれから何度も魔力を練り直して修復しておいたのだ。
「ただの人間が高濃度の負のエネルギーを吸い込めば、一瞬で身も心も壊れて廃人になってしまうわ」
魔王はゲラゲラと笑っている。
「僕はあなたを倒すためにこの世界に来たのではないのですが、仕方がないですね。全ての力が使える者になれ」
僕は両腕を翼のように大きく広げると、古代龍の三倍はあるドラゴンに姿を変えた。
「な、何!」
ドラゴンの尻尾の先ほどの大蛇が、恐怖に震え上がっている。
「負のエネルギーの全てが悪だとは言いませんが、溜まりすぎるとよくないようですよね」
深呼吸すると魔王を形成していた負のエネルギーを吸い込み、修復しておいた魔石に封じ込めた。
ドラゴン姿の僕がひと羽ばたきすると黒雲が消え、北の大地に太陽の暖かい光が降り注いだ。
「古代龍様が、魔王を退治してくださったのだ!」
地上ではゼリアさんを初め生き残った冒険者が手を振っているので、小さく頷くように頭を下げると謁見の間に戻った。
「終わったようだな」
「はい。負のエネルギーはこの魔石に封印しました。約束通り、全て聞かせて貰えますね」
「ここでは何だから、儂の神殿で話そうではないか」
古代龍が杖で床を衝くと、一瞬で周りの風景が変わった。