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かごめ青春録  作者: 夏樹螢
一章
9/9

2-2 ヤギリ

 当然だが再テストの結果は散々で、しかしそれを気にしている場合ではなく。

 霧香はともかく思乃は何かを隠しているのではないかと、午後の授業はそれについて考える間に終わってしまった。


 だって、どう考えても不自然だ。かの関西弁の男子生徒は、思乃が客の話で「困った」と言っていた。けれど実際は「怖がって」、霧香と共に帰ろうとしている。


 異能者である彼女が、たかが怪談話にそこまで怖がるだろうか。


 なんとか接触しようと授業後いそいで彼女を探したものの見つからず、委員会の仕事や部活で学校に残っているのではないかと思ったのだが、なかなかそううまくはいかないらしい。

 染瞳こそ見なかったものの、バイト先に現れた客について聞こうと意気込んでいる正輝と二人で一時間も校舎中を駆け回ったが、前日に放課後来るよう呼ばれていたこともあって、樟太郎はいつものように師匠の家へ向かわざるを得なかった。




 十年も欠かさず毎日通い続けた稽古場は、今やそれ以上の意味を持っている。

 今日は正輝も同行していて、それは認識者として登録手続きをするためだ。


「えっと、アキツさんだっけ」


 申し訳程度の舗装しかされていない急な山道を登りながら、正輝は先日のことを思い返しているようだった。


「ああ。秋津メイっつって、こっちの世界じゃそれなりに名が知れた祓い屋なんだと」


 言いつつ、そのような実感は弟子である樟太郎にも無い。ただいつも身に着けている六芒星の階級印や、後継者を期待されているらしい事情からして、相当立場が高いらしいことは想像できる。

 後継者という肩書だけで、樟太郎の手に負えない案件が次々に舞い込んでくるらしいのだから、その期待値は頂点だ。


 と、正輝が一瞬足を止めた。


「え、メイ? 俺が会ったのは男の人だけど」

「本人だよ。名前は自分じゃ決められねえのって、よく考えたら厄介なシステムだよな」

「あー、なるほど……」


 失礼なこと言っちゃったなー、と正輝はきまり悪そうだ。


 無理もない、と樟太郎は彼の名前を初めて聞いたときのことを思い出す。あの頃は擦れていた子供であったが、それでも純粋だった。ゆえに。

 師匠が女であるという勘違いは、ほぼひと月続いた。


 発覚したのは、樟太郎の、「あーあ、師匠がお母さんだったらいいのに」発言である。

 え、そこはお父さんじゃないの? と困惑した師匠の顔を今でもよく思い出せる。そしてそのたびに穴を掘って埋まりたくなる。



 ほんの少し山を登って、木々が作ったアーチを抜けると、そんな思い出も詰まった屋敷が姿を現した。

 いわゆる武家屋敷に近い門はいつものことながら開いていて、最低限の手入れしかしていない庭では、一人の男性が池の中を覗き込んでいる。


「あれ、ヤギリさん」


 一瞬誰かと思ったが、その丸眼鏡でようやく気付いた。

 影の薄さで楓の護衛役に抜擢された、実力は折り紙付きの祓い屋である。


「やあやあ、樟太郎くん。昨日は大変だったらしいね」


 駆け付けられなくて申し訳ない、と彼は眉を下げる。


「いえ、あれはオレの力不足で……それより、どうしてここへ?」

「玉城の御嬢さんはもう家だよ。おれはアキツさんとちょっとした話し合いに。そしたら予想外のお客さんが来て、追い出されちゃった」


 師匠ってたまにそういうところあるよな、と長年弟子をしている樟太郎は同情する。


 と、丸眼鏡の奥でヤギリの目が細められた。

 その視線は樟太郎を外れて、隣の正輝に向かっている。


「そして君が、」

「あ、はい! 七瀬正輝です!」


 突然話題を振られた正輝が、ぴしりと姿勢を正して答える。

 すこしオーバーな緊張の仕方に、ヤギリは首を振った。


「そんなに大した人間じゃないよ、おれは。現にアキツさんと鞍馬さんには立場上頭が上がらないから、追い出されても文句言えないんだ」


 ふうん? といまいちよく分かっていない様子の正輝。


「鞍馬さんが、たしかここら一帯の地域の責任者だ。玉城と同じで、鞍馬も祓い屋の中じゃ知られてる家だったと思う」


 師匠とは学生時代からの友人同士らしく、責任の押し付け合いでひと悶着あったとかないとかいう話である。

 樟太郎が耳打ちすると、正輝はふむふむと頷いた。


「けっこう、家柄重視の世界なんだな」

「昔から一族で祓い屋をしていると、いろいろノウハウが蓄積されるからね。世間から隠されていることも多い閉じた世界だから、情報をため込んだ家はそれだけ信頼されるんだよ」


 解説役はヤギリだ。

 ついでに樟太郎も、一つ質問することにする。


「この辺りって、祓い屋に関係する人が多かったりするんですか?」


 一つのクラスで、樟太郎と楓に正輝を合わせて三人。隣のクラスには思乃が居て、学年で少なくとも四人である。

 世間から隠されているにしては、身の回りに多すぎやしないだろうか。


「それは、玉城のお社に鞍馬の分家筋の屋敷が近くにあるからね。山の中には稲荷派の狐の里もあるし、それぞれの傘下の小規模団体も集まっているから、密度は他の地域の比じゃないと思うよ」


 逆に言えば、どこの傘下にも含まれないおれのような個人は肩身が狭いんだ、とヤギリはぼやく。


「あー……確かに」


 言われてみれば、至極当然のことだった。


「そういえば、七瀬くんはあの後……」


 ヤギリが言いかけたそのとき、屋敷の玄関が開いて一人の男が顔を出した。


 黄色い色付き眼鏡、細身の長身には薄手の春外套を纏っている。樟太郎も何度か会ったことのある彼が、話に出てきた地域責任者の鞍馬だ。


「あー、わりぃな待たせて。入っていいぞ」


 長年の喫煙でかすれた重低音は、その浮世離れした格好に奇跡的によく似合っている。言ってすぐに引っ込んでしまった彼を追って、三人はぞろぞろと屋敷の中へ向かった。




 師匠とヤギリが別室で話している間、樟太郎は正輝と共に鞍馬が用意した書類と向き合うことになった。


「とりあえず七瀬は名前と生年月日と、今の住所に電話番号。お前のご両親は妖について知ってんのか?」

「たぶん、いや絶対知らないです」

「なら保証人欄にはカタカナでアキツって書いとけ。漢字で書くなよ通じねえから」

「え、アキツって秋にサンズイのアレじゃないんですか」

「昔はそれでよかったんだが、まあ通り名みたいなモンだからな。アイツくらいになったら、本名は忌むからどうの、偽名は誠意が足りないだのって難癖付けやがる連中も多いんだよ」

 まあ、昔っからの面倒な因習だと鞍馬は吐き捨てた。


「んで、樟太郎はこっちな。メイの野郎、口約束だけで正規の書類出しやがらねえんだ」


 差し出されたのは、研修生を預かり祓い屋の訓練を行うにあたって、自分がきちんと面倒を見ます、という内容の誓約書だ。この場合は師匠が樟太郎について誓約するはずなのだが、


「代筆ですか⁉」

「今に始まったことじゃねぇよ。ずっと俺がアイツの代筆してたのが、こないだ十五年越しに兄貴……ゴホン、上にバレてな。もう俺の字じゃ無理だがお前の字ならいけんだろ」


 間違っても漢字で書くんじゃねぇぞ。繰り返し釘を刺して出来上がった書類を持ち、鞍馬はそそくさとその場を後にする。


 手にはライター、ポケットから煙草。声が変わるほどのヘビースモーカーは数十分吸わないだけで苦しむようだ。

 師匠もキセルを愛用しているので、祓い屋というのはストレスまみれの仕事なのかもしれない。


(いや、鞍馬さんのストレスの原因は師匠な気もする)


 言わない方が身のためだろう。


 そうして二人きりになった部屋は、鞍馬の矢継ぎ早な指示が無くなったからか、やけに静かに感じられる。

 どこにあるのか鹿威しの音がして、先ほどまでの慌ただしさが嘘のようにのんびりとした時間が流れ始めた。


「なんつーか、変な感じだ」


 畳に寝転がったり、障子を開けてぼんやり外を眺めたり、しばらくして口を開いたのは正輝だ。


「昨日はオレ終わったなって思ったんだけど、案外何も変わらないしよ。授業も再テストも当たり前にあるんだな」


 妖が見えるようになったといっても、あれ以降それらしいものと遭遇もしていないようだ。


「そりゃお前が暗いとこ避けてるからだろ」

「あー、なるほど」


 認識者だからと言って、幼少期の樟太郎のように、いちいち暗いところを覗き込んでは潜んでいる小さい妖と遊び始めるなんて無邪気なことはしない。

 というより、なかなか危なっかしいことをしていたと自分で自分にドン引きだ。


 していると、鞍馬が戻ってきた。


「確認できたから、もういいぞ。手間かけさせて悪かったな」


 住所変更の時は連絡しろ、喫茶店の番号だが要件言やあ俺に繋がる。

 最後に名刺を手渡して、鞍馬はそそくさと部屋を後にする。


「あれ、もう行くの」


 玄関の方から、師匠の声。


「バイトから連絡があってな。店長を呼べっていつの時代のクレーマーだよ、ったく」

「そんな大きいヤマ、この辺にあったっけ? 龍くんとか零くんとかなら対応できる気もするけど」

「よりによって今日の留守番は思乃だ」

「あらら」


 向いてないねえ、と師匠。

 向いてねえなあ、と鞍馬。


 樟太郎と正輝は顔を見合わせ、もっとよく聞こうと戸に耳を押し当てる。が、

 聞こえてきたのはガラガラと玄関の戸が閉まる音だけだ。


「聞いたか?」

「聞いた。こんなとこで跡部のバイト先が知れるなんてな」


 まさに棚ぼただ。先ほど正輝が受け取った鞍馬の名刺にはしっかりと例の喫茶店の住所が入っていて、例の客を追う手がかりになる。


 これで客の目的なんかが分かれば、正輝はこの件から手を引くに違いない。

 思乃が隠していることについては、一人で調べたら良いだけだ。



「なあに、悪だくみ?」


 そのときひょっこりと現れたヤギリが、楽しそうでいいねえと微笑みかける。


「っ!」


 正輝があきらかに息を詰まらせたが、丸眼鏡の奥でヤギリが首をかしげると、何でもないですと小さく返す。


「懐かしいなあ。僕も昔から、そういう悪だくみを考えるのは好きだったんだ」


 でも場所は考えなきゃ。誰に聞かれているか分からないよ。


「アキツさんや鞍馬さんには黙っててあげるから、そういう話は大人が聞こえない場所でしなさいね」

「……どうも」

「まったく」


 話はそれだけ、とヤギリは襖を閉めようとして、


「ああ、そうそう、七瀬くん」


 直前、ヤギリは正輝を呼び止めた。


「妖の類が苦手なんだっけ。あまり知られてはいないけど、そういったものを見えづらくする眼鏡を作れる人が、知り合いに居るんだ。頼んでみようか」


 ぴくりと正輝の耳が動く。

 しかし、


「いや、ええと、大丈夫です。すみません」


 意外にも正輝は断った。


「そう? それなら良いんだ」


 気にするなと、ヤギリはひらひらと手を振った。




「お前、あの人嫌いなのか?」


 師匠の家から帰るころには、外はすっかり暗くなっていた。

 正輝は例のごとく樟太郎の後ろに隠れているが、慣れてしまったのか余裕がある様子だ。


「あの人?」

「ヤギリさん」


 始めは緊張しているだけかと思ったが、どうもそうではないような気がする。


 正輝は目を伏せて、小さく答えた。


「嫌いってより……気配? あの人の近くに行ったら一瞬だけ、嫌な感じがするんだよな」

 まるで、肝試しの最後に襲われたときみたいな。


「あの人、妖だったりしないよな?」

「さすがにそれは無いだろ……つーか、一瞬なんだな」


 なんだかそれが、妙に樟太郎には引っかかった。


「そう、一瞬。顔見たときはゾワッてくるんだけど、すぐ何も感じなくなるんだ。変だよな」


 俺は一体何を感じているのかねえ。


 その呟きは、言ったからこそ形になって、無意識のうちに違和感となって二人の心中に留め置かれた。

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