ジャンヌ編
私がいつものように街から街へ歌い歩いていたある日、ふと、刺すような視線を感じ、その視線の元を探しました。聴衆の視線ではありません。何か、強い意志を感じる目です。気になりながらなるべく気にしないように詩吟を続け、歌が終わっておひねりをいただいていた時のことです。くすんだ金色の毛むくじゃらの弾丸が、聴衆の間から飛び出してきてお金受けの箱を盗んでしまいました!
「あっ、こら!」
私は慌ててその影を追いました。裏路地の分かれ道で立ち止まり、右に行こうか左に行こうか逡巡している間に飛び掛かって捕獲すると、それは幼い子供でした。金色の癖毛を伸び放題にした、女の子のようでした。
「その箱を返しなさい」
私が強い口調で言うと、少女はびくりと体を竦ませて、より一層箱を抱え込んでしまいました。
「か え し な さ い!」
私が語気を強くすると、少女はまた刺すような目つきで私を睨み上げ、ぶんぶんと首を振りました。これは手強い。仕方ありません。ここは奥の手を。
「あっ!」
私が声を上げてよそ見すると、少女の箱を抱える力が緩み、注意が逸れました。その隙に私はサッと箱を取り返します。少女はすぐに気づいて、私の腕に嚙みついてきました。
「いたたたた。このお金はあげられません!私の大事な路銀なんです!」
すると少女も箱を奪い返そうとする力を緩めないまま言い返してきました。
「その金がないとあたしは死ぬんだよ!」
旅から旅への路上生活を続けていると、しばしばこういった可哀想なストリートチルドレンに出会います。かつて私もこの少女と同じように、物を盗んで生活の足しにして暮らしていたので、彼女の言い分はわかります。しかし、稼ぎの全額をみすみす渡すわけにはいきません。私は彼女に交渉を持ちかけました。
「解りました。こうしましょう。あなたの事情を説明してください。あなたが落ち着いて事情を説明してくれたら、私もいくらが分け前をあげられるかもしれません」
少女はおとなしくなり、箱から手を放して、地べたに膝を抱えて座りました。そして、彼女の事情を語りだしました。
「あたしは、子供の頃捨てられた――」
彼女の語るところによると、彼女は幼いころ、この街にゴミのように捨てられたといいます。まだ幼い彼女を木箱に詰めた彼女の両親は、この街のゴミ捨て場に彼女が入っていた木箱を置いて消えてしまったというのです。木箱の中で声をあげて泣いていると、心の優しい浮浪者が箱を開けて、彼女を助け出してくれたと言います。それ以来、彼女はこの街の浮浪者グループの一員になり、主に盗みを働いて仲間のために暗躍していたそうです。今日も、病気の仲間に薬を買うためのお金が必要で、沢山お金を稼ぐ私に目を付けたということでした。
悲しい話です。悲しい話ですが、世の中には、悲しい哉、こんな人たちがうんざりするほどいて、こんな出来事も日常的に世界中で起きているのです。
このような可哀想な人々にできる施しは、実は、単純にお金を渡すことではないと、私は考えます。私が、そうやって生きてきて、今こうして生きているから。それは。
「解りました。では、当面のお金を、私と半分こしましょう。この箱のお金を、半分こ。そうすれば数日分の薬が買えます」
「それじゃ足りないんだよ!」
「足ります。いいですか、お嬢さん。お金は盗むことでしか得られないものではない。お金は、努力して作るものです」
「努力して作る?」
彼女は納得いかなそうな顔をして睨みました。私は続けます。
「あなたの身の回りに、努力してお金を作ろうとする人はいるでしょうか?おそらくいないでしょう。技術が無いし、学ぶ機会も無いからです。でもね、私もかつて、あなたと同じように、宿無しの泥棒として生きてきましたが、今はほら、この箱いっぱいにお金を稼いで生活している。努力すれば、お金をくれる人はいるのです。盗まなくても、勝手に集まってくるのです。努力をすれば、自然と」
「どうすればお金が稼げる?」
彼女が食いついてきました。私は、この子は見捨てたものでもないと思いました。目の輝きがギラギラと、生きる意志に燃えているのが見て取れたから。だから、思い切って提案してみました。
「音楽は好きですか?歌うのは?楽器は?」
少女は視線を落とし、自信無さげに応えました。
「歌うのは、好き。でも、みんなに音痴だって言われる」
「歌が上手になりたいですか?」
「なりたい」
「じゃあ、私の弟子になりませんか?」
「弟子ってなあに?」
「私が先生になって、あなたが生徒になるんです。私が歌を教えましょう」
彼女はわかりやすく目を輝かせました。
「歌を教えてくれるの?」
「ええ。私の弟子として、あなたも詩人になりませんか」
彼女は一瞬パアッと顔を輝かせた後、ハッとしてまた縮こまってしまいました。
「な、仲間はどうする?私だけ特別稼いでも……」
「では、私、この街にしばらくいますから、お仲間を集めて歌の授業をしましょう」
「仲間も習っていいの?」
「ええ」
「やる!」
彼女は花が開くような笑顔で即決しました。
「そういえば、あなたのお名前をまだ聞いていませんでしたね。私はアルヤ。旅の吟遊詩人です」
「あたしはジャンヌ。よろしくアルヤ」
こうして、私はこの街の青空音楽学校の先生になりました。
私はリュートやフルートを使って音程を取り、大人から子供まで浮浪者ばかり十数人集まったクラスで音楽の授業を行いました。
ほとんどの生徒は声が掠れて歌声もお金になるようなものではありませんでしたが、合唱にすれば実に楽しそうなハーモニーが生まれ、生徒たちの間に笑顔が広がりました。裏路地の空き地で毎日歌を歌っていると、闇社会で生活する貧困層の人々も集まり、いつしか音楽学校は大所帯になりました。
中でもジャンヌの歌声はみるみるよくなっていて、仲間の間で一番の美声を讃えられました。
そんな生活をしていると、生徒の一人がこう提案しました。
「なあ、みんなで聖歌を練習して、教会をジャックして歌おうぜ!神様を拝みに来た奴らに俺たちの凄さを見せつけてやるんだ!」
健康的で意欲的な、ナイスアイデアです。私は教会に掛け合い、浮浪者と貧困層の音楽会を企画しました。
教会の人々もこの提案を喜んで引き受けました。私たちは聖歌を十曲ほど猛練習して、来るべき音楽会に向けて一丸になってひた走りました。
ジャンヌは全会の一致でソロを任せられることになり、より一層練習に熱を上げるようになりました。
そして、音楽会の日。物好きな人々や信心深い人々が教会に詰めかけ、観覧料を支払い静かに着席して開演を待ちました。
いつの間にかリーダー格になっていた中年の男・マルコが、みんなを集めて教会の外で円陣を組みました。
「いいかてめえら、しくじるなよ!エイ、エイ、オー!」
音楽会は実にユニークなステージになりました。音楽教育を受けていない人々の聖歌なので、厳かで透明感があり静謐な空気は一切なく、各自が感情の赴くままに、エモーショナルに歌うので、最初のほうこそ聴衆は眉を顰めました。しかし、熱の入った合唱、大熱唱のジャンヌのソロ、汗をにじませ朗らかに歌われる楽しげなマルコのアレンジに、次第に人々の感情が揺さぶられ、聴衆も一緒に歌い出しました。
ステージの最後のほうではその場にいる全員が声の限りに熱唱し、指揮棒を振る私も汗だくになりました。そして、歌が終わるとオペラと見まがうばかりのスタンディングオベーション。拍手喝采で、ここが教会であることを皆忘れていました。
合唱団の面々は感極まって涙を流し、聴衆もハンカチを顔に押し当てて笑っていました。
教会の計らいで収益はホームレスたちの生活資金に充てられることになり、彼らはほとんど生まれて初めて、「音楽」という名の労働をしてお金を得て、そのお金で生活を立て直し始めました。
マルコが、改めて私に感謝してきました。
「あんたのおかげでこんなに金が入った。今まで死んだように生きてきたが、こんなに楽しかったのは生まれて初めてだ。ありがとう」
「いえ、皆さんの努力の結晶ですよ。私はそのきっかけに過ぎない」
きっかけと言えばジャンヌ。この音楽会でもソロを務めるような美声の持ち主に育った彼女はどうしているでしょうか。
「ジャンヌ?ジャンヌはどこですか?」
「ここだよ、アルヤ!」
そう言って駆け寄ってきたジャンヌは最初の頃とは見違えるほど美しくなっていました。にこやかで明るくキラキラした目をしています。
「ジャンヌ、あなたとの出会いからいつの間にかこんなことになってしまいましたが、これでわかっていただけましたかね?労働の喜びというものを」
ジャンヌは力強く頷きました。
「うん!努力するって楽しいね!ありがとう、アルヤ!」
そうしてジャンヌは私の腰に抱き着いてきて、あるおねだりをしてきました。
「ねえアルヤ、あたし本格的に歌を仕事にしたい。あんたの、吟遊詩人の弟子にしてよ」
「ええ?吟遊詩人の弟子?」
「確かこんな大ごとになる前に、あんたあたしに言ったよね、弟子にならないかって。あたし、弟子になる。これからも本格的に歌をやる」
私は想定外のおねだりに、うーんとしばらく悩みましたが、これも運命なのかもしれない、と思い直して、彼女の申し出を受けました。
「解りました。あなたを私の弟子として教育します。厳しい道のりですが、いいんですね?」
彼女はぱっと私から離れて、上品にお辞儀をしました。
「よろしくお願いします、師匠!」
その後、その街の浮浪者たちは教会との結びつきを強くして、定期演奏会を行うような団体になったそうです。もう自分たちの足で音楽家として歩み始めて、自分たちで収益を得るような組織に成長しました。そんな風の噂を聞き、頬を緩めながら、私はジャンヌと旅をしています。
「師匠、これで師匠の歌は完璧に覚えたと思うけど、あたし、もう人前で歌ってもいいかな?」
「そうですね。一通り人前で歌を発表したら、免許皆伝しましょう。あなたも、もう立派な、一人前の吟遊詩人です」
彼女が一人前になるころには、彼女はもう幼い薄汚れた浮浪少女ではなくなっていました。美しい美声を持つ、白い肌と波打つ金髪と、すらりとした長身の美貌の吟遊詩人に成長していました。
「あたし、師匠に出会えてよかった。師匠の歌、師匠のプライド、世界中に広めて歩くよ」
「私も、あなたのような優秀な弟子を育てられて鼻が高いですよ。おっと、そうだ」
私は大事なことを忘れていました。彼女の芸名です。
「あなたの芸名、どうしましょうかねえ?」
「何でもいいよ。師匠があたしに似合う名前を考えてよ」
私はジャンヌを見ていて、いつもその印象的な金色の髪を宝石のように美しいと思っていました。
「トパーズ……。トパーズはどうですか?」
「トパーズ?そんなキラキラした人間じゃないよあたしは」
「いいえ、うん、あなたはすっかり宝石のように美しくなりました。あなたに似合いの名前だと思います。嫌ですか?」
彼女は恥ずかしそうにはにかんで、自慢の髪を耳にかけて頷きました。
「解りました、師匠。あたし、今日から、吟遊詩人のトパーズ」
トパーズ、これからもその美しい笑顔と美しい歌声で、世界中の物語を歌い継いでください。
La fin.




