80.困った兄弟
「それで、エルンストの持ってきた難題って?」
「農民たちの中でいざこざ起こした奴らがいただろ、あれの中にエルンストの間者がいてな」
「なんとなく予想がついた……」
「獣人側が家畜を持ってるなら、公国へ穀物だけじゃなく家畜からとれる肉や革も持ってこいって指令を寄越しやがったんだよ」
待て待て。
話がエルンストの領地と領民のことじゃあなく、公国全体の話に膨らんでいるじゃあねえか。
公国は王国から食糧が輸入できなくなったから、新天地を求め草原に出てきた。その為に農民がここへ来て開墾をしているんだよ。
収穫の一部は予定通り公国へ送る予定だった。それはいい。だが、獣人側からむしり取ろうとしてるのかよ。
「あああああ。面倒だ。エルンストは公爵やらを焚きつけて命令してきたのか?」
「そこまでは分からねえ。単なる嫌がらせかもな。『一人だけおいしい思いしてるんじゃねえ。俺にも分け前を寄越せ』なのかもしれねえ」
「そのまま握りつぶせるならいいけど……舵取りを誤ると公国本国とサマルカンドのマルーブルク達との間で抗争に発展するよな」
「かもしれねえな。いまのところ、話はそれだけだ」
「よっと」と声をあげながら立ち上ったクラウスは、ヒラヒラと片手を振り公園から立ち去って行った。
一方の俺はどうしたもんかなと考えつつも自宅に戻る。二人は俺のいない間に風呂を済ませていたらしく、お勉強の準備は万端ってところだった。
急ぎ風呂に入り出てきた時にちょうどフジデリカことマルーブルクが再び来訪する。
いつもと変わらぬ表情を見せる彼に感心しつつ、コーヒー牛乳をぐいぐいと飲んでいく。もちろん腰に手を当ててだぞ。
「良辰さん、変な顔をしてどうしたんですか?」
「ぶっ! ゲホゲホ」
もう少しで牛乳を吐き出しそうになったじゃねえかよ。
咳き込みつつ机に手をやり頭を落とす。そこへフジデリカが爪先立ちになって俺の耳元で囁く。
「クラウスから聞いたのかい? 状況次第でキミの手を煩わせるかもしれない。悪いね」
「いや、サマルカンドの問題は何も君たちだけの問題じゃないからな。頼り頼られ頑張ろうぜ」
俺の言葉にマルーブルクは大きな目を更に大きく見開き「うん……」と呟く。
「フジデリカさんー」
そこへ待ちかねたのかタイタニアがマルーブルクを後ろからぎゅーっとして彼の名を呼ぶ。
対する彼はいつもの顔に戻るどころか、天使の微笑みを浮かべ俺を見上げてくるではないか。
「タイタニアさん、こういうのは良辰さんが喜ぶと思いますよ」
「うん?」
分かってない様子のタイタニアは首をかしげ俺の目をじーっと見つめてくるじゃないか。
け、決してハグして欲しいとかそんな気持ちはないんだからな。
「あと、タイタニアさん。もう少し力を弱めてもらえませんか? 少し……痛いです」
「う。うん」
タイタニアは慌ててフジデリカから体を離す。
よほど彼女の抱擁が力強かったのか、マルーブルクは咳き込みそうになっていた。しかしさすがは彼だ。嫌な顔を浮かべるどころかタイタニアへ笑顔を向けているじゃないか。
タイタニアの力一杯のハグは危険そうだな……額からたらりと冷や汗を流す俺であった。
◇◇◇
そんなこんなでマルーブルクが来るようになってから一週間。
三人とも言語の習得が目覚ましく進んだ。
タイタニアとワギャンはカタコトだけど簡単なやり取りに支障が無くなり、日常生活を送るに支障がないレベルにまでなった。
何もないところから短期間でここまで話すことができるようになった二人に驚きを禁じ得ないが、マルーブルクと比べたら常識の範囲なのかなと思い直す。
「ワギャンさん、ワタシは明日からいつもの仕事に戻ります」
「そうか。少し寂しくなるな」
「ちょくちょく訪ねて来ますので。夜だからこそじっくり話をしたい人もいることですし」
ソファーで歓談するワギャンとマルーブルクの意思疎通は完璧に取れているんだ。
マルーブルクは俺に顔を向けにこやかにほほ笑む。
「しかし、たった一週間でマスターしてしまうとは……」
「記憶力だけはいいんですよ」
呼ばれた気がしてマルーブルクらが座るソファーの対面にあるカウチへ腰かける。
「フジデリカは今日でおしまいかな?」
「はい。最後くらい泊って行こうと思ったんですが……野暮用が」
「仕方ないさ。いろいろ忙しいんだろ?」
首をかしげ「そうでもないよ」と少しだけ顎を左右に振るマルーブルク。
その時ちょうど、
「お風呂行ってくるね!」
とタイタニアが風呂場へと消えて行った。
彼女がいなくなった途端、マルーブルクの態度が猫を被った少女からいつもの生意気な少年の顔に戻る。
「ワギャン、ヨッシー。今日までボクのことを気付かれないようにしてくれてありがとう」
「マルーブルクの演技が上手かったから、俺が何もしなくても彼女は不審に思わなかったんじゃないかな」
「本来の姿でボクがリュティエやワギャンと会話していたら、すぐに察するだろうけど」
「目的は達成したからバレてもいいよな? 何かあればタイタニアにフォローしておくよ」
「ありがとう。あ、そうだ。名簿が完成したよ。フレデリックとクラウスが最終確認を行っているはずだ」
「おお! ついにか」
「うん。明日の会議で報告をする予定なんだけど、その時にゲートへも一気に登録したい」
「分かった」
これで公国側は安全が確保されるな。ゴブリンのこともあったし、心配していたんだよ。
「こっちはふじちまからもらったノートにどんどん名前を書いていっている。はやければあと四日ほどで完了する」
「はやいな!」
「うん。僕らはみんな家族みたいなものなんだ。それぞれの氏族代表に名前を聞いて行けばすぐに名前が集まるさ」
「なるほど」
あと一週間くらいあれば、ゲートは全てプライベート設定に変更できそうだな。
外枠の整備が完了したら中の施設をと思っていたけど、先に枠の外へ我が土地で仕切りを作るべきか。
「どうした? ふじちま」
腕を組み悩む俺へワギャンが心配したように問いかけてくる。
「あ、いや。今さ北と南にはお互いに行かないようにって通達を出しているじゃないか」
「そうだな」
「せっかく土地があることだし、中の安全が確保できたんだったら境界線を作るかと思ってさ」
「悪くはないが……」
あのいざこざがあってから、獣人も公国も南北のゲートから出ないように取り決めを行ったんだ。
一方で両勢力の接触がない東西は、自由に出て農業なり牧畜なりやってもいいってことにしている。
余り人の出入りを制限したくないから、はやめに手を打ちたいんだよな……。
しかし、ワギャンの反応は余りよろしくない。
「お互いに腹に抱えたものがあるからね。でも、どこかで接触をしておかないと結局は同じ問題を抱えるよ」
ワギャンの気持ちを代弁するようにマルーブルクが口を挟む。
「だよなあ。できればお互いに協力しあって生産に従事して欲しいところだよな。よっし、やはり先に」
「何かいいことが思いついたのかな?」
「お互いに交流ができる催し物を何かしようと思ってさ」
「そうだねえ。公国では毎年秋に収穫祭を行っている。後は、年頭に一年の無事を祈るお祭り……他は地域によって夏や春にやるところもあるね」
「収穫まで待つと遠すぎるよな」
まだ春だしなあ。半年ちかく放っておくってのは無い。
「ふじちまの魔術を使えばすぐに祭りの準備は整うだろう?」
「うん。みんなも知っての通り、俺の魔術を大々的に見せるか見せないかってところも悩ましい」
「明日の会議で相談しようか」
ちょうどそこまで話終えた時にタイタニアが風呂からあがってきた。
いい加減、ドライヤーの使い方を覚えて欲しいんだが……俺は彼女の髪の毛を乾かすべく立ち上がる。