74.世界はやはり優しくない
「ゴブリン……我々へ直接的な害を及ぼすか不明ですが、試す気は起きませぬな」
リュティエは牙をカチリと一度だけ鳴らし、太い腕を組み縮こまらせた。
なんかその仕草……可愛いな。
大きな虎がこうフルフルと小さく体を震わせてるといえばよいのか。
おっと、また思考が逸れてしまった。
「ゴブリンと対話ができるのかは分からない。しかし、現時点では彼らと意思疎通できようとも……」
「倒す以外あり得ませんな。追い返してもまたやって来るでしょうし」
「うん。何度か全滅させないとサマルカンドを恐れることも無いだろうしさ」
「ほう、その程度の知恵はあるのですな」
リュティエに公国の大きな街へはゴブリンが近寄らないことを説明する。
彼は「うむうむ、なるほど」と呟き、組んだ腕を解き手のひらを机の上に乗せた。
続いて彼は座ったまま少し前のめりになるような格好で、頭を下げる。
「ふじちま殿。此度も頼りきりで申し訳ありませぬが、よろしくお願いします」
「俺にとっても死活問題だから、気にしないでくれ。それに……俺たちは一連托生だろ?」
「そ、そう思って下さって光栄です」
リュティエは感極まったようにそのままの姿勢で肩を震わせる。
一緒にサマルカンドを盛り上げていく仲間なんだ。
それほどかしこまらなくてもいいのになあと思うが、彼の愚直で不器用ながらも誠実さが分かるいいところなんだろうなと好感を覚える。
しっかし、共に歩もうって話は今回が初めてじゃないんだけどなあ。
でもさ、何度聞いても「いいものは良い」って気持ちは分かる。俺だって感動した映画は数回みても毎回「おおおお」と号泣するからな。
ひょっとしたら、彼が俺たちの中で一番の感動屋なのかも。
「獣人側もゴブリン討伐に賛成でよいかな?」
念のためにリュティエへ確認しておく。これまでのやりとりで獣人側に否はないと分かるけど、こういうことはハッキリと言葉に出しておいた方がいい。
変な誤解を招いても面倒なことになるしさ。
「はい。できれば我々も手伝いを行いたいのですが、先程公国といざこざもあったと聞きます。公国東端のゲートには我々が行かぬ方がよろしいかと」
「俺もそう思う。マルーブルク、君の意見を聞きたい」
リュティエの言葉を復唱すると、マルーブルクも彼の意見に同意する。
「そうだね。ゴブリンが回り込んでくる可能性もあるから、獣人側も物見に人を立てるようにしてくれるとありがたいかな」
マルーブルクの言葉をリュティエへ伝えると、彼は公国と同じく既に歩哨は昼夜とわず立てているとのことだった。
ん、んん。
「ずっと警戒態勢を敷いているのは、何か他に外敵がいるかもしれないってこと?」
「何が来るか分かりませんからな。原則警戒態勢を解くことはありませぬ」
俺の問いに当たり前といった風にリュティエが応じた……。
こ、怖い。一体次は何がやって来るってんだよ。
ブルブルと首を振る俺へずっと黙ってリュティエの隣に座っていたワギャンがおどけてみせる。
「心配するな。グバア以上に危険な生物を僕は見たことないからな」
「ははは、ヘーイ、ボブ」的な軽い態度で言われてもだな……全然安心できねえんだけど。
「グバアみたいなのが毎日来たら、公国も獣人もとっくの昔に全滅してるだろうに」
「そういうことだ。いま僕たちはここにいる。だから、対処できないはずがない」
「は、はは……」
ハアア……。絶対まだ危険生物がわんさかいる。
え、ええい。マルーブルクがタイタニアを元気付ける時に言ったじゃないか。
「見えないからこそ闇が怖いだけ」なんだって。そうだよ。見えないモンスターや災害を恐れるなんて馬鹿らしいことだ。
今は、ゴブリンだけに意識を向けていりゃいい。
両手で頭を抱え「ぐううおお」と首を振り気合を入れたところで、マルーブルクと目が合う。
しまった。みんながいる前で俺は何て恥ずかしい仕草を……。
そう思った時には既に遅い。
「面白い動きをするね」
そんなに楽しそうな顔で見ないでくれよ……。
穴があったら入りたい気持ちになってきた。
しかし、その時、扉が開きクラウスが中に入ってくる。
「マルーブルク様、避難は完了しました」
おお、クラウスでもちゃんと敬礼して畏まった言葉を使うんだ。
なんて感心していると、彼はすぐに体の向きを変えこちらへ顔を向ける。
「兄ちゃん、頼むぜ。ゲートを誰も侵入できないようにしてくれ」
「うん。あ、ああああ! 獣人側はどうなってるんだろ?」
了解したところで、そういやリュティエに全員が枠の中に入ったか聞いていなかったことを思い出す。
「ふじちま、落ち着け。僕らがここに来たということは、避難が既に完了しているということだ」
「そ、そっか。良かった」
ワギャンに諭され、ふうと息を吐く。
ちょっと抜けが多すぎるな。こんな時は素数を数えて落ち着……いや、それはもういい。
タブレットを出し、カスタマイズモードで画面内を動かしていく。
全てのゲートと鳥居に対してパブリックからプライベートへ変更する。
その時、ここのメンバーだけにアクセス権限を与えることも忘れず行った。
「終わったよ。これで誰も入ることができなくなった」
「よっし! じゃあ、兄ちゃん。俺の部下を外に待たせているんだ。彼らだけ入ることができるようにしてもらえるか?」
「おう! クラウス、マルーブルク。一つ頼みがあるんだけど」
扉の外へ出ようと椅子から立ち上がったところで、二人に向け先に頼みたいことを言うことにする。
アクセス権限の設定を行った後がいいかなと思っていたけど、マルーブルクがいつまでここにいるか分からないしさ。
「何だい?」
「俺も東のゲートまで一緒に行っていいかな?」
「むしろ来てくれると助かるよ。ありがとう」
マルーブルクが立ち上がり、俺に向け会釈をする。
「ん?」
後ろから誰かに袖を引かれる。
横を向いたら、タイタニアが顔を上に向け俺の目をじっと見つめてきた。
「わたしも行く」
「うん、タイタニアも一緒に行こう」
「うん!」
タイタニアと頷き合う。
「ほおお。若いっていいなあ」
「ヨッシー、手を握って行っても誰も咎めないよ?」
こらああ、外野。
クラウスがニヤニヤとマルーブルクがクスクスと……全く……。
「手を握らなくても、迷子になんてならないもん」
タイタニアは子供っぽく口を尖らせる。
「タイタニア……そういうことじゃあなくて……」
「じゃあ、どういうことなのかな」
「こらああ!」
油断も隙もないマルーブルクであった。
「まあ、お遊びはこれくらいにして、頼むぜ。兄ちゃん」
「クラウス、お前が言うな」と突っ込みたくなったけど、グッとこらえて彼の後ろに続く。
分かっているさ。クラウスとマルーブルクの本当の気持ちは。
彼らは俺が平常心でいられるよう、和ませてくれたんだよな。さっきから抜けまくっていたから。
おかげさまで、すっかりいつもの調子に戻ったよ。
外に出てクラウスの部下へアクセス権を与えた後、俺たちは東端のゲートへ向かう。