232.来たぞ
クリスタルの道は空中に浮かぶ橋のようにクリスタルパレスの外壁手前まで伸ばした。
ここからだとクリスタルパレスの街がよく見える。
街は俺から見て反対側に透明感があり時折さざ波が立つ幻想的な美しさを持つクリスタルレイクがある。
クリスタルレイクと接する箇所には水門があり、クリスタルパレスの中に水を引き込んでいた。
モンスターの襲撃に備えてか、街は石を積んだ城壁に覆われている。城壁はなかなかに壮観で高さはおよそ七メートルといったところ。
この城壁を作り上げるのに相当な労力がかかったことが一目で分かる。
俺の立つ場所の眼下に街の入場門があって、門前には兵士が続々と集まってきていた。
まあ、これで兵士さえ出てこないようなら街の警備能力を疑うよ。
街の中央は小高い丘になっていて、その上に白亜の城が建っている。これが公爵の居城なのだろうな。
ちょうど俺の立つ位置と城の正門が同じ高さになっていた。
地面からの高さは二百メートルってところか。下を見るとビビって動けなくなる自信がある高さだ。
「こ、この比類無きお力……これが伝説に聞く導師様の……」
エルンストが茫然とクリスタルパレスの街を見下ろしている。
彼が最初に見せた芝居掛かった余裕は既になく、ただただこの世ならざるものの力に圧倒されているようだ。
拡声器を手に取り、前を向く。
エルンストはその場で膝をつきわなわなしているけど、放置する。
「クリスタルパレスの諸君」
抑揚が無く、ただ告げるだけ。
しかし、ただそれだけで街の入場前に集まった兵士がこの世ならざる力に畏敬の念を持ったのか一斉に平服する。
人は人知を超えた力を目の当たりにすると、大抵は神を見るか、恐怖するかのどちらかに舵をきると言う。
兵士達の場合は、恐怖より憧憬が勝った様子だ。
『どっちだ? フレイ』
『そのままで』
落ちるかもしれないと、クリスタルの道の一メートル先まで土地を購入しておいたのが幸いだったな。
前に土地があるから、モニターでは正面から俺を映しこむことができている。
顎を少しあげ、虚空を見つめる。
「我が魔法はどうかな? 魔族の諸君」
ここを見ているだろう、魔族の首脳へ声をかける。
『首脳陣はとても驚いています。モニターの映りは問題ありません。声も届いております』
インカム越しにフレイの声。
彼女の操るガーゴイルに小型モニターを持って魔族の国へ行ってもらったんだ。
この準備は、元々本作戦用では無かった。魔族と離れたところから会話するにどうしたらいいか考えた結果に過ぎない。
備えがこのような形で生きるなんてな。
では、いつモニターをガーゴイルに渡したのか?
それは作戦開始前だよ。
ガーゴイルは飛行可能なので、思ったより移動速度が速くて良かった。
さて、続けようか。
「我は会話を望む。ふさわしき者を出すがよい」
拡声器越しに宣言する。
クリスタルパレス側の動きは見えない。
エルンストが「私が」とか言ってこないかなと思ったが、さすがに注目を集めすぎている状況では言うに言えないでいるようだ。
クリスタルパレス側の反応なぞ、待つ必要なんてないさ。
モニターへ画像を送る方向へ顔を向け、すぐ元の位置に戻す。
魔族に向け「見ていろ」と言わんばかりに。
クリスタルの道を伸ばしていく。道の下には街がある。
なので普通に土地を購入すれば家やらが更地に戻ってしまう。そこで、パブリック設定だ。
パブリック設定にして土地を購入し、設置場所を空高くする。
すると、他の高さにある物に関しては何ら影響を及ぼさない。
これは、竜人への道半ばにあった川で実体験済みだ。
あの時、橋桁の無い橋を作ったにも関わらず、川の水を塞きとめることがなかった。
今回のクリスタルの道はあの時の橋と同じ要領で作っている。
橋の高さをそのままに橋桁を作らず、延々と高さを維持したまま崩れることもなく橋が完成した。
このクリスタルの道も高さを維持したそのままに道を延ばしているだけなのだ。
ゆっくりと街の人たちに自分を、できていくクリスタルの道を見せつけるように歩いていく。
一歩ずつ、一歩ずつ。
道の下に集まる人々の数はどんどん増えて行っている。
街の人がクリスタルの道の真下に入らぬよう兵士が両手を開き何やら叫んでいる。
崩れることを懸念してのことだろう。クリスタルパレスの兵士は中々に勤勉で、住人たちも彼らに逆らおうとせず、素直に従っていた。
街の統制は思った以上にきちんとしているな。兵士を取りまとめている人が優秀なのかもしれない。
城門まであと十メートルのところで歩みを止める。
城門を守る兵士達の数は三十を超えていた。
「導師様! い、いま、しばらく、お待ち下さい!」
後ろにいた全身鎧の騎士らしき髭の男が、息絶え絶えになりつつ叫ぶ。
「ほう?」
適当に返したら、全員が「ひいい」とか悲鳴をあげて平伏してしまった。
「しばし待てとのことだ。魔族の諸君」
顔を右斜め前方に向け大げさに肩を竦める。
『魔族の誰もが言葉を失って茫然自失になっております』
インカム越しにフレイが状況を報告してくれる。
ドーンドーン――。
待つこと三分ほど。やれやれと思ったところに、ドラの音が響く。
城門にいた兵士達が左右に割れ、ギギギと音を立て門がゆっくりと開いた。
門の中には全身鎧の騎士がズラっと並び、花道を薄い青色を基調にした貴族服を召した男が威風堂々と歩を進めていた。
手には何も持たず丸腰だ。オールバックの白髪に鋭い目つきをした男は五十歳前後ってところ。
背はそれほど高くなく、痩せているから線が細い。しかし、足どりと周囲に振りまく王者の風格が、この男が只者ではないと一目見て分かる。
男の後ろからは、長身短髪の筋肉質な男が続く。こちらは他の騎士と同じような銀色の鎧をまとっているが、他の騎士と違って赤色のマントを装着していた。
この二人が、公国のトップだろうな。
その証拠に、門からオールバックの男が出てくると先ほどまで畏怖で固まっていた城門前の兵士達がしゃきっと敬礼し、いつもの調子に戻っていたのだから。
対する俺は無表情に状況を眺めるだけ。
ここで先に俺から話しかけるほど、俺も抜けてはいないさ。
俺の心はかつてとは異なり、平静を保っている。公国と獣人の間に割って入った、あの時とは違うんだ。
俺自身が変わったんじゃあない。今は心強い仲間がいる。
インカムの先にはマルーブルク、タイタニア、フレイが。
そして――。
『ワギャンに、指示を』
今度はマルーブルクに向け囁く。
彼のことだ、きっともうワギャンに指示を出している。
さあて、どう出る?
クリスタルパレス公国よ。
壮年のオールバックの男が立ち止まり、三分ほど過ぎる。次第に、兵士たちからのざわめきが大きくなってきた。
俺はむろん、頭なんぞ下げないしこちらから声をかけることもしない。
先に折れたのはオールバックの男の方だった。
男は青いマントをふわりと浮かせ、片膝を立て俺を仰ぎ見る。
動揺する兵に対し、赤色のマントの騎士が左右へ睨みを聞かせるとシーンと辺りが静まり返った。




