211.種族差
クッキーをもう一つポリポリしてから、マルーブルクは我が家を後にした。
残されたフレイはというと……紅茶にもクッキーにもまだ手をつけていない。
「飲み物でも飲んで落ち着いてくれ」と言った気はするのだけど、既に紅茶は冷めてしまっている。
「紅茶、暖め直そうか」
「いえ、お気遣いは必要ございません」
ひょっとして。
「種族差」ってのが頭から抜けていた。
「ごめん。食べることができるものとできないものがあるよな。カテキンやカフェインがダメとか、クッキーなら小麦、バター……砂糖やら、だったっけ」
「さ、砂糖……こ、このお菓子に……?」
「あ、砂糖がダメだったのか」
「な、なるほど。このお菓子の名がクッキーなのはそういうわけなのですね」
ん? 話がどうもおかしい。
「クッキーって生き物がいたりする?」
「クッキービーストから名付けたのでは? とても、強力な魔獣です」
「まさかそいつから砂糖がとれたりするのかな」
「クッキービースト以外からでも砂糖が採取できるのですか?」
「あ、まあ、これは俺の魔力を編んだものだからな」
「聖者様……」
その陶酔した顔……息も荒いし……また変な妄想モードに入ってないだろうな。
「ま、まあ食べることができるのなら、せっかくだし」
「じ、実は砂糖に目がないのです。聖者様から頂くのは……」
「元は魔力だし、貴重でも何でもない。好きなら尚更」
「は、はい」
どうやら気に入ってくれたらしい。頰を染めて少し食べてはクッキーを見つめ、少し食べしている。
それにしても、クッキービーストって魔獣がいるのか。どんな姿なのか一度見てみたい。
「とても、美味でした。ご慈悲に感謝いたします」
「次は二日後に来てもらえないか?」
「私はあなた様の剣となり盾と」
一緒にいたいってことね。
ずっと一緒にいられたら、気疲れしそうだよ。彼女もずっと気を張り詰めているわけだし。
どうしたもんか。
あ、そうだ。
彼女の家を作ればよい。どこにすっかなあ。
集会所の北辺りでいいか。道沿いにして、獣人側に……いや、今晩みんなと相談してから決めよう。
しっかしマルーブルクが居なくなって、いざ二人きりに戻ると妙な沈黙が流れてしまう。
彼女は自分から積極的に話しかけてこないし。恐れ多いとかまだ変なことを考えているんだろうなあ。
「フレイ」
「はい。あなた様のフレイはここに」
あかん、こらあかん。
もうちょっと軽い調子になって欲しいところだ。
「こう、あれだ。友達に接するようにしてくれていいから。マルーブルクもそうだっただろ?」
彼がいるうちに言っておきたいと思っていたことだけど、抜けてた。
「友ですか……私には友と言える者が」
あ、地雷を踏み抜いちゃったかも?
ずううんと頭を下げて、テーブルの上に両手をついちゃってる。
「あ、えっと。そうだ。魔族って魔法に長けているんだろ? 学校とかで学ぶの?」
話題を変えないと……。とっさに思いついたことだったが、フレイは顔をあげてくれた。
「はい。幼少期から十五になるまで集団で学びます。そこで魔術の資質が見極められます」
「へえ。フレイも通っていたんだな」
「はい。学校では魔術だけでなく、様々なことを学びます。神鳥の伝説や、人間の国のことまで」
魔族の子供がみんな過去にあった人間とのことを学ぶってわけか。こうして積年の妄執が醸成されてるってことなんだな。
過去は過去。現在は現在として現実路線をとることができないものかな。
恨みを忘れてくれとは言わないけどさ。
「学校って家から通うの? 卒業したら仕事をはじめるのかな」
「寮生活になります。そこでは三人一組で同じ部屋をあてがわれ……」
どええ。これもNGワードだったのか。
黒く沈んだオーラがフレイの背中に見えたような気がする。
でも、彼女って分かりやすいよな。表情はそれほど変わらないことが多いけど、仕草が分かりやすい。
お友達ネタに繋がるものは危険なんだな……。
どんだけぼっちだったんだよ、フレイ。
俺だってそう友達が多い方じゃなかったけど、それでもそれなりに親しく話す人は数人いたぞ。全部同性だったけど。
異性の友達は妹経由で……いや、これはあまり思い出したくない記憶ではある。
彼女の友達はそうだな……妹が増えたような、そんな感じだ。
年下の女の子って、「先輩」とか言っていじらしく可愛いなんてのは幻想だからな。
タイタニアみたいな子は現実にはいないんだよ。
あ、タイタニアは現実にいるよな。よし、こうしよう。地球のジャパンにはいない。少なくとも俺の交友関係には。
「寮生活かあ。俺は家から学校に行ってたからな」
「聖者様も学校に? 天界にも学校が?」
天界ってどこだよ!
聖者だけが通う学校なんてあったら、この世界は聖者だらけになるぞ。
「ずっと、遥か昔の話だよ。俺はただの人間だったから」
マルーブルクが勘違いしている設定を使うことにした。別世界とか言うよりこっちの方が良いと判断したんだ。
すぐ暴走するフレイ相手だったら、まだ受け入れやすいストーリーの方がよい。
この世界であっても今この時ではないとだけ伝われば問題ないだろ。
「そうだったのですか。聖者様の学生姿……さぞ、女子たちが毎日騒いだことでしょう……私も見たかったです」
よだれ、よだれが出てるぞ!
美人が台無しだよ。
彼女の聖者フィルターは相当なものだぞ……俺がカッコよく見えてしまうのだからな。
自慢じゃあないが、俺は平凡そのものなのだ。イケメンは爆発しろと願う、ただのつまらん男さ。
ふふ。
はあ……。
クラウスのニヒルな笑みが頭に浮かびため息が出てしまった。
フレデリックも別の意味で渋くて気品溢れる感じでよいんだよなあ。マルーブルクは言うまでもない。
つ、つまり……俺だけ……ぐううおおお。
求む。平凡男子。
「俺だって可愛い彼女と一緒に手を繋いで学校に行く夢なら見たさ……」
つい心の内が言葉として出てしまった。
フレイがそれを聞き逃すわけがなく、とんでもなく驚いた様子で目をこれでもかと見開いている。
「聖者様は人間に見た目が似てらっしゃいますが、魔族のように恋愛もされるので?」
一体俺を何者だと思ってんだよ!
そら、一応これでも普通の男なので、女の子と恋愛したいって思ったことくらいあるわよ。いやーねー。
ん?
フレイよ。拳を握りしめ固唾を飲んで俺を見守っているのは、答えを待っているのか?
「そうだよ。一応俺も男なんで」
「誠ですか! 聖者様でもそのような感情が。勉強になります!」
「そ、そうか……」
これ、かなり重症だけど、どうしよ。
もういいや……と思ったその時、入り口の扉が開く音が聞こえる。
「ただいま!」
「おかえり」
姿を現したのはタイタニアだった。
いつものニコニコ笑顔で、胸に大きな麻の袋を抱えている。
「人間……」
「フジィ。獣人さんのお友達?」
低い声で呟くフレイとは対称的に、タイタニアはふんわりとした笑顔を浮かべたまま俺に問いかけてきた。




