194.ぼんくら兄貴
そんなこんなでひまわり号を走らせ、お昼前にはグラーフに到着する。
さっそく門番に取り次いでもらうと、すぐにフェリックスとこの前会った中年の紳士ではなく、壮年の紳士がやって来た。
フェリックスの紹介によると、この人がジェレミーその人だった。
ちゃんと覚えているさ。フェリックスは時折がジェレミーの名を呟いていたことを。
彼も無事だったんだな。良かった良かった。
フェリックスは俺を自分の住まいに誘ってくれたが、彼の家はハウジングアプリの影響下に無い。
誰も聞いていないところで……とかなんとか理由をつけて街から少し離れたところにある塔に来てもらう事になった。
話合いの結果、先に俺たちがひまわり号で塔に移動し、後からフェリックスが追いかけてくることになったんだ。
塔の前にひまわり号を停車させ、すぐに中に入る。
「少し前のことなのに、懐かしいな」
「ここでゴブリンを迎え撃ったんだよね」
「そそ」
全てがあの時のままだ。ゴブリンを誘引するためだとか言って、庭で呑気にお食事会をやっていたりしたなあ……。
そもそもここに塔を建築したのは、監視のためだった。
塔は高さがあるから、上階よりゴブリンの様子を窺うことができると思って……あまり活躍しなかったけどね。
だって、あんなに小麦しか見てないなんて知らなかったんだもの。じっくり監視なんてする必要もなかったさ。
グラーフから出て、真っ直ぐに小麦が詰まれた罠に突っ込み、落とし穴にはまったゴブリン達を思い出し、頭を抱える。
落とし穴事件を思い出しつつも、ちゃんとお客人を迎え入れる準備も怠っていないぞ。
キッチンの前に立ち、室内の様子を探っていたマルーブルクに声をかける。
「お茶を準備しとくよ。マルーブルクは適当に座ってて」
フェリックスが間も無くやって来るだろうから、お湯を沸かして……。
「派手にやってくれたな……」
キッチン横にあるストッカーが開きっぱなしなっていて、破けた業務用餌袋から中身が出ている。
餌の上を誰かが歩き回ったらしく、餌が散乱していた。
誰かなんて言ったが、犯人はハト以外にない。
もうちょっと食べ方ってもんがあるだろうと内心呟くが、ハトの顔を想像し首を振る。
うん。無理だ。
ハトにお行儀や慎ましさは期待出来ない。
鳥だしな……カラスでさえポテトチップスを撒き散らすのだ。ハトは言わずもがなである。
飲み物は何がいいかなあ。マルーブルクのお気に入りオレンジジュースにするか。
フェリックスも同じものにするとして……彼以外に来客があれば無難なコーヒーにしとこう。
ストックが無いから、タブレットから注文、完了。
すっかりタブレットも元通りだな、うんうん。
満足気に宝箱から品物を取り出し、用意を進める。
ピンポーン――。
予想外の呼び鈴の音にずっこけそうになった。
重厚な石造りの塔という外観なのに、一般家庭のような呼び鈴なんて……。
もっとこう、ほらさ。雰囲気が出るような。
「よろしくお願いいたします」
扉の前に立っていたのは、フェリックス一人だった。
お供の人を連れて来ていないけど、何かあったのだろうか?
「来てもらってありがとう」
「いえ。グラーフの街まで来て下さったのは良辰様ですわ」
「ま、まあ、うん。あ、えっと」
「ジェレミーですか? 彼も政務がありますし。良辰様のご威光があり、街はとても落ち着いております」
「だから護衛も要らない、と?」
「はい。マルーブルクも護衛をつけていないのです。わたくしも」
ん? 弟に微妙な対抗心的なものがある?
いや、違う。
聡明なマルーブルクが俺と二人だけでここまで来た。彼が大丈夫と判断するなら、問題ないってことか。
「まあ、ヨッシーの傍以上に安全地帯は無いよ」
「そうですわ!」
後ろから覗き込むように背伸びしたマルーブルクが口を挟む。
彼の言葉に対し、両手を胸の前で組み同意するフェリックス。なんか目を輝かせてるんだけど……。
「中に入ってくれ。そこでゆっくり話をしよう」
立ち話もなんだしね。わざわざ入口の扉の前で話し込むこともないさ。
◇◇◇
「美味しいです。マルーブルクが好きそうな甘くて少し酸味がある味ですね」
「気に入ってくれて良かったよ」
フェリックスがオレンジジュースに口をつけ、感想を述べる。
マルーブルクが甘いものを好むことはもちろん知っているけど、面と向かって言うと手痛い反撃が……あれ、彼は何も言おうとしない。
はて?
狐につままれたように不思議がっていると、マルーブルクにあからさまなため息をつかれてしまう。
「全く……ボクの話をしにきたわけじゃないだろうに」
「た、確かに」
同意する俺に対し、フェリックスはと言うと、
「だって、愛する弟が好むものなんですもの。わたくしが美味しいと思わないわけがないわ」
斜め上に返してきた。
そ、そういう事じゃあなくってだな。
ん、マルーブルク?
彼は首を振り俺に目配せをしてくる。
うん、分かったよ。
彼に頷きを返しておいた。
フェリックスが素直過ぎて良い子なことは分かっている。
一方でマルーブルクは「わざわざ会いたいと思う兄弟はいない」と言っていた。
マルーブルク曰く、フェリックスに関しては「政治にまるで向いておらず協力し合える仲では無いからなのか」と勝手に推測していたが、どうやら違うようだ。
彼は単にフェリックスを苦手としていただけみたいだな。
でも、彼はこうも言っていた。「他の兄弟と違って信用はできる」って。
うん、俺もそう思う(他の兄弟を見た事もないけどな!)。
フェリックスは兄弟としてマルーブルクをとても慕っているはずだ。態度を見たらすぐ分かる。
馴れ馴れし過ぎるとマルーブルクは毛嫌いしているみたいだけどね。
「あはは」
憮然とするマルーブルクと笑顔のフェリックスを想像し、思わず笑ってしまった。
「……気持ちは分からなくもないけど、ボクの前でいい度胸をしているね」
「す、すまん」
「クスクス。冗談だよ」
俺とマルーブルクのやり取りにキョトンと首をかしげるフェリックス。
でも、少し安心したよ。
フェリックスは何か問題を抱えているだろうけど、少なくとも最初に会った時のような切迫した非常事態ではない。
弟への思いを告げるような普段の彼を見ることができたのだから。
マルーブルクもそれを分かっていてのあの発言だ。自分をダシにされたことがお気に召さなかったようだけど。
「それで、姉様。どっちがちょっかいを出してきたんだい?」
「エルンスト兄様です。マルーブルクはやっぱり凄いですわ。何も言っていないのにお分かりになるなんて」
俺にも向けた言葉なのだろう。フェリックスがかしこまった口調でマルーブルクに返答している。
何のことかよく分からないが、後から聞けばいい。今はマルーブルクに任せるとしよう。
「ヘルマンかと思ったけど、なるほど……エルンストねえ」
「ヘルマン兄様からは連絡さえありませんわ」
「本当につまらないことだね。こんな猫の額のような土地に手を出して何の得があるんだか」
「そ、そんなことないもん! わ、わたくしの領民を」
「気を悪くさせるつもりは無かったんだよ。悪いね、姉様」
「わ、分かっております」
フェリックスの反応に吹きそうになってしまった。
お、おっとこうしちゃおれん。ちゃんと話を聞かないと。