144.別れ
三日後――。
怪我人の静養も済み、フェリックスと彼の領民たちの準備が整ったと連絡が入る。
朝日が昇り始める時間に彼と領民たちは東門の前で整列し、俺の言葉を待っていた。
先頭で片膝を付きかしずくフェリックスの長い金髪へ目を落とし、どうしたもんかと戸惑ういつもながらの俺。
「フェス。そして住民の皆さん」
呼びかけたものの、何を言ったらいいんだよ。
自分の後ろに並ぶマルーブルクやフレデリックへバトンタッチしたいところなんだけど、生憎目配せもすることができないぜ。
だあああ。全員が固唾をのんで俺の言葉を待っているじゃねえか。
……。
し、仕方ない。何か言わないと。
「フェス。達者でな。住民の方々もまたぜひサマルカンドに遊びに来てください。いつでも歓迎します」
「はい! 必ず、またお伺いしにまいりますわ」
顔をあげたフェスが花が咲くような笑顔で言葉を返す。
一方で住民の皆さんから歓声があがった。
「帰りは俺が作った道を通って行ってくれ。安全に帰還できるはずだ」
「はい!」
立ち上がったフェリックスは、深々と頭を下げくるりと踵を返す。
「みなさん、帰りましょう。わたくしたちの街に」
フェリックス達はゆっくりと歩き始める。
ほうほうの体でサマルカンドにやって来た彼らも、元気になってくれてよかった。
街に戻ったら日常が帰ってくるはず。
彼らの幸せを心の中でそっと祈る。
余談ではあるが、フェリックスにサマルカンドに残りたい者がいたら残っていいと伝えていたんだ。
だけど、彼のカリスマが為せる業か、彼の愛す街、家族のおかげか、一人たりともサマルカンドに残る者はいなかった。
「またな。フェス」
一人呟き、振り返ったらマルーブルクがクスクスと笑っているじゃねえか。
「まあ、よかったんじゃない。姉様はもうすっかりキミに」
「そこで止めるんじゃねえ! ワザとだろ」
「キミも分かってきたじゃないか」
全くもう。
さあて、街に戻るとするか。
◇◇◇
一ヶ月の時が過ぎた。
この一ヶ月は極めて順調と言っていい。
サマルカンドは穏やかで、住民の皆さんはそれぞれの仕事をこなし、サウナに入ったり、プールで遊んだり、時にはプラネタリウムで星を見たり……と俺の作った施設も楽しんでくれている。
農場では作物が実をつけ始め、牧場ではまるまると家畜が太っていて数も増えてきた。
どうなることかと思ったゴブリン達の農業研修だけど、こちらも稚拙ながらも形になってきている。何かあるたびに小麦を見せたのが功を奏したようだな。
奴らの本隊にも小麦を供給し、代わりに狩猟した鹿やらを献上されたりしている。
とてもいい傾向だ。
物をもらってお礼がしたいという感情が彼らにあったことを嬉しく思う。
農耕の習慣が無かっただけで、ゴブリン達も人間とそれほど変わらぬ感情を持っているんじゃないだろうかと最近思うんだ。
外は夏本番。気温は三十二度前後。日中は強い日差しが差し込む。
熱中症に注意が必要だと、昨日もぴんぽんぱんぽーんしたところなんだぜ。
だけど、うって変わって今日は朝から滝のような雨が降り続いている。
日本に比べて雨が少ない気がするけど、強い雨が降ることだってあるんだなあ……。雨季に比べれば大したことないとは思うんだけどね。
二階の踊り場に背もたれつきのリクライニングチェアを運び込み、優雅に外を見ながらかき氷型の棒アイスをかじる俺。
シャリシャリ。
「ソーダ味うめえ」
思わず声が出る。
すると、隣で寝そべ……てない……座っているワギャンもまたソーダ味に舌鼓を打っているようだった。
彼の感情を示すかのように耳がぴこぴこ動いて可愛らしい。
「風が強くなってきたな」
「だなあ」
「物見まで行かないか?」
「北にする? 南にする?」
「行くなら北だ。風の方向から、雨は北から来ている」
「おう」
ワギャンの言う通り、雨雲は北側からこちらに向かっている……というか既に雨雲の中に街があるんだけどな。
「ほんとワギャンは真面目だな」
強い雨のため、ワギャンの偵察任務はお休みになっている。
その代わりと言っては何だが、彼は物見まで行こうと提案してきたのかなあ。
「気になるだけだ」
ワギャンは肩を竦め階段を降りて行く。
「ワギャン、傘を忘れてるぞ。カッパでもいいけど」
後ろから彼に呼びかけつつ、俺も後に続いた。
俺は傘をさし、ワギャンは黄色の子供用カッパを身につけ道を進む。
我が土地は雨風を弱める見えない壁があるから、外ほど雨は強くない。
と言っても風の流れてくる方向は分かる。
獣人側の物見に到着し、最上階から外を眺める。
二人揃って双眼鏡を覗き込む姿はちょっとした調査員みたいで少しテンションがあがってしまう。
このことはワギャンに秘密だぜ?
しかし、双眼鏡を覗き込むとこれまでの穏やかな気持ちが吹き飛ぶ。
「な、なんじゃあれええ」
思わず変な声が出てしまった。
だって、地平線の向こうに見たこともない不気味な生物がうごめいていたんだもの。
「僕も見るのは初めてだ。やはり、大草原には未だ確認できていない天災がある」
ワギャンも耳をピンと張り、警戒の様子を見せる。
「あれは……動物だよな……」
「そうだな。動いている」
半ば一人事のように呟くと、ワギャンが応じてくれた。
ずらーっとお互いにくっついた状態……でひと塊になっているそれらは、亀のようにも見える。
手足の短いリクガメってのが一番俺のイメージに近い。
球体に近い甲羅から申し訳程度に四本の足が伸びていて、半円の兜みたいな甲羅に覆われた頭がひょっこりと出ている。
一番特徴的なのは甲羅の柄にあるんだよ。
「あれ……どう見てもスイカなんだけど……」
そうなのだ。あいつらの甲羅と兜はまんまスイカと同じ柄をしていたんだよ。
カラーも同じで、手足を引っ込めると直径八十センチほどの大きなスイカそっくりになる。
「スイカ?」
「ワギャンは知らないか。俺の魔力で作る夏のフルーツに似ているんだ。瓜の一種でさ」
「そうなのか。一度見せてくれないか?」
「もちろんだ」
帰宅したらワギャンに見せることを約束し、双眼鏡を再び覗き込む。
ん、スイカのような亀達が脚を甲羅の中に引っ込めた。
「こ、転がるのかよ!」
亀達はゴロゴローっと回転し始め……ってどんどんスピードがあがっているじゃないか。
待って、少し待って。
亀達のいる場所からサマルカンドの農場までは下り坂にはなっていない。
むしろ若干だけど農場側の方が高い位置にあるんだ。
それが、奴ら……重力なんて関係ないとばかりにゴロゴロと進んでくる。
どれほどの威力で奴らが進もうが、見えない壁を突破することは不可能だ。
しかし、数が数だけに警報は発しておいた方がいい。
準備したものが役に立つ時が来た!
タブレットを出し、ちょいちょいっと操作する。
すると――。
――ウオオオオオン。カンカンカンカン。
と物凄い音が街中に鳴り響いた。
物見、秘密基地、俺の自宅や公園といった場所には拡声器を仕込んでいる。
そいつを取って、口に当てつつスイッチを握りこむ。
「ぴんぽんぱんぽーん。えー。謎の亀がゴロゴロと街に迫っています。注意してくださーい」
よし、これで警報完了だ。
ワギャンと顔を見合わせ頷き合う。
いい加減、ぴんぽんぱんぽーんは口じゃあなくて音を準備したいところだけど……ちょうどいいモノがなかなかないんだよな。
「ここから観察するかモニターで見るかどうしようかな」
「映像の方がいいだろう。アレはここ以外の場所も見ることができる」
「分かった。じゃあ、キツネ像(秘密基地)のところまで行こうか」
「そうしよう」
ワギャンと共に踵を返した時、ゾワリと俺の肌が泡立つ。
この感触……奴か、奴が来たんだな……。季節の変わり目に必ず来るよなあいつ。
後ろを確認しなくとも分かる。
体の芯から感じるこの神々しいまでの巨大な気配……あの鳥以外にありえない。
『良辰。久しいな』
「さ、ワギャン、戻ろうか」
「お前を呼んでいるが?」
ですよねえ。
やっぱ無視するわけにはいかないか。
このまま放置しているといつまでも居座りそうだしさ。
仕方ない。
振り向くと窓から奴の姿が確認できた。
激しい雨が降っているというのに、奴は空中で制止した状態でこちらを窺っている。
そう、大きなハシビロコウことグバアだ。
さすが超生物。グバアの体から周囲一メートルは雨が避けるように落ちて行っている。
この圧倒的な存在感。鈍感な俺でさえ離れていても気が付くよ。
「亀を食べに来たんだろ? 食べちゃっていいからどうぞ」
『うむ。そのつもりだ。カラスとハトは息災か?』
「この上なく元気に図々しく生きているよ」
『そうかそうか。それは愉快。カラスが心を許すとはさすが良辰と言ったところか』
グバアは愉快そうに嘴をポコポコと鳴らす。
「腹が減ってんだろ。まずは食べてからでどうだ?」
『うむ。そうさせてもらおうか。お主とは少し会話がしたいと思っていたところだからな。しばし待て』
「あいあい」
とっとと帰って欲しいところだけど、俺もカラスのことやらで一応聞いておきたいことがあるしな。
向こうもそのつもりだということで丁度いい。