131.閑話 サマルカンド攻防戦3
――公国側。
「よし! 構えろ!」
一射放った兵士達は一斉に矢を番え始める。
ゴブリン達が立て直さぬうちに二射、三射と畳み込もうというわけだ。
しかし、公国側の目論見に反し耳をつんざくような咆哮が響き渡った。
「ゴブリンが立て直した……」
指示を与えていたフレデリック直属の部下は一人呟くが、彼に動揺は見えない。
彼は彼に任された仕事を完遂するだけ、彼にはその思いだけが行動理由なのだ。
何が起こったからといって手を止めるような男ではなかった。
それは列の反対側で指示を出すもう一人も同様で、静かに兵たちが射かける準備を終えるのを待っていた。
「射てー!」
よく通る声に反応した兵たちが再びゴブリンらに矢を射かける。
一射目ほどではないものの成果は上々だ。
一方、中央で指揮を執るフレデリックは傍に控えたタイタニアへ目を向ける。
「出ます。獣人側……いやリュティエ様と連携いたします」
「リュティエさんに伝えてきますか?」
獣人の言葉が分かるタイタニアは彼らとの伝令役を任されていた。
リュティエへの伝達があるなら彼女が走る必要がある。
ところが、フレデリックは柔和な笑みを浮かべかぶりを振る。
「その必要はありません。きっとリュティエ様も同じ気持ちでしょうから」
スタスタと歩き始めたフレデリックの後ろをタイタニアが早足で追いかけた。
「どこに行かれるんですか?」
「ちょっとゴブリンの元まで」
「お一人で外へ? 危険過ぎます!」
「ちょっとした運動をするだけですよ」
周囲で聞き耳を立てていた若い兵士達はタイタニアと同じようにフレデリックの身を案じ一斉に彼を見つめる。
彼らの思いは一致していた。いかにしてこの柔らかな紳士をお止めするかと。
しかし、古参の初老の兵士は様子が違っていた。
彼は何かを思い出すようにブルブルと体を震わせている。
「フレデリック様、特等席で見させていただいてもよろしいでしょうか?」
「構いませんよ。これで戦いが終わるのですから」
フレデリックは腰に佩いたレイピアを古参の兵に手渡す。
「ま、まさか。フレデリック様の雄姿を再び見ることになろうとは……」
古参の兵は主の身を案じ震えていたのではない。彼は昔日の主の姿を思い出し、武者震いしていたのだ。
「それはしばらくの間、預かっていてください」
「ハッ! ご武運を!」
古参の兵と敬礼を交わしたフレデリックは再び歩き始める。
「フレデリックさん!」
「どうして壁の外側に出るのか分からないという顔をしていますね」
「そうです! フジィの魔法はゴブリン達の攻撃だってビクともしないはずです!」
導師の大魔術に綻びなぞありえない。彼の魔法に信用がおけないのか?
暗にそう聞こえるタイタニアの言葉であったが、フレデリックには彼女が何を言いたいのか即座に理解できた。
彼女は単にフレデリックのことが心配なだけなのだ。わざわざ無理をして危険を冒す必要などない。
見えない壁の中からひたすら矢を射かけるだけで、この戦いは容易に勝利を手にすることができるのだから。
「この戦いには譲れないモノが二つあります」
前を向いたままフレデリックは二本の指を立てる。
彼はそのまま言葉を続けた。
「一つは死者を出さぬこと。藤島様の意思に反します」
「はい。だからこそ、壁の内側で」
フレデリックは心優しき青年の顔を思い浮かべ目尻を下げる。
しかし、彼はすぐにキッと口元を結び指を一本折りたたむ。
「もう一つ。畏れ多くもサマルカンドへ襲撃してきた不逞の輩へ二度と立ち直れぬほど、心胆寒からしめる必要があります」
「それは……」
「俗っぽい言葉で言いますと」
コホンと咳を一つしたフレデリックは全身から静かな気迫を発す。
それは一見すると深い湖のように穏やかにであるが、湖底には熱くマグマのように滾った熱いものが込められているようだった。
「舐めた奴らに二度と立ち直れなくなるまで恐怖を植え付ける」
言うことは終わったとばかりにフレデリックが動き始めると、タイタニアは右腕を前に出し彼に追いすがる。
「フレデリックさん! わたしもわたしにも手伝わせてください!」
「……分かりました。一人では少々心許なかったのですよ」
「フレデリックさん!」
「あなたの長弓はなかなか素敵です」
不意に褒められたことで頰を紅潮させたタイタニアがフレデリックの横に並ぶ。
◆◆◆
兵達が一射放った直後、フレデリックが土台の外へ踏み出す。
人間が唯一人、武器も持たずに見えない壁から出て来たことで近くにいたゴブリン四体が左右から彼に迫る。
「右手は任せてください!」
タイタニアが声を張り上げ、長弓に番えた風変りな矢を指先から離す。
この矢は羽飾りがついておらず、軸のみで出来ている。
弓から放たれた矢はヒュンと風を切る音と共に、フレデリックの右側手前にいたゴブリンの頭に突き刺さる。
しかし、それだけでは矢が止まらず、ゴブリンの頭を突き抜けた矢は後方にいたもう一体のゴブリンの目を射抜く。
フレデリックは矢の軌道どころか右手にいるゴブリンには目もくれず、膝を少し屈めた。
次の瞬間、左脚のつま先が左手前のゴブリンの顎を捉えている。
後方へ吹き飛ぶ左手前のゴブリン。
彼は残った右脚に力を込めると一息に跳躍し、弧を描いた左脚の踵が奥にいたゴブリンの頭を砕いた。
一瞬で四体のゴブリンが倒れたことで、フレデリックの前に道ができる。
「命の惜しくない者はかかってきなさい。このフレデリック。真っ直ぐ進ませていただきます」
フレデリックは優雅な礼を行うと、足音を立てずに歩を進め始めた。
愚直に数匹のゴブリンが彼の道を塞ぐが、タイタニアの弓に次々と仕留められていく。
それでも手が回らないゴブリンは全てフレデリックの右脚が道を拓く。
この動きに静まり返ったのはゴブリン達よりもむしろ公国側だった。
老齢でいつも静かに礼儀正しく振舞う、直接戦闘とは縁がなさそうに見える知的な指揮官というのがフレデリックの印象だったのだ。
それが、単身でゴブリンの軍団に飛び込み、次々とゴブリンを仕留めていくのだからあっけにとられるのも無理はない。
「フレデリック様!」
誰かが叫ぶと、これをきっかけに怒号のような歓声が響き渡る。
進むフレデリックの気迫に押されたかのように道が出来ていくが、彼の元に二体の大柄なゴブリンが立ちふさがった。
『生意気な人間ごぶ。ゴブリンキャプテン様が仕留めてくれるごぶ!』
カラスの魔法はフレデリックにゴブリンの言葉をも理解させた。
しかし、彼に特段思うところは無い。何故なら、ゴブリン達の言葉は概ね彼の予想通りだったからだ。
二体のゴブリンキャプテンは阿吽の呼吸で左右から棍棒を振り下ろす。
しかし、フレデリックはそれより早く宙へと浮き上がり、しなやかな動作で左の回し蹴りを放つ。
見事、左手にいるゴブリンキャプテンの首元に打撃を与えるかと見えた蹴りは威力を落とし首に巻きついた。
――ゴキリ。
フレデリックは左足を軸に全体重をゴブリンキャプテンの首に向け、勢いよく体ごと回転したのだ。
結果、鈍い音を立てゴブリンキャプテンの首の骨が折れた。
彼の動きはここで止まることはしない。
倒れ込むゴブリンキャプテンの肩に乗り、跳躍する。
彼は落ちて来る勢いを持って、残ったゴブリンキャプテンの脳天へ踵落としを喰らわせたのだった。
ドサリとその場で倒れ伏すゴブリンキャプテン。
「ようやく見えました」
フレデリックの視線の先に青い肌をしたゴブリンが映り込む。
彼が単身飛び込んだのは、あのゴブリン――ブルーホーンゴブリンを仕留めるためだった。
矢に射られ動揺するゴブリンらを一瞬で落ち着かせたかの者こそ、彼の狙い。