100.100話記念の外伝
――とある神官。
その日、サマルカンドは震撼し歓喜に包まれた。
「絶大にして偉大なる導師様……。おお、神よ。きっとかの御仁はあなた様の使いに違いありません」
神官衣に身を包んだ壮年の男は両膝を地につけ天を仰ぐ。
空にはどのような魔法を使ったのか、壮大な光の華が浮かんでいた。
彼の目からはとめどなく歓喜の涙が流れ、口をしかと結び組んだ両手は震えている。
「導師様がお空に星を浮かべた!」
彼の近くでは幼子達が空を指差し笑顔を浮かべていた。彼らの近くには彼らを慈愛のこもった目で見つめる母親達らしき姿。
少し離れたところで彼らの父親達が酒を酌み交わす。
信じられない光景がここに、憧れていた夢に見た幸せな瞬間がここにあった。
寒村で生まれ育ち、食うに困るなか税が減じられる訳でなく雑草を、木の皮を……なんとか生きてきたのだ。
「ママー。マルーブルク様の言った通りだねー」
「あのお方がいてこそ、私たちの今があるのよ」
母子の会話が神官の耳に入る。
「そうだ。マルーブルク様のお導きに感謝を」神官は心中でそう思い、信愛なる為政者へ祈りを捧げる。
ヘルマン様の領土よりサマルカンドへ連れて来てくれたのはマルーブルク様があってこそ。
彼が偉大なるお方からこの地に住まわる許しを得てくれた。
彼は導師様からの信頼も厚いという。まだ子供だと言える年齢にも関わらず、彼はなんと聡明で優れた領主様なのだろう。
「お、おお。マルーブルク様へ多大なる感謝を」
秋になれば実りが来る。今でもマルーブルク様の計らいで飢えず、こうして大人達が酒を飲むことだってできる。
「おー見たか? ゴブリン達?」
「んー、見た見た! 導師様の大魔法に奴ら何もできずに逃げ帰ってたぜ」
「龍だって、導師様は恐れない」
「地が抉れ、崖や丘ができるほどの災害級の大破壊……それでも」
「そう、それでも」
「導師様の大魔法を抜けることは叶わない」
父親達が先日のゴブリン達の大攻勢、天なる生き物の争いについて語っている。
「導師様はワンちゃん達にも優しいんだよね?」
「うんー、そうそう。わたしー、一度だけワンちゃんの近くに行ったことがあるのー」
「えー、いいなー」
子供達の話題はコボルトへ移っている様子。
彼らの言葉に一部の母親は顔をしかめている。
仕方のないことだと神官は思う。
導師様とマルーブルク様のお言葉が無ければ、私たちは獣人達と血で血を洗う争いをしていたことだろう。
後から来た彼は直接知る訳ではないが、元々公国は獣人達と戦いにここへやって来たと聞く。
それを導師様が導かれ、お互いを和解させた。
神官自身、コボルトのことはよく思ってはいなかったが、今では少なくとも敵視しようとは考えてない。
彼らは憎きゴブリン達に似るモンスターだ。しかし、言葉を解し牧畜まで行う。
見た目こそ違えど、同じ導師様に許された存在である。
「全ては導師様の御心のままに。カルマにお導きを」
神官が再び祈りを捧げた時、空に光の華が浮かび上がった。
「またはじまったー。きれいー」
子供達の歓声があがり、大人達も一斉に空を見上げる。
しかし、神官の目は空の華ではなく神なる魔法により導師が一晩で作り上げた巨大建造物へ向かっていた。
夜になれば見えなくなるそれは、空の光で浮かび上がりその威容をはっきりと確認できる。
空へも届かんとする高く雄々しいその建造物の名はスタジアムと言うらしい。
「導師様、マルーブルク様……そして、未だ見ぬ獣人の長リュティエ様へカルマのお導きを……」
神官は崇拝し畏敬の念を抱く導師と敬愛してやまない自分の主人だけでなく、憎んでいた獣人にまで祈りを捧げる。
「しんかんさまー」
幼子が手を振り、母親が頭を下げる。
神官は柔和な笑顔を浮かべ、「彼らにも幸あれ」と心の中でそっと願うのだった。
◆◆◆
――かつてのふじちま
『よっしー電話だよ。よっしー電話だよ――』
「だああああ! 休日くらい寝かせろって!」
六畳しかないワンルームにあるためやたら目立つベッドの脇で、萌えボイスが鳴り響く。うるさいったらありゃしねえ。眠気まなこを擦り、スマートフォンのボタンを押す。
そして、当たり前のようにそのまま布団に突っ伏した。
しかし、またしても萌えボイスが俺を呼ぶ。
朝っぱらからもう……仕方ないから寝転んだままスマートフォンを手に取る。
「はい、もしもーし」
「こらーよし兄ー! 忘れてたでしょー!」
「ん?」
どうやら声の主は二つ下の妹のようだが……。
あ、あああああ。
「すまん、すぐに出る」
すっかり忘れていた。今日は妹が地元からこっちに出てくるって言ってたんだ!
明日は会社の面接とかなんとか……なので今日彼女と観光しようって。
あちゃー。
「なーんて」
クスクスと笑う電話越しの妹の声。
「ん?」
「面接が今日になっちゃったって連絡したじゃないー。あはは」
「そういや……ちくしょー。無駄に俺を起こしやがってええ」
「十四時に東京駅で……ね!」
「ま、待て」
あ、電話が切れた。きっと時間ギリギリだったんだろうなあ。
しかし、東京駅という指定だけで妹に出会える気がしねえ。
東京駅は魔境だ……あんな広いところで場所も指定せずに会えるわけがない。
ま、いいや。
寝よう。
「よっしー電話だよ。よっしー電話だよ。よっ――」
「うるせえ!」
人の睡眠を邪魔しやがって。
いちいち電話をかけてくるんじゃねえ。メールとかメッセージとかいろいろあるだろう?
ぷんぷんしながら電話を取ると……。
「よし兄、いまどこー?」
「あ、う、いや、寝てた……」
「こらー! もう十四時半だぞー。いつまで寝てるのー」
「す、すまん。急いで出る」
着替えている時間ももったいない。
黒のジャージのまま歯を磨き顔だけバシャバシャしてから、戸口の扉を開ける。
「ばあー!」
「のうええええ!」
びっくりした。心臓が止まるかと思ったぞ。
扉の外に妹が潜んでいた……。
ゼエハアする俺へ無邪気に笑いかける妹。
「いい反応! その顔、狙ってたなー。まさかよし兄が私を引っ掛けにくるなんて」
「んわなけねえだろおお。マジで倒れそうになったわ」
「相変わらずだねー。よくそれで社会人やってるよね」
「うるせえー。可もなく不可もなくだ」
「ご飯食べよ。よし兄。ほら」
妹は買い物袋を掲げて見せた。
「お?」
「じゃーん」
「おいおい、おやつばっかじゃないか」
「まあいいじゃないかー」
「そうだな。食べようぜ」
「おー」
妹と一緒に再び家の中に戻る。
いつも一人だけの六畳一間のワンルームが少しだけ賑やかになった。