10.タイタニア
彼女は左右を見渡し、床に落ちてしまった濡れタオルとバスタオルへ目を落とす。
顎に手を当てて考え込む仕草をした彼女は、ハッとしたように顔をあげた。
「ごめんなさい。思い出してきたの。わたし……意識が遠くなってそのまま倒れちゃったんだった」
「記憶が混濁していたんだな。仕方ないさ。斬った張ったの中だったし」
「でも……ここは一体……?」
窓の外を覗き込んだ彼女は一歩後ずさり、肩を震わせる。
よろよろと力なく膝が落ちた彼女は鳶色の髪へ両手を当て、大きな緑の目をめいっぱい見開いた。
「ここは君が確認したのかは分からないけど、戦いの真ん中にあった家だよ」
ゆっくりとした口調で彼女へそう告げる。
「あなたがこの家の主?」
彼女は俺を見定めるように顔をよせ、俺の目をしかと見つめてきた。
「うん」
「わたしはどうなっていたのか、教えてもらえないかな?」
「俺が発見した時に君は熱にうなされ意識を失っていた」
これ以上説明のしようがない。俺が見に行った時、既に彼女は倒れていたんだもの。
「時刻は分かる? だいたいで構わないの」
「んーと。昼過ぎ? 昼下がりかも。まだ夕焼け空にはなっていなかったよ」
「……そんな長い間、倒れていたんだ……助けてくれてありがとう」
彼女はようやく笑顔を浮かべ感謝の言葉を述べる。
とりあえず、今すぐ打倒してやるといった敵対心は薄れてくれたようだし。よかったよ。
「その後は、高熱になっていた君をここに運んでタオルで冷やし、塩水を飲ませたんだよ」
「塩水?」
「汗を沢山かいたと思うから、塩分補給も必要だと思ってさ」
「そんな細かい事に気が付くなんて! 確かに汗はしょっぱいね」
「元気になってくれてよかったよ。仲間のところに帰ることはできそう?」
何かマズイことを言ってしまったのか、彼女はさっきまでの勢いはどこへやら、急に押し黙って神妙な顔になる。
「あなた、名前は?」
「俺は藤島良辰。探偵さ」
「フジィか。わたしはタイタニア。よろしくね」
知ってた。すっかり名前のことなんて頭から飛んでいたけど。
当然だが日本の小ネタはこっちの人には通じない。一応、確認だ、確認。
俺が心の中で一人突っ込みしている間にも、彼女は自分の腰のポーチや剣鞘へ手を当て何かを探しているようだった。
「どうした? 何か大事なものを失くしたのかな?」
ワギャンは腕輪をいたく大事にしていた。彼女にも彼と同じように肌身離さず持っているモノがあるのかも。
「助けてもらったお礼と思ったんだけど……剣はないし、お金も……」
彼女はポーチをめくりあげる。
なるほど。底に穴が開いてしまっていたのか。
「いや、俺が自分の心の安寧のために助けたに……って何してんだよ」
「お礼」
「落ち着け。なんで脱ぎ始めてるんだよ」
「お礼」
「……」
言葉が通じねえ。唐突過ぎて意味が分からん。
普通に考えれば、「何も持っていないからお礼にわたしを抱いてくれ」だろうけど……素直に受け入れることはできん。
いいか、ここがどこか分からない。しかし、少なくとも地球ではないことが確定だ。
そして、つい先ほどまで殺し合いが起きていた。
目が覚めたタイタニアは、いきなり俺を組み敷きマウントを取るほどに危険が蔓延している世界……。
俺の心情としては後で何されるのか分からんし、未だ見ぬ変な契約魔法とかがあったりして、それに束縛されでもしたら困る。なのでお断りだ。
一方、彼女の心情はどうだろう。
怯えるでもなく、慌てるでもなく、達観したようにいきなり脱いだ。
無表情に「お礼」とだけ告げるぶっきらぼうな彼女の態度は、とてもじゃないけどお礼を受け取って欲しい人の態度ではない。
「勘違いしないで欲しいのだけど……殺す気なら、そもそもここに連れて来ない。君をおもちゃにする気もない」
彼女の服を脱ぐ手がとまる。
マウントを取ったにもかかわらずあっさりとひっくり返された。俺との絶対的な力の差を感じ取った彼女。
何故助けられたのか分からない。「帰っていい」という甘い言葉が信じられないのではないか?
そう言って希望を与えつつ、拘束し売り払うなり監禁されるなりされると思ったのかも。
ここは修羅の世界。いきなり声をかけた相手に襲い掛かるほど警戒心を持たねばならないところなのだ。
礼を持っていないのなら、自ら体を差し出し情に訴え出ることで俺の言葉通りに「帰らせて」もらおうと考えた、彼女なりの防衛方法なのだろう。
「……でも……」
「俺は君が思っているような存在ではないって。お礼と言うなら、あそこにある遺品を君の村に届けてくれないか?」
「え?」
「だから、服を着てくれ。目のやり場に困る」
そう言いつつも彼女から目を離す分けにはいかない。ここで目を離すほど呑気には考えていないからな。
俺の言葉が信じられないのか、彼女は茫然としたままぼんやりと人間の遺品を見つめている。
「あなた……一体……」
「言っただろう。俺はここに住むただの探偵さ」
「タンテイってなんのことか分からないけど、あなたの言葉は都合が良すぎて信じられないの」
どうしたものか。彼女の国はどうなってんだ……修羅過ぎて平和ボケした俺にとっては理解の範疇を超える。
俺としては、家の中に引きこもりたいだけで他人をどうこうしようなんて一切思っていない。むしろ、俺に関わらないで欲しいとさえ思っている。
「とにかく……君の仲間の三人の遺品がそこに置いてある。勝手ながら埋葬させてもらったんだ」
「そんなことをしてあなたに利益が一つもないじゃない?」
「あるさ」
ワザと得意気な顔をして大げさに両手を広げた。
ここは、俺が損得で動いていると彼女に納得させればいい。
「いいか、ここに死体が転がったままだと腐る。そして、悪臭でたまらなくなる。景観も最悪だ。俺は引っ越しをするつもりはないんでね」
「……意味が分からないわ……。でも、あなたのことを信じる」
この顔は明らかに納得してないけど、彼女の立場からしたら俺がここから動かないことを祈る以外無いのだろう。
色気も通用しなかったことだし、彼女に残された手段はもう無い。だから祈るのみってわけだ。
「墓の位置も教える。すぐそこだ」
長槍を指した墓標を指し示す。
「あの槍はペッチの」
うはあ。タイタニアもワギャンと同じで視力がとんでもねえな。
こんな人らに外で目をつけられたら俺、ひとたまりもないぞ。
俺が背中に嫌な汗を流しているなんて露知らず、タイタニアはその場で腰を降ろし俺が脱がせたブーツを履き始める。
「道中気を付けてな」
「夜間は危ないから、ここに泊まっていってもいい」とは言えなかった。もし彼女から頼まれれば、「否」と言う気は無かったけど。
道中大丈夫だろうか? とか心配する気持ちはもちろんある。でも、それは言ったらいけない気がしたんだ。
下手に彼女へ気を払うと逆に警戒され、また先ほどのように恐れられてしまうかもしれない。
人間関係ってのは難しいもんだ。
おそらくだがワギャンの社会より、タイタニアの国の方が文化程度が高いのだろうと思う。
よそ者である俺は得体のしれない何かであり、仲間ではない。社会構造が成熟してくれば、無法者は警戒すべき相手になるものだから。
「……ありがとう……」
俺と目を合わせず、靴ひもを結びながら彼女はぼそっと呟いた。
「俺は俺のためにやっただけなんだ。君たちのためじゃあない」
感情を込めぬよう淡々とそう告げる。
「導師フジィ。遺品は貨幣と宝石だけ持って帰るわ。残りは好きにしていいよ」
「分かった」
「じゃあね。世捨て人の導師さま」
また変な呼称を……でもそれで納得してくれるのならいいか。
導師だの魔術師やら、いろいろと勝手に呼び名がついていくけど……気にしたら負けだ。