とりあえず、暑いから。
「暑い…」
ミズキは、自室の中でエアコンの温度を下げながら呟いた。
友人から借りた映画のDVDの内容が、冬が舞台だったからだ。
暖炉や毛布、料理、飲み物、キャンドル。可愛い人形劇。
全てが暖かい。
映画自体は、とても心を打つ素晴らしいものであったが、それにしても今の時期に見るものではないな、とミズキは思った。太陽が、笑ってる。
ごろごろと、無為な時間が過ぎていく日曜日。
自分で淹れたアイスコーヒーの入ったグラスの水滴が、つるりと踊りながらテーブルに落ちていく。氷はすっかり溶けてしまっていた。
少し前迄は、彼氏と一緒だった時間が全て空いているのである。
DVDを貸してくれた友人にも、ここ最近は散々に男と別れた経緯の愚痴を垂れ流し、話を聞いて貰っている。
ミズキの可愛い所を、気付けなかった人だったんだよ。
友人は、そう言ってお茶に付き合ってくれて、食事に付き合ってくれて、隣に居てくれた。
格好良い、と、ミズキは友人に対して憧れに近い感情を抱いた。
ああ、そうだ。格好良過ぎるんだ。
ミズキが、ベージュのシーツに包まれたベッドに飛び込んで、仰向けになる。
暖かい気持ちになれる映画を教えてくれる事。
黙って話を聞いて、私を待ってくれる事。
美味しいお茶とご飯が食べられるお店に連れて行ってくれる事。
綺麗で、整った顔立ち。センスの良い洋服の選び方。
友人は、素敵だ。
其処に、プライドを傷付けられるのだ。
コンプレックスを抱くのとは少し違うこの気持ちに陥って、そして男と別れてからそんな彼女を頼りにしている事に、ミズキの胸が黒くどろりとしたものが纏わりつくのだ。
だから、彼女と一緒に居て、助かっているけれど、辛い。
何ていう、自分勝手な考え方なんだろう。
ミズキの考えは、其処には至らない。至る迄の余裕も無い。
かわりに、友人が恐らく趣味の映画にこころを揺らせながら感性を磨き、世界を生きている事に傷付く。それだけ。
映画は、もういいや。
音楽でも聞くかな、とミズキが枕の側から伸びるイヤホンを付ける。
最近話題の、ポップで明るい曲調に乗せた華やかで前向きな歌詞。軽く聞ける、今の流行。ミズキが気に入っているのは、単純にバンドの男の子達が可愛い顔立ちだから。
諦めるには、陽が落ちてない。
前を向いて走ろう。
笑っていて。君と一緒だ。
笑って開く扉は、あふれる光だ。
暗くなっても、次は晴れるさ。
目を開けて腕を上げ。
メロディー聞いて一緒に。
胸にあるはずさ、あふれる光だ。
少し高い声のボーカルが、キャッチーに歌う。
それで良いんだけどな。
そんなものなんだけど。
…なんだけど。
とりあえず、暑いから。
友人は、格好良いから。
一人の今日は、ラフにいこうよ。
自分に言い聞かせる、ある日の日曜日。
午後の一人は、それで良いや。
イヤホンを外した。聞くのも、これくらいで良い。
氷が溶け混じり、黒くなくなったコーヒーの茶色が少しだけ愛おしくなるけれど、飲み干す事は多分しない。
買い物にでも、行こうかな。目的は無いけれど。暑いけれど。
帰ってから、コーヒーは捨てよう。
着替えてしまえ。
黒と白の、ボーダータンクトップ。
カーキのサロペットは、サイズが大きめ。
足元はくるくると、ロールアップして。
友人と会うつもりなら、ここは真っ黒い革のショートブーツで引き締めるところだけれど、今日は綿で編み上げたオフホワイトのレースアップのエスパドリーユ。裸足で良いんだ。
シューズも、レースアップした足首に巻く部分と本体のアウトラインだけが黒い。楽だ。
気ままに歩いていれば、きっと忘れる時間になる筈。
「行ってきまーす」
誰にとも言わずに、ミズキはフリンジの付いたクラッチバッグ(これもオフホワイトだ)を片手に部屋を出た。
でもきっと、友人はコーヒーじゃないから。
この後、また電話してしまう事になるんだろう。
ミズキは、部屋に鍵をかけて歩き始めた。
歩き始めた。
歩き始めた。
こころは、何処に在るかなんて気付かないまま。