第十三話・1
改めて宣戦布告をして、エミとの通話を終えた数時間後。私は大学の中庭で考え込んでいた。
彼女はまだ諦めていない。『狩る側』である棗に殺されるという目的を諦めていない。
存在するのだ。棗の意志を刷り込まれた、『最後の成香』が。
しかし……
「それは一体誰なのか……」
思わず呟いてしまう。そう、まるで手がかりはないのだ。
棗の死を目撃したであろうM高の生徒、おそらくはその中にいるはずだとは思う。
だが、誰が棗の死を見たかどうかなど一々聞いていられないし、その間にも『成香』はエミを殺すかもしれない。
後がないのはエミも同じ、萱愛の行動で『成香』たちの視線が自分に向かなくなった今、『最後の成香』がしくじれば、今度こそ彼女の目的は完全に打ち砕かれる。
それはエミもわかっている。それこそ死にものぐるいで『成香』の正体を隠すだろう。
もしかしたら、今この瞬間にも『成香』は既に動いているのかもしれない。
どうすればいい? どうすれば……
その時、携帯電話が鳴る。
「もしもし」
『黛センパイ、今大丈夫ですか?』
電話の主は樫添さんだった。
「ええ、どうしたの?」
『はい、さっきも言ったとおり、学校では萱愛の噂でもちきりです。聞くところによると噂が大きくなって、一年生の間では既に萱愛に突っかかっている生徒もいるようです。柏ちゃんも、今日は暴力を受けている様子はありませんでした』
「なるほどね、エミが言ったとおり、『成香』たちの視線は彼女からはずれたようね」
『はい、ですが……』
「わかってる、これはエミにとってチャンスでもある」
M高では今、萱愛の話でもちきりになっている。だからこそ逆に、『最後の成香』にとっては好都合なのだ。
この騒ぎに紛れて、エミを殺すには。
私はそれを危惧している。もしこの状況で『成香』に動かれたら、その正体を掴めていない私には止める術が無い。
時間がないのだ。正体を突き止める時間が。
闇雲に探してもダメ、考え込んでもダメ。何か手がかりはないのだろうか。
……待って。
そもそも多くの『成香』が萱愛に視線を移したのに、なぜ『最後の成香』だけはエミをまだ狙っているのだろうか。
そこには何か理由があるはず、この状況でもエミから視線を外さない理由が。
多少危険を冒してでも、自分に疑いが掛かっても、エミに拘る理由が。
『……センパイ、黛センパイ?』
「ああごめん、樫添さん。なんだっけ?」
「はい、さっき萱愛から聞いた話なんですが……」
そして樫添さんはある情報を私に伝える。
「……それは本当なの?」
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私は数時間前、萱愛くんと話した直後に教室に戻った時のことを思い出していた。
ついに現れたのだ、『彼』が私の前に。
「久しぶりだね、しかしまさか名乗り出てくれるとは。嬉しくはあるのだが……獲物に自らの正体を明かしてしまって大丈夫なのかね?」
「……」
『彼』は応えない。まあそうか、獲物にこれ以上情報を与える義理はない。
教室内はクラスメイトたちが大きな声で騒いでいて、こちらの会話を気にする様子はない。
「それで、用件は何かな? さすがにこの教室内で事を起こすわけではないのだろう? 私としては歓迎ではあるが……君の将来もある」
そして『彼』は口を開く。
「なるほど……」
『彼』は言った。
今日中に、必ず私を殺すと。
漠然としていた『死』の予感が、ついに明確なものとなって再び私の前に突きつけられた。
『彼』による、直々の死刑宣告。
しかも執行を言い渡されたのは当日。獲物に心の準備などさせるつもりも無いと言わんばかりに。
この国の死刑囚はその執行を当日の朝に伝えられるらしいが、まさにそれと同じだ。
いや私の場合、そもそも死刑が確定しない状態でいきなり執行を告げられている。絶望はより深いだろう。
死刑宣告をされたのは昼休み。そして今は午後三時なので、今日はあと九時間ほど。
その間に私は殺される。その運命からは決して逃れられない。
「くっくっく……」
思わず笑みを浮かべてしまう。『彼』が今日のいつ来るかはわからない。なのに私が死ぬことだけは確定している。
これで私がどうやって助かる? 『彼』に立ち向かえるはずもない私がどうやって助かる?
これでは無理だろう、黛くん。君は『彼』の正体をまだ掴んではいない。
君が私を救うことなど、不可能だ。
心地よい絶望にどっぷりと身を浸した私は、思い出の場所に向かうことにした。
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樫添さんとの通話を終えた私は、急いでバスでM高に向かった。
時刻はもう四時半。もし樫添さんからの通話が本当だったとしたら……
『あいつ』が事を起こすのは今日でもおかしくない。
M高近くのバス停でバスを降り、走って校門まで向かう。
……エミ、無事でいて!!
「……何をしているんだお前は」
校門の前まで来たとき、声を掛けられた。
そこにいたのは……
「……柳端」
あの時からすっかり髪が伸び、頬がこけてしまった柳端 幸四郎だった。
「お前はもうここを卒業したんだろ? それとも何だ? 大学をさぼってまで『お友達』をストーキングしたいのか?」
「……」
「不愉快なんだよ。お前も、柏も!」
柳端はあからさまな敵意を私に向ける。
以前の私だったら、この敵意に耐えられなかっただろう。だが、今は違う。
私は、エミの敵として彼女を守ると決めたのだ。
「今日はもう授業は終わったのよ。私がどこに行こうと自由でしょ?」
「驚いたな、不法侵入を開き直るとはな」
相変わらず年上を敬わない柳端を見て、私は確信した。
「柳端、一回だけ言うわ」
「なに?」
確信は持った、だから言う。
「もう、柏 恵美のことは諦めてよ」
いつだったか、こいつに言った言葉を。
「……なんのことだ?」
「言葉通りの意味。エミを諦めて」
「失礼な女だな。まるで俺があいつに片思いしているようなことを言うな。虫唾が走る」
一見、柳端は私とエミに敵対心を持っているように見える。
だが違う。こいつは違う。
こいつはエミに、執着している。
「一つ聞くわ」
「……なんだ?」
「何であんたは私に今、声をかけたの?」
「……」
柳端は私を嫌っている。
それはそうだろう、私もエミと同じく棗の死に関わっている一人だ。私たちがいなければ、棗は死ななかったかもしれない。だから嫌っている。
だがそんな男がなぜ、わざわざ私に声をかけた?
「答えられないなら、質問を変えるわ」
「……」
「柳端、あんたは入学してから、エミと何回か会っていたそうね」
これは先ほど樫添さんから伝えられた情報。柳端はまず入学式の日、暴行を受けるエミの前に姿を現した。
さらに樫添さんが萱愛から聞いたところによると、佐奈霧さんの一件の時にエミの教室に行った萱愛は、その教室の前で柳端と遭遇し、口論になったと言う。
そして今日、私とエミが通話をした直後のこと。
昼休みに三年の教室に行く柳端を、萱愛が目撃したそうだ。
柳端はエミを嫌っている、それこそ顔も見たくないはずだ。
なのに……
「なんであんたは何回もエミの前に姿を現しているの?」
「……」
柳端は私と目を合わせてはいるが、質問には答えない。
だから私の推論を話すことにした。
「あんたはエミを嫌っている、言い換えれば、エミに拘っている。それこそ……」
少しの緊張が私の言葉を止めたが、意を決して言った。
「殺したいほどに」
……柳端は、
柳端はエミに拘っている。棗の死の遠因となったエミに拘っている。
そして柳端は同時に、棗に拘っている。
エミと棗。その両者に拘り、なおかつ棗の死を目撃している人間。それが柳端。
こう考えれば、これ以上ない人物だ。
『最後の成香』と、なるには。
「黛……」
ここで漸く、柳端が口を開いた。
「何かおかしいことか?」
その顔は、徐々に生気を取り戻しつつあった。
「俺があいつに拘ることが何かおかしいことか?」
「……」
私はあえて、それには答えない。
「柏は、香車を拐かした。いわばあいつは人を惑わす悪魔だ。香車をひどい目に合わせたのはあいつなんだ。そして香車の友達である俺が、柏に特別な感情を抱くのは別に不自然じゃないだろ?」
柳端はどんどん言葉を発する。彼らしくない口数の多さだ。
私にはそれが、言い訳を必死に考えているように見えた。
「そうだ、そうだよ、香車は柏に拐かされた被害者だ。香車は何も悪くない。だからちゃんと復讐しないと」
なんだろう。
少しずつわかってきた。柳端がなぜここまでやつれていたのかを。
彼はまだ、受け入れていなかったのだ。棗のことを。
「香車が死んで、ああいや違う。香車がひどい目に遭って、柏が何もお咎め無しなんて許されるはずがない。うん、そうだよな。そうに決まっている」
そして、その心の隙をつけ込まれたのかもしれない。
「だから……」
他ならぬ……
「『僕』が『柏さん』を殺すのは別におかしなことじゃないよね?」
棗 香車に。
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「うがあああああああああっ!!」
どうしてだ、どうして。
「なんで!! なんで香車が!! なんで!!」
どうして平和に暮らしていた香車が、こんな目に遭わなくてはならなかったんだ。
どうして? 違う、原因はわかっている。
「柏あぁあぁぁぁぁ……」
柏、柏、柏 恵美。
あの女が、あの女が全てを狂わせた。あいつが全てを壊した。
あの女が俺たちの前に現れなければ、俺たちは、ずっと、ずっと平和に……
「あいつが、なんで、なんで生きているんだ!!」
自分の中で様々な感情が渦巻いて、口から上手く言葉が出てこない。
あいつに抱いている感情がよくわからない。
そして俺はこの二年間、香車と柏のことばかり考えていた。
あの変態女が、死にたがりのクズが、香車を殺しておいて未だに息をしているのが許せない。
だがどうする? あいつを殺す? 俺が?
「そんなことが出来るわけが……」
そう、俺は二度もあいつを殺すのに失敗している。
だから後込みしていた。あいつを殺すことに。
そして自分への苛立ちが募った。香車に対して何も出来ない自分に。
「くそっ!!」
だがある日。そう、高校に入学する直前のことだった。
(……幸四郎)
声が聞こえた。そう、確かにその声が聞こえたのだ。
「……香車?」
香車だ、香車の声だ。
久しぶりに聞く香車の声に俺の心が歓喜に震えた。
「香車だな!? どこだ!? どこなんだ!?」
(……痛いよ、苦しいよ、幸四郎……)
香車は悲鳴を上げていた、そのように聞こえた。
だがどこにいるのか全くわからない。
(柏さん、柏さんが僕を……)
「柏!? そうか、柏か! あいつに囚われているのか!?」
そして俺は高校に入学してからというもの、暇があれば柏との接触を試みた。
そして柏に会う度に、香車の声は明瞭になっていった。
「なあ香車、そろそろ教えてくれ。お前はどこにいるんだ?」
(幸四郎……僕は、柏さんのせいで……)
「柏のせい!? そうか、そうだよな。あいつのせいでお前は……」
(怖いよ、僕が変わっていくのが怖いよ……)
「大丈夫だ、俺がついている。お前が俺を守ってやる!!」
(……本当に?)
「ああ、本当だ!!」
(……うれしいよ。だからお願いがあるんだ)
「なんだ? 何でもいい、お前のためなら……」
(僕が完全におかしくなる前に、柏さんを……殺して……)
「……え?」
何だ? 香車は俺に柏を殺せと言ったのか?
違う、香車は人殺しを楽しむようなやつじゃない!!
(違うよ幸四郎、僕もこんなこと頼みたくないよ。でも怖いんだ)
「香車?」
(柏さんが怖いんだ、あの人が僕を変えていくんだ。だから幸四郎に頼んでいるんだ)
その時、ようやくわかった。
そうだ、香車は必死に抵抗していたんだ。柏の誘惑に対して。
だけどそれに屈してしまうのを恐れた、だからなんだ。
だから香車は、柏を殺そうとしたんだ。
そうだ、香車は善人だ。あくまで柏に立ち向かおうとしたんだ。
だからあいつは何も悪くない、悪いのは全て柏だ。
「わ、わかった……柏を、俺が……」
(幸四郎、怖いの?)
「……っ!」
何でだ、何でこの期に及んで俺は腹を括れない。
だから香車を助けられなかった。そしてまた香車を……
(じゃあさ、幸四郎。一つ考えがあるんだ)
「か、考え?」
(うん、あのさ……)
そして香車は、提案した。
(幸四郎の意志を、僕に貸してよ)
俺にとって、魅力的な提案を。
「俺の意志を、貸す?」
(うん、幸四郎には僕として動いて欲しいんだ。僕として、僕のつもりで柏さんを殺して欲しいんだ)
「香車と、して……」
香車として柏を殺す?
そうだ、それだ。とても理に適っている。
香車は柏に立ち向かっていた。香車は柏から逃れたかった。
そして俺は香車を柏から救いたかった。
香車は柏を殺さないと救われない。だから香車は柏を殺したがっていたんだ。
それは何も不自然じゃない、普通の行動だ。
そう、香車が柏を殺すことこそが……
あいつがごく普通の人間であったという証拠。
そうだ、だから俺は柏を殺さないといけない。いや違う、
『僕』は『柏さん』を殺さないといけない。
棗 香車は死んでいない。『僕』は『香車』だ。
だから『柏さん』を殺さないと。
そして現在。
『僕』は宣言する。目の前にいる女に。
「『僕』は、『棗 香車』として、『柏 恵美』を殺す」
驚きに目を見開く女をよそに、『僕』は思い出の場所へと走っていった。
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私は日が沈み掛けた学校の屋上で佇んでいた。
時刻は午後五時。そろそろ学校からも人気も無くなるだろう。
二年前の事件を受けてか、屋上には高いフェンスがかかっていた。まあ、鍵は簡単に拝借できた辺り、この学校の安全管理はたかがしれているが。
さて、そろそろだろう、『彼』がここに現れるのは。
例え別の場所にいたとしても、学校内の人気の無い場所であれば構わず『彼』は私に襲いかかってきたのだろうが、どうせなら思い出の場所で最期を迎えてみたい。
そう、本来なら二年前のこの場所で私の命は終わるはずだった。
しかしそれは叶わなかった。しかし二年の時を越え、戻ってきた『彼』は今度こそ私に引導を渡すのだろう。
待っていた甲斐があった。いや、『彼』からは決して逃れられないのだ。
「だから、君は逃げることをお勧めするよ、樫添くん」
私の隣にいる樫添くんに忠告する。その顔からして、彼女も緊張しているようだ。
見たところ武器も持っていない。黛くんの要請で、急いで私を守りに来たのだろう。
だが彼女一人で私を守りきれるはずもない。犠牲者が二人になるだけだ。
「……ここまで来て、逃げるなんて出来ると思う?」
「『彼』が来る前にその階段を降りればまだ君は助かるよ」
「……私は決めたの。ここまで付き合っておいて、この舞台から降りることはしないって」
「ふむ……」
彼女も彼女で見上げた決意だ。そしてそれは、『彼女』も同じだろう。
……私の、最大の敵も。
その時、屋上のドアが開いた。現れたのは……
「……待っていたよ」
「お待たせしました、『柏さん』」
つい先ほどまで『柳端 幸四郎』であった、『香車くん』だった。
「ああ、待ちくたびれたよ『香車くん』」
「あ、あんた、柳端……?」
樫添くんが『香車くん』を見て驚く。
「あ、ああ、『柏さん』以外にも人がいるなあ……」
「ちょっと、柳端! あんた……」
「殺した方が、いいのかなあ……」
「なっ!?」
ふむ、まだ迷いがあるのかな? しかしそれもすぐに無くなるだろう。
この場所、この状況、あの時に限りなく近い。
しかし私には懸念がある。おそらくは、現れるのだろう。
「エミ!」
……やはり。
『彼女』は現れた。私を救いに。私の望みを踏みつぶしに。
だから『彼女』は……
「君は私の敵。そうだろう? 黛くん」
私は最大の敵の名を口にする。
「ええ、そうよ。私はあなたの敵。だから今度も邪魔に入った」
今こそここに、『狩る側』と『狩られる側』、そして『守る側』が集まった。
これで最後だ。二年前から続くこの戦いも……
今ここで、決着がつく。




