第十二話・1
佐奈霧さんによる襲撃事件から土日を挟んで三日後。俺は思い悩んでいた。
その内容はもちろん、佐奈霧さんと唐木戸のことだ。
俺は知らなかった。佐奈霧さんが唐木戸の親友だったということ、唐木戸が日記を残していたこと。
そして、唐木戸の自殺の原因を俺が作ったということ。
だが考える。俺は間違っていたのだろうか。
確かにやりすぎたのかもしれない。強引に志望校を変えさせたのかもしれない。
だが例えそうだとしても、そのことで自殺するとは思えない。
俺は唐木戸を心から心配していた。だからこそ、必死に応援した。その思いはあいつに伝わっていたはずなんだ。
そうだ、それを佐奈霧さんに話してみよう。いや待て、彼女はまだ俺を狙っているだろう、二人きりで話すのは危険だ。
とりあえず彼女としても、復讐しようとしていることが肝心の俺自身に気づかれてしまった以上、目立つ行動は出来ないだろう。
しばらく時間がいる。佐奈霧さんが頭を冷やす時間が。佐奈霧さんを説得するのはそれからだ。
さて、今日はどうするか……
安全のために学校を休むことも考えたが、病気でもないのに休むのも問題なので、普段通り登校することにした。
その日の昼休み。
佐奈霧さんは普通に授業に出席していたが、俺と目を合わせようとしなかった。
昼休みになっても俺と話すことはせず、どこかに行ってしまった。
「どちらにしろ、彼女のことは先生方にも相談した方がいいかな……」
俺はとっさに御神酒先生の顔を思い出したが、どうせあの先生のことだからまた『お前を救う価値など無い』みたいなことを言われそうなので、他の先生に相談することにした。
弁当を食べ終わった後、教室を出て職員室のある校舎に向かう。
だが、渡り廊下を歩いて、校舎に入ろうとした時だった。
「……え?」
その歩みは強制的に止まってしまった。
なぜなら、落ちてきたからだ。
傷だらけの柏先輩が、俺のすぐ横にあるゴミ捨て場に落ちてきたからだ。
「か……」
「……うっ」
「柏先輩!!」
俺は急いで柏先輩に駆け寄り、無事かどうかを確かめる。
……良かった、息はある。でもどこかを打っているかもしれない。
何があった? なぜこんなことに?
俺がふと上を見ると、そこには俺が向かおうとしていた校舎の二階が見えた。
そして俺は見た。
二階の窓際にいた……枝垂先輩を。
「し、枝垂先輩?」
先輩は俺と目が合う直前にその場を離れて行ってしまった。
見間違いじゃない。今のは枝垂先輩だった。そして今の行動は明らかにおかしい。
窓の外、自分のすぐ下で俺が大声を出して柏先輩が倒れていると言うのに、枝垂先輩は俺に声をかけることも窓から様子を窺うこともしなかった。
そう、今の行動はまるでその場から逃げるかのような行動だった。
まさか、まさか……
枝垂先輩も、『成香』だというのか。
いや、今はそれどころじゃない。助けを呼ばないと。
「誰か! 誰かいませんか!? 人が倒れています!!」
柏先輩をそのままにするわけにはいかなかったので、大声で人を呼ぶ。すると……
「おい! 大丈夫か!?」
「御神酒先生!?」
校舎から御神酒先生が飛び出して来て、柏先輩に駆け寄る。柏先輩の無事を確認し、今度は俺に話しかけてきた。
「萱愛! 早く救急車を呼べ!」
「は、はい!!」
こうして俺は柏先輩のために、再び救急車を呼ぶことになった。
数時間後。
病院に運ばれて治療を受けた柏先輩だったが、ゴミ捨て場のゴミがクッションになったおかげで、大した怪我は無かったと医者から聞かされた。
さすがにこの短期間で二度も柏先輩が怪我をしたこと、さらに通報したのが二回とも俺だったことに救急隊員や医者には疑いの目を向けられたが、深く追及はされなかった。
その理由は……
「教師として言わせていただきますが、萱愛はあくまで柏を助けようとしただけです」
御神酒先生が、疑いの目を向ける救急隊員たちに俺の無実を断言したからだ。
正直言って、意外だった。御神酒先生が俺や柏先輩を助けたことが。
気にはなったが、とりあえず俺は枝垂先輩のことを先生に話した。
「枝垂があの場にいたのか?」
「はい、おそらく柏先輩が落ちた場所の真上くらいにいたのを見たのですが……」
「そうか……」
「でも、あくまでそこにいたのを見ただけです」
確証はない。だから無闇に先輩を犯人だと確定するようなことはしたくなかった。
「わかった、萱愛。柏のことは私が見ておく。お前はもう家に帰れ。学校には連絡しておく」
「……先生。ひとつ聞いていいですか?」
「なんだ?」
俺は意を決して、質問をぶつけた。
「なぜ柏先輩を助けたり、僕を庇ってくれたんですか?」
「……質問の意味がわからんな」
「え?」
「私は教師だ。生徒を助けるのは当然のことだ」
「……しかし! 先生は言いました! 『助かる見込みのない生徒は見捨てる』と! それに先生は柏先輩が気に入らないのではなかったのですか!?」
御神酒先生は間違った思想の持ち主だ。
生徒全員を救うことなど出来ないと決めつけ、自分の気に入らない生徒は見捨てる。そんな人のはずだ。
なのに何故、俺や柏先輩を助けてくれたのか。それがどうしてもわからなかった。
「相変わらずだな萱愛。お前はまるで他人を見ていない」
「……どういう意味ですか?」
「お前の考えの根底にあるものは、『自分が正しくて、他人が間違っている。だから正しい自分が他人を矯正しなければならない』。そういった身勝手な使命感だ」
「……」
三日前までの俺であれば、その言葉を真っ向から否定したかもしれない。
だが佐奈霧さんの意図や唐木戸の死の真実を知った今の俺は迷っていた。
自分が本当に、正しいのかどうか。
「だからお前は私の考えを正しく理解していない、お前の主観で歪めてしまう。言ったはずだ。私は『助かる見込みのない生徒、助かる意志のない生徒は見捨てる』と。お前は柏を助けるために人を呼んでいた。だから私は教師としてお前たちを助けた。それだけだ」
「……俺が助けを求めていたから?」
「そうだ、お前は助けを求めていた。そして柏はまだ生きていた。だから助けた。そうでなければ教師ではない」
「ですが! やはり僕は先生の考えは認められない! 皆が幸せになった方がいいに決まっています!」
「……そうだな」
「え?」
「萱愛、一つお前に言っておく」
そして御神酒先生は、
「私はとうの昔に、教師として最低の人間なのだ」
俺の顔を見ずに、その言葉を言った。
「な、何を言って……」
「話はここまでだ。さあ、もう家に帰れ」
有無を言わさない口調でそう言われ、俺は大人しく家に帰ることにした。
翌日。
俺は授業が終わると、真っ先に将棋部の部室に顔を出した。
もちろん、俺が用があるのは……
「……お疲れさまです、枝垂先輩」
「おう新入生。どうしたそんな真剣な顔して」
部室の奥で将棋盤を見つめていた枝垂先輩は、まるで昨日のことは知らないと言わんばかりの爽やかな笑顔で俺を出迎えた。
「先輩、聞きたいことが……」
「ああ、昨日のことだろ?」
「え?」
昨日のこと。もちろん柏先輩のことに違いない。
まさか、先輩の方から話を切りだしてくるとは……
「昨日、僕が柏の転落現場を見たことについてだろ? 確か新入生は柏の近くにいたよな?」
「え、ええ……」
「いや、済まなかったね。僕も柏を助けに行くべきだったけど、どうしても外せない用事があったんだ。だから君に任せてしまったんだ。本当に申し訳なかった」
「……」
本当だろうか。
あの時、枝垂先輩は俺に一言も声をかけることをしなかった。いくら急いでいたからと言って、そんなことがありえるだろうか。
だけど、確証はない。枝垂先輩が『成香』だという確証が。
「先輩、一応お聞きしますけど……」
「どうした?」
「先輩の用事って、何だったんですか?」
「……言わないとだめかい?」
先輩は言葉に詰まった。これは怪しい。
本当はそんな用事なんて……
「実はな……父親が危篤なんだ」
「……え?」
「医者の話だと本当に危ない状態で、それこそいつその時が来てもおかしくないらしい。だから僕は昨日、午後の授業を休んで急いで病院に向かうところだったんだ。まあ、言い訳にしかならないけどね」
「……」
お父さんが危篤。確かにあの場からすぐに去ったのも納得出来る理由だ。
それに、そう言った理由であれば……もうこの事について追及は出来ない。枝垂先輩だって辛いはずだ。
疑問は残るが……もうこれで……
その時、部室の扉が開いた。
「あ、お疲れ様です、御神酒先生」
「枝垂、それに萱愛もいたのか。ちょうどいい」
部室に入ってきた御神酒先生は、枝垂先輩に詰め寄る。
「ど、どうしたんですか先生?」
「枝垂、萱愛から聞いたが、お前は柏が転落した現場に居合わせたらしいな。なぜ私や他の先生方にそれを言わなかった?」
「ああ、さっき萱愛くんにも言いましたけど、その……家族が危篤で……」
「私はそんなことは聞いていないが?」
「……」
どうした? 枝垂先輩の様子がおかしい。
それに御神酒先生も妙だ。確かに昨日、枝垂先輩のことを先生に話したが、まるで御神酒先生は先輩が柏先輩を突き落としたことに確証を得ているようだ。
「そういえばだな枝垂。昨日、柏の手の中からこんな物を見つけた」
「え?」
「我が校の制服のボタンだ。大きさから言って、おそらく袖口のボタンだな」
「なっ!?」
その言葉を受けて、枝垂先輩は半ば反射的に制服の袖口を見た。
だがそこには……
「……え?」
袖口には三つ、しっかりとボタンがついていた。
「どうした枝垂? 袖口が気になったのか? それとも、袖口のボタンが柏に引きちぎられる可能性があったと考えたのか?」
「そ、それは……」
枝垂先輩はあからさまに動揺している。
まさか、まさか本当に先輩が……
「枝垂、お前には詳しく話を聞く必要がありそうだな」
「……」
数秒の沈黙が部室を包んだ。だが、その直後、枝垂先輩が口を開く。
「……御神酒先生。あなたなら、わかってくれますよね?」
「……」
「柏 恵美。あの女は異常だ。そう、『普通』とはかけ離れている」
「せ、先輩?」
何だ? 先輩は何を言おうとしているんだ?
「新入生、君もわかるよな? そうだ、君は柏が間違っていると言っていた。僕もそう思うんだ」
「柏先輩が、間違っている?」
「正確には、柏は『異常者』だ。『普通』ではない、『異常者』だ。そして……」
そして枝垂先輩は目を見開いて、言う。
「『異常者』は、排除されるべきだ!!」
自らの、持論を。
「そう、この社会は『普通』の人間のために存在する。法律も、校則も、みんな『普通』の人間を守るためだ! そしてこの社会に、『異常者』は必要ないんだ!」
枝垂先輩は次々と持論を展開する。
「僕は『普通』の人間だ。だから、社会は僕を守るべきなんだ。そして柏は『普通』じゃない。だから社会はあいつを守る必要はない!
「そ、そんな! 柏先輩だって一人の人間なんです! あの人だって守られる権利がある!」
「いいや、あいつには無い。現に、ここ数年の暴力事件はあいつのせいで起こっているんだ。暴力を振るう奴も、そしてその原因になっている奴も、この社会には必要ない!」
「ま、まさか、そんな理由で?」
「そうだよ! 僕があいつを排除したんだ! この学校のために! この社会のために! これは必要なことなんだ!」
そこまで言われて、気づいた。
『これは必要なことなんだ』
この言葉が……俺が唐木戸を追いつめた時に考えていた言葉と同じだということに。
「新入生、君だって柏がおかしいと思っていたんだろ? だからあいつの考えを否定し続けた。おかしな考えの人間を正そうとしていた。程度の違いはあれ、僕と君の考えは同じなはずだ」
そうだ、同じだ。
俺は……俺が今までやってきたことは、ここまで身勝手なことだったのだ。
自分が正しいという考えに基づき、他人の考えを否定し、排除し、自分の価値観を押しつける。
その行動は、今回の枝垂先輩の行動と何が違う?
自分を『普通』という枠組みに収め、相手を『異常』と決めつけ、その存在を排除する。まさに俺が唐木戸にしてきたことじゃないか。
目の前で持論を叫び続ける枝垂先輩を見る。
俺は、他人から見たら、ここまで見るに耐えないものだったのか?
愕然とする俺を後目に、御神酒先生が言い放つ。
「随分と見苦しい自己正当化だな」
「……え?」
「お前が柏を突き落としたというのであれば、お前こそが『異常者』だ。お前のしたことはれっきとした犯罪だ。そして私は、教師としてお前を処罰する」
「ば、馬鹿な! 僕は『異常者』を排除しただけだ! 僕の行動は認められるべきだ!」
「ふざけるな!!」
突然の怒声に、俺も先輩も黙り込む。
「誰かに認められたいから、他人を排除するだと!? そんなものはお前の身勝手意外の何者でもない! お前は考えたことがあるのか!? 他人を救おうとすることが、何を意味するのか!」
「な、何を……?」
「他人を救う。それは生半可な覚悟でやっていいことではない。それこそ相手の人生を背負うほどの覚悟があって、初めて出来ることなのだ。お前にその覚悟があったのか!?」
他人を救う、覚悟?
だがその言葉の直後、枝垂先輩が動きを見せた。
「だ、黙れ! 僕は、僕の行動は正しいんだ!
先輩は部室の棚にあったトロフィーを掴み、御神酒先生の頭に振り下ろす。
「せ、先生!」
俺は先生に駆け寄ろうとしたが、間に合わず……
部室に、鈍い音が響いた。
「枝垂……」
「なっ!?」
見ると、御神酒先生は右腕でトロフィーを防いでいた。
「教師として、お前の行動を止められなかったことを、心から悔やむ」
そして……
「ぐぶっ!?」
御神酒先生の左拳が枝垂先輩の体にめり込み、先輩はその場にうずくまった。
「せ、先生! 大丈夫ですか!?」
俺はようやく御神酒先生に駆け寄って、無事を確認する。どうやら頭は無傷のようだ。
だがその時、俺は見た。
「せん、せい?」
俺には御神酒先生が……泣いているように見えた。




