第一話・2
数時間前。
僕は通っている中学の教室で授業を受けていた。
午前中の授業が終わった直後の昼休み、友人の柳端 幸四郎と雑談に花を咲かせる。
「なあ香車、お前SかMかでいったらどっち?」
彼らしい、いきなりの遠慮のない質問に思わず動揺する。
「……なんてこと聞くんだよ教室で、女子もいるんだよ?」
「おいおい、いまどきの女子がこの程度の話題で恥ずかしがるかよ。どちらかというと女子の方がそういう話題をしていそうだぜ」
「僕は女の子には幻想を抱きたいんだよ」
正直、それは本音だ。内心では御伽噺のお嬢様のような、綺麗な心の女性は数少ないのはわかってはいるが、それでも僕は女の子を天使だと思いたかった。
「で、俺の質問の答えは?」
幸四郎が急かしてくる。
僕としては答えたくなかったが、こういうときの幸四郎は引かない。
少し考えてから答えることにした。
「……S、かな」
「はい、ブブー。そんな答えは認めません」
幸四郎は大げさにリアクションを取り、僕の答えを否定した。
「な、何で!? この質問に正解なんてないでしょ!?」
「香車みたいな小動物系がSとかちゃんちゃらおかしいでしょ。大方、Mだって認めるのが恥ずかしいからSって答えただけだろ?」
「なんでそうなるのさ!」
幸四郎の言った、小動物系というのは少なくとも外見に関しては当たっている。
同年代に比べて小柄ではあるし、色白で声変わりもまだだ。
そのため、かっこいいよりもかわいいと言われたことの方が多い。
僕自身はそれを否定したいところだが。
「でもなぁ、香車よ。お前に首輪つけて飼いたいって話していた女子がいたぜ?」
「この中学にそんな危険人物が……?」
「その数、35人」
「一クラス分!?」
それが事実だとしたら、僕の未来は危うい。
「ははは、冗談だよ。だけど、そんな話をしていた女子は本当にいたぜ?俺もお前には首輪が似合うと思うけどな」
「僕は……そんなに扱いやすそうに見えるの?」
「なんていうか、庇護欲をそそるっていうの? 香車は受身すぎるんだよ」
幸四郎の言葉に僕はドキリとする。
引っ込み思案なのは僕が気にしていることの一つだ。
彼はたまに核心を突くから、侮れない。
「あーあ。それにしても、もう秋なのか」
幸四郎がため息をつく。
彼の言うとおり、カレンダーはもう10月になり衣替えも終わった。
彼の憂鬱の原因は、僕と同じだろう。
二年生である僕達が三年生になるときが近づいてくる。
受験という言葉が重くのしかかる、三年生に。
「幸四郎は成績が良いんだから、あまり気にすること無いだろ」
「成績?あんなもん、将来が面倒にならないために良くしているだけだ。受験に内申点がいらないなら、目をつけられない最低限の点数でいいんだがな」
軽薄そうな幸四郎だが、その実彼は将来のことをよく考えている。
「面倒なことを避けた先には、より面倒なことが待ち構えている」
この言葉を口癖のように言っている彼は、将来面倒なことにならないために成績を上げて、進学校に入ろうとしているし、成績の良さから多少の軽薄な言動も先生たちには黙認されている。
目先の面倒さに囚われず、長期的に考えることが出来るのは彼の長所だと思う。
「で、小動物系の香車くんは平均点ぐらいだと」
幸四郎の言うとおり、僕の成績は悪くはないが、決して良くもない。
体育はそれなりに出来るが、それも本格的にスポーツをやっている人には及ばないし、他の教科は勉強してはいるものの、上位には入らない。
「はぁ……」
さほど、将来について考えていない僕は、憂鬱な気分を抱いていた。
僕が何もしなくても時間は進む。今のこの時間は永遠ではないのだ。
「ま、先のことばかり考えてもしょうがない。今も楽しまないとな!」
僕の気分が沈むのをみた幸四郎が、話題を変えてくれる。
今を楽しむか……
僕にとっては今が気持ちよければそれでいいのかもしれない。先のことを考えるのは難しい。
放課後。
幸四郎の提案で、バッティングセンターに行くことになった僕たちは校門を出て、市街地の方へ向かう。
「あ……」
途中でこの辺りの公立では一番の進学校と言われている高校が見えてくる。
「幸四郎はここに入るのかな?」
僕はそれとなく聞いてみた。
「どうだろうな。確かにここに入れば選択肢は広がるだろうが、ただ進学校というだけで選ぶわけにはいかないな。どの分野の進路に強いのかを考えないと……」
やはり幸四郎は将来に対しては慎重に考えるようだ。
その時、高校の校門の前にいた、女生徒らしき人が動いた。
高校の制服をきっちり着こなし、首元までの髪がかすかに靡いている。
その女生徒はこちらをまっすぐと見据え、どこか妖艶な微笑みを浮かべながら近づいてくる。
「あ、あれ、あの人こっちに来るよ?ジロジロ見てたから怒ったんじゃ……」
僕が慌てていると、女生徒の顔がはっきり判別できるくらい距離が縮まっていた。
その顔に見覚えがあった。僕の二つ上の学年にあたる、うちの中学の卒業生だ。
通学路でたまに見かけるが、話したことはない。だから、あちらが僕に用などあるはずがない。
それでもその人は話しかけてきた。
「はじめまして。君の名前は知っているよ。棗 香車くんだね?」
女性としては低めの、よく通る声で話しかけられる。
なぜ知っているのかを問う前に、女性は次の行動に出ていた。
「私が一方的に君を知っているのは不公平だ。自己紹介をしようか」
そういって女性は……僕の足元に跪いた。
「私の名前は柏 恵美。君の、第一の犠牲者だ」
名前を知られていたことも、跪かれたことも、その言葉の衝撃には及ばなかった。
目の前で女性――柏さんが跪いている。
この状況の不可解さは今まで経験したことはないものだった。
だが、この人は今、確かに言った。
自分が「犠牲者」だと。
「……結局、名乗り出てしまったか」
柏さんが立ちあがり、僕の目を見る。
その背丈は僕と幸四郎の中間といったところか。
細身ですらりとした体型だが、凛とした佇まいとどこか含みのある微笑が特徴的だ。
「さて、香車くん。君は犠牲者で生贄たる私の存在を確認した。君が何をしようと私は抵抗する気はないが、例え抵抗したとしても、私が君の手から逃れることなど、出来はしないだろう。そう、今この瞬間、私の運命は決まったのだ」
どこか芝居がかった口調で、柏さんの口から次々と言葉が出てくる。
僕はなぜかそれを黙って聞いていたが、横にいた幸四郎は違った。
「待てよ、センパイ」
幸四郎が、相手を牽制するときの声を出す。
「うちの卒業生だろ? だから一応そう呼ばせてもらうぜ。それでセンパイよぉ、いきなり出てきて、何わけのわからないことを言ってるんだ?」
僕と柏さんの間に立ち、後ろ手をチョイチョイと動かす。
この人はやばい人だから、自分が話している間に逃げろと言っているのだろう。
だが僕はその場から立ち去らず、柏さんの話を聞いてみたいと思った。
「今言ったばかりだろう?私は彼の第一の犠牲者だ」
「それが意味わかんねぇって言ってるんだけど」
「ああ、すまない。もっと直截的な表現にすべきだったか」
柏さんが自分の首下に手をかざす。
「彼、棗 香車くんはこの私、柏 恵美を近いうちに殺害する」
彼女は手で自分の首を切る動作をする。
「そう言っているのだよ」
彼女の言葉が僕の考える通りだったことを受けて、ようやく言葉が出た。
「な、何を言って……第一の……?」
「ん?ああ、第一とは限らないか」
「え?」
「もしかして君は殺人は経験済みなのかな?別にそれでも構わないよ、君の犠牲者として名を連ねられるのなら、何番目に殺されても関係ないし、私のことなどすぐ忘れて構わない。君がどんな殺害方法をとろうと、私に拒否権など無いし、君がよければ今すぐにでも……」
「ま、待ってください!」
放っておくとどんどん話が未知の方向に行きそうなので、大声を出して止める。
「なんなんですか!?僕があなたを殺すわけないでしょう!今会ったばかりだし……それに僕は殺人鬼じゃありません!人を殺したことなんて無いです!」
「それならやはり、私が第一の犠牲者となるわけか」
どうも話が通じない。
「センパイ、あんたが変態だってことはわかった。だが、香車はあんたを殺すわけがない。じゃあ、この話は終わりだな、バイバイ」
幸四郎が僕の手を引っ張ろうとする。
「香車くん、君は金属バットは好きかね?」
その言葉がそれを遮った。
同時に僕を硬直させるには十分な言葉だった。
「私は知っている。君が本気になればいくら相手が……」
「てめえ!」
僕が固まっている横で、幸四郎が柏さんに掴みかかった。
「何を知っている!? いや、そんなことはどうでもいい。人の過去をほじくりかえして楽しいのかよ!?」
「そんなつもりはないさ。あれを見たのはたまたまだ。そしてこれは、香車くんにとって必要なこと」
柏さんが言葉を続ける。
「私という獲物を狩るのに、必要なこと」
あまりの異様さに、幸四郎の手が緩む。
「はっきり言おう、私は香車くん、君に殺されることを待ち望んでいる。だが、獲物の方から狩る側の存在に近づくのは、君にとって面白くないのかと思って、君が私を獲物として認識するまで我慢しようと思っていた。通学路でも何回かすれ違ったのも、そのきっかけ作りのためだ。しかし、私の方が我慢出来なくなってしまってね。獲物の分際でこうして名乗り出てしまったわけだ」
「何を言って……」
「だが安心してくれ、あくまで主導権は君にある。私をいつ、どんな方法で殺すかは君の自由で、そこに私の意志が介入する余地はない。獲物の方が主導する殺人などあるはずがない」
柏さんは、僕達に背を向ける。
「今日のところはこれで失礼するよ、獲物を認識させるという目的も済んだからね。だが、香車くん」
そして、その微笑を一層、不気味なものにしながら言った。
「今、この瞬間でも構わないよ」
僕達は彼女が見えなくなるまで、その場に立ち尽くしてしまった。
数日後。
結局あの日は、バッティングセンターには行かなかった。
とても行く気分ではなかったし、久しぶりにあのことを思い出しそうだったからだ。
それでも幸四郎はいつもと変わらずに僕と接してくれた。
そんな日の昼休み。
「香車、サッカーのゴールを確保したから、サッカーやろうぜ」
「ああ、いいよ」
僕は何人かのクラスメイトと共に、校庭に向かう。
だが、校門にいる人物を見たことによってその歩みが止まってしまった。
「やあ、香車くん」
高校の制服を着た柏さんが満面の笑みで、僕に挨拶をする。
「今日もすがすがしい天気だ、とても晴れやかな気分で獲物を狩ることが……」
「待てよ、センパイ」
あからさまに敵意を持った表情で幸四郎が柏さんに向かう。
「あんた、学校はどうしたんだよ? 卒業生とはいえ無断で他校に入るんじゃねえよ」
「今は昼休みだよ、私はこう見えて成績・素行がいいからある程度黙認されるのさ、尤も……」
柏さんは一呼吸おいて話す。
「もうすぐ死ぬ私には何の意味もないがね」
あくまでこの人は、僕に殺される気らしい。
僕にその気は……ないというのに。
「おい、棗に柳端。この人知り合いなのか?」
成り行きを見ていたほかのクラスメイトが声を掛ける。
「それだったら、ちょっと紹介してくれないかな彼女と別れたからさ、年上のお姉さんっていうのも……」
柏さんに聞こえないよう、小さい声で耳打ちする。
確かに、柏さんの顔は美人の部類に入る。
中身に問題がありすぎるとは思うが。
「さて香車くん、獲物が再び自分から君の前に現れた。君の両手で首を絞めるもよし、何か武器を持ってくるもよしだ。獲物である私に抵抗の意思はない。むしろ待ち望んでいる。君の手に掛かるときを今か今かとね」
次々と飛び出す問題発言にクラスメイトもちょっと引いている。
「いい加減にしてくれませんか? 僕はあなたとこれ以上関わりたくありません」
ラチがあかないので、きっぱりと言うことにした。
「そう思うのであれば、私を殺せばいい。この口を永遠に閉ざすことが出来るよ」
どうしても、そっちの方向に行きたいらしい。
「センパイ、いい加減にしろよ。教師を呼ぶぞ?」
「ふむ、大事になるのはまずいな。ならまた今度にしよう。だが香車くん」
柏さんは去り際に言葉を残す。
「私はいつも、人通りの少ない場所を通って帰る。君のことを待つためにね。チャンスはいくらでもあるよ」
最後まで一貫した意志を崩さずに柏さんは去っていった。