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第九話・1

 

 3月。

 長かった受験勉強も終わり、無事に第一志望である進学校、M高に合格した俺、萱愛かやまな 小霧こきりは、入学手続きも済ませて入学案内を受けにM高を訪れた。


「割と、校舎は古いんだな……」


 進学校ではあるが公立のためか、所々痛んだ校舎を眺めながら俺はトイレを探していた。

 一通りの案内を受けてあとは家に帰るだけだったが、帰り道でトイレを探したくなかったので、ここで済ませようと思ったのだ。


「何をしているのかね?」


 その時、声を掛けられた。

 低めではあるが、女性の声だった。口調からしてここの教師だろう。もしかしたら、校内をうろついていたのを咎められたのかもしれない。


「すみません、ちょっとトイレの場所……っ!?」


 後ろを振り向いた俺の目に映った人物。

 その人物は教師ではなくここの生徒、つまり俺の先輩になる人物だった。

 しかし――


「どうしたのかな? 何を驚いている?」


 その女生徒は本気で俺の動揺の原因を知りたがっているようには見えなかった。それはそうだろう、その姿を見れば、誰だって動揺する。

 だから、女生徒は俺が何故動揺しているか大体わかっているのだろう。


「あ、あの……どうしたんですか? その……ケガは」


 失礼かとも思ったが、思わず聞いてしまった。

 何しろその女生徒は、頭や顔、スカートの下から伸びる両足、さらには両手と、至る所に包帯を巻かれ、絆創膏を貼っていたのだ。さらに、袖の下にある両腕にも包帯が見えたことから、見えないところもケガをしているのかもしれない。


「ん、これかね? 日常生活には支障がないから安心したまえ。さすがに激しい運動は無理だが」

「あ、ああ、そうなんですか……」


「おや、もしかして君も私を傷つけたいのかな?」


「は?」

「日常生活に支障がない程度のケガでは生ぬるい。自分ならもっとお前を痛めつけているところだと、言いたそうな顔をしていたのでね。そうなのかと……」

「なんでそうなるんですか!」


 なんだなんだ!? 初対面の人間にいきなり何を言っているんだこの人は!?


「ふむ、さすがに違ったか……」


 何故か残念そうな顔を浮かべる女生徒だったが、俺は彼女の発言を思い返し、あることに気がついた。


「ちょっと待ってください」

「ん、どうしたのかな?」

「今、『君も』って言いましたよね? 『君も私を傷つけたいのか』と」

「そう言ったね」


「じゃあ、そのケガは誰かに負わされたものなんですか?」


 あまり考えたくはない。これから入る高校に、忌み嫌う出来事があるということは。だが、彼女は言った。


「そうだよ」


 認めた。彼女は誰かにケガを負わされたことを認めた。

 つまりこういうことだ。


 彼女は、暴力を受けている。しかも、おそらく学校内の人間から。


「……失礼ですが、そのケガについてご両親は?」

「私の両親は既に他界しているよ」


「じゃあ、やっぱりあなたは学校内の人間から暴力を受けているということですね?」


「そうだよ」


 学校内の人間に暴力を受けている、しかも全身にケガを負うほどの。

 つまりこういうことだ。


 ――いじめ。


 ……許せない。こんなことは許せない。

 いじめなんて、この世の中にあってはいけないのだ。


「……いつからですか?」

「ん?」

「いつからいじめを受けているんですか?」


 彼女は一目でわかるほどのケガを負っている。よほど最近のことで無い限り、学校側が気づかないはずはない。


「ふむ、これはいじめと言うのかな?」

「当たり前でしょう! そんな全身にケガを負うほどの暴力を振るわれている!いじめじゃなくて何なのですか!?」

「まあ、私の現状を何と呼ぶかは君の自由だよ。さて、時期だったね。私が暴力を受け始めたのは、一年半前くらい、一年生の頃だったね」


 一年半前!? まさか、まさか、そんな長い間、学校はこのいじめを放置していたのか!?


「このことは、先生たちは!?」

「教師には話してしないよ。別に話すことでもないだろう?」

「何を言っているんですか!? 今すぐにでも相談するべきです!」


 こんな、こんなことがあっていいわけがない。

 他人を傷つけるなど最低の行為だ。そんなことをする人間はどんな理由があっても許せない。ましては殺人なんてする人間はもっと許せない。

 俺は他人を助けたい。そういう人間になるべきだと教えられてきた。

 他人を助けることは正義だ。そして、他人を傷つけることは悪だ。それは何があっても変わることがない事実だ。


「助言は有り難く受け取っておこう。だが、私は別に……」


 俺が必死に訴えても、彼女は受け入れてくれない。だから、思わず行動に出てしまった。


「勇気を持ちましょう!」


 俺は彼女の両肩を掴み、目を見て訴えた。


「先生に相談することで、いじめが悪化することが怖いのでしょう!? 大丈夫です! 先生たちは力になってくれます! 何なら、俺が一緒に先生に相談します!だから、いじめと戦いましょう!」


 恐らく、彼女はいじめの犯人の報復を恐れて行動に移せないのだ。

 だが、大丈夫だ。学校の先生に言えばきっと力になってくれる。先生とはそういう人の集まりだ。


「俺も協力します! 足りなかったら、この問題を教育委員会にも相談します!だから、負けないでください! 心を折らないでください!」


 俺はいじめが許せない。だから、この人を助けると決めた。

 大丈夫だ、きっとうまく行く。勇気を持って努力すれば、乗り越えられないことはないのだ。


「……ふむ、なかなか面白い人だね君は」


 だが女生徒は、まるで俺をあざ笑っているかのような表情を浮かべた。


「な、何がおかしいんですか!?」

「君に一つ聞きたいのだがね」


 予想外の反応に驚く俺に、彼女が質問する。


「もし私が、この状況を悦んでいたとしたらどうする?」

「……は?」


 予想外の発言に、肩から手を放してしまった。

 え? 何を言っているんだこの人は?

 この状況を悦んでいる?

 え、つまり、


 暴力を受けていることを悦んでいる?


 待て、そんなことがあるはずがない。そんな人間がいるわけがない。


「現実から目を逸らしてはダメです!」


 おそらく彼女は、現実逃避を起こして自分の考えをねじ曲げている。だが、そんなことではダメだ。断固としていじめに立ち向かうべきだ!


「勇気を持って立ち向かいましょう! 現実は辛いかもしれませんが、努力すればきっと乗り越えられます!」

「……なるほど、それが君の答えか」


 尚も彼女は、俺の訴えを受け入れてくれない。だが、必死に訴えればきっと届くはずだ。


「君の行動は私を救うものではないよ」

「俺じゃ力が足りないってことですか!? 大丈夫です! この問題を先生たちに告発して、皆で力を合わせましょう!」

「……くっくっ」

「何がおかしいんですか!?」


「いやね、『狩られる側』である私を受け入れない君に『現実を見ろ』と言われたのが面白くてね」


彼女の口から、聞き慣れない単語が出てくる。『狩られる側』? 何を言っているんだ?


「つまりだね、直截的な表現をするとだ、『私は暴力を受け続け、いつか殺されることを望んでいる』……そう言っているのだよ」


 ……は?

 殺されることを、望んでいる?

 いじめを受け続け、殺されることが望み?


「だからこそ、君の行動は私を救わない。残念だがね」


 そう言って、彼女はこの場から立ち去ろうとする。


「ま、待ってください!」


 立ち去ろうとする彼女の肩を、俺は再び掴んだ。


「そんな考え方は間違っています! きっとあなたは、いじめを受け続ける自分の状況を受け入れられていないだけです! 目を覚ましてください!」

「私は最初から正気だよ。本心で殺されたいと願っている」

「そんなわけがないでしょう! いじめが辛いからって死ぬなんて以ての外です! 現実に立ち向かいましょう!」


 そう、何があっても人は生きていなければならない。自殺なんて論外だ。

 誰もが幸せに生きていた方がいいに決まっている。


「……そうか、ならば私は君に挑戦するとしようか、萱愛くん」

「えっ?」


 突然、名前を呼ばれたことに驚きを隠せなかった。

 なんでこの人は、俺の名前を知っているんだ?


「……恐らく、そう遠く未来に私は再び暴力を受ける」

「な、なんでそんなことが?」

「わかるのだよ。『彼』は私を常に見ている。 そして君は、狩られることを望む私を自分なりに救ってみたまえ」


 俺なりに、彼女を救う?

 少し考えているうちに、彼女は再び歩き出した。


「ま、待ってください! まだ話は……」

「ああそうだ、私としたことが自己紹介を忘れていた」


 そして、彼女は俺を振り返った状態で自己紹介をした。


「私の名前は柏 恵美。4月から、君の先輩になる者だ」


 柏……恵美。


「入学おめでとう。君の活躍を期待しているよ」


 そう言って、柏先輩は意味深な微笑みを浮かべた後に去っていった。


 その時の俺はまだ知らなかった。

 この上級生との出会いが、俺の価値観を大きく変えることに……




 4月。

 晴れてM高に入学した俺は、入学式の後にクラス分けの名簿を見ていた。


「やっぱり、知らない人ばかりだよなあ……」


 進学校だけあって俺の中学でここを受験した生徒は少なく、受かったヤツもほんの僅かだ。この市内、あるいは市外からの成績優秀者が集まっただけあり、素行の悪そうな生徒はほとんどいない。

 これなら俺も、皆と仲良くなれそうだ。間違っても、他人に暴力を振るう人なんて……

 そこまで考えて、柏先輩のことを思い出した。

 そうだ、ここは進学校だ。他人にあそこまでの暴力を振るう生徒が存在するのか? もしかして、俺は騙されたんじゃないか?

 柏先輩への疑いが出てきたが、ひとまずは自分の教室に向かおうと、クラス名簿で名前を探した。あった、俺はC組か……


 その時、意外な名前を目にした。


「え……柳端?」


 1年C組にある、「萱愛 小霧」の名前。その遙か下に、「柳端 幸四郎」の名前があった。


「これって、あの柳端だよなぁ……」


 柳端 幸四郎。中学二年の途中まで、俺のクラスメイトだったヤツだ。

 明るく、やんちゃそうな見た目に反して、成績は結構良かったことを覚えている。確かに、あいつならこの学校にも入れるだろう。


 だが、あいつは二年の途中で突然転校していった。


 てっきり遠くの町に引っ越したものだと思っていたが、意外に近くにいたらしい。

 何はともあれ、知った顔がいるのは嬉しい。周りを見回しても柳端らしき生徒はいなかった。おそらく先に教室に行ったのだろう。久しぶりの再会を喜び合うとするか。


 教室に着くと、入学したばかりでまだ環境に慣れずにソワソワした生徒たちが、知り合いを捜したり、話しかけたりしていた。

 俺も人のことは言えなかった。知らない顔ばかりで、まだ環境には慣れそうもない。

 とりあえず、柳端を探したが、それらしい顔は見えなかった。トイレにでも行ったのかな? そう思った俺は、机に名札が乗っているのに気づく。

 ああそうか、名札を見て席に座るのか。きっと出席番号順だろう。

 そして、廊下側が出席番号の早い列だったので、窓側に柳端がいないか探した。柳端……あった。

 なんだ、いるのか……!? ……え?


「お、お前、柳端か……?」


 柳端の名札がある席。

 そこには髪が伸びた上にボサボサで、両目には濃い隈が浮かび、頬が痩せこけた男子。

 中学時代の柳端とは似ても似着かない男子が座っていた。


「……なんだお前は?」


 痩せた男子は、隈が浮かんだ強烈な目を俺に向けて、まるで興味がなさそうに呟いた。


「や、柳端なんだな? 俺、萱愛だよ。中学の時、同じクラスだったろ?」

「中学……? 中学、香車と過ごした中学……」

「香車?」


 何かを呟いている柳端だったが、俺はその単語の意味を思い出した。


「香車……ああ、棗か……」


 棗 香車。俺と柳端のクラスメイトだった男子。

 だが、二年前に確かこのM高で自殺したって聞いている。

 なんで自殺場所にこの高校を選んだのかはわからないが、その時何か騒動を起こしたとか、M高の生徒と揉めたって噂が立っていた。

 そういえば、棗と柳端ってすごい仲が良かったな。柳端の転校も、棗の事件の直後だったっけ。そうか、そのショックで柳端は変貌したのか……


「……棗のことは残念だったな」


 大切な友人を亡くしたんだ。一人の人間を変貌させるには十分すぎる要因だ。だが、いつまでもそれを引きずらせるわけにはいかない。


「だけどさ、過去に拘っても始まらないだろ? 折角、高校に入学したばかりなんだからさ、これからのことを考えようぜ?」

「……」


 俺のアドバイスを柳端は黙って聞いていた。どうやら受け入れてくれたようだ。


「そうだお前さ、何か部活とか入らないの?」

「……興味ない」

「おいおい、折角の高校生活だよ? 部活くらい入らないと。なんなら、俺も一緒に探すから入ろうぜ?」

「……」


 どうも柳端は部活に興味がないらしい。だが、それではダメだ。このままでは、柳端は過去を引きずったままになってしまう。

 俺がこいつを助けよう。うん、それがいい。

 まずは柳端を部活に入らせるんだ。


「部活に入ったらさ、素敵な先輩もいるかもしれないじゃないか?」

「……」


 尚も沈黙を続ける柳端に対し、俺は再び柏先輩のことを思い出した。


「そうそう、入学案内のときにさ、不思議な先輩に会ったんだよ。たしか柏っていう……」


 その言葉の直後、


「萱愛ぁ!!」


「……っ!?」


 沈黙を続けていたはずの柳端が、突然大声を出して俺に掴みかかってきた。


 な、なんだなんだ!? なにか俺はまずいことを言ったのか!?

 まだ話したことも無いクラスメイト達が、驚きの表情で俺たちを見ている。


「な、なんだよ突然!?」

「……」


 先ほどまで、まるで鋭さを感じなかった柳端の目が、今は視線だけで俺を貫かんばかりに睨み付けている。


「……いいか萱愛。二度と俺の前で、その名前を出すな。さもなければ、容赦しない」

「は……?」


 容赦しない? なんだろう、この発言の違和感は。


「それと、同じ中学だったよしみで忠告してやる。この先、平和な人生を過ごしたかったら、二度とあいつには関わるな」

「な、なんで……?」

「なんでもだ。登下校の時間はずらせ。三年の教室には行くな。あいつの姿を見たら、すぐにその場から離れろ」

「ま、待てよ! 意味がわからねえよ!」


 柳端は柏先輩のことを知っているのか? でも、この二人がいつ関わったんだ?

 ……ああ、そういえば中学一年の頃に、柏先輩をうちの中学で見たような気もするな。じゃあ、その時に関わったのか?


 いずれにせよ、柳端は柏先輩を非常に嫌っているようだ。


「なあ柳端、お前とあの人の間に何があったのかはわからないけどさ。そんなに嫌うことは無いんじゃないか?」

「……」

「他人を嫌うなんて、悲しいじゃないか。一度、二人で落ちついて話し合えば、分かり合うことも出来るはずだよ」


 そう、例え性格が合わなかったとしても、同じ人間なんだ。

 腹を割って話し合えばきっと分かり合える。おそらく、柳端は柏先輩と何かケンカの最中なんだろう。

 柳端だって、本気で柏先輩が嫌いなわけじゃないはずだ。そうだ、柳端にも柏先輩を助けるようにお願いしてみよう。

 みんなで力を合わせれば、きっと……


「相変わらずだな、萱愛。まるで変わっていない」

「そうか? それは良かった。俺は信念を変えずにいられているんだな」

「……」


 そう、俺の信念。

 俺は他人を助けたい。

 俺は他人を助け、皆を幸せにしたいんだ。

 柳端にもそれが伝わっているようで何よりだ。


「なあ柳端、お前に……」

「萱愛、お前のお願いは聞けないよ」

「え……?」

「中学の頃は、お前がどんな信念を持っていようと関わるつもりは無かったが、今の俺はおそらく……」


 そして柳端の口から、


「お前と敵対するだろうな」


 あからさまな決別の言葉が発せられた。



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