表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
24/39

第八話・2

==========================



 私たちは電車で町に戻り、タクシーでM高に向かった。

 到着すると同時に樫添さんの案内で屋上に向かう。

 教師に知らせることも考えたが、事態は一刻を争うので屋上に直行することにした。

 そして……迷わず屋上のドアを開く。


 いた、いてくれた。

 エミはまだ生きていてくれた。

 生きて、私の前にいる。


「エミ!」


 喜びのあまり、彼女に駆け寄ろうとする。


「エミ、私は……」

「危ない!」


 その直後、私の体が強い力で後ろに引っ張られた。

 そして、後退した私が見たものは……


 さっきまで私がいた場所に躊躇無く包丁を突き出していた棗の姿だった。


「きゃあっ!」


 勢いよく引っ張られたことで私は、そして私を引っ張った樫添さんは足を突っかけて倒れ込んだ。

 それを見た棗は、私たちめがけて突進してくる。


「待て、香車!」


 柳端がすかさず私たちの前に立ちはだかり、棗は動きを止める。

 私たちが屋上に着いてから、まだ三十秒も経っていない。だが、たったそれだけの間に起こったこのやりとりで、私は思い知らされた。


 ――自分の考えが、いかに甘かったのかを。


 私と棗は、初対面だ。さらに棗は、私が何者かを知らない。

 でも、あいつにはそんなことは関係ないのだ。自分の狩りを邪魔するもの。


 それだけで、私を殺すことに躊躇いがなくなる。


 わかっていなかった。エミから何回か聞かされただけでは私はわかっていなかった。

 正直言って、説得すれば棗は諦めてくれるかもしれないと思っていた。何だかんだで、エミを殺すことを躊躇しているかもしれないと思っていた。

 だが違った。あと少し遅ければ、エミは間違いなく殺されていた。

 いや、死んでいたのはエミだけではない。


 私は、自分が死ぬ可能性を全く考慮していなかった。

 『狩る側の存在』を相手にするというのに。


 樫添さんの言うとおりだった。ここに来たのが私一人だったら、間違いなく殺されていた。そのことを認識したとき、全力疾走をした後のように鼓動が早くなり、息が荒くなる。全身の肌が過敏になり、足にうまく力が入らない。

 緊張だ。それも、気分の高揚による緊張ではなく、大きな恐怖から来る緊張。

 相対した時に、容赦ない『死』を感じさせる。


 それが、それこそが、『狩る側の存在』。


 柳端は、これがエミの影響によるものだと言っていた。

 ――だが違う。こいつは、初めからこうだ。


 こんなやつを助けるなんて、絶対に間違っている。

 そして、こんなやつが……こんなやつがエミを!


「長船さん、入り口に立っていてもらえます?」

「え? ああ……」


 棗の指示で、屋上にいた三人目の男が入り口の扉の前に立った。

 ……あいつが、長船? いや、この状況はまずい!


「柳端! 早くこの屋上から出て!」

「え?」

「させないよ」


 私の声に反応して、柳端が一瞬こちらを振り向くが、その隙をついて棗がまだ立ち上がれていない私たちに襲いかかろうとする。


「やめろ!」


 だが、柳端が瞬時に反応して棗の腕を掴もうとする。それを受けて、棗は飛び退く形で柳端から離れた。

 だめだ、柳端が棗への警戒を解いたら、ヤツは容赦なく私たちに襲いかかる。

 そして……入り口に立つ長船はハサミを持っていた。

 柳端が棗から目を離せない以上、この屋上を出て教師を呼ぶには私か樫添さんが動かなければならない。

 しかし、いくら二人がかりといっても、こちらは武器も持っていない女子二人。相手は刃物を持った男子。

 長船がどういう人間かわからない以上、彼を力付くで突破するというのは難しかった。

 棗は友人であるからか、柳端には手を出したくないようだが、ヤツがその考えを捨てて柳端に襲いかかるのも時間の問題だ。

 つまり……


「私たちで……決着をつけるしかないようね」


 教師は呼べない。

 大声を出したとしても、誰かが来てくれるかわからないし、その瞬間に棗はエミを殺すかもしれない。

 つまり私たちがエミと一緒に生きて帰るには、どうにかしてエミたちを説得するか……


 棗を行動不能にするしかない。


 だが、出来るのだろうか。

 あんな……人を殺すことを全く躊躇しない存在を止めることが出来るのだろうか。

 こちらは武器も持っていない。いや、例え武器を持っていたとしても人を殺すなど出来はしない。


 だが、棗はそれを躊躇無く出来る。


 それこそが棗が持つ最大のアドバンテージだった。

 もし戦うことになれば、性別による力の差が無かったとしても私は棗には絶対にかなわない。

 ならば……


「樫添さん、柳端。棗と長船から目を離さないでいて」


 私は意を決して立ち上がり、屋上の隅に向かって歩き出す。

 柳端には棗を、樫添さんには長船を警戒してもらい、二人に背中を任せる。

そして私は……


「私はエミを……助け出す」


 当初の目的を達成するために、自ら囚われたお姫様と対峙した。





「……来てしまったか」

「ええ、来たわよ。あなたを助け出すために」


 屋上の隅に立つエミの表情はいつもの微笑みではなかった。

 かといって、目的を邪魔されたことによる憤りの表情でもなかった。

 私を真剣な顔で見つめている。そう、遊園地で私に自らの願望を話してくれた時のように。


「君には、君が望む幸せな生活を送って欲しかったのだが」

「そう願っているのなら、今すぐ私と一緒にこの屋上を降りて」

「それは叶わないな、私の人生はここで終わる」

「……そんなこと、させない」


 そう、させない。

 私はそのために、ここに来たのだ。


「そもそも、なぜここに来てしまったのだね? 私だけでなく、自分の命までも危険に晒すことになるというのに」

「……本当にわからないの?」

「わからないね。私は君を……」


「あなたを『大切な親友』だと認めたからよ」


 その言葉を聞いて、エミは口を噤んだ。


「……傍から見れば、私たちはそこまで長い時間を共有したわけじゃない。それに、もっとお互いのことを知った上で『親友』と名乗るべきかもしれない。だけど……」


 そう、だけど。


「『親友』が死ぬかもしれないのに、黙っていられると思うの?」


 そして、私は自らの感情をさらけ出す。


「そもそも、何であなたがわからないの!? 他人のために命を投げ出そうとしているあなたが!! 他人に命を捧げようとしているあなたが!! どうして、あなたのために命を懸けようとしている人間の気持ちがわからないの!?」


 どうしてなのか。どうしてこうも、あなたはこういうことには鈍感なのか。


「私はあなたを助けたい! あなたを死なせたくない! だからここまで来たの! エミ! あなたは私を見捨てるというの!? 私があなたを死なせたくない思いを、全て切り捨てるというの!? 置いていかないでよ……私と一緒にいてよ……」


 どうして、あなたの死を絶対に受け入れたくない人間がいるとは思わないのか。


「エミ……私のために……生きていてよ……」


 私はいつの間にか、涙を流していた。

 なぜ、涙が出たのかはわからない。悲しみなのか、怒りなのか、それともどうしようもない欲望のためか。

 どういう形であれ、彼女の死を拒絶するために出た涙なのは確かな気がした。


「黛くん……すでに後戻りは出来ない。私の運命はもう決まっているのだ。……だが、私としても君の思いを無視したくはない」

「エミ? それって……?」



「私と一緒に来るつもりはないかね?」



「……え?」


 エミと、一緒に?

 いや、これは、この発言の意味は。



「私と共に、香車くんの獲物にならないかと聞いている」



 ――彼女は、私を誘っている。


「黛くん、君も来る気はないかね? 獲物とは狩る側の牙に一方的に、為す術もなく、咀嚼される運命だ。だが、全てを狩る側に委ね、何一つ助かる手段の無い状況を愉しむことこそが、今の君を救う! 私としても、君と一緒にいたい。君と運命を共にしたい。だが、私はもう助からない。そして、私との別れが君の悲しみとなるのであれば……」


 彼女はいつかのように両手を広げて、私に微笑みかけている。



「私と共に、獲物の悦びを噛みしめようではないか!」



 そして、自分と一緒に、殺されてみないかと誘っている。

 これは、これは彼女の……


「エミ……」


 その誘いに私が抱いた感情は、



「嬉しいよ」



 ――喜びだった。


「……ほう、そうか。そうか、そうか! 君も一緒に来てくれるのだね!? 私はついに、獲物としての悦びを君と分かち合うことが……」


「違うよ」


「……なに?」


 そう、私が嬉しかったのはそこじゃない。


「あなたは……本当に私と一緒にいたいと思ってくれているんだね」


 そうなのだ。

 エミは、私を誘ってくれた。

 自分が最も理想とする死に方に私を誘ってくれた。


 私と運命を共にしたいと言ってくれた。


 エミがその死に方を理想とする考え自体は受け入れられることではない。

 だとしても、


 自分の悦びを私に……『親友』である私に分け与えたいと言ってくれた。


 本当に、嬉しかった。だから……


「だから私は……ここからあなたを救い出す!」


 改めて決意をする。

 そして、エミも私の決意を悟ったようだ。


「そうか……残念だよ、黛くん。君が望まぬ死を迎えてしまうことがね」


 ――初めて見る。

 エミが目を細め、俯きながら浮かべる悲痛な表情。

 それこそが、エミが私の幸せを本当に願っているという証。

 だが、彼女が諦めても、私はまだ諦めていない。


「死なないよ。私も、そしてあなたも」


 そう言って、彼女に近寄る。


「いいや、それは不可能だ。彼は我々を見逃しはしない。……そうだろう?」


 そう言いながら、エミは私の後ろに視線を向けた。

 それに気づいた私が振り向くと――



「そうですね。絶対に、逃がしませんよ」



 真後ろに棗がいた。


「なっ!?」


 驚きのあまり、思わず飛び退いてしまうが、彼は私には目もくれずに、エミに向かっていく。そしてナイフを取り出すと、彼女の後ろに立った。


 しまった……! いや、待って。


「柳端! あんた、何をやって……!」


 そうだ、棗は柳端と対峙していた。彼が警戒していれば、こうもやすやすとここには来れないはず。

 だが、私が見たものは、


「香車……? お前、何を言って……?」


 棗が持っていた包丁を震えながら握りしめる、柳端の姿だった。



========================= 



 黛が柏との決着をつけに行ったのを横目で見た俺は、

 目の前にいる香車に視線を戻した。


「香車……」


 良かった。香車はまだ殺人犯にはなっていない。今ならまだ香車を日常に戻せる。柏の魔の手から救い出せる。


「香車、もう帰ろう。お前はちょっと疲れているんだ。おそらくお前は弟が死んだ事件を柏に蒸し返されて、ちょっと錯乱しただけなんだ。もう、あの女とは関わるな。そうすれば、きっと元のお前に戻る」


 そうだ、全ては柏と関わったせいだ。

 香車を家に帰した後、柏を遠くの町に追い出せば、全て解決する。

 いや、それだけじゃダメだ。

 俺たちも柏に追跡されないように、中学を卒業したら遠くの高校に進学しよう。それで……そこで平和な日常をやり直せばいい。


「だから、その包丁を捨ててくれ。誰にも見つからないようにこの高校を出れば、今日ここでは何もなかった。そういうことになる」


 香車は俺の話を黙って聞いてくれている。

 後少しだ。後少しで、俺たちの日常を取り戻せる。


「幸四郎……」


 香車が俺の名を呼ぶ。


「君にはここに来て欲しくなかったよ」

「え……?」


 何だ? まさか、香車は俺を拒絶するというのか……?


「僕は君を本当に大切な友達だと思っているんだ。だから、君は何も知らずに僕と関わっていて欲しかった。僕と一緒に平和な日常を過ごしていて欲しかった」

「どういうことだよ? そう思っているなら、もうこんなことはやめようぜ? ここで何も起きなければ、俺たちは平和な日常に戻れるんだ!」

「違うよ幸四郎。僕が望む平和な日常は……君のそれとは違う」


 違うだと? そんなわけはない!

 俺たちが以前のように一緒に笑って、一緒に泣いて、一緒に……それが平和な日常のはずだ!


 だが、香車の望みは――


「僕は君と仲良く過ごしながら……衝動に身を任せたかった」


 俺のそれとはかけ離れていた。


「君が僕のことを本気で心配してくれるのが、本当に嬉しかった。僕の将来を考えてくれるのが、本当に嬉しかった。だからこそ、僕はずっと君と大切な友達でいたかった。でも、僕は今この瞬間も『狩り』を楽しみたかった。君との関係を続けながら、僕の楽しみも確保したかった。それだけ君は大切な友人だと思っていたんだよ?」


 何を言っているんだ? 香車は何を言っているんだ!?

 違う、香車はこんなことは言わない。


 「お前は僕の裏の顔を何も知らずに、アホ面晒して僕の表面だけ見ていろ」とは言わない。


 そうだ、香車はあの時みたいに俺を認めてくれる……そういう奴だ。

 これは、これは全て……!


「それがあいつの! 柏の影響なんだ! 香車! それは、そんなものはお前の望みじゃない! 望みであっていいはずがない! お前は、お前は俺を認めてくれたんだ……俺を救ってくれたんだ……戻ってくれ。頼むから戻ってくれよ香車……」


 どうしてだ。どうしてこんなことになった。

 いや、わかっている、さっき自分で言ったんだ。

 これは全て……


「幸四郎……僕は本当に君を大切な友達だと思っているんだ」


 そう言いながら、香車は俺に近づいてくる。



「だから、柏さんを譲ってあげるよ」



 そして、持っていた包丁の柄を俺に握らせた。


「え……?」


 握らされた包丁を呆然と眺める俺を後目に、香車は柏と黛がいる屋上の隅に向かう。

 そして、黛には目もくれずに柏の後ろに立ち、ナイフを取り出した。


「柳端! あんた、何をやって……!」


 黛が何か言っているが、あまり耳に入らなかった。


「香車……? お前、何を言って……?」


 今、香車は何て言った?

 譲る? 俺に? 柏を?


「柏を譲るって……どういうことだよ!」


 わからない、香車が何を言っているのかがわからない。


「幸四郎……僕の口から言わせるの? あまり言いたくないんだけどなあ。そうだ、柏さんが言ってくれますか?」

「うん? 私が君の言葉を代弁していいのかな?」

「大丈夫ですよ。僕が言わなければいいだけですし」


 何だ? 待て、何で香車と柏の間であんなに意志が通じ合っているんだ?


「つまりだね、直接的な表現をするとだ」


 待て、何でだ。



「柳端くんが私を殺せば、自分はもう『狩り』をすることはない」



 何でお前が香車の意志を理解しているんだ。


「香車くんは、そう言っているのだよ」


 ふざけるな。

 何で、お前が香車の理解者のように振る舞っているんだ!

 そこに、そこにいるべきなのは……!


「幸四郎、どうなの?」


 香車が俺に確認を取る。

 そうだ、今考えるのはそのことじゃない。


 俺が柏をこの手で殺せば、香車は元通りの日常を送れるということだ。


「……本当か? 本当に俺がやれば……?」

「やだなあ、幸四郎?」


 香車は困ったような声を出す。


「僕を信じてくれないの?」


 そうだ。元はといえば、柏がいるからこんなことになったんだ。

 そもそも、俺は一度柏を殺そうとしている。もう一度、それをすればいいだけだ。


「ちょ、ちょっと待ってよ! 柳端! あんた本当にそんなことをする気なの?」


 屋上の入り口にいる樫添が抗議するが、香車の言葉がそれを遮った。


「言っておきますけど、今この場にいる幸四郎と柏さん以外の人間が動けば、即座に柏さんを殺します」

「なっ……!?」

「樫添さん、動かないで。……おそらくこいつは、本気よ」


 黛が、香車を睨み付けながら言う。

 ……なぜだ。なぜ皆、香車が人を殺したがっていると思っているんだ。

 香車は! 柏の毒牙にやられているだけなんだ! 柏がいなくなれば! 全て丸く収まるんだ!

 いや、待て。あいつは香車に殺されたがっている。そんなやすやすと、甘んじて俺に殺されたりするのか?


「柏が抵抗しないとは限らな……」

「抵抗しないよ」


 あっさりと、柏は断言した。


「香車くんがそう決めたのであれば、私に拒否権は無い。というより、獲物である私に、誰に殺されるかを選ぶ権利は無いよ。非常に残念ではあるけどね」


 そうだ。何を躊躇っているんだ。

 香車を助け出すんだろ? 柏の手から救うんだろ? そのためにここに来たんだろ?

 ……いい加減、腹を括れよ俺。


 香車に渡された包丁を握りしめながら、柏と香車のもとへ向かう。


「柳端……」


 その途中にいた黛が、俺を真剣な顔で見つめている。


「私が動けない以上、この場はあんたに任せるしかない。……でも、前もって言っておくわ」


 そして、精一杯の威圧を込めた声で言った。


「エミを殺したら、私はあんたを一生許さない」


 ……正直言って、その発言に恐怖は感じなかった。

 恐らくそれが、黛の脅しというより懇願に近いものだと感じ取れただからだろうか。

 だが、どちらだとしても俺には関係ない。香車を救うために……柏を殺す。


 俺は香車の前に立つ柏の近くまで来た。


「……柳端くん。君が私を殺すというのかね? 殺人を止めるために動いている君が?」

「驚いたな。あんたが命乞いをするとは」

「これを命乞いだと認識する君に、私の方が驚いているよ。確かに私としては君に殺されるのは不本意だ。……だがね、これは香車くんの提案でもある。彼が私を絶望的な状況に追い込んでいるのには変わらない。その点では嬉しいよ」


 何度も感じたことではあるが、やはりこの女の思想を理解することは出来ない。重要なのは、俺がこの女を殺せば香車は平穏な日常を送れるということだ。

 やれ、やるんだ。俺の手でこのバカげた事態を終わらせるんだ。

 俺が殺人犯になれば、全て終わるんだ。

 この女の腹に、この包丁を突き入れれば……


 …………


 包丁を持つ手は依然震えている。

 どうした!? 何で出来ない!?

 この女を殺して……


 その後俺はどうなる?


 俺の両親にも迷惑をかけるだろう。出所したとしてもまともな人生は送れな い。そして何より……


 俺は人を殺しておいて、のうのうと生きていられるのか?


 それが頭をよぎった直後、様々な想像が頭の中で生まれてくる。

 人を殺した罪悪感、世間からの罵倒、柏の家族への賠償、


 二度と香車には会えないという未来。


 耐えられる? 俺はそれに耐えられる? それは、それは……


「幸四郎?」


 香車が不思議そうな声で訪ねてくる。


「何で包丁を落としたの?」

「……え?」


 その言葉で、俺はようやく自分が包丁を手放して地面に落としていることに気づいた。

 何でだ? 何で俺は……


「やはりね」


 目の前にいる柏が口を開く。


「先のことを気にしすぎる君は、『狩る側』になれはしないということだ」


 先のことを気にしてしまう。

 そうだ、俺はまた……


「幸四郎」


 呆然としていた俺の目の前に香車が立っていた


「香車、俺はお前をたす……っ!?」


 まるで言い訳のように言葉を出そうとした俺の腹に激痛が走る。見ると、脇腹にナイフが刺さっていた。

 そのナイフを持っていたのは……


「出来ないんだったら、どいてよ」


 違う、違うんだ香車。

 俺は本当にお前を……!


 ナイフが引き抜かれたと同時に、その場に崩れ落ちる俺を香車は見向きもしなかった。

 これは罰なのかもしれない。

 自分の将来を気にして、今この瞬間の香車を救わなかったことの罰なのかもしれない。

 そんなことを考えても、もう遅い。

 俺はもう、立ち上がれなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ