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第四話・4

====================================



 目の前の男子中学生、柳端 幸四郎はポケットからナイフを取り出した。

 やはり彼が、「狩る側の存在」……! 

 包丁を握る両手に、汗が滲むのがわかる。

 だが、彼は――


 取り出したナイフを、地面に投げ捨てた。


「……何のつもり?」


 彼は投げ捨てたナイフには目もくれず、じっと私を見つめている。


「わからないか? 俺はあんたと争うつもりはない」

「エミを狙うのを諦めるってこと?」

「その前提が間違っているんだ。俺はあんたが探している人間じゃない」


 この期に及んで、言い逃れをするつもりなのか。

 だが妙だ。この状況で自分の武器を捨てる理由は何だ? 他に武器を隠し持っているのだろうか。

 冷静に状況を分析しようとする。


「俺は、あんたが探している人間を救おうとしている者だ」


 だけど、その言葉にあからさまに動揺してしまった。私が探している人間……つまり、「狩る側の存在」。それを救おうとしている? 何を言っているの?


「棗 香車」

「……え?」

「あんたが探している人間の名前だ。数日前にここで怪我を負った」

「刺されたっていう、男子生徒のこと!?  そいつが、『狩る側の存在』!?」

「違う! あいつは……あの女、柏 恵美に誑かされたんだ!」


 エミが「狩る側の存在」を誑かした?

 そういえば、エミは「狩る側の存在」に自ら名乗り出ると言っていた。

 つまり、こういうこと?


 エミは、棗 香車という男子生徒に、自分を無理やり殺させようとしている?


 いや待って、この話が真実とは限らない。


「……それが本当だとしたら、そいつはエミを殺そうとしたんでしょ!? だったら何で、そいつが刺されたのよ!? まさか、エミが刺したとでも言うの!?」


 そうだ、エミが人を傷つけることはありえない。

 沼田の時も、柄の部分を首に押し当てていた。彼女は殺されたいと思っていても、殺そうとは思わないはずだ。


「……香車は、自分で自分を刺したんだ」

「はあ!? 何でそんなことを!?」

「柏の呪縛から、すんでの所で逃れることが出来たんだ」

「そんな……エミの影響だって言うの!?」

「友人である、あんたには信じられないかもしれない。だが、あの女が現れてから香車はおかしくなった。逆に言えば、あの女がいなくなれば、香車は殺人犯にならずに済む」


 正直言って、荒唐無稽だと思う。まだ、棗という男子生徒がエミをかばって怪我をしたと考えるのが自然だ。


 ……いや、待って。


 よく考えたら、エミは殺されたがっていたんだ。なのに何で、エミは救急車を呼んだ?もし、棗が怪我をして動けなくなったら、エミを守るものは何もない。

 いや、エミの視点からすれば――


 エミを邪魔するものは何もない。


 それなのに、エミは目的を中断して、救急車を呼んだ。これはおかしい気がする。

 そうなると――


 「狩る側の存在」を死なせないために救急車を呼んだ?

 自分を殺す存在がいなくならないようにした?


「じゃあ、まさか本当に……棗 香車が、『狩る側の存在』?」

「もう一度言うが、香車はあんたが思うような殺人鬼ではない。柏 恵美さえいなくなれば、あいつは今まで通り、平和な日常を送れる」


 頭の中が、どんどん混乱していく。

 そもそも、エミが全ての元凶? いや違う。

 エミは「狩る側の存在」を見つけたと言っていた。自分がそう仕向けると言ったわけではない。

 でも、柳端 幸四郎の言うことも、真実味を帯びてきている。そうこうしているうちに、彼が口を開いた。


「……考えてみろ。俺とあんたの目的は一致していると思わないか?」


 一致? 私と彼の? どういう意味?


「俺は、棗 香車を加害者にしたくない。そしてあんたは、柏 恵美を被害者にしたくない。俺たちは、それぞれの思惑でこの二人を引き離そうとしている」


 ……言われてみれば、その意味では一致しているかもしれない。

 いや、それでもまだだ。


「私はまだ、あんたのことを信用したわけじゃない!」

「わかっている。だからこの場は一旦、解散だ」

「解散!?」

「あんたに一切、手を出さないという証明だ。俺のことが信じられないなら、警察にでも通報すればいい。だが、信用するのであれば、俺に協力して欲しい」


 確かに、彼が「狩る側の存在」なら、ここで私を解放する意味がほとんどない気がする。私は彼が棗を刺した証拠など持っていないから、警察に通報してもたいした意味は無いが、それでもリスクが高い。

 いや、私は同じ目的を持つ人間がいるという希望に賭けたいのかもしれない。


「……協力って、何をすればいいの?」


 そして彼は、私を人質役にして、エミを脅すという計画をもちかけた。

 その場は一旦解散し、その翌日である今日に、エミにメールを送り、呼び出したのだ。



 だが、私たちの企みはエミにはお見通しだった。




「……なぜ、俺たちが手を組んでいるとわかった?」


 柳端がエミに問いかける。

 彼女はそれを、いつもの微笑を浮かべながら見つめていた。


「以前も言ったとおり、君は人間としては優れているかもしれないが、狩る側の存在とは程遠い。先のことを気にしすぎる君が、このようなリスクの高い行動に出るには、何らかの保険が必要だ。いざとなったら、この一件を狂言で済ませられるという保険がね」


 エミは再び、「狩る側の存在」という言葉を口にした。


「狩る側は自身の安全を守り、尚且つ獲物を狩る衝動に身を任せる存在だ。君の場合は……香車くんを守りたいという願望がそれに当たるのだろうが、想像力が豊かな君は、どうしてもリスクを考えてしまう」

「俺が……保身に走ったと言うのか!?」

「そうじゃない。香車くんのためだろう?自分が捕まれば、友人である香車くんもただでは済まないと考えた。違うかい?」


 「狩る側の存在」……それは、何なのだろう。

 エミはなぜ、そいつに殺されたいのだろう。


「俺は……俺は……!」


 柳端は未だに、私にナイフを向けている。

 だが彼は、どうしてもそれを私につき立てることは出来なかった。


「まあ、待ちたまえ。君の要求を呑もうではないか」

「……え?」


 この流れでは、あまりに意外な言葉に、私と柳端の両方が声を発した。

 そして言った。



「私はもう、香車くんには関わらない」



 彼女の目的を捨てるも同然の言葉を。


 幾分かの沈黙が続いた後、柳端が声を上げた。


「何のつもりだ!? それでお前に何の得が……」

「喜ばないのかね? 君の目的は達成されたのだ。私は要求に従う。だから、黛くんを解放して欲しいのだが」


 どういうことだ? 柳端は私に危害を加えられないことがわかっているはず。なのに何故、要求に従う?

 いや、何のつもりであれエミはもう、棗に接触することはない。


 エミは殺されずに済んだんだ。


 納得出来ない顔をしながらも、柳端が私を縛っていた縄を解く。それと同時に、私はエミに抱きついた。


「エミ……エミ……もう、殺されになんて行かないよね?」

「ああ、黛くん。私は彼の要求を呑んだ。約束は守るよ」


 そうだ。これでもう、エミが殺されることはないんだ。

 私達はまた一緒に……


「そして私はこの街を出る」


 ……え?


「それも要求の一つだったろう?私が香車くんに関わらないようにするには、そうするしかない」


 え? え? 待ってよ。


「そ、それは、そうしないと私を殺すからで……」

「柳端くんの要求に全面的に従うとなると、街を出なければならない」


 いやいや、待ってよ。それじゃあ、なに?


 私は結局、エミと別れなければならないの?


「そ、それだったら、私も一緒にこの街を……」

「君はここに残りたまえ」

「な、何で?」



「正直に言うと……私は君を、彼に献上するつもりだった」



 献上? 彼に? 何を言って……?

 いや、これはまさか……


「直截的な表現で言うと……」


 だめ、言わないで。



「君を香車くんに殺させるつもりだった」



 そんな申し訳なさそうに言わないで。


「そう言っているのだよ」


 私がエミの負担になっているようなことを言わないでよ。


「だが、私は獲物になることを止めた。同時に君を献上することも止めた。だからもう、君と一緒にいる理由はない」


 本当に? それが本心?

 それなら何で……


 何でそんなに、申し訳なさそうな顔をしているの?


「だからお別れだ。いや、本来なら、あの夕暮れの教室で、私たちの時間は終わっていたのだよ」


 どうして? 本当に私達はそれだけの関係だったの?

 もしかして、後ろめたいの?


 私を獲物にしようとした自分が、一緒にいる資格はないと考えているの?


「そんなの……私はあなたと一緒に……!」



「黙りたまえ!」



 出会ってから初めて、エミが叫んだ。


「私は君を、彼への生贄としか……考えていなかったのだよ」


 そう言って、エミは背を向けて走り去っていった。

 追うべきだ。彼女と一緒にいたいのであれば、追うべきだ。


 だが追ったところで、私たちの関係は二度と元通りにならない気がした。



====================================



 今回の行動は、私の目的に反していなかった。



 まず、柳端 幸四郎。彼は香車くんの日常の象徴だ。だからこそ、感づかれてはならない。


 香車くんが、私を狩る意思をもう固めているであろうことを。


 そう、香車くんは柳端くんとの友情を維持したまま、私を狩りたいのだ。

 狩る側は自らの安全を保ちつつ、獲物を狩る。


 安全とは、自分の平和な日常も含まれる。


 だから、この場は要求を呑むしかなかった。柳端くんに、香車くんは私の影響で、私を狩ろうとしていると思わせるためだ。


 狩る側の存在とは、他者の影響からなるのではではなく、元々そうであるものだということを隠すためだ。


 そして、黛 瑠璃子――彼女は獲物としては、不適格だ。

 あのような行動に出てまで、私の目的を阻止しようとした。彼女が私と同じ悦びを抱くことはないだろう。

 そう、彼女を獲物の候補から外す。それは私の目的に反していない。


 彼女は獲物に相応しくないというだけの話なのだ。


 決して……いや、これ以上考えるのはよそう。

 私は彼に狩られるために動いている。


 それ以上の目的など……ない。




第四話 完

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