第八章 悪者は悪者を憎む
ある日、千春が交番で免許の改正をしている間、見覚えのない番号から電話がかかった。
「はいもしもし?」
すると発狂混じりの女性の声が聞こえた。
「もしもし千春様でしょうか!?」
「はい…」
「アナタの旦那様が意識不明の重体です! 今すぐに黄金美赤十字病棟へ来て下さい!」
彼女は改正を放置し、いち早く赤十字病棟へ駆けつけた。
そこには酸素ボンベが付けられ、体の至る箇所が血まみれと化していた。
「真ぉ!」
ベッドで運ばれている間、千春は彼に大声で呼んだが、彼が起きる事はまずなかった。
そのベッドは手術室へ運ばれ、千春は外部の席へ腰をかけた。
「何で……」
この世の終わりを悟るような表情で下をうつむくしかなかった。一体いつ、どこで何があったのか。事故なのか、事件なのか。
全う分からず、自然に携帯電話で亜里沙へ電話した。
『はいもしもし?』
「亜里沙ちゃん……どうしよ……真が……」
千春は涙を抑えきれず、涙声で亜里沙に相談した。
『どうしたんですか!?』
「真が意識不明の…重体って……」
『今どこなんですか? すぐに駆けつけます!』
千春は亜里沙に病棟へいることを伝え、ものの十分で亜里沙は手術室の前へかけつけた。
「一体どうしたっていうんですか!?」
「分からない……。急に病院から電話が来たからまだ何も……」
「念の為佳志に連絡しないと……!」
亜里沙は佳志に電話をしたが、彼はなぜか出てこなかった。どこで油を売っているのだろうか。
――五時間が経過し、ようやく手術が終了した。車輪式のベッドがまたまた搬送され、千春は医者に聞いた。
「あのう、真は無事なんでしょうか!?」
「まだ意識が回復しません。血圧も大分低く、大分やられています。私たちは最善を尽くすのみです」
彼の車輪式ベッドは301号室の個室へ移動された。
亜里沙が医者に手帳を見せた。
「警察です。何が原因で彼は……?」
「多数の切り傷がある限り、これは人によるものだと考えられます。止血はしましたが、この傷口はどこか不思議です」
「不思議? といいますと?」
「人間とは到底思えない、真っ青な血流が存在していたのです。血管だけではなく、その他肌も」
「………何かの感染症という可能性は?」
「分かりません。今までの医学にこんなものは存在していませんでしたので……」
千春は医者の肩を強く掴み、涙目で「助けてください」と頼んだ。
「真は助かるのでしょうか!?」
「最善を尽くすのみです」
医者は『助かる』という言葉を一度も発することはなかった。
千春が真を見守る中、亜里沙はいち早く本部へ連絡することにした。しかし千春はその手を止め、首を左右に振った。
「連絡をするのなら、荒田君にだけにしてくれないかい?」
「えっ……重大な事件ですよこれは?」
「お願い。こんな事、公にしたら大変な事になる……」
それは『また狙われるから』なのか、何か秘密を隠そうとしているのかは分からなかった。
ひとまず亜里沙は荒田長官にだけ報告した。
『何? 真が?』
「そうなんです。どうやら肌の色が蒼くなっているらしく、千春さん曰く本部への連絡を拒絶してるようなんです」
『……………。亜里沙、できればその重体に近づくな。千春にも』
「へ?」
『お前も感染するぞ』
「ど……どういう事なんでしょうか……」
『説明は後にする。今すぐそいつらから逃げろ!』
「逃げろって……あの人たちはそんな悪い人たちじゃ――」
後ろから、見たこともない顔をした千春が、亜里沙の口を抑えた。彼女は何かを飲まされ、その場で意識を失った。亜里沙は携帯だけを床に落とし、どこかへ運ばれた。
一方佳志は既に荒田から連絡を受け、真の重体より先に亜里沙の行方を追った。
とにかく「黒いスーツの男」を一メートルほどの長さの鉄パイプで殴り倒し続けた。
「でよぉ、どうやら真さんに近づいたあの金髪野郎は――」
二人のスーツ姿の黒ずくめの男が食堂で話している時、全面上にある窓ガラスが全て割れた。
窓越しには武器を持って立ち尽くしていた佳志の姿だった。
「アイツ真が言ってた――」
周りにいる大勢の一般市民が悲鳴を上げて逃げ回る中、佳志は男達が最後まで言葉を言い切る間も許さず机に上がり、飛び跳ねて二人に飛び掛かった。
発狂しながらその内の一人の頭部を加減なしに棒で叩きのめした。
「コイツ話と全然違――!」
鉄パイプはねじ曲がり、佳志はそれを捨てて金属でできている椅子を持ち上げ、男の腹部を横に直撃させた。
仰向けに倒れた男に佳志は馬乗りになり、尻ポケットにしまっていた折り畳み式ナイフを男の眼に突き付けた。
「おい、亜里沙の居場所教えろ」
「あ……亜里沙? 知らねぇよそんな奴! テメェの女か?」
佳志は男の右肩にナイフを突き刺した。
「次は左だ。その次は腹だ。その次は右目だ。その次は左目、その次は――」
「本当に知らないんだって! 本当に! マジで知らないんだって!」
「チッ――」
佳志は男から離れ、油断したところを男が佳志に襲い掛かろうとしたが、彼は咄嗟に振り向き、男の心臓にナイフを投げ刺した。
「それと俺はアイツの女じゃねぇよ」
「テメェ……写真見る限り全然大人しそうな社会人の癖して――」
「あぁ。そうやって油断させるのが作戦だしよ」
「汚ねぇぞコラァ……!」
そして男はうつ伏せに倒れた。
佳志はまた、どこかへほっつき歩いて行った。
――目が覚めると、そこは人生では見たことのない、いや、テレビでは時々見るような風景だった。
亜里沙はそこで戸惑う事しかできなかった。自分は今までどこで何をしていたのか、最初は思い出す事もできなかった。
目がぼやける中、徐々に視野が回復し、目の前には千春の姿があった。
全て思い出した。荒田長官に与謝野真の重傷化について報告をする中、何者かに……。
そして目の前にいるのは冷静な態度をした千春。つまり気絶させたのは彼女だということは、すぐに分かった。
現在、彼女二人は真っ白な空間にいる。周りにはカプセルなど、まるで何かの実験室のように見えた。
「目が覚めた?」
「……………千春さん、これはどういう事なんでしょうか」
「ごめんね、どうしてもこれだけは公にしたくないから、もうこの方法しかなかったの。でも私は、アナタにだけはこの街に隠されている真実を教えてあげたい」
「真実……? それはまさか、例の壁にも関係しているのでしょうか?」
「えぇ。ハッキリとね」
怒りの表情を浮かべていた亜里沙は、耳を傾けようと真面目な形相へと変わり、殺気を感じる様なオーラは治まった。
「この前、池谷と名乗る男が『与謝野佳志』と話したよね」
「えぇ。なぜあんな瓜二つで危なっかしい人間が二人もいるのか不明ですけど」
「あの子は一度死んだはずなの」
「え?」
千春は下をうつむき、椅子に腰をかけた。
「もう何年も前か覚えていないけれど、真が今の佳志と同じ年齢の時、あの与謝野佳志がある日突然来て、精神的な衝動が過剰に回った結果を末に私の殺害を試みたの」
「え、ちょっ……、意味が分かりません。どうして旦那さんが若い時に佳志が……」
「最後まで聞けば分かる。信じてくれないと思うけれど……。実はその時真と佳志が人気のない大きいな倉庫で絶妙的な格闘戦を交えたの。でも、結局二人とも決着はつかず、そこで佳志が真をかばってある者に刺殺された」
「ある……者?」
「……私はその者の名前なんて、できれば言いたくない。でも、それを否定するたびに真に申し訳なく感じてくる……」
「分かりました。そこは聞きません。ただ、そこで助からなかったのですか? その佳志は」
「えぇ。その刃物の殺傷力は半端じゃない。出血はあっという間に流血しきってしまい、彼は確実に命を絶った。そして私たちは墓を作り、彼の骨を土に埋めたはずなの」
「墓………どこで聞いたことあるような……」
そう、もう大分前になるか、佳志が不機嫌に自分の墓について愚痴をこぼしていた時のことだ。
「まさか、あの墓は佳志じゃなく、もう1人の……」
「今生きてる実の息子の生存権を奪うほど酷い母親じゃないよ私は」
「それはそうと、何で今もう1人の……いや、偽佳志はこんなところへ? そもそも何でもう1人いるんですか?」
「………………それは、彼自身が説明してくれるはず。私も正直、なぜ死んだはずの彼が今生きているのかも、実を言うと全然分かってないの」
「……………彼自身、クローンでも双子でも何でもないと言ってしました。だとすると、まるで彼は未来から来た人間に思えるのは私だけでしょうか?」
鋭い洞察力には負け知らずの亜里沙に、千春は苦笑いを浮かべた。
「まぁ、似たようなものかな。ちょっと違うけど。私より、直接本人に聞いた方が、絶対分かりやすいよ」
「そうですか……」
「それと、フィルモット研究会っていう研究団体が存在するのは、聞いたことないよね?」
「何ですかそのフィル……なんちゃら研究会って?」
「得体の知れない化け物を研究しつくした裏権力団体だよ。広行より、ずっとね」
「広行……荒田長官を上回るという事は、偽佳志よりも……?」
「いや、その佳志のことだよ」
「はい?」
それ以上、千春の口が動くことはなかった。
佳志は口に煙草をくわえながらナガラバーの扉を開き、地下の階段を下りて更にそこにある扉を開けると、そこには信じられない光景が待ち受けていた。
佳志と偽佳志が暴走の果てになった光景、よりはまだマシだが、机やイスは倒れ、グラスのほとんどが落ち割れていた。
そして何より――あの長柄と賀島が倒れていたということだ。
「おい、オメエらどうした? 起きろよ」
そのうちの、賀島が頭を手で押さえながら起き上がった。「いて」と痛がっていたが、その後佳志の顔を見ると、怒りの表情へと血相を変えた。
「佳志テメェ……、ふざけてんじゃねぇぞコラァ!」
「あ? 何言ってんだよ」
「テメェの暴走のせいで俺らまで巻き込んでんじゃねぇぞ! だからあれだけ止めろって言ったんだよ! ずーっと前からな!」
「何をだよ。俺は親父がやられたって聞いたからそのやった奴らの首謀者をつきとめようとしただけだぞ」
反省の色がない賀島が佳志を一発ぶん殴ろうと腕を大きく振りかぶると、その横から長柄が佳志の右の頬を思い切り殴打した。
予想外な人間が佳志を殴ったゆえ、彼は驚倒した顔で尻餅をついた。
そこにはオーラだけで分かる、まるで佳志と同じような殺気を感じさせる長柄の姿があった。
佳志は思い出した。コイツも昔、自分と同じ人種だっという事を。
「お前、自分の親父さんのためとか、本当は思ってねぇだろうが」
「あ……あぁ?」
「どうやらお前は行動以外に、精神までおかしくなっちまったか。亜里沙がいなくなったから暴走したんだろ」
「ち……違ぇ! 誰があんな国家公務員助けんだよ!」
長柄は尻餅をついている佳志に胸ぐらを掴んだ。
「テメェ、もう認めろよ。亜里沙が滅茶苦茶可哀想って言ってんだよ。あんなに必死にパトロールして、悪い奴がいたら自力で捕まえ、よく分からん団体も調べなきゃいけない作業、そして佳志、テメェという前科者のチンピラをわざわざ世話しなきゃいけないってことぐれぇ分かってんだろうが! いい加減彼女に本当の想い伝えて、ちょっとぐれぇ励ませろよ」
「…………………」
本当の想い、それを佳志はよく分からなかった。
彼の人生の中で、『好き』や『愛』と出くわした事が人生で一度もないからだ。『喧嘩と言うのはいかに強い者が勝つかではなく、いかに手っ取り早く処理する者が勝つか』という事しかまるで考えていないのだ。
佳志は呆気な表情で長柄へ問う。
「な……何を伝えればいいんだよ……」
長柄はこの期に及んで、と呆れ返り、掴んでいた胸ぐらを離した。
「お前まだ自覚してないのかよ。お前に『愛する』っていう感情はないのかよ」
「黙れ。オメエにそんな事言われたくねぇんだよ!」
「『好き』って伝えればそれでいいんだろうが! ふざけてんのも大概にしろよ佳志!? いくらテメェが仲間っつってもな、今回だけは絶対に許さねぇ! さっきよく分からんスーツ姿の奴らにココ荒らされたんだよ! テメェの暴走のせいでな! この落とし前どうしてくれんだよ!」
「んなもん知るかよ! 黙れ黙れ黙れ、黙れぇ!」
佳志は倒れている机を彼ら二人に振り回し、血の気を彷徨った。
賀島は動揺したにも関わらず、長柄は未だ冷静を保っていた。
すると、振り回していた佳志に長柄が瞬時に佳志の目の前にダッシュし、彼の頬を再び殴った。
彼は机を落とし、さきほどのような尻餅をつかず、その場で頬を手で押さえた。
「佳志、お前一度も素手で戦った事ねぇだろ。どうしてだ? 手も痛くなるからか? それとも怖いか? お前はただの腰抜けに過ぎなかったってことなのかおい?」
「……………ナメやがって……殺してやるよ」
佳志は眉間にこれまでにないくらい濃い影ができるほどにしわを寄せ、床に唾を吐いた。
しかし床には、さきほど吸っていた火がついているタバコが落ちていることを佳志は見逃さなかった。
それを犬の様に取ろうとするが、長柄もそれを察し、タバコの火の粉を足で踏みつけた。
「この火を俺の目にでもぶっ刺そうとでもしたか。武器になるものなら何でも良いってか……」
佳志はそこまで言われてもなお、尻ポケットから折り畳み式のナイフを取り出した。
刃にはさきほど刺した血痕がただれ落ちていて、横で見ていた賀島は後ずさりをした。
「殺すって……言ったろ」
眼はまるで薬にでも手を出したかのように、明らかに逝っていた。
相手がいくら仲間でも、彼が容赦を見せることはなかった。
長柄は舌打ちをし、格闘術を披露する構えを整えた。
「お前みたいな臆病者、全然怖くねぇんだよ」
そう言ってるにも関わらず佳志は長柄の胸を突き刺そうと真っ直ぐ刃物を放った。長柄はそれを見切って横に避けた。
「今の当たってただろ……」
賀島は完全に硬直し、レジの奥で避難せざるを得なかった。
シャレにならないと悟った長柄は体制を戻し、ただひたすら逃げ回った。
佳志はあらゆる物を蹴飛ばし、まだ立ってある机に跳び上がっては長柄に縦にナイフを振りおろした。ナイフは当たらず、床に思い切り刺さり、食い込んだ。
それを抜こうと必死になった佳志に、長柄が彼の顎を蹴飛ばした。
壁の奥まで吹き飛ばされた佳志に、長柄は「来いよ」と指で指示した。
「だから言っただろ、お前みたいな臆病者、全然怖くねぇってよ」
佳志は顎に会心の一撃を食らったにも関わらず、再び立ち上がった。
「おいおい……コイツ化け物なのかよ……長柄のまともな蹴りに失神しないだけでも凄いのによ……」
と賀島も唖然としていた。
「もう武器はねぇようだな。さぁどうする与謝野佳志? このまま俺らに土下座でもして落とし前つけるか?」
「…………………あぁ? オメエ、何言っちゃってんの? たかが数年喧嘩慣れしてるからって、俺が負ける根拠なんて一つもねぇんだよ」
「ん……?」
「テメェが死ぬってことだよ」
すると佳志はポケットから、ピストルを突きつけた。
「この期に及んで……そんなモンおもちゃに決まって――」
油断した長柄に、佳志は賀島の肩へと発砲した。
賀島は倒れ込み、悲鳴を上げて悶絶した。
「お……お前どっからそんなモン……!」
「町の極道から奪取しただけだよ。何も不思議な事じゃねぇだろ」
「待て、待て佳志!」
形勢逆転をされた長柄が遂に両手を上げた。
徐々に佳志は彼に近づき、銃口は遂に彼の額にへとゼロ距離になった。冷や汗をかいている長柄に、佳志は何かを目論んだ。
すると彼は、瞬時に拳銃を回し、銃口の部分を手にし、長柄の頭を思い切り叩きのめした。
長柄は膝をつき、うつ伏せに倒れ、失神した。
佳志はポケットを再びポケットへしまい、酒場から出た。
彼が行った場所、そこは誰も寄る事がない廃墟の建物だった。
(本当は長柄や賀島を呼んで行こうかと思っていたが、状況が変わった。俺はコイツを、ぶっ殺しに来たんだよ)
階段をゆっくりと上がり、最上階の全面窓がある広めの部屋へと行った。
そこには、ニヤニヤと立ち尽くした、金髪のスーツ男が独りいた。
「仲たがいした気分はどうだ?」
運命の歯車が今、回り始めた。