第五章 囚われた街
警視庁から出た佳志は、改めて街の情景を遠くまで見た。
にぎやかで、そしていつもの様に人々の凄まじい盛ん度、恐怖の通勤ラッシュ。これを見る限り、とても過去にそんな恐ろしい事件が起きたとは想像できなかった。
確かに、今の黄金美町もとても平和とは言い切れないが、逆に言えば昔からこういう風だという認識で佳志は生活していた。
あの大事故の真実を知っているのは与謝野家全員と荒田だけであり、マスコミでは原因不明と決められている。
何となく自分が情けなく感じてきた佳志は、独りでボンヤリタバコ屋を目にした。遂にストレスに耐えられなくなってしまったのだ。
財布の残金を確認し、店の老婆に声をかけた。
「あのう、キャスターってあります?」
「あるよ。ほれ、430円だよ」
老婆は疑う事もなく平然と佳志に渡す。しかし彼は財布の中と今の老婆の発言を比べて困惑していた。
「え、430? 二十円高くない?」
「アンタぁ、たばこ税上がったの知らないのかい? もうとっくに上がったよ」
二十円足りない。
よりにもよってこういう時に限ってわずかな値が足りないとは。
更に落ち込んでトボトボと帰って行った彼に、背後から女の声がした。
「与謝野……真の息子?」
鋭い声を聞きいれた佳志は亜里沙と思い、「あぁ?」と睨みつけながら振り向いた。
しかし、そこにいたのは見たこともない金髪ロングの女だった。
息子と呼ぶ限り、真の知り合いと見た。
「何だ、お前」
「与謝野真の、昔の友達よ。君、息子さんだよね?」
「あぁ、いかにも。何で分かった?」
「この辺じゃあなたみたいな黒髪系のゴロツキは数少ないからね。何となく面影もあったし、一目で分かったわ」
「残念ながら眼は親父と違って東洋人風だぞ。面影も糞もねぇな。何の用だ?」
「久々に黄金美町に来たの。ちょっと案内してくれるかしら?」
「何だ、ヨソモンか。観光者なら……」
「止めといた方がいいって?」
「!」
自分が言おうとしたことをそのまま言われ、思わず言葉を失ってしまった。
「生憎、私はこの街が一番荒れてた頃に住んでたの。そのくらいの覚悟は分かってるわ」
「そ、そうか。なら、中央広間や商店街、地下街があるから、そこ行ってこればいいんじゃね?」
「そうね。じゃあ案内してくれる?」
「あん? 俺は暇じゃねぇんだよ。独りで行ってこい」
「ダメよ、女性には紳士的にしなきゃ」
「たくよ……」
仕方なく、佳志はあらゆるところを一緒に行き、新しく出来た店を次々と案内した。
結果的に中央広間のベンチに座り、2人は缶ジュースを飲んだ。
「そういや、親父に挨拶しなくていいのかアンタ?」
「うーん、そうね。でも私はいいや」
「いいのかよ」
「……………」
すると女は、缶ジュースを全て飲み干し、ゴミ箱へ投げ捨てた。
「何かね、昔だけだったんだけど、真と一緒に居た時だけ、変な夢を見ていたの」
「変な夢?」
「そう、何回も同じような夢を。私、真に片思いだったのよ。だからなのか知らないけど、楽しく付き合ったり、一緒にデートしたり、とにかく幸せで妙に現実味のある夢を見ていた気がしたの」
「はぁ……。まぁ理想は夢に出てくるからなぁ。でも、それが親父と会えない理由にはなってないぞ?」
「何となく、悲しい感じがするの。知らない間に、真がものすごく遠い所まで行っちゃった気がして。この街の爆発事故が起こって以来、私との関わりも少なくなった。いつの間にか、全く違う道に分かれていたの」
佳志は、例の爆発事故と現実味のある夢というのが引っかかっていると感ずいた。そして真が言っていた「別時空」という単語にも。
店の中で寛いでいる真に、千春が声かけた。
「真、佳志と会った?」
「あぁ。でも、案の定信じてもらえなかったよ」
「そう……」
二人とも、罪悪感もあった。今まで隠していたということ。そして、自分自身が半分化け物だということ。
「私がこの時空に来なかったら、本来真は別の人と暮らしていた」
「ん? どういう事だ?」
「……私は色々とパラドックスを起こしてしまった。この時空に影響を与えたのは私の責任」
「今更自分を責めるのは良くない。俺は気にしてない。問題は佳志だ。今のアイツはもはや混乱の最中のはずだ」
「そうじゃない方がおかしいよ。それに、この街はある意味悪人の巣。荒れ続けた文化が伝統となって、次第にチーム同士の仲が良くなっている傾向も見られる」
「それって、荒れてるっていうのか? 争うから荒れるっていうんじゃないのか?」
「喧嘩祭りとかの影響だよ。それに環境破壊。中にはバイクで走行する連中もいる。もちろん暴走目的で」
「相変わらず迷惑だな」
そう、騒音はおろか、環境問題にも影響している。
この街は他の町と比べて異常に、そして異様に荒れていて、それは不自然に値するくらいだ。
「私は島岡美里。以後お見知りおきを」
中央広間にて、美里は佳志に初めて自己紹介をした。
佳志は徐々に愛想をよくしたが、そこにもう1人、女が来た。さしずめ佳志の天敵ともいえるのだろうか。
「アンタ何してんのよ!」
「亜里沙!?」
腰に手を当て、眉間にしわを寄せた亜里沙がそこにいた。
「結局ナンパしてんじゃないの!」
「いやこれは違……」
「こんな女の子捕まえて、アンタが口説けるとでも思ってる訳!?」
「だから違うんだって!」
誤解を解くため、美里が間を挟んだ。
「佳志くん、この娘彼女さん?」
「いやいやいやいやまさか……」
苦笑いをして誤魔化そうとしても、敵わなかった。
「アナタ誰よ? 私は数少ないこの獣の保護者よ!」
初対面にも関わらず、亜里沙は美里に佳志を指して訴えた。
「ふーん。そう。私は数少ないこの青年の偉大なる父親のお友達だけどね。三日前にココに来たの」
「何ですって? だったら佳志のお父さんに会いに行きなさいよ!」
「ふふん。誰に会おうが私の勝手でしょう?」
訳が分からないが、とにかく修羅場だ。
とりあえず佳志はその場を逃げ去ろうと必死に足を動かしたが、二人に服を引っ張られ、引きずり返されてしまった。
「何逃げようとしているのかな佳志くんは?」
ニンマリとした、なのにどこか恐ろしいオーラを漂わせた嫌な笑顔をした亜里沙が、そこにいた。
言うまでもなく佳志は悲鳴を上げ、最後までその修羅場の責任者とされてしまった。
★
あれから十日後。
――私は、別に彼の事が嫌いな訳ではない。彼にキツい事を言ったりさせているのは自覚している。優しくしてあげたい。けど、なぜかいつも対応がきつくなってしまう。これは自分の変えられない人格なのだろうか。それとも、意識さえすれば変えられる簡単な事なのだろうか。
仁神亜里沙、⒚歳。彼女ほど独特な瞳をする女性は数少ない。彼女は元暴力団のカシラの娘だったが、物心がついて以来ヤクザに反対し、孤立して黄金美町に行きつき、一時期は秘密警察の婦人警察官を雇っていた。
ゆえにか弱い容姿をした歩く凶器ともいえる。洞察力も優れていて、佳志グループ(佳志、長柄、賀島、亜里沙、真、千春、友之、慎)では最も利口な常識人とも言えよう。
かつて佳志に何度も命を救われ、その恩を今でも忘れず世話をしている。
彼女の普段の日程は基本佳志の世話と仕事である。
仕事は警視庁公安部の警備公安警察を雇っており、実は佳志にその仕事を伝えたことは一度もない。
理由は特にないが、言う必要が無いという事で言えない事情はない。
事務所のオフィスに着くと、早速長官の荒田が亜里沙に書類を持って来た。
「この地図を見てくれ」
地図を見ると、黄金美町黄金美地区を囲うかのように赤ペンでひいてあった。
「何ですかこれ?」
「最近ここらへんの様子が異様におかしいようだ」
「というと? 暴力団同士の抗争あるいは不良の溜り場とかですか?」
「いや、そういうものとはまた別のように見える。俺は今日はこの周辺について色々始末書を書かなければならない。様子はお前が見に言って来てくれないか?」
「は、はぁ…」
仕方ないと思った亜里沙は指定の服に着替えた。
「あ、それと亜里沙。これ持ってけ」
荒田が投げ渡した物。それはピストルだ。
「危ないからこんなもの投げないでくださいよ!」
「周辺は非常に危険な臭いがする。万が一の時に使え。発砲許可は俺が今降りたから安心しろ」
普通ならガッシリした男の人間に頼むのだが、荒田は亜里沙の万能さを昔からの付き合いゆえに理解している。
原付免許をとっている彼女は専用の原動付き自転車を運転し、北方面へ向かった。車が電気の様に流れる中、非常に危ない運転をして事故を起こした事はかつて一度もない。
しばらく進むと、黄金美町と東京の境が見えた。二つの境目の印は、何もないアスファルトである。その周辺は誰も住んでおらず、建物一つも存在しないしかし、あまりにも露骨に見え過ぎた境目に見えた。
「な…何よこれ……」
上を見ると空のはずが、それは300メートルくらいある「壁」だった。
荒田から見せてもらったあの地図に記されていた赤い囲いを思い出すと、この壁は黄金美町全てを囲っているということとしか思えない。
しかし一体なぜ?
原因を突き止めようと亜里沙は周辺を更に調べた。壁に耳を当てると、かすかに車の音が聞こえる。
どうやら壁はそこまで厚くないようだ。
いつから作られていたのだろうか、こんなものが。もし本当に全体に建てられているのならば、まずココに住んでいる住民は黄金美町から一歩も出られない。そしてヨソから人は訪れることはできない。
もし、本当ならば……。
一旦事務所へ戻り、荒田に報告した。
「何? 東京タワーにも劣らない高い壁?」
「えぇ。それほど分厚い壁ではない感じですが、なぜあんな壁が知らぬ間にあるのかは分かりません」
「あの周辺は皆無だからそういう目撃情報は全然ない。だから気付くのに時間がかかるんだよなあそこは……」
「でしょうね。なぜあそこだけ建物も何もないのでしょうか? 十分住みやすい土地のはずです」
「んー……、それは俺の口からは言えんな」
「はい? という事はご存知あるということですよね?」
「こればかりはいくらお前でも言う事は出来ん。知りたいなら、アイツのお袋にでも聞いてみろ」
「アイツの……?」
すると荒田は小指を立ててニヤニヤした。亜里沙は頬を赤くした。
「べ、別にそういう関係じゃありませんから! セクハラですよセクハラァ!」
なぜかラの部分を巻き舌でそう訴えた。
亜里沙が事務所を出て行こうとすると、荒田が引き止めた。
「おい、これ」
「へ?」
一枚の薄い封筒を渡された。
「何ですかこれ……?」
「開けてみろ」
怪訝な顔で封筒を開けると、一万円札が三枚入っていた。
「給料の割には少なくありません?」
「俺からじゃねぇよ。実はこの間あのチンピラがココに来てな。お前に渡すよう頼まれたんだ」
「チンピラ……」
考えるまでもなくそれが誰の事かが、彼女はすぐに分かった。
札束から紙切れがあり、そこには汚い文字でメッセージが書かれていた。
『飯のお礼』
てっきり「~だ」や「勘違いするなよ」などとそれらしい単語を残すかと思いきや、思ったより普通だったので反って意外に思った。
「知ってたんだ……警察やってたこと」
彼女は苦笑してルンルンと事務所を出て行った。
――私は恵まれている。どんなにキツくしても、彼は私を見捨てない。どんなに喧嘩をしても、なぜかいつも一緒にいる。なぜなんだろうと自分でもつくづく疑問に感じていた。
多分、仲が良い事に優しさは必要ないと思う。優しさと言うのは時に人を傷つけ、そして何より感心がないという証拠なのだ。
佳志が本当にそこまで想ってくれているのかは分からないけど、私はそう思ってる。
まぁ、アイツには直接言わないけどね。絶対。