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躯の王  作者: zan
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09.恐れ

 エグリたちは、人里にいれば自分たちの存在は知れてしまうのだと考えた。

 ともなれば、やはりどこかに引きこもって、息を殺して生きていくしかない。しかしそれではいつまでたっても勇者たちの情報は得られない。

 彼らを避けることも、報復するために弱点を探すことも、できなくなってしまう。だからそれではダメだ。


「しかし、勇者の情報を集めるなどということは、いつでもできます。

 あのような有名人が、人の噂にならなくなるのにはかなりの年月が必要となるでしょう。

 私たちはそれまでの間に、力を蓄えていけばいいのではないでしょうか」

「なるほど。キサ、お前はなかなかいいところを突くな」


 キサの提案に、エグリは満足する。彼女の言うとおり力を蓄えることに専念する。少なくとも、数年。

 完全に潜めるように、場所も慎重に選ぶ必要がある。人間たちの目を引かぬ場所を。もし彼らの目に触れても、人が集まってくることのないように。

 だが、それ以上にエグリは最終的な目標を見据えていた。旧領の回復。これである。


 エグリたちの一族が勇者に討伐されてから、すでに一ヶ月近く経過している。が、人間たちはまだ旧領に足を踏み入れてはいなかった。そこに入ったのは勇者だけだ。

 ここに潜む価値はあるかもしれない。追い出した場所に戻っているとは敵も思わないだろう。自分たちの情報をできる限り秘匿し続けられれるかもしれない。

 そう考えたエグリは、旧領に戻った。人間のふりをして旅を続けて、戻ってきたのである。


 近辺に町はあるが、彼らはエグリたちの住処にまで手を出してはいなかった。

 勇者の魔法によって完全に焼き払われたエグリの故郷は荒野に成り果てていたが、一族は魔法生物ゆえに亡骸も残らず、そこには何一つ残ってはいなかった。

 だが、これは好都合でもある。何もないということは、略奪されるようなものが何一つないということだ。人間たちがやってくる可能性は限りなく低い。


「今日からここがぼくたちの家だ。そして、ずっと前から我々一族のふるさとだったところでもある」

「なぜか、ここにいるとなつかしい気分になります」


 キサが少しだけ微笑んで言う。

 エグリはそれにこたえなかったが、彼女の気持ちは受け取った。

 ここで暮らし、そうしながら力を蓄えるのだ。十分に力をつけてから、勇者たちに挑む。計画はそれで決まっていた。

 まずするべきことは、周辺に生き残っている魔物がいないか探すことである。


 いかに勇者が討伐を行ったとはいえ、彼も完璧な人間ではない。そのような人間はいない。

 巧妙に隠れ、逃げ延びた魔物がいる可能性はあった。それにかけて、エグリとキサは彼らを探して回る。

 結果、小さな体の魔物や、比較的弱い力しか持たない魔法生物が数種生き残っていたことがわかった。彼らは無論人間たちに対して危害を積極的に加えるような種族ではない。恐らく、勇者も害がないと判断して見逃したのだろう。あるいは、彼らを討伐したところで大した手柄と認められないと判断したのかもしれない。

 どちらにせよ、問題はない。エグリは彼らを自分たちの拠点に招きいれた。


「勇者たちを、憎いと思うだろうか?

 そうでないとしても人間たちを疎ましいと思わないだろうか。彼らは森の恵みを略奪し、汚物を撒き散らしていく。

 ぼくたちはできれば、魔物たちだけの領域を取り戻したいと願っている。取り戻した後、勇者たちのあの自分勝手な正義から逃れて、確たる領地としたい。

 そのためにはあなたたちの協力が必要だ。どうか助けてもらいたい。

 魔物の平和は、魔物が守らねばならないと思うのなら、どうか力を貸してもらえないだろうか」


 こうした誘いによって、エグリたちが作った拠点には魔物が集まってくるようになった。

 彼らは勇者によって友や親類を失い、あるいは進出してきた人間たちを快く思わない魔物たちであった。

 無論あくまでも人間との抗争に無関係でいたい、と考える魔物もある。エグリとキサは彼らを放置した。かかわる気がないものを無理に誘っても仕方がないのである。いつでも歓迎するので気が変わったら、という話をしてから、別れた。

 しかしそうした魔物の方が少数派である。大多数の魔物たちは惜しみない協力を約束してくれたのだ。

 数ヶ月もしないうちに、荒野に建てた仮住まいには多くの魔物が出入りするようになった。それでも勇者と正面からぶつかるには不安すぎるような戦力である。だが、間違いなくキサと二人で挑むよりは勝率が上がっている。


 ある夜、人間たちの偵察に出向いての帰り、キサが言った。


「エグリさまの徳により、これほど多くの同志が集まりました。

 勇者を討ち果たす日も近づいていると思われます」


 どうやら仮住まいに多くの仲間がいることを見て、力が増していることを実感したらしい。それもエグリの力である、と感じたのだろう。

 主がこれほどの力を持って誇らしい、ということのようだ。


「だが、これでは旧領を回復したとはいえない」


 エグリは驕らず、そう言い返した。彼の目的はあくまでも勇者への報復と一族の再興、旧領の回復である。力をつけていることは手段に過ぎない。

 まだまだ、喜ぶほどの成果は出ていない、と彼は考えている。

 仮住まいに帰り着くと、彼を何体もの魔物が出迎えた。


「エグリさま」


 と、子犬のように小さな獣が言う。彼は勇者に見逃された魔物だ。一族の殆どを殺されたことから勇者に対する恨みは強く、似た境遇にあるエグリに対して強い親近感をもってくれている。


「おかえりなさいませ」


 と、地面を歩く蝙蝠のような魔物が言う。


「人間たちの様子はいかがでしたか」


 蝙蝠の後ろにいた人間がそんなことを聞く。彼は行き倒れていた死体に吹き込まれた、あらたなエグリの分体だ。

 エグリは彼らの留守の間の労をねぎらいながら仮住まいの中に入る。すっかりこの団体の長として振舞うことが板についてきた。

 エグリを長とすることになんの不満もない魔物たち。彼らは、新たな長に対して期待するところが大きい。専ら、人間たちに対する怒り。あるいは過剰な崇拝。そうしたものから、勇者はおろか人間たちを完全に駆逐してしまい、ゴージャス王国をまるごと魔物の国へと変えてしまおうという現実を無視した野望も語られ始めている始末だ。

 そうしたことを、エグリは知っている。知っているが、その期待にこたえるつもりはなかった。

 だが子犬に似た魔物、ソールはエグリならばやれると信じて疑わず、彼へと期待を強くかけている。

 このときも彼はそれを口にした。


「エグリさま、人間たちは今日も森林を伐採し、川を汚し、ろくに火の始末もしないままでした。

 はやく彼らをこの地域から追い出しましょう。やはり彼らは害悪です。魔物だけの住みよい土地をつくらなければなりません。

 王国も滅ぼしたほうが、後々のためだと思います」

「ぼくにはそこまでの力はないし、それほどの目標を掲げてもいない。ソール、人間たちはぼくたちの土地を侵略したかもしれないが、魔物だって人間たちの土地に入り込んだことが何度もある。だったらそこは差し引いて考えなければ。

 そもそもぼくは旧領を確保して、そこを守ることしか目標にしていないのだ。そこから先は君自身がしていくことだろう」


 エグリは最初に立てた目標をはずさない。まずはそれを達成してから、というのが彼の理屈だ。

 しかも、そこから先に関してエグリ自身はかかわるつもりがなかった。


「しかし我々を導けるのはエグリさまをおいて他にはありません。我らが王は、あなたしかいないのです」

「ああ。ぼくは君らを誘ったから、君らを守る責任がある。

 決して無駄死にはさせない。必ず勇者に一矢報いて、魔物が棲める土地を確保する。これは絶対だ。

 だが、それ以上のことをぼくに期待してはいけない」

「ですが」

「ソール」


 なおも食い下がろうとしたソールを、キサが静かな声で止めた。


「エグリ様は、先のことを見据えていらっしゃいます。欲をたぎらせた意見はやめてください」

「欲? 我ら全体のことを考えた結果です。

 人間たちがいる限り、いつまた我々が住処を脅かされるかわかったものではない!

 彼らをこの地から永久に放逐してしまわなければ、安心して我々や我々の子孫が暮らしていけないでしょう」


 これは正論である。勿論こうした意見があることも、エグリにはわかっていた。

 しかしそれにこたえるつもりはない。彼はそれほど人間を憎んでいないのである。


「報復の対象は、勇者だけでいいはずだ。人間たちは彼の恩恵にすがっているだけで、直接ぼくたちを攻撃したわけではないだろう。

 彼らに対しては何もするな。攻撃を仕掛けると必ず自分たちの首を絞める。人間たちと同じことをしてはいけない。

 まずは、勇者と魔法使いの力を恐れることだ」

「恐れてどうするのですか、倒すのでしょう」


 ソールが食いついてくる。


「彼らを正確に知れば、恐れずにいられまい。敵を知ってこそ、勝機が見える」


 エグリは簡単に答えながら、他の全員からの報告を受けるために奥に歩いていった。

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